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軍記物から江戸時代へ

これは「雅俗」という研究誌の多分(って覚えてないのかよ)10号に「学術エッセイ」という名目で発表したものである。
エッセイとは言っても、形式や内容から考えると、「研究の沼」の「江戸紀行文紹介」にでも入れた方が、ここにおいでいただく読者には親切だろう。
ただ、書いたときからそうだが、これは私の中では「情けあるおのこ」というテーマの一部、たとえてみれば、いつ完成するかわからない建物の、れんがの一個か柱の一本のようなものとして位置づけられていた。
なので、この連載に加えることをお許しいただきたい。

ちなみに、これに先立つものとして、わりとまとまったものでは、文学研究誌「ガイア」に発表し、のちに「江戸の女、いまの女」にも収録した、その名もまんまの「情けあるおのこ」がある。これも論文とエッセイの中間のようなものだが、この「軍記物から江戸時代へ」と並んで、小冊子にでもまとめるときには中心となるだろう。これもまた、いずれ機会があれば紹介したい。


軍記物から江戸時代へ

1 竜になったおばあさん

毎年、年賀状に下手な干支の動物の絵を描いている。今年は馬琴の「南総里見八犬伝」の中盤に登場する、不忍池近くの茶店の主で、竜になって昇天するおばあさんにした。
正確に言えば犬江親兵衛がその近くを通りかかって、冤罪を蒙った忠臣が処刑されようとするのを目撃した時、彼に状況説明をしてくれるのみか(今の若い人の文化に影響されているとここで思わず「以下ネタばれ」と言いたくなるのだが)その後高貴な女性に化けて登場し処刑を中断させ、更にその後助けられた忠臣と親兵衛に、実は自分はその忠臣の幼少時に乳母として養育した狐であったことを打ち明けて、善行を積んだからこれで私は竜になれると告げるや、そのまま近くの松の木によじのぼり、竜と化して雲の中に消えるという、一人で数編の物語を演じてのける勢いのとんでもないおばあさんで、私は彼女のファンである。

「八犬伝」以外の馬琴の作品を詳しく読んでいるわけではないが、この長編の中にはこのように何食わぬ顔をして主人公たちを助ける路傍の店主といった人物が妙に目につく。一番大活躍をして印象に残るのは神宮(かにわ)の靖平とその一族だろう。
かと言って庚申山で現八が立ち寄る山の茶店の主人のように、生き生きと描かれながらも別にそれ以上活躍することはない人物も描かれるのが、常套的な手法に堕しておらず逆に巧みだ。

 2 「ウィルヘルム・テル」の主人公

もちろん、このような「主人公を助ける無名の脇役」めいた存在は、古今東西の文学作品(映画やコミックも含めて)に珍しくないどころか、むしろ欠かせないと言ってよい。その中で主役と脇役の役割が逆転している点がやや特異なのは、シラーの戯曲「ウィルヘルム・テル」の冒頭で、主人公の猟師テルは山の中から現われて、悪代官を殺して追われている農夫を救うため嵐の湖へ小舟を漕ぎ出す。その直前、湖岸で別の猟師や牧童から、農夫を対岸へ渡してやれと言われた漁師はいささか憤然と、こう言い返していた。

なんだって? おれなら、命をなくしてもいいというのかね。おれだって、家には女房もおれば、こどももいる。この人とおんなじだ。・・・・あれを見な。凄く岸にぶつかって、泡立ったり、逆巻いたり、水という水が深い底までまぜくりかえっているじゃないか。

そりゃ、おれだって、まっとうな人を助けたいのはやまやまだが、これじゃあ、とてもできやしねえ。見ればわかるだろう。(新潮社「世界文学全集」47 野島正城・訳 以下の引用も同じ)

