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まぎらわしい

「更年期のクマ消せる」ってYahooニュースの見出しが出てたので、クマにも更年期があるのか、それは退治しやすいのかな、なぜだろうと、とっさに思って見直したら、女性の目の下のクマの話だった。私もうダメかもしれない。

それにしても、熊本地震、九州にクマがまだいなかったのは、せめてものことだったのかなあ。でも、水も電気もない中、皆さんほんとにどうして過ごしておられるのだろう。マイナカードや保険証がなくても診療を受けられるそうで、それはちょっとほっとしたが。

白状すると能登の津波以来、政府の対策が遅々として進まず、半年たっても一年経ってもスーパーの募金箱が消えても、まだ現地では酷暑も厳寒もビニールハウスでしのいでいる方々がおられるとかいうニュースをたまにみては胸がつぶれ、何もできないけれどつい、毎朝神棚や仏壇に手を合わせて、自分の健康や何かを祈る最後についいつも「能登の被災者が少しでも幸せになりますように」と、言うのが癖になっていた。ただの自己満足とは知りつつ、それがやめられない内に、またこんなことが起こるとは。

立ち直れない被災地が増えて行く中、新しい被災地が増えて行ってたのじゃ、共助もボランティアも体力不足でできないほど、国全体が弱って行く。首相や政府は、もう、世界で輝かなくても強い国にならなくても、てっぺん取れなくてもいいから、何かあったら人助けができるような体力だけでも国民に残しておいてほしい。

以前、東北の震災後、テレビがどこのチャンネルも特別番組ばかりで何日も埋まり、私は何となく被災地の方々は、こんなときにはかえって、かつての日常だったおバカなバラエティー番組でも見るほうが救いになるのじゃないかと漠然と感じていた。その中で最初に復活したのは明石家さんまのバラエティー番組で、ネットではそれでも怒った誰かが「さんまの口に制御棒を突っ込んでやりたい」とかコメントしていて、私は、そうかと言って被災地の人々に朝から晩まで、あの陰々滅々たる被害情報や追悼番組だけをずっと見せておくのか、子どもたちだってトラウマにはならないだろうかと、割り切れない思いがし、私なら毒にも薬にもならないさんまのトークでも見て現実を忘れたいだろうと思ったりした。

まあ、そういうことも思い出しながら昨夜はマイナビオールスターを見ていた。地震がなくても最近はこれがお祭り騒ぎすぎて、真剣な試合の楽しさがないという批判もしばしば見る。しかし時代の流れか何か知らないが、テレビ局はますます悪乗りしていて、去年に続いて複数の選手にマイクを装着させ、選手も監督もまた皆、世にも楽しそうに笑っていて、まあそれはそれで面白かった。そして、ごくたまにそんな中で、真剣な対決がひょいと現れるのも、ひときわ目立っていてよかった。八回だっけ、日ハムの北川投手と細川選手の対決とか、たまたまセンターでマイクつけてた周東選手が「シーズン中みたいに本気ですね」などと、解説者もどきにぺらぺら実況してたのも効果的だった。さすがに「おしゃべりしてくれるからマイクつけてくれるとありがたい」と、ファンに喜ばれるだけのことはある。

髙橋光成投手と栗原陵矢選手のバッテリーのマイク装備も、批判的な人にはがまんできない無茶さだろうが、二人のかけ合いがおかしすぎて終始大笑いしてしまった。マイクの会話が相手方に全部もれてて、やりたい放題されたらしい展開もアホらしすぎて最高だ。そしてプラスワンで最後に選ばれた柳田選手が思わぬ活躍していたのも、お祭りにふさわしい華々しさを生んでいた。

何だかんだでもうすぐ八月。広島と長崎で二度被爆された方が百六十人余おられるとのことで、その特別番組を見たいと思っていた。そうしたら、「しんぶん赤旗」が、NHKの夏の平和と戦争の番組を一覧表にしてくれていた(7月26日付)。写真撮ったけど見えますかね。

前にも書いたが私が子どものころ、NHKテレビの人気番組「私の秘密」で、「私は広島と長崎で二度原爆を受けました」という方が登場したことがある。司会の高橋圭三アナが「失礼ですが今お身体は大丈夫なのですか」と聞いていて、おかげさまで元気ですと言っておられたような記憶がある。今パソコンで検索したらAIが堂々と「そんな人が登場したことはない」と真っ赤な嘘をついていた。よくあることだが、しゃんとせえと思いつつ、もう一度確認したら、今度はしっかり次のような解答が。どうなっとんじゃAI。発展途上なのかなあ。

NHKの伝説的なクイズ番組『私の秘密』(1955年〜1966年放送)に、広島と長崎の両方で被爆した「二重被爆者」が一般公募ゲストとして出演したという歴史的なエピソードがあります。 [1, 2]
当時は原爆被害に対する偏見や差別が非常に強く、当事者が被爆の事実を公に語ることが極めて困難だった時代です。その中で、日本全国のお茶の間に向けた人気娯楽番組に出演し、「私は広島と長崎の両方で原爆に遭いました」というあまりにも衝撃的な事実(秘密)を明かしたことは、戦後メディア史および平和運動の歴史において非常に大きな意味を持つ出来事として語り継がれています。 [1]
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カツジ猫