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(77)初めてのハンギングバスケット

これをハンギングバスケットと言ったら、各方面でめちゃくちゃひんしゅくを買うだろう。何しろただのポトスの鉢である。
しかし実は私にはこれまで、生の植物をつるして育てる、それも室内につるして鑑賞するという体験どころか発想もまったくなかった。
子どものころ、田舎の庭の縁先には、そう言えば釣り忍のような鉢がかかっていたような記憶がある。花が咲くわけでもなく、特に関心も興味もなかった。
一人暮らしで家も建て庭も作ってそれなりに花や木を植えたりしても、どこかに鉢を下げたりつるしたりということはまったく考えたことがない。戸外だと何だか落っこちそうだったし、室内だったら単純に水が下にもれるだろうと思い、そこで思考がとまっていた。

その根底には私の中で、魚は海で泳ぐもの、猛獣は密林やサバンナにいるもの、植物は大地に根をおろしておくもの、といった感覚がどこかにあって、不自然な状況で、思いがけないところで目にするものに、あまり魅力を感じないで、むしろかすかな不安を抱くのも一つの原因だろう。
九州新幹線の開通の祝賀イベントで、博多駅に大きな桜の樹をまるごと切って飾ったとき、私は胸が苦しくなるほどの違和感と不快感を覚え、残酷さと悲惨さで、写真さえも見るのがつらかった。言ってみれば、こんな血染めの花嫁をさらしものにして開始された九州新幹線の未来には、ろくなことはないだろうと恐れ、その時の祝賀行事の数々が、折から起こった東北大震災で、すべて中止になったときは、自然の怒りのとばっちりが東北に向いたのではないかという胸苦しささえ感じた。
花や草は大地に根を張り、そよぐものだ。わずかな土をまきつけられて宙ぶらりんで過ごす姿は、私にはどこか醜悪にしか見えない。そのくらいならいっそ、博多駅の桜のように、すっぱり切られて枯れて捨てられた方がまだましかもしれない。

まあしかしそれを言うなら、そもそもあまたの鉢植えすべてがそういう生殺し状態なわけで、私の拒否感も嫌悪感も、中途半端と言えばそうだ。
だから、あまり断固として深く考えていたということでもない。
この、どこにでもある、ありふれたポトスの鉢は、古い家の方の風呂場の飾りとして買った。タイル張りの昔ながらの古い風呂だが、それだけに、ちょっとレトロでお洒落な空間にしたくて、ローマのジャングル風呂(いやそんなものないだろう)風に、緑の葉の鉢や水差しなどをおいてみた。
なぜか風呂場というところは、植物がよく育つ気がする。少なくともめったに枯れない。
このポトスも、日光は直接あたらなかったものの、そこそこ明るい風呂場で、無事に生きながらえていた。
ただ、あまり栄えている風ではなかったので、私は結局、IKEAで買ったフェイクのカラーや蘭の花を水差しにさすことで風呂場の飾りつけには手を打ち、ポトスは引き上げて、新しい小さな家の廊下に、受け皿をおいて、仮住まいさせていた。

そこは日当たりもよかったからか、特に面倒をみないのに、ポトスはじわじわ大きくなった。気がつくと茎と葉がかなり四方に垂れ下がっていた。
掃除機をかける時に邪魔になるので、私はつい、鉢を持ちあげて、廊下の上に渡した洗濯物干しに引っかけていた長めのフックに、かけておいた。掃除がすんでも、ついそのままにしていて、水をやるときも最初は下の受け皿に下ろしてからかけていたが、だんだん、めんどうくさくなり、つるしたままにしておいて、ある日そのまま水をやったら、全然下にもれることがなく、「かけたまま、水やってもいいんだ」という事実を、この年になって初めてしっかり確認した。イェイ。

そして、そうやって目の高さに緑の葉がゆれて、空中の一部を占領している異様さは、夢の中の風景のようで、なるほど魅力のあるものだ。
単純で安物のポトスの鉢は、こうしてあっさり私の哲学と美学を変更させてくれた。

ところで、話が少し戻るが、風呂場に置いた鉢植えの類はめったに枯れずに長生きする。私の家では風呂場でだめになった植物はない。ずいぶん大きく元気になったからと、そこから廊下や窓辺に移動して、その後枯れたものはいくつかあるが、風呂場にいる限りはいつまでも無事である。適度な暖かさと湿っぽさがいいのだろうか。

私は何年か前の、しまおという猫の命日のとき、忙しくてろくな準備もできなかったので、スーパーで買った安いシクラメンの鉢を三つほど、墓の前に並べて置いてやった。その後その内の二個を風呂場の、一個をトイレの窓辺においた。それからもう五六年と思うが、どれも一向に枯れない。何度か花も葉もなくなって根のあたりにかたまりだけが残って、いよいよおしまいかと枯れた花や葉をちぎって、一応水をやっていると、いつの間にかまた葉がのびて花がつく。大きな声では言えないが、風呂場の窓辺はもっとすっきり飾りたいので、なくなったらなくなったでいいのだが、決して滅びず息を吹き返すと、それなりに感心はする。

それでもとうとう、トイレの窓の鉢は完璧に枯れてしまった。いくら待っても新しい葉が伸びてくる気配はないので、私はその小さい鉢を戸外においた。折からのこの夏の猛暑の中、たまたま風船カズラの鉢のそばだったので、ついでにいっしょに朝夕水をかけていた。というか、かけるかたちになっていた。
そうしたら、ある日、一枚小さな葉っぱが出てきていたので、目を疑って驚いた。それはすぐまたしおれて消えたが、もしやと思って少し大きな鉢に移し替えてやった。そして、あいかわらずついでのように水をやっていたら、一枚二枚と葉が増えて、このたび見事に復活した。花が咲くのもきっと時間の問題だろう。
寒くなったら、家にいれてやらねばなるまいが、鉢が一回り大きくなったので、もうトイレの窓には置けないのだ。他に置けそうな場所もなし、いったいどうしたものだろう。思いきってまたポトスの横に、二番目のハンギングバスケットをつるすことにでもしようかしらん。(2018.10.17.)

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カツジ猫