正義をつらぬいて悪人に追われる善人を助けたくても、そう簡単に救いの手はのばせない一般人の状況が素朴かつ率直に表現されている。それに対して「こまったときには、船頭さん、なんでもできるものだ」「立派な人間は、自分のことはいちばんあとまわしにする。神さまを信じて、こまった人を助けてやりなさい」と言うテルは、漁師から「安全な港にいると、いろいろと指図はできるがね。そこに舟がある。つい目のさきは湖だ。やってみなせえ!」「かりにおれの兄弟、実の子だったにしても、できる話じゃねえよ」と重ねて拒絶されると、「よし、それではやってみよう。舟を貸してくれ。力は弱いが、おれが出してみる」と答えて舟をこぎ出す。

寡黙で素朴で、独立運動を企てる人々とはあくまで距離を保つ、テルの孤高な人柄がおのずと浮かび上がる。だが、シラーの他の戯曲「群盗」や「たくみと恋」などでは本来の「逃亡する主役を救う脇役」も含めて、この種の設定はいっさい登場していない。このような人物像や場面設定はどこにでもあるようで、それほどのべつまくなしというわけでもないのだ。

 3 情け深い番人

たとえば以前「江戸の女、いまの女」(板坂著 葦書房 平成六年刊行)という本の中の「情けあるおのこ」というエッセイで少し書いたが、中世の軍記物「平家物語」の場合、「南総里見八犬伝」や「ウィルヘルム・テル」のような、危機に瀕した人物の逃亡を出会った他人が助けるという設定は奇妙なほどに登場しない。

そんな場面を作れるはずの事実そのものは、登場しないわけではない。だが、平家への反乱が決起の前に露見し、女に変装して夜の京の町を逃走する高倉宮以仁王がつい、ひらりと溝を飛び越えてしまったのを見た通行人は「はしたなの、女房の溝の越えようや」と、いぶかしんで見送るがそれ以上の関わりは持たない。
後に平家が都落ちした後、味方の軍から離脱して熊野に赴いて自害する維盛の場合、山道ですれちがってそれと気づいた旅人は哀れに思って涙するが、声をかけるでも助けるでもない。高倉宮や維盛の方でも相手の存在に気をとめていないから、援助を求めることはない。

非常に極限まで切迫した例として、一の谷の合戦で源氏方の熊谷直実がいったんは組み伏せて首を奪おうとした敵の少年平敦盛を助けようと決意する場面は、あえて言うならそれにあたるかもしれないが、あまりにもせっぱつまりすぎていて、当然この救出は成功しない。

「情けあるおのこ」で詳しく紹介したから省くが、「平家物語」の場合、これに類するような、無関係の他人もしくは敵方が登場人物に同情して何らかの便宜をはかる例として目につくのは、むしろ捕えられた敵の虜囚に対する(その人物の処遇に関する決定権は持っていない)護送の番人たちの同情と理解である。
平重衡に対する土肥実平、平宗盛に対する義経など、いずれも囚人の要望を最大限聞き入れてやろうとし、作者はそのような警護の番人をしばしば「情けあるおのこ」と評している。それは例えば、平家への謀反を企てて捕えられた藤原成親を、平清盛が「とってふせて、おめかせよ」と拷問めいた暴行を命じるのに対し、そのような処遇を好まないであろう清盛の長男平重盛の意向を配慮して、警護者である難波経遠、妹尾兼康の二名が成親に「いかさまにも御声の出づべう候(何でもいいから、それらしくうめいて下さい)」と耳打ちして、命令どおりにひきすえるという、複雑な関係の場面を生んだりもする。

 4 無名の援助者たち

これが同じ軍記物でも「太平記」になると、巻二で父の仇を討って逃亡する少年阿新(くまわか)丸に出会って事情を打ち明けられ、初対面でありながら「我、此の人を助けずば、唯今の程に、かはゆき目を見るべし」と背負って港まで連れて行ってやる「年老たる山伏」を初めとして、唐突に依頼されて登場人物を助ける行きずりの無名の人物、また、そのような人々に自らの運命をゆだねるしかない状況がしばしば描かれる。ただし、これらの場面は後半には登場しなくなり、前半に集中しているといってよい。

