江戸紀行備忘録月園翁旅行記

なかなか進まない作業

書庫に山ほど眠っている未翻刻の江戸紀行のコピーを、とにかく少しずつでも紹介して行こうと思い、最初にとりあげた「紀行右よし野」が、まあわりと順調にアップできたので、気を良くして、またしても行き当たりばったりに、「月園翁旅行記」という作品を読みはじめたら、なぜかものすごく手間取ってしまった。たまたま他の仕事が重なったのと、「紀行右よし野」の倍以上の量があるのと、字がけっこう読みにくいのと、しかも内容がわりと面白いので読みふけってしまうのと、いろいろな悪条件?が重なったのだ。

ちなみに私の「近世紀行文紹介」には、この紀行は次のように紹介されている(ひとごとみたいな書き方だが、あまりに昔に書いたので、もうまるっきり内容を覚えていなかった)。

作者は源真澄。国会図書館蔵。写本二冊を一冊に合。茶色表紙、右肩白題簽(第一冊は剥落)。11行書、26.1×18.7cm。各冊末尾に、天保十年、景光写の奥書あり。外題「月園翁旅日記」。内題なし。第一冊に「上つふさ日記」7丁、「雨降山の日記」3丁、「上つふさに再遊る日記」25丁、「はゝそのしづく」5丁、第二冊に「筑波日記」11丁、「かみつふさにみたび遊る日記」19丁、「杉田日記」6丁、「かみつふさに四たびあそべるにき」7丁、「かみつ総に五たひ遊るにき」7丁を収める。いずれも天保頃の紀行で、和歌も交えるが、少い。国学者風の、丁寧でまじめな紀行。「杉田日記」には、清水浜臣との交流が見える。字は少し、読みにくい。

「丁寧でまじめな紀行」と当時の私は書いているが、今読むと、そんなに堅苦しくも冗長でもなく、読み物として充分に面白い。
たとえば「上つふさ日記」の天保二年五月十九日の記事。

宿のとじ出来て別を惜む。おのれいふ、「此わたりにて生じ立ぬる茶と云う物をきのふけふ飲に、味ひ、いとよかりつ。いさゝか故郷のつとにせん、うりたうべ」といへば、「いな、いさゝかもうり難し。もらひ給ふならば、したゝかもたらむ」とこたふ。「さらば」といへば、したかに物す。「此名はいかに」ととへば、「此み山の名の鹿と云文字とりて、『鹿の爪』となむ名付」とこたふるに、人々、腹わたをきりてわらふ。さるは、宇治にて「鷹の爪」と云茶あればとて、「鹿の爪」てふことやはある。もし、山城の馬くび山にて作なば、「馬の爪」とも名付べくおもるれば也けり。

宿の主人に、「地元の茶がうまかったから土産にするのに売ってくれ」と言うと、「売ることはできないが、もらってくれるなら、いくらでもあげる」と言う。名前を聞くと、近くの山の名にちなんで「鹿の爪」と言うとのことで、宇治の銘茶「鷹の爪」のパクリじゃないか、京都の馬首山なら「馬の爪」になるのかと、皆で腹をよじって笑う。

他にも、古跡の考証や、地方の風習など、興味を引く記事が多い。同行者たちはいずれも気心の知れた歌友たちで、中にはけっこうな著名人もいる。

翻刻があった!

進展の遅いのに自分でうんざりして、しかもそこそこ内容が豊かだし、ひょっとしたら誰かが翻刻してやしないかと、ネットで検索したら、何と本になって出版されていた。がっくり来る前に、しめたこれで縁が切れると喜んで、さっそくamazonで注文しようと思ったら、見つからず、「やまがら企画」という、かわいらしい名前の出版社に直接電話してみた。
すると、どうやら一般の方のお宅のようで、奥さまと思われる方が出られて、残念ながらもう本は残部がないとのことで、出版されたご主人も昨年亡くなられたとのことだった。地元の木更津市立図書館にはあるはずですと教えていただいたので、こちらの宗像市の図書館で取り寄せてもらって借りて読んだ。

これは地元の郷土史家の方々のグループが、私の持っているコピーと同じ、国会図書館の写本二冊を読解され、翻刻して注釈や解説をつけられたものである。大変行き届いた調査で、作者はもちろん、登場する友人たちのこともよくわかり、地元の方々ならではの知識を活かした地名や古跡の考証も詳しい。

私が引用した部分の赤の下線を引いた部分は、送り仮名や仮名遣いがまちがっている。私が読めなかった字もきちんと読んでおられるし、私の解説にも赤線の部分にまちがいがあったのがわかったし、信頼できる立派な作業なので、むしろこういう些細な見落としがあるのは、とても惜しい。

