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(5)すぐれもの

私ははさみフェチというか、はさみが見つからないかもしれない恐怖症である。だからそんなに大きくもない家の中に、どのくらいの数の大小高級安物新旧いろいろのはさみがあるのか、まったくわからないが、考えるだけでも恐ろしいほどあるだろうというのはたしかである。

何か一念発起して仕事をしようとか、そういう時に、封を切っていなかった封書や荷物を開けるとか、新聞や雑誌を切り抜くとか、猫用の大きすぎるフリースを二つに切るとか、何でもとにかくはさみを使わなくてはならない時に、その場に手の届くところにはさみがなかったら、もうそこで心が折れてしまうので、片づけその他の大事業がそのまま頓挫してしまうのが恐い。そういう時って、本当に心は超デリケートにゆらゆら動いていて、「やるか?やめるか?後にするか?またにするか?今やるか?やっちゃうか?はじめたら終わりがない闘争に突入するけどどうする?」みたいな瞬間の連続なので、「あー、はさみが見当たらない」が、重要な仕事を放っておいて、一週間や二週間でれでれ寝て過ごす人生の引き金になることなんかは、本当に珍しくも何ともないのである。

なので、もうどこにでもはさみがある。机の上の筆立てに突っこまれ、ペン皿の上に横たわり、壁にかけられ、ひきだしの中に重なっている。新しいのやきれいなのはもちろん、もう錆びたりこわれかけたりして、ろくに切れないものまでも、ついつい使って捨てられない。
一度、近くでバザーをするとき、はさみがいるというので、何本か持って行った。「自分のがわかるようにしておいて下さい」と言われて、小さいパンダのシールをはって行った。なくなってもいいと思っていたら、ほとんど全部戻って来て、今もパンダシールのついたのが、あちこちからよく出て来る。

はさみほどではないが、ほうきとちりとりも、同じ理由からかなり多い。掃除をしようかと思い立ったときに、手近にどっちかがなかったら、そこで挫折してしまいそうなので、どのへやにも、どのコーナーにも、それなりのほうきとちりとりがおいてある。
もっとも、そこで学んだのは、はさみというのは何だかだと言っても、どんな安物でも子供用でも、その機能にはまず差がなく、ちゃんと切れ味がそれなりにあって、大したものだと思うのだが、ほうきとちりとりは必ずしもそうではない。大きさ性能使い勝手、ほんとにピンからキリまであるし、こちらとの相性もはんぱない。

ほうきについては、もう二十年ぐらい前だが、デパートで地方の物産展か何かをしていた時に、金にあかせてと言いたいぐらい狂ったように何本も買いこんだことがあった。五六本はあると思うが、種類が二つあるので、多分二回、そんなことがあったのだろう。大きさはどれも同じで、片手で持てる大きさで、そんなに腰をかがめなくてもいいし、ちりとりにはきこみやすい、絶妙の長さだ。すみずみまで先がよく届く。二種類の内、どちらかは、作って売っていた人が、「これは(昭和天皇の)皇后陛下がお花のときの花や葉を集めるのによいものをと注文して作られたものです」と言っていた。どっちかは、私が帰りに行きつけの喫茶店で自慢していたら、何本も持っていたので、そこの女主人が一本わけてもらえたらみたいな感じだったのだが、私はあさましく死守してわけてあげなかった。
その短めのほうきはどれも今、あちこちの壁にかかっている。めったに使わなくても古びる気配もなく、多分洋の東西を問わず、ほうきって見た目も悪くないし、芸術品だなあと、つくづく思う。

ちりとりの方は、これもまた、なかなかいいのがない。高かったりおしゃれだったりしたらいいというもんでもない。大きすぎたり小さすぎたり重すぎたり軽すぎたりおしゃれすぎたりいろいろだ。
一番いやなのは床にぺったりつかなくて、細かいごみがうまくはきこめないことだ。わりと上等の金属製のきれいな色のが、これだった。はきこむ時のいらだちを思っただけで、もう掃除自体をしたくなくなる。怠ける口実を限りなくさがしている身としては、こういうちりとりは実に困る。