巻五では大塔宮護良(もりなが)親王が、逃亡の途中に身を寄せる戸野兵衛一族との関わりについて、一族の内部にも反対する者がいたり、周辺からのさまざまな圧力があるなど、複雑な背景が詳細に述べられている。同じ巻五には宮の一行に道を聞かれて、背中に負った薪を下ろしひざまずいて、うやうやしく的確な案内と忠告をした無名の木こりが登場する。

薪負ひたる山人に行逢ひたるに、道の様を御尋ね有けるに、心なき樵夫迄も、さすが見知り進らせてや有けん、薪を下し地に跪いて「是より小原へ御通り候はん道には、玉置庄司殿とて、無二の武家方の人おはしまし候。此の人を御語らひ候はでは、いくらの大勢にても、其前をば御通り候ひぬと覚えず候。恐れある申し事にて候へ共、先づ人を一二人御使に遣はされ候て、彼の人の所存をも聞召され候へかし」とぞ申しける。

巻七では楠正成のもとへ逃亡しようと御所を抜け出した天皇の一行を助けて船に乗せ、後に恩賞を与えようとさがしても名乗りでなかった男と、追手に嘘をついて天皇たちをかくまった船頭のことが詳しく描かれている。

忠顕朝臣、或家の門をたたき、「千波湊へは何方へ行ぞ」と問ければ、内より怪しげなる男一人出向て、主上の御有様を見進らせけるが、心なき田夫野人なれ共、何となく痛はしくや思ひ進らせけん、「千波湊へは、是より纔五十町ばかり候へ共、道南北へ分れて、如何様御迷候ぬと存候へば、御道しるべ仕候はん」と申して、主上を軽々と負ひ進らせ、程なく千波湊へぞ着にける。(略)此の道の案内仕りたる男、甲斐甲斐しく湊の中を走り廻り、伯耆国へ漕ぎもどる商人船の有けるを、兎角語らひて主上を屋形の内に乗せ進らせ、其後、暇申してぞ止まりける。此の男誠に直人に非ざりけるにや、君御一統の御時に、尤も忠賞有るべしとて、国中を尋ねられけるに、「我こそ其れにて候へ」と申す者、遂に無かりけり。

船頭、主上の御有様を見奉りて、「直人にては渡らせ給はじ」とや思ひけん、屋形の前に畏まって申しけるは、「斯様の時御船を仕つて候こそ、我等生涯の面目にて候へ。何くの浦へ寄せよと御諚に随つて、御船の梶をば仕候べし」と申して、実に他事もなげなる気色也。忠顕朝臣是を聞き給ひて「隠しては中々悪しかりぬ」と思はれければ、此の船頭を近く呼び寄せて「是程に推し当てられぬる上は何をか隠すべき。屋形の中に御座あるこそ、日本国の主、忝くも十善の君にていらせ給へ。(略)御運開きなば、必ず汝を侍に申し成して所領一所の主に成すべし」と仰せられければ、船頭実に嬉しげなる気色にて、取梶面梶取り合わせて、片帆にかけてぞ馳せたりける。(この後、追手が乗り込んで来るが、船頭は天皇一行を船底に隠し、役人たちに偽りの情報を教えて危機を脱する。)

その一方では、巻十八の一宮の御息所をさらって、付き添っていた武士の武文に自害させる舟人たちや、後に平賀源内の浄瑠璃「神霊矢口渡」の題材となる巻三十三の新田義興の殺害のように、救うと見せて裏切る人物たちもまた存在して、このような場面の緊張感を生んでいる。

「平家物語」にほぼまったく描かれなかったこの種の場面が「太平記」に多くなるのは、巻二十一で逃走中の塩冶判官の一族が追いつかれて悲惨な死をとげる中、家臣が三歳になる判官の男児をあわただしく奥方から奪い、そのあたりの辻堂にいた修行者に、小袖一枚とともに「この人を弟子にして助けてくれたら、所領を与えるから」と託すように、登場人物たちの運命がそれだけ流動的になり、激動の時代が訪れたことを示すのだろうか。

