最後まで着る服(1)
断捨離もどきをやってると、我ながら恐ろしい量の服が出てくる。昔、経済的に余裕があって精神的に余裕がなかったころ、気分転換のやけっぱちで買ったものと、そこそこ富裕層だった叔母が遺してくれたものが、その大半をしめている。ずいぶん人にあげたのだが、あまりに派手なものやら突飛なものは手元に残ってしまっていて、それは自分が着倒すしかない。
それにしたって多すぎる。何かめどでもないものかしらと考えている内、要するに何かの理由から人にあげるのも処分も出来なくて、ずばり私が死ぬその日まで着る服だけをまずは選んでみようかと思った。
そうしたら、おおむね次のようになった。何のことだか項目を見ただけでは絶対に誰にもわからないと思うから、これから徐々に説明して行ってみる。お楽しみに♪
さて、それらは、次のようなものたちである。
茶色のカーディガン、ピンクのカーディガン(2025.4.26.)
ピンクの猫のセーター
ぼろぼろのあずき色のカーディガン
イタリア製のカーディガン
三つのタートルセーターとポケットのないワンピースとエプロン(2025.4.27.)
グラとトロイの名残り
毛皮のコート
革の黒ジャンパーと革の黒スカート
ニュージーランドのセーター二つとスカート(2025.4.27.)
きつねのコート
リスと犬のセーター
あいまいな季節のセーター二つとコート
すいかセット
ショートパンツ
スカーフとショール
オオカミと象のTシャツ
猫のTシャツ
飛行機Tシャツ
緑のセーター
ありさんのパンツ
黒のセーター二つ
ツギハギセーター二つ(2025.4.26.)
アロハシャツとイギリスシャツ
ね、何のことか絶対わからないでしょう?(といばってどうする)
まあまたそれはおいおい書いて行くこととして。
ところで昨日から私はある理由で爆発的にきげんが悪く、放っておいたら猫でもなぐりそうなぐらい精神的に不安定で、それはひっそり静かに自分の仕事をして暮して死ぬまでの時間を使いたいのに、いまさらこの年で身体も頭もがたがたの私に、何か公式の場に出ろとか、人と交流しろとか、言わせてもらえばもともと私が大嫌いなことを押しつけてひっぱりだそうとする人が、あとを絶たないことである。しかもどうもその背景には、私がそういう場に出なくなって淋しいでしょうものたりないでしょう生きて行く張りがないでしょう、だから華やかな場所にもう一度お誘いして死ぬまでひと花咲かせてあげましょうという、親切心が見え隠れしていることだ。
そりゃそのような舞台で死ぬまで人と交流して踊り続ける人も多いし、それが幸せなひともいるだろうが、はっきり言って私は全然そうじゃない。こうやってお声をかけていただく方々を見るたびに、あなた方は私の何を知っているのかと口から炎を吐いて焼き尽くしたくなる。せめて私の論文や小説をいくつかは読んだのか。私がそこでどれだけ楽しく充実し、孤独や思索を楽しんでいるのを想像くらいはしてみたことがあるのか。まあ、そんなことを今さら要求はしないが、わかりやすくはっきり言うと、私はあなた方とは、まるきりちがう種類の、ちがう世界の人間なんですよ! もっとも、どこに行ったって私はそう言ってるような気もするが(笑)。
要するに、つるむのがいやなんです。人の輪の中にいるのが苦痛だし、人前に立つのが大嫌いなんです。そうしなくてもいい時間と場所を確保するためだけに、小さい時から長年努力して来たんです。
と昨日から一人で七転八倒している内、いや待てこれはもしかしたら私にも原因があるかと思いあたることがあった。もっと言うなら、私がいろんな場所に着て行く服のせいもあるのではないかと。
何しろ年金ぐらしで金がないから、ここ数十年新しい服はほとんど買っていない。したがって人が集まる場に着て行く服と言えば、若い時に買って着ていた服と、八十代で亡くなるまで派手好きで贅沢好きだった叔母が遺した服しかない。
それをせいぜいみっともなくないように取り合わせて着ると、どういうかものすごく派手か、あるいは若々しいファッションにならざるを得ない。叔母の服は派手で突飛ではあるが何しろ高級品ばかりだから、どんなものでも迫力がちがう。私の買った服はジーンズとか革ジャンとかフリルだらけの白シャツとか、とにかく年寄りの着る服ではない。
私の身体は衰えまくっている。何か食べたら即下痢をする。一分間もまっすぐにじっと立っていられない。歩けば油断すればよろめく。滑舌もめっきり悪くなり目も耳も昔のようではない。だから人前に出るときは一瞬も油断せず緊張し心をひきしめている。でも本能的にしゃんとしようにこやかにしよう元気でいようと心がける。
そんな私が派手で若作りの服を着ていると、「あらお元気」「まだ衰えてない」「まだ使える」「いっしょに遊べる」と思う人って多いのじゃないか、もしかしたら。
そういう場に出るときは昔とちがって体調を整え、気をひきしめて、歩いて笑ってしゃべっている。見てわかる人もいるだろうが、「変わってない」と感じてしまう人もきっと一定いるだろう。
死んだ気でそういう場所に出て、そのあと数日ぐったり寝込んでいても、かなりの確率でそのあときっとどこかから、お誘いや勧誘が舞い込む。「出たな~」「来たな~」と思ってしまう。そして大抵「この前お見かけしたらお元気そうだったから」と言われる。アホかと毎回思っていたが、もしも私がぼろぼろの服を来て、よろよろの足取りで、もつれた舌でとんちんかんなことばかり言っていたら、皆さんもう「お年なのね」と無視して下さるのではないか。そんな気がしてしかたがない。
だけど、そんなのいやだよね。痴漢にあうから派手な格好は慎めとか言われる若い女性と同様に、やっぱり一番似合う華やかな服を来て、しゃんとしていたいのよ人前では。でもそうしたら、「あらお元気そう、お誘いしよう」と、目をつけられる。使い倒され、近寄られる。それはいやなの、ああ、どうしたら。ひと目をくらますために地味でさえない格好をして、ぐにゃっぐたっとしていたら、きっとほんとにそうなってしまう。とんでもない。
まあ当面は誰も知る人のない街中とか、そんな場所以外には絶対にもう顔は出さないようにしよう。ひょっと行かなくちゃならなくなったら、せいぜいよれよれの冴えない服をさがそう。それだけはもう決めて、さしあたり、上記の服を紹介します。
あ、この写真は上記の中の「イギリスシャツ」ね。またあらためて書きますが。