映画「侍の名のもとに」感想もどき2-あらためて書いて見るわけ・まとめ方のいろいろなど
2 あらためて書いて見るわけ・まとめ方のいろいろなど
まず最初に書いておくと、私は体育の成績は小学校からずっと「2」だし、野球のルールも黒柳徹子さんといい勝負じゃないかというぐらい知らないし、スポーツなんてやるのも見るのも、そう好きじゃない。
地元のチームのソフトバンクホークスのファンサイトを見て、ファンの書き込みのいろいろを面白がっている程度で、プロ野球そのものには詳しくないし、そもそも大学の授業で学生たちに「文学、特に江戸時代の戯作なんかが人生に何の役に立つのかと言って否定する人もいるけれど、そもそもそんなこと言うなら、オリンピックの種目のほとんどが、世の中の役に立つようなもんじゃないし、野球やラグビーやサッカーだって、ただ球を蹴ったり投げたり棒で引っぱたいたりするのがうまいだけで年に数億もらったりするんだから、文学だって世の中の役に立たなくてちっともかまわない」と罰当たりなことを毎年平気で言っている人間である。
だから、この映画の感想を書く資格があるかどうか怪しいが、ネットで見る限り、あまり誰も書いたり言ったりしていないことを、やたらと思いついてしまうので、一応書いておくことにする。
で、映画の感想はなぜか私は書き出すといつも超長くなるので、これもどのくらい続くか見当がつかない。まあ三回か四回で終わりたいとは思っている。
さて、その昔、東京オリンピックの時に、政府が依頼したのじゃなかったかと思うが、市川崑監督が、「東京オリンピック」という記録映画を作った。それは市川監督らしい、才気にあふれた芸術映画っぽい作品で、悪くはなかったと思うが、あまりにもお洒落すぎて、例えば金メダルを日本が取った場面が目立たないとかいう理由だったかと思うが、政府はその後で別に官製のオリンピック映画を作ったはずだ。それがどうなったか、今も残っていて見られるか私は知らない。
このいきさつを、おぼろげにでも私が覚えているのは、当時の「週刊朝日」で、荻昌弘氏が「週間試写室」という映画鑑賞のページを持っておられて私は愛読していたのだが、そこで、その官製映画を新しく作った政府の方針について、市川監督に失礼だ、関係者はもっと抗議すべきだと怒って書いておられたからだ。ただし、その荻さんも、その前に市川監督の「東京オリンピック」を紹介したときは、手放しで評価してはおられなかった。「聖火を見ていっせいに立ち上がる客席」の描写などには感心されながら、全体としてはやはりあまりに監督の個性が出すぎてオリンピックをとらえていないという感じのことを述べておられたように思う。私自身も映画館でこの映画を見たのだが、退屈はしなかったが、ものすごく感動もしなかった。記録映画というより芸術映画という印象は私も持ったような気がする。それはそれで、特に不満もなかったが、でも、実際のテレビの中継を見ている方がずっと興奮したし面白かった。ちなみに、その頃の放送は、今のような日本選手ばかりを写す金メダル獲得ショーではなく、他国の選手や多くの競技をどっさり写してくれていて、ソ連の重量挙げの選手のウラソフとか、今でも私は覚えている。
ええと、何を言いたいかと言いますと、ことほどさように、スポーツ関係の記録映画というのは多分、作るのは難しいということで。まあスポーツに限らないんですが、自分の専門の江戸時代の紀行についても、よく学生や市民の方に言うことですが、紀行や日記などが「事実を記録する」から「創作じゃない」とか思っていたらとんでもなくて、雑然とした膨大な事実の中から、何を拾って何を捨てるか、どう組み合わせてどう並べるかで、まるっきり違ったトーンの作品ができます。ロマンティックな旅か、冒険旅行か、政治批判か、歴史回顧か、もうどんなにでも調理できます。それをしっかり考えないで、下手に何でも書こうとしたら、中途半端で生煮えの、意味不明の作品しかできない。ポイントやテーマや主旋律や色調は、記録文学にこそ欠かせないものです。
その点で、「侍の名のもとに」は、かなり、とても、成功している作品じゃないかと思います。ちなみにまた言うと、私はスポーツ関係の記録映画にも別に明るくありませんから、この映画の水準が、そういう作品群の中で、どの程度のものかもわかりません。でも、とにかくこの映画を見る限り、たまたまなのか計算なのか、運がよかったのか監督が優秀なのか、本当によくできているなあと思いました。
市川崑監督の作品のように、とんがった芸術っぽさは全然ありません。正攻法の、平凡な普通の構成に思えます。だから「普通のテレビ番組のよう」という感想もネットでは見ます。でも、そんな感想を持った人もつまらないとは言っていない。「でも満足した」とか書いている。それはこの映画が愚直に普通に、そのへんのいつもの報道番組のように見せていて、そうではないからです。
私の嫌いな甘ったるいナレーション(三回見たのでもう慣れました)が語るように、稲葉監督がプレミア12の監督に就任して以来、カメラは彼に密着し、選手の一人ひとりにも密着し、膨大なフィルムが資料として残っているはずです。それをどう編集し、構成するかはとても重要で微妙です。
それは監督の仕事か、どのくらいスタッフがいたのか私はわかりません。パンフレットもないし、最後のキャストを見てもよくわかりませんでした。しかし、いずれにしても、この映画の編集と構成は下手な劇映画以上に、緻密に練られて、無駄がありません。
いやー、またついでに言いますと、私はわりと単純な映画や小説を、ものすごく解説し解釈して、大芸術作品のように思わせてしまう特技があるとか昔から言われてますからね。これもそうかもしれないから、一応皆さま、眉につばはつけておいて下さい。でもね、もちろん、私は別に大風呂敷を広げているつもりはないんですよー。(つづく)