八幡六郎は、判官が次男の三歳に成るが、母に抱き附きたるを抱いて、あたりなる辻堂に、修行者の有けるに、「此の少き人、汝が弟子にして、出雲へ下し進らせて、御命を助け進らせよ。必ず所領一所の主になすべし」と云て、小袖一重ね副てぞとらせける。修行者かひがひしく請取て、「仔細候はじ」と申しければ、八幡六郎限りなく悦びて、元の小家に立ち帰り(略)

ただ、「平家物語」に先立つ「平治物語」でも敗走して旧臣の館に身を寄せ、入浴中に殺害された源義朝の最期が描かれているし、「義経記」の中にも落ちのびる義経一行と、それに協力した人々は描かれるから、一概に時代の変化とばかりも言い切れない。

 5 僧侶の思惑

さて、エッセイならではの、こんな書き方も許されようが、実はこのような「逃亡途中の登場人物を、赤の他人が助ける(もしくは裏切る)」という場面の中で最も私の印象に残っていたのは、逃亡していた一行が逃げ込んだ寺で、救いを求められたその寺の僧が、「いずれ、この人たちが勝利した暁には恩賞をもらえるだろう」と計算して、彼らをかくまい、間もなくやってきた追手に拷問されて責めさいなまれても、逃亡者の行方は知らないと言い通し、とうとう追手はあきらめて去り、瀕死の状態で残されたのを、かくまわれた場所から出てきた逃亡者たちが必死に介抱してよみがえらせ、あらためてその僧に感謝する、という話だった。
この話では救う側の心境は純粋に慈悲や同情ではなく、褒賞めあての気持ちもまじり、それでも白状しないでかばい通すなど、複雑な要素が入り混じっている。

ところが私はてっきりこの話を「太平記」の護良親王に関する一場面と思いこんでいたのに、いくら探してもその場面が見つからない。おそらく子どものころに児童文学で目にした記憶だろうと思うので、児童文学の「太平記」や念のために「平家物語」「曽我物語」をあたって見ても、まったくそんな場面はない。

自分は幻を見たのかとキツネにつままれたような気分で長いことすごした後、ようやくその場面を発見したのは「源平盛衰記」で、旗上げをした頼朝が当初の合戦に負けて、八人までに減ってしまったわずかな手勢で逃げのびる途中の話だった。
例の、大木の穴に隠れていたのを梶原景時に発見されて見逃してもらった場面の直後にこの話が登場する。(ちなみに、どうでもいいことだが、私が幼い時に愛読した講談社版の少年少女世界文学全集には「平家物語」と「源平盛衰記」が両方入っていたわけで、その贅沢さにあらためて驚く。)

そもそも、この景時の行動も、赤の他人や行きずりどころではない、敵そのものが捜索中の敵を見逃すという印象的な場面だが、先の僧の場面と同様に「平家物語」にはなく、「源平盛衰記」に登場している。私はまだ「盛衰記」をすべて検証していないから、さがせば「平家物語」には存在しない、このような場面はもっと見つかるかもしれない。

「源平盛衰記」の成立は確定できていないが、「平家物語」の諸本の多くより成立年代は遅いと言われている。先に述べたようにこのような設定の登場を時代の変化のせいだとは必ずしも言えないが、「平家物語」よりは「太平記」と共通する、このような設定が登場してきているのは、あるいはそのような成立年代との関わりもあるかもしれない。

もともと「源平盛衰記」は「平家物語」と比べると、同じ内容の場面でも前期戯作に対する後期戯作かと言いたいほど、読者サービスが行きとどいていて、これでもかというほど、くどい。頼朝一行をかくまう僧の心情にしても、その最初は、次のように細かく描写される。

「ありがたき事かな、げに聞き奉る源氏の大将軍なり。いくさに負け給はずば、今いかでか、かやうの法師に『助けよ』と手を合せ給ふべき。忝き事なり。助け奉りて世におはせば、奉公にこそ(頼朝の時代が来れば褒賞をもらえるにちがいない)。」

