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2021年「古典文学講義A」のレポート(7)

ヒーローたちの描かれ方〜新世紀エヴァンゲリオン・碇シンジの場合〜

 

(1)はじめに

「新世紀エヴァンゲリオン」は、第3新東京市を舞台に、襲来する謎の生命体「使徒」と、人類との戦いを描くアニメ作品である。ここで人類の使徒に対抗する唯一の手段が汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン(以下、「エヴァ」と省略)」であり、そのパイロットは「母親を持たない」等の条件を満たした限られた14歳の少年少女しか務めることができない。

主人公碇シンジは、自尊心が低く、ほとんどの場面で自分の欲求を表に出すことは無く、他者との関わりを避けることで自分が傷つくことを避けるように行動する。一方で、決断力が無く他者に判断を委ねることもしばしばある。

そんなシンジは、とんとん拍子でエヴァのパイロットになった(ならされた)。命を賭して使徒から市民や大切な人を守っているという点から間違いなく「ヒーロー」なのであるが、彼はしばしば弱気な一面や逃げようとする態度を取ることから、ファンの間でも「弱虫」として扱われることが多い。シンジは子どもたちが憧れるような強いヒーローではなく、あくまで14歳の悩み苦しむ少年として描かれている。

 

(2)何のために戦うのか

シンジがエヴァに乗ることになったきっかけは、使徒の襲来時、使徒に対抗する特務機関「ネルフ」の総司令である父ゲンドウからの急な呼び出しである。詳しい事情がわからないままエヴァに乗るよう指示されたシンジは、父の真意や状況が掴めず戸惑う。その間にも使徒の攻撃は激しくなり、シンジが乗らないならと、傷だらけの少女綾波レイが運び出されてくる。その姿を目の当たりにしたシンジは、「逃げちゃダメだ。」と自分に言い聞かせ、エヴァに乗って戦うことを決意する。

この時シンジは、何のために戦うことを決意したのか。

まずは、レイを救うためである。自分が乗らなければこの傷だらけの少女を戦わせることになる、それを避けるためにシンジはエヴァに乗った。後でも触れることになるが、シンジはいざという時には、弱い自分を捨てて戦うことができる強さを持っている。

一方で、自分のために戦ったとも言える。「逃げちゃダメだ」の「逃げる」とは、父からの逃避の意が含まれており、シンジは父を恐れて逃げ出してしまう自分を変えるためにエヴァに乗る決意をしたと考えられる。この「父との確執」は、作品全体を通してシンジが悩み苦しみ続けるテーマとなっている。

 

(3)見返りを求めずに戦う

エヴァンゲリオンの特異な点としては、守られているほとんどの「市民」たちは、エヴァに乗っているのが誰なのかすら知らないことが挙げられる。彼らは、ただ守られる存在として当たり前のように救いを享受している。もちろん、シンジらパイロットは命がけで戦っているのに感謝すらされることはない。

さらに、感謝されないどころか逆に怒りをぶつけられることもある。シンジは、操縦するエヴァの行動により妹が怪我をした同級生トウジに殴られた時、「僕だって、乗りたくて乗ってるわけじゃないのに」「父さんはいないのに、何でまた乗ってんだろう。人に殴られてまで」と述べている。

シンジは、ネルフの構成員葛木ミサトから「人の言うことには大人しく従う、それがあのこの処世術だから」と語られているように、自分が傷付かずに生きるために人からの要求を受け入れる人物である。自分が他人を守っているという自覚はあまりなく、大勢からの感謝や称賛をもらうことにも興味は示さない。つまり、「人を守っている」というよりは、「自分を守ることが結果的に他人を守ることになっている」と言ってよい。

このように、シンジは自分を守るためにエヴァに乗っているわけだが、それでも「救われる側」や「(シンジを)使う側」から一切の感謝、称賛が無くとも戦い続けることは、並大抵のことではないように感じる。

 

(4)誰かを救いたいという強い意志

傷付かないためにも自分を出すことを徹底して避けようとするシンジだが、守るものが明確となった時には、強い意志を示して行動する。

暴走した別のエヴァを止めるようゲンドウに指示されたシンジは、パイロット(意識はない)のことを考え、頑なに戦うことを拒む。「どうして戦わない、お前が死ぬぞ。」と聞くゲンドウに対し、シンジは「人を殺すぐらいなら死んだほうがマシだ」と強く言い放つ。顔もわからない誰かであっても、自分以上にその相手のことを想えるところに、シンジの強さと危うさが見て取れる。

また、普段は悩み迷うことの多いシンジも、切羽詰まった状況においては考えるより行動する一面を見せ、レイ・アスカらのピンチの際に自分のことをかえりみず助けようとする場面もある。

 また、使徒を追い詰めたのに電源切れで動かなくなったエヴァに乗ったシンジは、「今、動かなきゃ、今、やらなきゃ、みんな死んじゃうんだ。もうそんなのやなんだよ。だから、動いてよ。」と、いつになく強い口調で悲痛な叫びをあげる。迷い苦しみ続けるシンジだが、根底には「誰かを救いたい」という気持ちがあるから、逃げても何度でも戻ってきて戦うことができるのだと思う。

 

(5)まとめ

このように、碇シンジは、あくまでも14歳の少年として、人間関係に悩み、自分とは何かを問い続けて苦しみ、時に逃げ出してしまうことがあるものの、実際には強くやさしい心を持ち合わせた稀有な人物であるように感じる。

 「守られている側」からの見返りを少しも望まず戦い続けることが、いざという時には躊躇なく自分を犠牲にしても誰かを救おうとすることが、どれほどの人にできるだろうか。

 ただし、そんなシンジだからこそ大人に利用されるだけ利用されてしまっているとも言える。このような人を救うことのできる能力・資質と心を持ち合わせた人物は、その他大勢のために何の見返りも受けずに自分を犠牲にして戦い続けなければならない状況に追い込まれるのかもしれない。

 「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジはどのようなヒーローとして描かれているか。弱い部分、悩み苦しむ人間的な部分が徹底的に描かれ、「弱虫」のレッテルを貼られ、もはや「ヒーロー」と見なされていないことが多い。しかし、彼の内面は間違いなく強く、優しく、実際にそれに守られている人が大勢いる。

 そんなシンジの強さややさしさを読み取って、正当に評価することができる社会でなければ、実際自分が「ヒーロー」によって救われた際にも、受け取るばかりで思いやることもせず、ヒーローを苦しめることになってしまうのではないか。

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カツジ猫