鯉のぼり立てた
家も庭もなかなか片づかないので、やけっぱちで昨日の夕方、猫のカツジのための鯉のぼりを立てました。去年手こずった記憶がぼんやり残っていて、わりと短時間で手際よく完成したけど、適当なとこにしばりつけたので、今年はあまり泳がないかもしれない。まーいいか。
押入れの奥から、ものすごく古いワインが数本出て来て、暑い中に置いていたから、もうとても飲めないし、多分亡くなった叔母の残した超高級品だと思うので、捨てるのも惜しくて、玉ねぎとハーブを山ほどぶちこんで、豚肉を煮て食べています。たまたま近くのスーパーが、ここしばらく豚肉の大きなブロックを山積みして売っていて、相当割安になるので、いくつも買って来て、朝から晩まで豚肉料理。
私としては片っぱしから冷凍して保存食にしてやれと思っていたのですが、ワインがいいのか何なのか、これがけっこうおいしくて、できたそばから次々食べてしまって、ちっとも保存食ができない。今日やっと、さすがに少し飽きたので、パックにつめて冷凍しました。家の片づけと言いながらこんなことしてるから、そりゃ仕事も進まないはずだ。ごみの中から発掘した昭和十年の絵葉書を使えるかどうかと、つい友だちに出してしまったり、そんなことばっかりしてるんだもんなあ。
今日も、庭の片付けと、家の片付けと、その他したくてたまらない仕事がぎゅうぎゅうで、宇宙旅行とオペラ見物とマラソン大会をいっぺんに前にしたような、うれしい悲鳴。しかも実際には、ちょっと動いたらアヘアヘと寝てしまって、猫をなでたりテレビを見たりしょうもない文庫本を読んだりして、時間が過ぎてしまうんだよなあ。
そのテレビでは渋谷区の豪華なトイレが海外の観光客に話題で、ツアーまで催されているというニュースが流れていた。それ自体には文句はないけど、誰でもが使えるわけじゃなさそうで、そこは何ともグロテスクだなあ。みすぼらしくて金もなくて契約もできないホームレスの人とかは、切迫してても目の前の豪奢なトイレを、指をくわえて肛門をしめて、ながめているしかないのかしら。
汚れまくった公衆トイレのおぞましさは、私もよく知っているから、そこを芸術的にきれいにするという、この発想は魅力的だし、まったく正しいと思う。だけど、どんな人でも安心して入れる質素だけど清潔なトイレも、きちんといっぱい作ってほしい。というよりか、豪華なトイレに入れないような貧しいみじめな、心も荒れた人をなくせよ、世の中から。いきなりは無理でも、そういう方向を、こういうことをきっかけに、あらためてめざしてほしい。そして、これもまったく政府の責任だけど、まだ水が出ない被災地のトイレがあることを、反射的に連想してしまう私は、どのくらい世の中の少数派なんだろう。