また、追手に拷問されている際の気持ちの迷いも詳細に記述される。

思ひけるは、「人を助けんとて、かく憂き目を見るこそ悲しけれ。何事も我身にまさる事なし。さらば、おちん(白状しよう)」と心弱く思ひけるが、やや案じて、「生ある者は必ず死す。我身一つを生きんとて、いかでか七八人をほろぼすべき。(略)たとひ身はいたづらにほろぶとも、此の人々を助けたらば、此の堂をも建立し、我後生をもとぶらひなん」と思ひ返して、

私は、この場面が印象に残っていたと前に書いたが、それは最初に読んだ時に強く刻み込まれたのではない。後になるほどあらためて思い出すことが多くなって行ったと言う方が正確だろう。
それは「太平記」によく登場するような「登場人物を助ける行きずりの人」の内面や運命、つまり彼らがなぜそのような決意をしたのか、その後彼らは無事にすんだのかという疑問への答えは、引用部分でもわかるように、他の場合にはさほど詳細には説明されていないからである。

前出の「太平記」で阿新丸を救う山伏は、「自分が見捨てたら、この少年はかわいそうなことになるだろう」と思ったとだけ記されている。「源平盛衰記」で頼朝を見逃そうと決意する景時の場合も、とっさに自害しようと刀の柄に手をかけた頼朝を「景時、哀れに見奉りて」と、これほどの決断をするにはいかにもあっさりとしか描かれない。先の少年や親王や天皇たちを救った山伏や船頭たちの場合でも、救った彼ら自身の事情や心理は記されない。「平家物語」で直実が敦盛を救おうとするまでの逡巡や考慮が瞬時に行ったにしては実に行きとどいて詳しいのと比べると対照的である。

また、こうやって逃亡者を救った者のその後の運命については、さきのシラーの「ウィルヘルム・テル」の場合、テルが荒れる湖に小舟を出して連れ去った農夫を追ってきた役人たちは、湖岸の漁師の小屋をこわし、牧童の羊を追い散らして、犯人を逃がした人々への処罰や復讐を行っているように、それなりの被害を受けることが現実であれ架空の世界であれ、多くあり得たはずなのだが、少なくとも「太平記」ではほとんど描かれることがない。

 5 協力者の運命

江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎は、軍記物から多くの題材を得ており、その中には当然このような「時の権力に追われている人物を見逃し援助する、安定した生活を営む健全な社会人」もしばしば登場する。
そして、軍記物が題材でない場合でもそうだが、軍記物ではさほど触れられることがなく、追われる主人公を救ったら、それきり舞台から消えてしまう「行きずりの援助者」の一人ひとりが、そのような決断をするに至った現状や過去、またそのような選択をしたことによって変化せざるを得なかった、その後の彼らの運命について、時に貪欲なまでの関心を抱き、奔放な空想を羽ばたかせる。
「義経千本桜」で役人に追われる義経一行をかばってかくまう頼もしい船宿の主人が実は平家の落人平知盛で、夜が訪れたとたんに本来の姿に戻って、昼間に自らが救った義経に再度の海戦を挑んだあげく再び敗北して自害するのなどは、その典型のひとつだろう。

更に近現代の文学では、ナチスの時代、大日本帝国、マッカーシズム、スターリン体制、架空の近未来などを舞台として、私たちはこのような設定を中心にすえ、援助者や協力者の側を主人公にして人間の良心を問いかけるさまざまな物語を知っている。
自分とは無関係な被害者や犠牲者を救うために、英雄でも聖人でもない平凡で臆病な人間はどこまで危険をおかせるのか。
そのような問いかけは切実なだけに重苦しく、時に読む者の心を滅入らせる。

だがもしかしたら、そういった問いかけの源流には、これらの軍記物や演劇につながる、真剣な人間性への問いかけがまったくないわけではなくても、それ以上に飽くことを知らぬ旺盛な好奇心や、週刊誌やワイドショーなみの野次馬根性ももしかしたら流れ込んでいはしないかと思うことは、何となく少しだけ私を元気にしてくれる。(2012.3.27.)

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