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雀百まで踊り忘れず

タイトル、別にことわざシリーズで攻めているのじゃないのですが(笑)。

先日ホークスの試合と周東佑京選手の負傷について書いたのですが、書いた直後に周東選手のインタビューが報道されて、「自分の感覚では大したけがではないと思う。そんなことより、あんな打球をとれなくて恥ずかしい。杉山投手に本当に申し訳ない」というコメントでした。その後病院に行ったけど診断結果はまだ発表されておらず、どれだけひどいのかそうでもないのか、今後の様子を見ながら判断するらしいです。

不安が残っているだけに、ファンサイトではあいかわらず、「もう優勝はほぼまちがいないのだから、ゆっくり休んでCSや日本シリーズまで欠場して(させて)ほしい」という声が多く、加えて、「そんな状態の中でも、とっさの発言で杉山投手をまず気遣うなんて」と、あらためて感動する人も多いようです。「謝らなくていい。あんな長打を打たせた杉山投手の方が謝るべきだ。追いついて捕れそうになっただけでもすごいのに、恥ずかしがるなんてもってのほか」みたいな声も少なくない。

ただ私も心配だし、大したけがではないことを心から祈っているし、杉山投手を落ちこませまいとする配慮も、自分のプレイを反省し恥じる姿勢も、すべていかにもこの人らしいし、自然な本心なのもわかるのですが、見たときはとっさに、「あいかわらず元気やなあ」と苦笑し、それ以上に「大丈夫なのかそんなこと言って」とかなり心配もしました。こんなこと言われたら「あんな打球」を打った相手チームの選手は浮かばれない(ついでに言うと、この負傷事件ですっかり話題にならなくて影が薄くなってしまってる初登板でちゃんと勝利した来日そうそうの外国人投手ラトリッジさんもかわいそうだ。ヒーローインタビューでは、幸せそうでいい人っぽかったから、なおのこと)。

この事態で、あの発言ができるのは、たしかに周東選手しかいそうにない。チームメイトひいてはチームへのとっさの深い配慮、守備の名手としての強い誇りと自分への厳しさがこもっているし、いつもながらのみずみずしいほどの激しさと優しさがあふれている。それでもですよ。いつものことだが柳田悠岐選手なら、決してこんな言い方はしないだろう。どっちがいいとか悪いとかじゃなく。

さしあたり、これじゃ打者に失礼だと怒る人も多いだろうと、笑いながらも、ひやっとはした。しかし、そんな批判はあきれたことにまったくなく、数日たってから、そこに気づいて批判するコメントが、一つか二つ出ただけで、それもすぐ反論されてそのままになったようだ。だいたいもう、すぐに気づけよ。炎上だってしかねない危険なことばだってのに。

ただ、それじゃいったいどう言えば安全だったのか、言いたい伝えたいことを表現できたのかと、これでも大学で専門分野じゃないけれど、教養過程で国語表現の授業を受け持ったこともある私としては、かなりいろいろ考えて見たのだが、思いつかないのだよねこれがもうどうしても(笑)。

それも前から言われているし、私も感じているが、周東選手という人は野球でもその他でも、広域の全体像を瞬時に把握して、最も的確な対応を即座にできるのが、大きな武器で能力だ。おそらく私が危惧したような、「そんなとんがった危険な表現(あんな打球呼ばわり)をしてあなた」みたいなことは、本能的にわかっていたと思う。その危険を冒しても、ショックを受けて責任感じて落ちこんでいる杉山投手を立ち直らせ、ひいてはチームを救うためには、あれだけの強いインパクトのある表現をしないと効果がないと、それも本能的に判断したのだと思う。自分自身が批判され攻撃される危険があっても、打者の選手を傷つけても(それは、対戦相手として充分に許される範囲の行為だし、もともと他チームの選手たちとも彼は一定の信頼と親密さを保っている)とにかく最大限の力を注いで、自分の思いを杉山投手に届かせることが最優先事項だと感じたのだし、それはかなり成功したとしか思えない。

とにかく、一日も早い回復と復帰を祈っています。前に栗原選手についても、こういうしょうもない考察だか分析だかをしたら、そのあと偶然ですが彼が打撃不振に陥って、関係ないとはわかっていても、妙に気がとがめたものです。今回も似たようなことになったら、マジで良心の呵責で夜も眠れなくなる。

ところで、まったく関係ないのですが、こんなこと書いていて、ひょこっと思い出したのが、もうかなり前に、後輩の若い研究者と話したときのこと。彼はそのころ大学の役職について多忙な日々を送っていたのですが、それを気にしてか、いろいろからんで来る年上の同僚がいて、他の点でもいろいろしょうがなくて皆が困っている人で、彼はそれをなだめようとして、「いやもう、こんな役職についても、会議や雑務が増えるばっかりで、ならない方が自分の勉強も自由にできて、ずっといいんじゃないですか」とか言ったのだって。

聞くなり私は噴き出して、「あんたそれだけは絶対言っちゃいかんやつやろ」と言いました。そうしたら、
 後輩「だって、ご本人が自分でふだんから、『役職についたら、くだらん雑務が多くて勉強ができない、あんなものになるもんじゃない』と言っておられるんですよ」
 私「なお悪い!」(大笑い)

勝手な想像ではありますが、多分人望も人徳も業績も実力もなくて、そういう責任ある立場の仕事にはつけなくて、でもその自分のいたらなさへの自覚は全然なくて、ただもう、なりたくてたまらない人の、絵に描いたような負け惜しみで、それにそういうフォローをするなんて、爆弾詰めた怪獣の口に火の玉ほうりこむようなもんじゃないですか。

ちなみにその後輩は研究でも日本のトップクラスかもしれない実力があって、理系文系どっちの才能もあって語学もできて、事務や行政関係の仕事も無駄なくこなし、潔癖でモラルも守り意志も強く、学生にも人気があり、若いのにいろんな体験も下積み時代もあった、ときには小説も書くという、聡明で感受性も豊かな苦労人なのに、どうしてそういう情けない人の気持ちがわからないのかと不思議なんですが、よく考えると、逆境を味わって愚痴も言わずにちゃんと乗り越えて来た人ほど、自分の不遇を受け入れず努力もせず、くすぶって手をつかねているような人には、容赦がないし、まったく理解できないのかもしれない。

そう言えば昔からそういうところが、この人あったよな、それをかいまみるたびに、少なくとも、みじめでぐうたらなだらしないできそこないがけっこう好きな私は、この点だけではこいつに勝ってるなと、妙な優越感を持ったりしたっけな。いやしかし待てよ、たしか彼の愛読書の中には『ブライズヘッドふたたび』もあったはずで、あそこに登場する、しょーもない貴族の若者たちは好きなんだろうか、とか考えてるとやっぱり人間ってよくわからん(笑)。

周東選手は、その後輩とはもちろん全然ちがうんですが、私が彼の発言に一瞬ひやっとしたのは、たしかに、「自分に厳しく激しく努力する人は、皆に優しいけれど、努力しないだらしない人に対しては、けっこう平気で冷たくなるし、気を配らない」という現象を、しばしば目にして来ていたから、そこがちょっとだけ重なりそうになったのかもしれません。もちろんそういう人はどの世界にも多いし、多分それは正しくもあるんですけど。

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カツジ猫