江戸紀行備忘録菱岡憲司「小津桂窓書簡集」感想

1 ヒシオカ・ブランド

かなり前にいただいた本だ。こんなに遅れた感想で申し訳ないが、賞味期限があるような本ではないから、かまわないだろう。
装丁から内容から、一見すごく地味な本だ。でもよく見たらすっきりと美しく、内容は豊潤な宝の山だ。和泉書院は本当にいい本を作ってくれた。

責任編集者の菱岡氏は学生の時から知っている。理系文系あわせもつ能力の持ち主で、コンピューターなみの緻密で行き届いたミスのない仕事をする手抜きのなさと、かつて文芸部を設立し、小説も書き、東西の文学その他を読み漁る、繊細で柔軟な感性は、論文にしても著作にしても熟練パイロットの操縦する飛行機の客席に乗っているように、安心して身をまかせられる、私にとってはヒシオカ・ブランドとでも言いたい信頼感を与えてくれる。

もちろんちゃんとした研究者なら、そういう徹底した調査やチェックは当然誰でもやるが、私自身も含めて、なかなか常に完璧とまでは行かない。ネットの記事のすさまじい誤字脱字にショックも感じなくなったとは言え、やはり学術書を読みながら「これはミスプリ?」「もしや誤読か?」と脳内で修正をかけながら読むのは、つらいものだ。
菱岡氏とて万全ではなく、数年前に出た資料集(あ、まちがった、「紀行集」のどれか)で、句読点その他数カ所の疑問点を見つけたとき、私はすっかりうれしくなり、嬉々としてそれを指摘した手紙を送った。弁解などまずしない彼が、珍しくくやしそうに、そのような不備がなぜ生じたか(彼にはほぼ不可抗力だった事情)を教えてくれたのも覚えている。

ついでに言うと菱岡氏は理系文系だけではなく、文武両道でもあって、マラソンランナーで武術も学び、音楽にも明るく演奏もし、語学も得意という全方位に好奇心旺盛で、しかも生活は決してとっちらからないストイックさを保持する、何やらルネッサンスの時代にいたような研究者で、この特質がこれからどのように発揮されるのか、なかなか予想は困難である。

これは、この書簡集の書き手である小津桂窓(久足)にも共通する、幅の広さであって、菱岡氏のような研究者兼読者を得たことは、桂窓にとっても大変幸福なことだろう。
もちろん、菱岡氏が解題で詳細に述べているように、そこに至るまでには、この本の完成を知ることもなく逝去された高倉一紀先生とそこに集った研究会の方々との、長く地道な作業があった。今も日本全国で、注目されることもなく、そうやって続けられているような、大学や研究機関に所属する研究者や一般の方々の、無欲で献身的な学問への貢献となる研究活動を思いやる。その一端がこうして結実したことに、感謝し、感動する。

2 小津桂窓の印象

前置きの無駄話が長くなりすぎた。本題に入る。
この本に収められた書簡一七八通は、伊勢松坂の商人で、滝沢馬琴の友人、蔵書家、歌人、紀行作家、映画監督小津安二郎の先祖として知られる小津桂窓のものである。
従来は「馬琴の友人」「蔵書家」として有名だった。小津久足の名で書いた多くの紀行が江戸紀行の到達点ともいうべき高い水準にあることを知って、紀行作家としての業績を指摘したのは私だが、その後菱岡氏は歌人としての彼の歩みにも注目して、より完全な全体像に近づけた。

