鵙平さんの長話
「軍記物から江戸時代へ」の中で、ちらと触れた、「南総里見八犬伝」の庚申山の化け猫退治の際に、八犬士の一人現八が立ち寄る、山中の茶屋の話。
雑誌「水茎」にエッセイを連載していた時の一つ。
「八犬伝」には、関係ない第三者のようでいて主人公たちを援助する人物が、しばしば登場する。ただし、「あ、きっと、この人も、ただの脇役ではあるまい」と予想していると、あっさりそのまま消えたりする。(後期戯作ならではの親切さで、ときどき「○○がこと、これ以後に物語なし」とか書いてくれていることもある。)
この茶屋の主人、鵙平さんも、これっきり登場しない。
このエッセイは、特に「情けあるおのこ」を意識して書いたものではないが、一応紹介しておこう。
鵙平さんの長話
滝沢馬琴の大長編小説「南総里見八犬伝」の中で、わりとよく知られているのが「庚申山の山猫」の話だ。
関東の足尾に近い深山に住んでいた巨大な化け猫が、土地の武芸者に化けて悪事を働いていたのを、八犬士の一人犬飼現八が退治する。
彼が最初に化け猫の話を聞くのは、山道で休んだ茶店の主の、鵙平(もずへい)という老人からである。「もう日暮れだし、化け猫が出るから、夜道は行かない方が」などと注意しながら鵙平は、山猫退治に出かけて行方不明になった武芸者とその一家の話を、文庫本なら数ページにわたって延々として聞かせ、「ああ、こんな長話をしていて日が暮れてしまった」とわびる。おまえは山猫の手先かと言いたくなるが、もちろんそうではなくて、現八も「興味深い話で、旅の憂さを忘れた」と感謝する。
現八は勇士ぞろいの八犬士の中でも一番といっていいほど、剛胆で武勇にすぐれる。そんな彼だから、ここで「旅の憂さ」というのは、不安や心細さなどではなく、腕に自信がある余裕から、かえってしみじみさまざまな思いにひたる結果の感傷や、旅の単調さへの倦怠感だろう。
それは、中世以前とちがって比較的旅が安全になり楽になった近世の旅人たちの心境でもあった。そんな彼らが求めたのは、旅先で聞く珍しい話すなわち奇談の数々で、それはそのまま彼らの故郷への土産話にもなるのだった。ネットもテレビも週刊誌もない時代、旅は重要な情報源でもあったのだ。近世紀行の代表作のひとつ橘南谿「東西遊記」をはじめとして、近世紀行の中には奇談集と区別できない作品が多い。
実は鵙平の長話は馬琴が「稗史七法則」と銘うって記した、自分の小説技法のひとつ「省筆」と言われるもので、登場人物の口を借りて、あらすじを語らせるもの。だから彼のありえないまでに長いおしゃべりも、制作上の手法だから非現実的でもいいのだという風な理解を、ついしたくなる。
しかし、それはひいきのひきたおしかもしれない。そんな認め方をしなくても実際に、鵙平のような長話をする茶屋の主も、喜んで聞く旅人も普通に存在したのではないか。そんな悠長なことはありえないと思うのは今の感覚にすぎなくて、いつ終わるともしれない、こんな話がそこここでのんびり語られていた時代は、まだそんなにも昔ではないような気がするのだが。
挿絵(すみません、あとで補充します)は一無散人「東遊奇談」(全六巻)。寛政十三年に出版された。東日本の各地での珍しい話を集めるが、しばしば一人称で書かれ、紀行の体裁をとる部分もある。