江戸紀行備忘録紀行右よし野
国会図書館蔵。写本一冊。24.4cm×17.2cm。9行書で73丁、絵あり。表紙は青に桐と雷紋つなぎ地模様。中央に金ちらし白題簽。外題「紀行右よし野」。内題なし。安永八年の奥書。冒頭に「貝原氏のすさみ置かれし『東路の記』、世の中のたからとなりて」「篤信先生の尻馬に鞭うち、武さし野の月に花さかせて見んと」などの記述があり、益軒紀行の影響があろう。行先は、木曽路、日光、東海道など各地にわたり、発句を交えて、土地の生活、旅の様など、平明な文章で詳しく無駄なく記してある。(私の「近世紀行文紹介」より)
前書きと後書き
後序
東閣□□嗚呼子は浪華三拾余万家に纔にかすまえられて、公私のいとま絵をよくし、俳に遊び旅を好む。はいかいも心の絵なれど絵の及ざるものは旅にして思ひは佳景にをくり、楽しびはゆく~~むかふ名所のさくら、見返れば古寺の鐘の声、ゆふべにうつり、朝さにかはる流水に腸を洗ひて句のあたらしみも淋しさも旅にこそと、おもほゆるまで、詞の玉、心の花、清らに濃やかに、里程までもしるせる一帖あり。こひて是を机上にすれば、誰もむかし見し知るしらぬ所~~今はた杖をひくがごとし。殊に夏しらぬ不断さくらや不二の佳作、六月の十五日にきえてはの古歌をながめて、富士の山月の図を要哉と、うつゝなくもくちずさみぬ。抑此紀行たるや、はじめに檀林翁の詞藻星布総角はありて、いまだ冠せず、いでや旅はわれも好の赤ゑぼしせんと、ぬしが住居しり顔になづけて、右吉野といふことしかり。 能夢庵燈下泉明述
冒頭
貝原氏のすさみ置れし東路の記、世の中のたからとなりて、いまの代にも旅客の手を□つかれを慰む。駅舎の寝ざめ竹輿のうち或は馬上の眠りをさまし、□□のたとき鄙俗の賤しきも懐にして、□吾妻の神詞も□成かな。其つまにこがるゝ輩の多き中にも宝やの某猶貫と名だゝる、よし野や町のおさ成人こそ風流のすきものにて、五流三代のながれを汲、書画にも妙を得て、篤信先生の尻馬に鞭うち、武さし野ゝ月に花さかせて見んと弥生はじめ、着つゝ馴にし旅ごろも、木曽路のさかしきを攀、鹿沼道の不自由を甘んじ、日光のあて成ひかりにぬか突、江都の繁花に酔て、しばしわら沓をぬぎ名処古跡芝居不夜城はみめぐりの稲荷に眉を算れて、夏来にけらしころもがえにおどろき、帰坂の志つきて東海道の佳景、三国不双の芙蓉の花はさらなり、首途の苫船より余さず漏さずきめこまかに上□の古歌をひき、自作の金玉は見るにまばゆし。古文真宝と題せし書は似せもの、誠はこの水茎こそ歩行好の重宝人に見せばや。難波橋の老翁證斎。
食べ物、土産物、名物をよく紹介する。
軍記物関係の記事も詳しい。謡曲も。守備範囲が広い。
鶴の放し飼い、田舎っぽい細工
名物案内(登場順)
大津 大津絵 そろばん師 源五郎鮒
瀬田 しじみ うなぎ
守山 姥が餅
高宮 葛籠細工 高宮嶋とてうつくしき麻の嶋
醒ヶ井 醒ヶ井餅
加納 ちりめん
大久手 煮貫玉子
十石峠 狐膏薬 信濃そば(汁が能くば、と思う)
奈良井 曲物細工 黄楊の櫛 (細工師、家毎にあり)(うつくしからねど、強き)
贄川 楊枝
猿ヶ馬場 柏餅
鹿沼 煙草
鎌倉 貝細工
箱根 梅の粕漬 鰹 とうちん香(透頂香) 挽物細工
笹原 芋田楽
柏原 うなぎかばやき
本市場 白酒
西金沢 鮎の鮓 あわび貝焼
日坂 なめし田楽 飴餅 わらびもちはまずい
浜松 差足袋 財布 風呂敷
荒井 かなぎ(安い)
猿馬場 柏餅
有松 しぼり木綿
桑名(東富田) 焼はまぐり
庄野 庄野俵
筆捨山 鮎鮓(うまい)
松の尾(大野) 焼鳥
栗林 ぜんざい餅
土山 そば切り 櫛
水口 藤行李 細工物 どじょう汁
田川 藤飯(黒豆で色つけ)
夏見 ところてん
石部 和中散
草津 姥が餅
行程と日程
