とみのさわコーナーマイ・セレナアド─ROMANTIC STORY─

明日はアンティオキア祭の第八十五日目である。それは八十六日目の前日だ。そんなことは誰でも知っていることである。その日の午後、兵営の一室で八人の近衛兵がワインを飲んだ。特に理由はない。なくても飲むのである。放擲された鬱憤と、畳み直された回想とがグラスの中でカカカと鳴る。それは誰も聞かない。聞いても仕方がない。
壁にかかった彼らの鎧の表面が夜の色に光る。そこに日光の馬が走る。馬にたてがみはない。ローマでは馬のたてがみは切る。しかしたてがみはなびいている。それがスクリーン・スナップ・ショットなのである。誰もそれに気がつかない。つかなくても不思議はない。
部屋の扉がいつか開いた。銃を手にした女二人が立っている。誰も驚かない。銃を知らないからだ。十から一を引けば九だ。弓なら知っている。しかし銃と弓は似ていない。
「早撃ち大会!」女が叫ぶ。
「角の酒場で!」
二人の姿はない。泡のように消えた!
「行け!」近衛隊長が叫ぶ。
この隊の隊長には胸がないのである。心が地図帳なのである。山はあるが谷はない。彼のブラッド・サーキュレーションは赤い川となってその山を巡る。流されて兵士たちは誰からともなく叫ぶ。
「酒場に行こう!」
扉が八回叩きつけられる。その音にジンと耳が鳴り、ギイと壁が動く。驚いた鼠がチュウと言って駆け出し、鶏たちがコウコケッと騒いだ。レイホーと誰かがヨーデルを歌い、一人が舌打ちした。
「チイ!タイムトラベル・ミステイクぢやないか!」
シンとあたりが静まり返った。さすがにこれには耐えられない。ものごとにはテイ度というものがありはしないか?
彼らは既に酒場にいる。剣闘士の一団がテーブルについて飲んでいる。一人が拳を上げて叫ぶ。
「アウレリウスは宇宙の支配者である」
彼に髭があればマキシマスである。しかし髭はなくて額に前髪が渦巻いているから別人である。とりあえず兵士たちは叫ぶ。赤い薔薇の花が散りふぶく中!白い雪!黒い土!黄色い砂漠!(どうせ明日は売られて行く流れの身なんですもの歌いますわ歌いましょう!)
「ルッシラは女神である」
兵士たちが叫ぶと女たちが哄笑した。
「カリギュラ!歌え!歌え!」
「ネロ!弾け、もつと弾け!」
兵士は立ち上がる。ここにいてはいけない。ここには何かが足りない。
「虎…虎…」
つぶやきながら彼はふらふらと外に出た。自分は本当は兵士ではない。剣闘士ではない。隊長ではない。皇帝でもない。だが、そのすべてでもある。
笑ってはいけない。
彼は走っている。追いつけない相手が前を疾走している。紫のマントが虚空を徘徊する。白髪が星となって燃える…月が出ていた…何時の間に?遠い空でぴすとるが鳴る。またぴすとるが鳴る。硝子の衣装が砕ける。手を前方に差し伸べて、彼は一散にすべって行く曲者に向かって呼びかける。
「…お父さん!」

(終)

◇陰の声
「(こわごわと)殿下ー、いったいどうしちゃったんですか?」
「(厳しく)陛下、早くこちらにお帰り下さい」
「(うっとりと)仁、義、忠、孝、礼、智、信、悌…東洋の哲学は奥が深いのう」
「(冷たく)侍女たちや、関わってはなりませぬよ」

グラックスの声「おお、おお!」
キケロの声「またですか」
カッシウスの声「踊れ!歌え!弾け!」
プロキシモの声「がおう」

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カツジ猫