江戸紀行備忘録壺石文
冒頭からぼやきですみません
うわおー。
と、いきなり叫んですみません。
実は、この項目のメインとなるべき「壺石文」の翻刻の活字本が、書庫からもパソコン周辺からも、どこからも出て来ない。それを探しまわってイライラしてふて寝して、パソコンゲームして、貴重な数日を無駄にした私は、今さらわかったことでもないが、絶対に学者として大成できない。
小津久足にいたるまで
とにかく、順を追って話そう。
自分のホームページなのをいいことに、何度でも自画自賛しとくけど、私の江戸文学研究者としての功績は、何が何だかわからない状態だった江戸紀行の大群を、何とかあらすじというか、概観を作ったことで、特にその中でも、従来まったく紀行作者としては注目されなかった小津久足を、江戸紀行の最終的な完成形として指摘したことである。
と言っても、もう久足については、「小津久足の文事」を著した菱岡憲司氏が私などとっくに遠く及ばない研究を続けていて、作品紹介や注釈その他、第一人者と言っていい存在になっている。詳しいことは今後の菱岡氏の研究に俟つとして、その久足に至るまでの、江戸紀行の道筋や枝分かれの概要を見ておきたい。
正確な事実と、面白い虚構
貝原益軒は、「おくのほそ道」で有名すぎる松尾芭蕉とはちがったかたちで、むしろその後の江戸紀行の基礎をなす「感傷を排して事実を性格に述べる」ことを根幹にした新しい紀行を作った。その精神は多くの紀行作家に引き継がれ、小津久足もまた完全にその伝統上にある。中期の本居宣長も、益軒が俗文の実用書として築いた江戸紀行を、再び雅文の個人的紀行の伝統に戻しながらも、その精神は同じだった。
一方で、中期の代表的紀行作家橘南谿は、益軒の知的で平明、冷静で科学的な文体や記述は引き継ぎつつ、奇談集という形式を利用して、「正確に事実を述べる」ことにこだわらない、読み物としての虚構性を追求した。このことは同時代の、やはり紀行作家の代表というべき古川古松軒の「事実とちがう」という厳しい批判を呼ぶ。
つまり、本来は文学では問われない、「正確な事実」ということが、江戸紀行では一つの基準として要求され意識された。言うまでもなくこれは、江戸紀行の基礎を築いた益軒の存在の大きさによる。しかし、奇談集が、その正確さや報道性をスタイルとして踏襲しつつ、虚構としての文学性を追求したのを見ると、その二つの対立する傾向が、江戸紀行の中にはあったのがわかる。
もう一つの対立?
それと重なって、もう一つの対立もあったかもしれない、ということが、この「壺石文」という紀行には関係している。
もっとも、この紀行そのものは、面白いが、やや全体としてはバランスを欠く東北紀行の長編で、特にそういう問題点を作品の中で披瀝しているわけではない。
問題は、この写本の序文である。片岡寛光という人が書いている。そう、ここの別項目で「熱海日記」という作品を紹介する予定の、その寛光である。
寛光の経歴については、細かいところはよくわからない。「熱海日記」はいい作品である。それについては該当の項で述べるが、とにかく紀行作家として、ちゃんとした実力のある人である。
その彼が、この「壺石文」を序文でべたぼめしている。まあ序文を書いているのだから当然だが、そのほめ方というのが、「最近の紀行というと、しょーもない考証や検証が長々続いて、あんなのは紀行でも何でもない」みたいな悪口で、「それに比べてこの作品は立派だ」と賞賛しているのである。
私の論文でも書いているが、小津久足は、益軒の信奉者で「紀行は事実を正確に書くものだ」との立場を明確にとっている。そして、名前こそあげていないが、明らかに藤井高尚とわかる国学者の紀行を、「感傷的でめめしくて、紀行というものを勘違いして書いている」と批判している。そして久足自身は紀行の各所で、さまざまな地名や古跡に関する考証を長く行っている。
ぶっちゃけ私は藤井高尚の紀行をまだ読んでいないか、読んでも覚えていない。だからどういう作品か今ここでぴしゃっと言えない(その内にヒマがあったら、読んで言う)。しかしとにかく、おそらく寛光は藤井高尚の紀行は久足のようにボロクソには言わないで、むしろ紀行のあるべき姿と考えるのではないだろうか。
つまり、「事実か虚構か」という対立軸の他に、「故事考証は紀行にはいるかいらぬか」という対立軸も、たしかに存在しているのではないかと、寛光の序文を見ていると思えるのだ。
江戸紀行には、この故事や地名にまつわる考証が、たしかにものすごく多い。紀行の要素に欠かせないぐらいになっていたのではないかと思えるほどだ。それを目障りだ不要だと感じる美学や紀行観もまたあったかもしれないとすると、その流れや動きも、今後の紀行文学史上の検討課題のひとつだろう。
紀行作家としての力量
寛光の序文については、先のリンク先の「メモ」に詳しく書いたので、見ておいていただきたい。それと、つけ加えて念をおしておくと、小津久足の紀行は、考証も多いが、最大の魅力は彼自身の個性と感性にもとづく観察や見解で、それはむしろ伝統的雅文紀行の持つ魅力と同じ性質のものである。
また寛光の「熱海日記」も、個人的感傷的紀行の凡作が往々にして持つ、冗長さや平板さとはまったく無縁で、むしろ土地の人々や生活に対する観察が豊かで、江戸紀行の益軒以来の要素である情報性という点からもすぐれている。
むしろ、私に言わせれば、寛光がそれほどほめちぎる「壺石文」が、それほどの名作か?という気もしないではない。たしかに地元の伝説を紹介する面白い記事も多いし、雪の中でとざされた滞在生活を綴るくだりも読みごたえはある。
しかし、私の好みで言うと、どことはなしにバランスが悪い。久足や寛光の紀行に自然に存在するなだらかな流れや全体の一貫した統一感が欠けている。
寛光は、このとらわれない、一種の奔放さが好きだったのだろうか。
この紀行の一部はブログの「日記」でも私は紹介している。この続きを書いたかどうかも覚えていない。
ところで、もしかしたら、私がこの紀行に関して購入した本は、翻刻ではなく、松村博司「服部菅雄伝の研究」だったかも。もう一回書庫を探してみるか。
なお、あとは、この紀行の中身をもうちょっとお知らせしなくちゃならないのでしょうが、いつになるかわかりません。(しかし一応、つづく)