大坂から川船で伏見に行き、そこから大津を経て木曽路を経由、鹿沼道から日光参詣の後、江戸に入って滞在、遊覧、東海道を経て帰宅する。
弥生半の四日、つまり三月十四日に出立、卯月末の九日、つまり四月二十九日に帰着するが、その間の日付がまったく記されないのは珍しい。
軍記物にまつわる記事が多い。また芭蕉の句碑についてよく記している。
タイトルは、もともとなかったのを、作者が吉野屋町に住んでいたことから、後序を書いた泉明が名づけたか。
珍しい記事、面白い記事
池の側、針、大津絵、そろばん師など、家毎にありて旅客の眼をよろこばす。牛車は海道につゞき行来ふ旅人は布を引がごとし。誠に賑はしき所也。(大津)
都(すべ)て木曽路の家々、瓦葺□葺壁等、一切なく皆枌屋根にて石のおもし置く。壁の有べき所も皆々板にて、燈籠細工(こんなイメージですかね https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1023369-d3922399-Reviews-Yamaga_Lanterns_Folk_Crafts_Museum-Yamaga_Kumamoto_Prefecture_Kyushu.html)の家のごとし。山家育といへど、惣体、女は色白く清らかにみゆる。(上松)
此宿、木の工ミ多く、椀、折敷、手箱など細工師家毎にありて、おなじく漆ぬりにして商ふ。流石に山家細工ゆへ、うつくしからねど甚、強きといふ。奥よりの道者は何れも是をとゝのへ、家土産にするとなり。(奈良井)
此村に家毎に楊枝を売る。難所をかゝへながら、わらび山吹など摘とり興ずるは、道草にあらず。旅泊の菜のたよりにと、
道草もわびし心の鍵わらび(贄川)
境内に鶴多く群居る。里の童、「鶴を放せ」とて参詣の袖にすがりて銭を乞ふ。鶴一羽、三銭也。彼(かの)鳥に糸を付ケ置、放すと其儘(そのまま)たぐり寄、又参詣の人々に群る。所ならはしといへど、神の御心に嘸おかしからんとおもふ。(姥捨山・武水別神社八幡宮 鶴のことは今はネットに記事なし)
善光寺通夜、妙義山神楽なども詳しい。
御料の御関所は、左り側の門の内へ入て通る。此御関所、切手なくては通りがたき事を知らず。関所に膝まづき、しか~~と述る。「証文ありや」と言へるに案内知らず、切手なき事をひたすらに助免を乞ふに、心ありげなる役人、浪花を出し日を尋ね、此所へ来る事の速さを問ふ。善光てらへ詣ふでし事を伝ふ。「左もあらば御印文など求つらん」との事に、面々所持せる事なれば、たび出しぬ(取り出した)。「此所は切手なくては通しがたけれど、案内知らず来かゝる事、誠しければ、急ぎ通れよ」と聞て、蘇生りたる心地し、「誠に如来菩薩の御加護にや」と、歓喜して出れば、直に例の船場也。(五料の関所 五料)
日坂、蕨餅名物也。至極の悪味恐るべし~~。(日坂)
いよいよ川幅広く、見渡すに外に舟一艘もなく、さも広き川に此舟一艘斗(ばかり)也。心細くおもふ折から風強く吹いて川浪荒く、櫓櫂の力におよばず舟はかなたこなたと漂ふ。予(私)兼て路ある所は舟に乗らず。けふは伴ふ人の足労(つか)れて、いなみがたく乗りしに、かゝる危険きに逢ふ。「早くいづれの岸へ成共(なりとも)着ケよ、陸を行ん」といふに、伴ふ人のいへるは「気遣う事さらになし(まったくない)。受合申せし。やはり乗居給へ」といふ。予、心おかしく「もしも舟に凶事あらばうけ合たる人も、ともに底のみくづとならん。左はなく共心くるしめ、何の益歟(か)あらん」と、岸に着かせ飛上るに、伴ふ人も今は是非なく上り給ふ。休ふべき所もあらねば、直に堤伝ひを行に、いよ~~風強く歩行さへも心にまかせず。漸(ようよう)天龍のわたし場へ出て、此村中ノ町に休ふ。(天竜川)
この他にも、こまめに面白い記事が多い。(2019.10.3.)