私が知っているのは、紀行作家としての彼の才能だけだが、その限られた範囲で見ても、桂窓(久足)は、なかなか興味深い人柄で、その個性を自分の文章で十分に示すことができる人でもある。
菱岡氏が解題で、きっちりと格調高く、その人となりと経歴と人生を報告しているのをいいことに、私は思いっきりの印象批評で言ってしまうと、桂窓には文学者っぽい危なっかしさや哀れっぽさがまるでない。自己陶酔とか自己憐憫とか特に自己嫌悪とかにはまったく無縁の性格としか見えない。
好き嫌いも激しいし、無駄な我慢もしない。冷静で、自分の感情をちゃんと受けとめて、落ち着いて分析し、合理的に行動し、空疎なことで悩まない。彼がハムレットだったりロミオだったりオセロだったりマクベスだったりしたら、絶対にあんな悲劇は何も起こらず、町や王国は、平穏な日々を迎えただろう。
それが江戸風なのか近代的なのか、東洋的なのか西欧風なのか、私にはわからない。いつでも、どこでも、こういう人は一定数はいるように思える。

紀行の中で彼はしばしば「自分は恵まれている」と言う。そのことに後ろめたさも感じていない一方で、変な自信やうぬぼれもない。落ち着きすぎていて、ときどき冷たく見えたり腹立たしくなったりするが、結局はあきらめて笑いたくもなる。
彼は貝原益軒の紀行を高く評価し、理想としていた。もしかしたら、作品だけでなく、益軒の持つ合理的で冷静な醒めた性質も、共感するものがあったかもしれない。

菱岡氏の「解題」は、ネットですべて見ることができる。このありがたいサービスに感謝しつつ、ぜひ一読していただきたい。収録された書簡の順序を決定するにあたっての、まあ楽しくはあっただろうが、気の遠くなるほど緻密な作業、書簡の読み込みから書籍の調査、使用されていた料紙の分析までを駆使する、容赦ない追求の過程の一端がうかがわれるだろう。

菱岡氏は桂窓が属した伊勢という地の文化圏についても注目している。それは解題を読んでいただくとして、私はまた、桂窓が常に深く愛した京都の魅力、またその紀行の代表作ともいうべき「陸奥日記」で描いた東北への関心についても、より深く知りたいと、あらためて思う。何が好きなのか、何に惹かれたのか、桂窓は、きちんと語って伝えてくれる人だから、読めば必ず答えは見つかる。

菱岡氏のローラーをかけるような丁寧な説明の中に、おのずと浮かび上がって私を刺激したのは、有能な商人として家業を守りながら、旅行と読書という趣味の世界に耽溺する桂窓の、バランスのとれた生き方だった。彼が仕事でつちかった情報処理能力について菱岡氏は的確に指摘する。また、次のようにも述べている。

桂窓が江戸店持ちの松坂商人・小津与右衛門として、家の存続を重視した「守り」の姿勢を貫いていたことは、拙稿「小津与右衛門の文事」(『小津久足資料集』)で述べた。その考察から浮き彫りになったのは、桂窓は、商行為として得た余剰を、資本として投資に回すのではなく、積極的に「遊び」に費やすことで、資本の再投下による拡大再生産と、その行きつく先の飽くなき利潤追求を未然に防いでいたことである。書物・書画の蒐集は「慰」「遊び」であって、それによって「利益」を得ようというのは、桂窓からすれば、本末転倒も甚だしい。

私は現代の多くの人々に、この文章を熟読玩味、拳拳服膺してほしい。特に政治家、経営者に。このようなあり方が唯一とか絶対とかいうのではない。しかし、ここには、健全で節度ある経済活動と消費行動があり、それは文系理系の対立をはじめとした、さまざまの硬直した発想から、私たちを自由にし、未来への多くの可能性を見せてくれるものだ。個人であれ、社会であれ、国であれ、ここには私たちが模索し追求する価値のある、一つのありかたが示されている。

3 至福の読書

この本の内容自体は、桂窓が同じ愛書家の川喜田遠里とおたがいの本の貸し借りについて交わした書簡の翻刻に過ぎない。しかし、それを一通また一通と読み進めて行くと、たとえ膨大な書名の大半を知らない人でも、ある快感を感じるのではないかと思えるぐらい、不思議なまでの至福の時間を味わえる。
それは、編者の三名の苦労による、句読点や改行の「読ませる」工夫によるところも大きい。まるで物語を読んでいるように、ただ羅列される本についての連絡が、清々しく、心を躍らせる。

