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(78)この日のために

この写真は、ベッドの上の私の猫の前に、エサをのせた皿をおいているところだが、いくら私が猫に甘いと言っても、毎回お食事を寝床にお運びしたりしているわけではない。
この猫は、毛が長いので図体が大きく見えるが、案外中身はすかすかで軽く、一応元気にしているが、ジャンプ力は弱いし、あちこち何となく欠陥とも言えないほどの欠陥がありそうである。びびりで不安定な性格も、そういうところから来るのかもしれない。

口の両側からとんがった牙がちょろっとのぞいているのもかわいらしいのだが、それに関係あるのかどうか、微妙にものをくわえたり食べたりするのが下手である。そう言えば、あまり手や顔をなめてくれたことがないが、舌もちゃんとざらざらしていないような気がする。
大好物のおさしみやチュールをもらっても、あまり上手に食べられない。あれこれ顔の向きを変えてくわえるのに時間がかかっている。
子猫のころは、小さな普通のお皿にエサを入れてやっていたが、いかにも食べにくそうだし、こぼすので、少しざらざらした表面の器がいいのかと思って、結局この皿を使うようになった。

もともとは作家さんの作った上等の器だ。こんなことに使うのは申し訳ない。ただ、二十年ほど前に八歳の若さで亡くなった、私が大好きだった猫のキャラメルも、病気で弱ったころ、この器で食べさせていて、彼の思い出に大事にしまっておいた皿でもあるので、少しはあの、落ちついて堂々としていたキャラメルにあやかって強くなってほしいという思いもあった。
キャラメルは、母親が田舎のわが家の年とった三毛猫、父親が近所の純血純白チンチラだった。そこのお宅に赤ちゃんが生まれて、前ほど大事にされなくなり、ふてて近辺をほっつき歩いていたらしい。灰色に汚れて巨大な姿で、家の床下にいたのを見た母は、「本当に猫かしらと、前にしゃがんでしばらく見てしまった」と言っていた。
オレンジと白のふわふわ毛皮のキャラメルは、しかし身体はしっかりとしていて、エイズから白血病を発症してやせて死ぬまでは、最高時で七キロもある大猫だった。父親の血を引いてか、毛皮は完全な長毛ではなかったが、長短二重の毛が二層にまじってふかふかしていた。

迷いこんで来た、今の猫カツジは、どんな親かはわからないが、そのモップ状の外見からして洋風長毛種なのは、まちがいない。そのせいか、キャラメルとどこか共通するところもある。キャラメルがいつも水を飲むのに愛用していたクリスタルの花びんは、彼の死後はどの猫も興味を示さなかったのに(私は彼が死んだあと、カツジが使いはじめるまでの、ほぼ十年間、彼の魂が飲みに来ているような気がして、ついつい毎朝、花も入れないまま花びんに水を満たしていた。一度子宮筋腫の手術で数日入院したとき、猫と犬の世話に来てくれていた人が、その花びんを空にして洗って拭いて棚に伏せていたので、病院から帰ってそれを見た私は、すんでのことで倒れそうになった。つくづくほんとにまったく思うが、こういう時に頼まれないことまで気を利かせたつもりでするものではない)、カツジはすぐに、そこから水を飲みはじめた。「あれで飲んでたら、そのうちキャラになれると思っているのかな」「あすなろ、ならぬ、あすきゃら、ってか」と、私は知人と笑いあっていた。

キャラメルの花びんで水を飲み、キャラメルのお皿でエサを食べて、へたれでびびりのカツジが、いつかキャラメルになれるかどうかはともかくとして、その表面が少しざらついたお皿でも、カツジはときどき大好きなエサを残してしまう。洗い流すのももったいなくて、私はベッドや椅子の上に寝ている彼のところへ持って行き、指にのせたり、つまんだりして食べさせる。彼は半身起こしたり、時には座り直したりして、けっこうおいしそうに完食する。
それでも、私がいない時には、そこそこきれいに食べていても、ちゃんとなめあげていることはなく、お皿は少し汚れたままだ。もともとざらざらした表面なので、洗ってもとれにくい。

どうしようかな、と思っていたとき、片づけ中の荷物の中から、青い筋が入った小さいたわしが出て来た。いつどこで何のために買ったかという記憶はいっさいない。
ただ私のことだから、ありふれたかたちのたわしのままで、やけに小さく、青い縞まで入っているのが、珍しくて気に入って、あてもなく買ったのではないかという気はする。
片づけ作業の中で、案外頓挫の原因になるのは、こうした、ちょっとした小物の数々だ。捨てるのはもったいなく、人にあげるにはつまらなすぎ、当面使う予定はないが、必要なときに同じものはなかなか見つからなさそうな、という条件がそろうと、迷いが生まれる。私は結局、そういうものは、さしあたりまとめて、箱に入れておく。決断の先送りだが、全体の作業を進めるには、その方が早い。
たまたま、このたわしは、問題となっている猫の食器を洗うのによさそうで、その小ささも台所の流しの前につるしておけば、かわいらしそうだった。
そういうわけで、このたわしは、先送り箱の中に入ることなく台所に直行した。あまり、ごしごしこすったら器が傷みそうだから、手加減しながらそっとこするが、それでも楽に汚れは取れる。こういう特化して専門職というのも、何やらぜいたくで、いいものだ。十中八九、あてもなく買ったであろうたわしだが、ここで初めてぴったりはまる仕事にめぐりあったのではないだろうか。

写真の右側の、輪ゴムがかかっているフックは、台所の壁がマグネットなので、小さいものをあちこちにかけるのに、茶色と白の色違いの同じフックをいくつか使っている一つだ。これを売っていた福岡のデパートにあった店が先日なくなってしまった上に、たわしの輪っかは小さすぎて、このフックだとかけられない。もっと細くてシンプルなのはないかと探したら、東急ハンズにこの銀色のが一個だけ残っていた。
帰ってつけてみたら、壁やたわしとの相性もぴったりで、しかも吸着力が強いので、少し重めの他の小物にも使えそうだ。電話で追加注文したら、もう販売中止だそうで、私の好みは世の中と合わないのか、いやいや最後の一個とめぐりあえただけでも幸運だとか思いつつ、メーカーからの取り寄せはできるとのことなので、あと何個か頼んでおいた。台所の風景が、またちょっとだけ変わるかな。(2018.10.18.)

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カツジ猫