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(52)満を持して。

イマンという名は、アフリカのどこかの、昔の女王の名前らしい。行きつけの雑貨屋が十年ほど前に、きれいな花模様のホーローの鍋や食器を取り扱っていて、そこのメーカーの名前の由来を、そのように説明してくれた。「この由来がまたいいじゃありませんか」と、お店の人は言って、私も同感だった。名前に恥じない、いい品で、花模様と言ってもちゃらちゃらけばけばしてなくて、つつましい中に威厳と風格があった。何より私はそのころ、大学での授業や研究以外の仕事がいろいろ忙しくて、家庭的にも煮詰まっていて、ストレス解消に、器から鍋からお盆から猫のエサ入れに至るまで、そのメーカーの品物を、やたらめったら買いこんだ。

そもそも私は料理にまったく興味がないし、食事や味にもこだわらない。子どものころには、横隔膜がどうかなってたらしい祖父が、食事のたびにのどを詰まらせてげえげえ吐き、それを祖母と母が冷たい目で見ている毎日だったし、裕福で親切な叔母が豪勢な食事をおごってくれるときは、ナイフの使い方から服装から髪型からがちゃがちゃ注意されまくり、大学院時代には教授や院生と調査旅行に行けば女性一人の私の前に旅館の人はおひつと汁鍋と急須と重ねた茶碗と湯のみをおいて、いずこともなく消えてなくなり多い時には数十人の給仕を一人でさせられるはめになり、こと食事というものに、ほぼまったく快適とか愉快とかいう思い出がない。それにしては、あんたはいつもにこにこして、一人でべらべらしゃべりまくっていたじゃないかと言われるだろうが、それで人間が幸福で愉快で満足しているだろうと決めこむのは、植民地の人や奴隷や慰安婦が、楽しそうにしていたじゃないかという感覚と同じで、そうでもしてなきゃやってられんという心境だって、人間にはあるのである。

それなら学生たちとの食事はそうでもないだろうと言われそうだが、これまた議論や激論やけんかや乱闘や、とんでもない騒ぎになりがちで、そもそもこうなって来るとひょっとしたら私は、皆が快くにこにこして楽しく過ごして終わる食事など、退屈で嘘っぽくてものたりなくてつまらんという感覚さえ生まれて来ているような気もする。
一度、世にもふまじめで不愉快な卒論発表会のあとの食事会で、最初のあいさつを求められた私は「自分の卒論の出来が悪いのをごまかそうと、照れ半分に冗談を言いあってふざけるような人たちと、まじめな学問の話はしたくないし、いっしょに食事もしたくないから、これで失礼します」と言い放って、とっとと席を立って帰った。駐車場まで来たら女子学生が一人、息をきらして追いかけてきて「せ、せんせい」と言うので、「なに?」と振り返ったら、「バッグをお忘れです」とさし出した。それでも顔にも声にも笑いのかけらもなかったのは、彼女も私も立派だと言うしかない。「あ、そう」と私はびくともにこりともせず、バッグをひったくって車に乗って帰った。指導教官が消えたその後の食事会がどうなったか知らないし聞かなかったし空想もしなかったし考えたくもないし、宇宙空間のかなたのことよりももっとまったく興味がない。
要するに私自身も祖父や叔母や旅館の人以上に、楽しい食事をぶちこわしにする才能にはこと欠かないということだろう。

一時期、何をとち狂ったか、せっせとケーキを作って、訪れる学生にも食わせていたことはある。その時だって別に料理はしてなかったから、ラジオを組み立てるとか爆薬を作るとかと同じ感覚の、ただの気まぐれの趣味だったのだろう。道具一式も買いこんで、ぺしゃんこのシュークリームなど作っていたが、スポンジケーキなどの型の周囲にまくパラフィンを買ってくるのがめんどうで、書庫の文学全集などの本にかかっているパラフィンをひっぱいでは使っていた。西鶴全集と芭蕉全集のパラフィンがほぼ全部なくなったころ、私の熱もさめてケーキ作りはそのままになり、道具は皆、人にやってしまった。

だから、イマンの食器や杓子やフライ返しもまったくといっていいほど使わなかった。それでも買っていた理由の一つは、当時田舎の古い家にいくつもの台所があり、そういうところに置いておくと何となく飾りにもなり、守り神のようでもあったからである。箱から出さないままの立派な両手鍋やおろし器やボールなどが棚に積みかさねてあった。
しかも、母のために建てた新しい家の台所では、ヘルパーさんが「磨き粉を買っておいて下さい」と恐ろしいメモを残したりするので、「すみませんが何に使われるのでしょう。ホーローの製品は使ったら傷がつくので困るのですが」などとメモを返したりする内に、もう疲れて、美しい食器や繊細な道具はすべて母の家からは引き上げて、安くて丈夫なものでかためることにした。
ちなみに田舎のヘルパーさんだからだったのか、たとえば洒落た掃除用具入れの四角い箱は、わざわざさかさまにして棚の上に置いたり、猫の食器に使っていた古いお皿は、人間の茶碗と重ねてしまってあったり、わけのわからない対応もけっこう多く、私は自分の晩年に人の世話になるようになったとたんに、本当ならばそういう時期にこそ、優雅で繊細な品物に取り囲まれたいと言うような願いは、そうそうに放棄するしかないと覚悟したり、少々金がかかってもいいから、マイセンの食器やガレのランプ(どっちも私は持ってないが)をきちんと管理できるような高級ヘルパーさんを養成してくれないだろうかと、高齢者や貧乏人はきれいなものや高価なものは持たなくていいというポリシーらしい福祉行政の国では不可能に決まっていることを夢見たりした。