案外一番安い、どこのスーパーでも百均でも売っている、ぺかぺかの定番ちりとりがいいかと買ってみたが、それも悪くはないが、浅くてごみがこぼれそうだったり、深めだと片づける時に幅があって狭いすきまに押しこめない。昔、小学校で使っていたようなブリキのちりとりは、レトロでおしゃれな感じでシンプルでまあまあだが、騒がしい学校ならともかく静かな家の中ではごとごと音がするのが耳ざわりだ。おしゃれな小さい木製のは、大きさもだが、湿ったごみなどは汚れがつきそうでいやだ。超きれいなほうろうの花模様は、おしゃれすぎて、汚い場所では恐れ多い。

いつだったか、どこでだったかも覚えていないのだが、くずかごとしても置いておけて、ちりとりにもなるというものを買った。本当にまったく買ったときの記憶がなく、それからも長いこと、あちこちの部屋のすみに、移動しながら置かれていた。何の変哲もないポリ容器で色は目立たないベージュ。高級なのや奇抜なのや、あらゆるぜいたくな品がこれまた山ほど家の中にある、くずかごの一つとしても、まったく取るに足らない平凡な品だった。

それなのに、いつからか、このくずかご兼ちりとりが、大変使い勝手がよく有能なことに、私の頭や目というより、手と腕が自然に気づいた。
軽いし、邪魔にならない。ぺたっと壁にくっつくから、まずひっくりかえることはない。何よりも床につく掃きいれ口が理想的な広さと傾斜で、しっかりとまっすぐに床にはりつき、砂もほこりも逃がさない。ゴムとか余分なこれみよがしは何もついていないのに、極限までのシンプルさで最高の仕事をする。

いつの間にか大好きになり、私のくせで、あと五つかせめて三つは買いたいと思ったが、それっきり見かけないし、どこで買ったかも覚えておらず、ためつすがめつひっくりかえしても、商標らしきもののひとつもない。
その奥ゆかしさ、謎めいたすごさがまたこたえられなくて、どこか異次元から突然出現したのか、未来から来たのか、神様からの贈り物かと例によってしょうもない妄想がふくらみ、いつまた手に入るかわからないと思うと使うのさえも惜しくなって、結局日常には不愉快な木製や金属製のを使って、このお気に入りのちりとりは、猫の出入り口のそばに、そっと鎮座させておくようになった。たとえ、不愉快で使い勝手の悪い他のちりとりを使っていても、いいのよ、あそこに最高のがちゃんとあるんだからと思うだけで幸せで苦にならない。見ただけでは他の誰も、このちりとり兼くずかごが、そんなすばらしいものだとは気づかないのだろうと思うと、それもまたうれしい。ただ、その分、私が死んだりして家の物が処分されるときは、これはまっ先に文句なく捨てられるだろうなと思うと、ちょっとあせる。

ところで、この文章を書いた後で気になって、ネットで調べてみたら、この商品はちゃんとあった。しかも色とりどりの、いろんなものが。(と思ったら、2005年や2010年の記事で、最近のではこれだけだった。本当に絶滅危惧種かな)
いつでも買えると安心したら、急いで買う気もなくなった。「遼東の豕(いのこ)」とか、「星の王子さま」の花みたいに、唯一の貴重なものと信じていたのが、どこにでもあるありふれたものとわかった気分だが、わびしさよりも、おまえの仲間は大丈夫いっぱいいたよと、絶滅したリョコウバトの最後の一羽のマーサに言ってやりたかったせりふが言えて、ほっとした思いが強い。
ただ写真で見る限り、高さや太さが少しちがう気もして、同じ性能かたしかめたい気もしないではないが、今のところは、マーサと信じていた、手持ちの一つを大事にしておくので満足だ。

それと、使った人のコメントを見ると、この商品、園芸用とか、子どもの嘔吐物の処理用とか、いろんな用途に重宝されているのがわかって、これまた感心したが、私がメロメロになった本来のちりとりとしての性能に感動している人はいなかった。あたりまえすぎるのかもしれないが、ぜひ、本来の役割でのすばらしさも味わってみてほしい。(2016.7.31.)

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カツジ猫