最後まで着る服(4)
前回紹介した、つぎはぎセーターが活躍している理由は、実は他にもあってですねえ…。
数年前に大病をしました。業者や知人の手を借りようかなとも思ったのですが、何とかならないこともなかろうと、結局退院後の生活は自宅で一人で過ごしました。今から思えば痛みや疲れもいろいろあったのですが、人間都合がいいもので、どんな風だったか、あらかた今では忘れてしまい、それより何のノルマも責任もなく、ただ生きて行くことだけを全目的に自分を甘やかしまくる毎日が、生まれて初めてじゃないかと思うぐらい快適で幸福で、今思い出しても夢のようです。昔何かの本で読んだ、病気になって長期療養するのと投獄されて囚人生活を送るのと、どっちもが人を大きく成長させる、偉大な人物の多くはそのどっちかを体験している、というのは、ほんとにそうかもと実感しました。
そのころに、家でだらだら過ごすのにいい安くて丈夫な服を、近くのスーパーで、これまた嬉々として買いました。通信販売でも買ったかな。とにかく楽で、すぐ洗えて乾いて、寝巻にも作業着にもなる、近場の買い物には着て行ける服。ちなみにそのころ、エクササイズもかねて庭仕事に邁進し、今のかたちの基本を作り、買い物もだんだん重いものも持てるようになるのが楽しかったです。
そういう服が何枚もあって、これはいずれ人にもあげなければと仕分けしはじめてるのですが、一番よく着たやわらかで単純なワンピース二枚だけは、案外老後にも役立ちそうだから、とっておこうかと考えています。多分二千円もしなかったんじゃないだろか。ポケットがないのが難点で、鍵だの小銭だのを入れておけないのが不便で、いっそ自分で布をぬいつけてポケットにしてやろうかと思いつつ、まだ決心がつきません。当面は、家ではエプロンを、外出時にはポシェットを併用して乗り切ることにしています。
でも実は、ポケット以上の難点がこの服にはあって、それは襟ぐりが微妙に大きすぎることです。ちょっと暑くなるとちょうどいいのですが、その前後の時期には首筋が薄ら寒くてやってらんない。更に、叔母が遺してくれた、多分高級レースつきの上等で、十年以上経っても古びる気配さえない下着の数々が、えりからのぞいてしまうので使えない。
このごろ…って、ここ何十年かもしれないですが、Tシャツやセーターって、だいたいが襟ぐりがとても大きく、ハイネックやタートルでなくていいから、もう少し首がつまっていてよ、というデザインがすっかり普通になっている。よもや布地を節約してるのじゃあるまいな。
九十八歳で亡くなった母が老人ホームにいた間、私はせいぜい若々しくて派手なセーターやTシャツを買って行ってやってました。黒い服が大嫌いで、派手で華やかな色が好きな(そこだけは妹の叔母と似てたかもな)母でしたから、「他の人たちも私の真似をして、このごろは明るい色を着るようになった」と自慢したりしていましたが、困るのはそういう若々しいデザインの服は、えりが空きすぎていて下着がのぞき、施設のヘルパーさんたちは忙しい中、重ね着など工夫してくれる余裕はないので、ともすれば下着が見えたままになっていて、私をやきもきさせました。中に、アパレル関係に勤めていたというヘルパーさんがいらして、この方はしっかり配慮してくれていましたが、それを他の人にも要求なんて、とてもできません。
あのころ私はデパートで母の服を物色するのに、えりがちゃんとつまっているかどうかばっかり気にしていました。母が亡くなったかなり後でも、その癖が消えず、自分の服を選んでいても、あれ、何をこだわってるんだろうと首をかしげて、ああ、もうえりぐりの大きさは気にしないでいいんだっけと思い出したりしていました。
ともかく当面、やや薄ら寒い時期に、このワンピースを着るには、下着の上にもう一枚セーターかTシャツを重ねて首周りをガードする必要がありました。あまり上等のを使うのはもったいないので、私がもっぱら愛用していたのは、赤と緑と青との薄手のタートルネックの三枚です。
これも実は健康絡みの買い物で、昔、多分四十代ごろからか、人間ドックに行き始めた私は、結果が無事に終わるたびに、帽子やセーターなど、そんなに高くもないものを、ちょっとした記念とお祝いに買うようにしていました。昔は一発で結果がわかっていましたが、だんだん、あっちこっち精密検査や再検査を言われるようになり、だいたいは無事にすむのですが、とにかく一回でお祝いとは行かなくなって、この習慣も何とはなしに消えました。
この三枚のセーターは、その最後のころに、岩田屋のデパートで安売りをしていたワゴンの中から選んだものです。気分にふさわしく明るい澄んだ色で、安売りとは言ってもまあまあの品でしたから、かなり重宝して着倒し、今では首が少しゆるめになっています。補修してみたのですが、青だけで忙しくなってやめてしまいました。
色といい暖かさといい、このワンピースの下に着るのにはぴったりで、もっぱらセットで愛用して来ました。ちらっとのぞく華やかな色が、妙に着ていてうれしいのです。それでどうやら、この三枚のセーターもいっしょに保存されることになりそうです。昔読んだ大リーグの選手たちを扱ったジョーク集の中で、荒れ球の癖球の投手の球を受けられるのが他にいないという理由だけでクビにならずにいた捕手がいて、その投手は「二家族の生計がおれの腕にかかってる」と言ってたとありましたが、それと似たような状況ですね(笑)。
で、前回話した、つぎはぎだらけのカシミアの黒セーターも、同じように、このワンピースの下に着るのにもいいのです。寒さがひどい時には、もうぴったりで助かります。
どれもこれも、安物や古物や傷物の、売り物にもならないものばかり。けれど代わりはありそうでなく、きっと最後まで役割を果たしてくれるんじゃないかという気がしています。
それにしても、今回全部写真がしわくっちゃばかりで、本当にすみません!(笑)衣類の写真って案外難しいんですね。この分ではその内、上の家にあるトルソ(何でそんなものがあるんだろ)を持ってきちゃうかもしれません。 (2025.4.27.)