映画「十三人の刺客」感想集映画「十三人の刺客」感想-1
私は2ちゃんねるとかフライデーとか、あまり見ないんだけど、時に見てイライラするのは、その過激さじゃない。保守的で古くさいことだ。
言葉づかいはやたら乱暴で汚いけれど、言ってることは常識守れの礼儀正しくしろの家庭や貞操が大切の友だち大事の規則は大事のと、ほんとにお行儀がよくまわりへの気遣いを忘れない。常識も礼儀も家庭も貞操も友情も隣人愛も規則も法律も基本的にはくそくらえと思っている私には、健全で温厚すぎる世界である。
特に2ちゃんねるに限らず「十三人の刺客」を見た感想をいろいろ見てると、稲垣くんの名演技もさることながら、そもそも、この暴君の殿様に対して、ひどいとかちょっとかわいそうとか、彼にひどい目にあわされた人たちに対して、気の毒とかひどすぎるとか、なんだか毒気をぬかれたような、ひじょーにまっとうな反応が多い。時代劇を見るような人たちは、もともとそうなのかもしれないが、そういう人間性をひきだしてしまうのも、この映画の中途半端じゃない、力のこもった迫力のせいなんだろう。
私はこの殿が行う残虐行為の一つで、家臣の一家をなぶりごろしにしている場面で、とっさに「あ、小さい子どもを最後に殺してどうする。苦しめるならまず、母親の前で子どもから一番先になぶりごろさないと。やり方わかってない殿様やなー」と思ったり、その殿をひそかに葬ろうとする主人公たちにも、「本気でそう思うなら、一番真剣に殿を守ってる忠義の権化の凄腕家臣をまず殺さんかい。昔の友人だろうが、尊敬できる人柄だろうが、そういうこと言ってる場合か。やる気あんのかまったく」と思ったりしてしまったのだが、まあそういうことにこだわってても、しかたがないですね(笑)。
昔だったら、若い時なら、こういうことにすでにシラけて、とても真剣に見てられなかったでしょうが、最近では年のせいかあきらめがよくなって、まあ西部劇でも時代劇でも細川千栄子の漫画でも、こういう場面を作りたいばっかりに、すべての無理な設定はなされるわけだからと、笑って楽しむようになりました。にしても、「大奥」や「インシテミル」にまさるとも劣らない、「あーもう、それがやりたかったからなのね、何もかも」みたいな設定のむりやりさは、この映画だって相当のもんだと思うぞ。場面や演技はやたら重厚だけど。まあそれはそれで楽しめたけど。
この作品はリメイクで、オリジナルは見てないが、昔、時代劇にちょっとはまってたころ、ビデオ屋でそのオリジナルを見かけても、つい敬遠していたのは、「十三人もいたら、それって刺客とは言わないだろう」という小さなこだわりのせいだった。「四十七人の刺客」というのもあるらしいから、そんなこだわりも意味なかったかもしれないが。
ただ、ひそかにとはいえ、上からの命令で、金にいとめをつけず一村借り切った大がかりなしかけで、たった一人の命をねらうんじゃ、それってほんとに「刺客」かあ?と今でもなんとなく思う。
ちなみに十三人でも四十七人でも一人でも二人でも「刺客」と言うからには、それってテロリストですよね。そのうち「桜田門外の変」も公開されるみたいですが、あれだって堂々すぎるテロじゃないの。別にいいけど、テレビのワイドショー週刊誌新聞その他で、これだけテロは無条件に悪で犯罪と言う価値観たれ流しておいて、世間もそれをうのみに信じていたみたいなのに、一方でこういう映画は平気で感情移入し肯定しまくる、そのダブルスタンダードか無節操かちゃらんぽらんさも恐い。私としてはあの殿と同じぐらいに恐いよ、まったく。
わー、こんな映画につづきを書くかと思ったけど、やっぱり長くなりそうだから、いったん切ります。なんだかなあ。