自分が食事に関心も興味もないのは自覚していた。だから家を建てるときも大工さんには、「食事にはこだわらないから、台所なんて小さくてもいいよ」と言って、何の注文もつけなかった。だから、どの家でも台所はそれぞれに、つつましく平凡で、でもそれなりに白いタイルの壁とか、白に近い薄いピンクの調理台とか、さまざまな個性の顔を見せていて、私はけっこう好きである。母のための家では、流しをつけた工事の人は、「おれはね、いつも水を使ったあとは、こうやって水気をふきとるんよ、あとがついたりしないように」と、いとおしそうにシンクをぬぐって帰って行き、私も以後はどの台所でも、シンクがぬれたらふきんでぬぐう癖がついている。

さて、田舎の家も人に買ってもらって、次第に荷物が今住んでいる二軒の家に集中した結果、台所にもものが増えた。しかし、イマンの製品のありがたいところは、雑然と流しの前の棚に置き散らしてぎっしりにしていても、個々のものが美しいから、散らかっている感じがしないのである。私はそれをいいことにして、あらゆるイマン製品をぎゅうぎゅうに並べて放置していた。
上等のホーローはなかなか製造の採算がとれないらしく、イマンも人気のあるメーカーだったようなのに、いろいろ苦心していたようで、たしか今ではもう製造を中止しているのではないかと思う。それでもネットでは根強い人気があるようで、使いもしないでためこんでいる私などは、好きな人たちから見れば罰当たりなことだったかもしれない。

もう半年も前になろうか、自堕落な生活で次第に体重が増えてきた私が、マッサージの先生に嘆くと、「しばらく肉をやめてみたらどうですか。野菜中心にして」と言われた。ケーキ作りのときと同じく、それは面白そうだとはまった私は、それまでしょっちゅうステーキ店で精をつけていたのを過激に急転換し、徹底的に肉を排除して野菜と魚ばかりの料理にした結果、体重はさほど減らなかったが、かかりつけの医院の健康診断でたんぱく質をもっと取った方がいいと言われ、人間ドックでは塩分が一気に基準値以下になって「なかなかこうはできません」と看護師さんから驚かれた。

そもそも私は大学に入って一人暮らしをはじめるまでは、ご飯の炊き方も知らなかったし、煮物や焼き物もどうするか知らなかった。しょうがないから料理の本を買って、目玉焼きから勉強したが、それさえうまく作れなかったし、あまりそのころからレパートリーも増えてはいない。
野菜だけの肉なし料理も、だからネットで適当に検索して作りはじめた。さすがに昔に比べて何となく、判断力や決断力が身に着いてきているせいか、世間が私のようなものに合わせて、レシピや説明がていねいになっているからか、作る料理作る料理、どれも超おいしくて、肉など不要、外食などする気にもなれない。この年になって、新しい天国に足を踏み入れた気分である。
その内に片づけようと思っていた、調理台の下の物入れを整理して、いろんなものをきちんと入れたら、これまた使いやすくて気分よく快適と言ったらない。

今までまったく使わなかった、鍋やボウルがフル回転し、常に数種類のおかずがタッパーに入って冷蔵庫で待機しているという、想像もできないぜいたくを日夜味わうようになった。ただし、人に食べさせるようなものではないと思っているので、徹底的に自分だけで味わい、客にはせいぜいリンゴの切ったのとコーヒーと、うまいパンぐらいしか出さないことにしている。

隠れ家がわりにして楽しんでいるクローゼットで、ときどき、時間をつぶして、どうでもいい本を読む。最近そうやって気軽に読み飛ばした「食堂のおばちゃん」という本の中で、ポテトや玉ねぎや卵をふんだんに使った野菜サラダがレシピつきで紹介されていたので、うまそうだと作ってみた。予想通りで満足したが、大量に作ってしまうので、大きめのボウル二つを一度に使ってもまぜるのが面倒で、私は大抵三種類ぐらいのおかずをいっぺんに作るので、何かと手順が混乱する。
それで、思い出して、古い方の家の棚においていた、その二つよりさらにもうひとまわり大きい、イマンのボウルをとって来た。これはもう、洗面器に使ってもいいほどの大きさで、買った時から最近まで、これを実際に使う日が自分に来るなんて、私はまったく考えてみたこともなかった。棚の上においてあるのを見るたびに、何だか自分でおかしくて一人で笑っていたぐらい、途方もない大きさで、「アンの娘リラ」の中の話じゃないが、その内にどこかの赤ん坊でも入れることになるんじゃないかと思うぐらい、私とは縁のないしろものだった。

それが今、何の不思議もなく、とても自然にまっとうに料理に使われることになったのが、我ながら人生とは予想もつかないものと思い知る。
ゆでたポテトやさらした玉ねぎ、バジルやパセリもぶちこんで、マヨネーズでかきまぜると、果して大きい分使いやすく、楽々と大量のサラダがあっさりしあがった。タッパーにわけてつめながら、ほぼ多分十年以上も、田舎の家や棚の上で、のんびりどっかりかまえていた巨大なボウルの、ここに来て満を持しての登場に、私の人生もまだまだ続きそうだと、奇妙にめでたい予感もしている。(2018.6.29.)

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カツジ猫