それにしても、立派な本なのに、絶版になって、めったに手に入らない状況なのがため息が出る。こういうしっかりした、郷土史家の方々の研究の貴重な成果が、あちこちで埋もれて消えてしまうのかと思うと、いても立ってもいられない。最近では図書館にあっても閲覧数が少なかったら、あっさり廃棄されてしまうことさえあるのだから、安心はできないと思うとなおさらだ。

ぜひとも、地元の何か地域の資料叢書のようなものにでも加えて、長く保存できるようにしてもらいたいと願う。
以下に、その上総日記刊行委員会編「岡田真澄著 上総日記」の内容を、少しでもまとめつつ紹介しておきたい。

やまがら企画出版「上総日記」より

以下は、「上総日記」から抜粋し、まとめたもの。私は検証していない。

○各作品の内容(要約)
 上つふさ日記 弟子の稲次真年の一周忌墓参。至徳堂、鹿野山に行く。
登場する人名(同行者、手紙をくれた人など) 〔豊哉、池田御年、宮本国樹、松本久蔭、木村南悠、山田秋雄、石渡惟一、白井百樹、橘文友、真年の母、鹿野山住職〕

雨降山日記 札差守村抱儀ら十二人で、金沢、大磯、雨降山に行く。

上つふさに再遊る日記 真年の三回忌の歌会。海中寺善光寺、貞元、鹿野山、吉野、飯野、金谷、鋸山に行く。十八日の長期にわたり、内容も充実。
〔安彦、真澄夫人、翁奴、秋雄、御年、千風上人、南悠、久蔭、国樹、浜古、稲次信子、近義、百樹、玉響、石川好古、惟一、真年未亡人為子、今間浪麿、元貞、高橋細彦、千枝子、あい子、辯義上人、喜勢子、森高風、茂田米年、稲村成見、青木真邦翁、直風〕

ははそのしづく 亡母のために成田山に参詣。

筑波日記 筑波郡の農民から父岡田寒泉の石碑のことを頼まれて現地に赴き、筑波山に登る。

かみつふさに三たび遊る日記 船橋、千葉めぐりの陸路を経由。稲村家との交流、小糸川の釣り殿の場面が面白い。最後に台風の記述。
〔惟一、好古、久蔭、秋雄、南悠、御年、千風、千枝子、近義、直風、喜勢子、成見、玉響、高風、高子、浜古、元貞、国樹、中村家大刀自、浪満、百樹、瑞枝、薩摩前中納言、木村定良、狩谷棭斎〕

杉田日記 杉田村に夫婦で観梅に行く。

かみつふさに四たびあそべるにき 歌が多い。坂戸明神、正木幽谷の記事。
〔惟一、御年、近義、久蔭、秋雄、南悠、瑞枝、国樹、浜古、成見、高風、高子、玉響、真年の遺児りか子、直蔭、松子、稲村家に来ていた男の子、好古、哲夫(正木幽谷)、金綱好之〕

かみつ総に五たび遊るに記 宮本国樹と陸路で木更津に行く。大半が歌。帰りも陸路。
〔浜古、国樹、三橋英庵、小林芝山、高風、りか子、前出の男の子道任、喜勢子、浪満、勝鹿や勝右衛門〕

○稲次家と稲村家
登場人物の中には、狩谷棭斎、稲村喜勢子などの有名人がいる。特に歌人として知られる稲村喜勢子は、稲次家の娘で真年の姉で、稲村家に嫁いでおり、二つの家族との交流が、真澄の紀行には詳しく描かれる。木更津はじめ地元の弟子や歌友との交流と、この二軒の家の人々との関わりが、この紀行類の中心の人間関係であり、それは「上総日記」の解説に詳しい。

○岡田真澄の家系
真澄の父は、名代官として知られ、多くの碑も建てられた岡田寒泉である。その事績についても、「上総日記」の解説に詳しい。

それにしても、なんという豪奢!

以前に出雲地方の歌人森為泰の紀行について書いた時も、地域の人々の中に根付いた和歌の文化の深さと広さに驚いたものだ。この「月園翁旅日記」にも、同じことを感じる。
弟子や友人、知人、その家族をまきこんだ、和歌を通しての豊かで深いつながり。
男女や老若の区別なく、歌を詠み合い語り合い、地元の食材で宴を楽しみ、古跡探訪で知的考証にふける。
このような贅沢な感性と知性の融合を美しい風景と平和な生活の中で織りなす、当人たちはおそらく自覚さえしていないような豪奢な日常を、これらの旅日記は、ひたひたと私たちに伝えて来る。(2020.9.19.)

 

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