(ところでかつて菱岡氏が『小津久足の文事』のあとがきで、人にこの本を見せるのを躊躇したぐらい私のことをほめまくってくれた中で、「授業で紹介する本が、どれもこれも面白そうすぎて、実際読んだらそれほどでもないという被害届もある」とも書いてくれたように、また、ネットでの映画評でも似たようなことを言われたことがあるように、もしかしたら、この本も、「読んでみたらそうでもなかった」と言う人がいるかもしれない。
しかしまた、少なくともこの本の場合、確実に私のこのほめ言葉以上に、読んで夢中になりうっとりする研究者はいくらでもいるはずだ。当時の読書や書籍、書肆、知識人の生活ぶりが、これほど細やかに手にとるように、一行ごとに現れることなど、めったにあるものではないからだ。)

きりがないので、あとは芸がないが、読んでいて特に楽しかった部分を羅列する。

20ページに、益軒の「筑前国続風土記」「扶桑記勝」を持っているかと問い合わせ。益軒の作品については他にもいくつか記事がある。

25ページで、「八丈筆記」「伊豆日記」など、伊豆諸島の紀行について書いている。

32ページで、小沢蘆庵「木曽路記」を以前見たのに書写しなかったことをくやんでいる。持ち主が知り合いだったから、いつでも写せると思っていたら、その人が病死し、残った家人は女性だけで、本の行方を聞いてもわからなかった。その十年前に一度見た本の中の記事や、和歌二つを桂窓はしっかり暗記している。すごい。

51ページで、「翁草」の中の月ヶ瀬に関する部分を至急書き写してほしいと頼んでいる。自分の紀行の中に書き入れたいそうだ。こうやって、引用する記事を記憶し、集めていたのだとわかる。

53ページには、自作の紀行の記事に関して地名の中の「呉」の一文字の意味に悩まされていたのがわかった喜びが記される。益軒の弟子との書簡でもそうだったが、この人たちはこうやって、一文字一文字の意味を詰めるのだ。

89ページ、包みの封じ目の糊が強すぎて、本の表紙が汚れる心配があるので、気をつけてほしいと頼んでいる。

96ページ、かつて中村幸彦先生が面白いと大喜びされていた(「随筆百花苑」に翻刻されたっけ)「土御門殿東行話説」、珍しい本なのに、ちゃんと持っている。これも珍しい遠山景普「未曾有記」も「松前記行」と比較し考察している。

98ページ、「槃游余録」の書名も出る。これは数冊あるのを、揃えようとしていて、この後も何度か記事が出る。

115ページ、「躬恒記行」を読んで小野平の滝の描写がよかったので、立ち寄って見たら、「思いの外よろしき滝」だったそうな。

130ページ、「尾張名所図会」を読んでみて、面白い記事があったと喜んでいる。

142ページ、荒木田麗女は自筆は「手よわく」、文盲の夫が手跡がよかったので、一生麗女の筆工をしていた。夫をこきつかっていたという人もいる。との話を紹介。

151ページ、加賀の落雁の食べ方、突然いやに詳しく説明。

168ページ、西洋ものや物語ものは嫌いらしい。

この他にも、紀行の書名が数多く出る。桂窓に限ったことではないが、江戸時代の紀行作家たちは、刊本に限らず写本でも、相当多くの作品を手に入れて読んでいたことがわかる。

4 最後に

でもこれまったくの無責任な印象なんだけど、この書簡集は氷山の一角って気がするのよね。桂窓の蔵書や創作活動からすると、ここに出てくる本のやりとりぐらいでは、とてもあるまい。菱岡氏でもどなたでも、その全貌はこれからもっと明らかにしてくれるのかもしれない。

これもただの感想だが、中村幸彦先生と中野三敏先生に、この本読んでほしかったなあ。さぞかし楽しまれたことだろうに。そう思ったら、これを読める自分は幸せだとも、あらためて実感する。(2021.3.30.)

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