(76)季節の変わり目
数年間、風邪もひかずに過ごしてきて、自分でも珍しいなと思っていたら、忘れもしない先月の十五日、残暑が厳しく不快な一日だったのをきっかけに、いきなりしっかり風邪を引いた。その後いろんな行事があってゆっくり休めなかったのもあり、ひと月後の今もまだ何となく絶好調にはほど遠い。
周囲の誰もが言うように、これはこの夏の殺人的な猛暑と、涼しくなってからでも変に一進一退する気候のせいだろう。ネグリジェから寝具、外出用のコートから普段着に至るまで、毎朝判断ができなくて困る。家の中でエアコンをつけていて熱中症になったという、知人のそのまた知人の、怪談めいた話も聞くが、決してあり得ないことではないと体感する。
自宅では夏中もちろん、ずっと裸足で通していたし、外出もそのままサンダルですませていた。
それを、ソックスをはかないと、身体がぞくぞくして危ないぞと思ったりしていたのが、今考えれば風邪のひき初めだった。季節は本当に足元から訪れる。
それでも夏の暑さがあまりにひどかった分、ソックスをはく決心がつかないままの数日を過ごした。夜になるとすっと足元が寒くなり、でももうすぐベッドに入るから今さらと思って過ごす数時間が特に問題だ。
ふっと気づいて、部屋のすみにあったスリッパ入れにしている古いおひつ入れの中から、これまた古いタオル地のスリッパを取り出してはいてみた。
布をかぶせて使っているから、見ただけではわからないが、わらで編んだかなり大きな丸いかごで、ふたもあるおひつ入れだ。田舎の家で昔、大きなおひつに暖かいごはんを入れて、その保温用に、さらにこれに入れて食事のときにもちゃぶ台のわきにあった。
おひつも、このおひつ入れも、ともに古びてそのまま見せてはみっともない状況だが、作りはしっかりしているので、私は両方ともきれいな布をかけて、新旧二つの家の玄関近くで、それぞれスリッパ入れにしていた。
中に入っているスリッパは、上の家では普通にそのへんで買った新しいものだが、下の新しい家のそれは、昔叔母の家にあった大変古いものである。叔母のものらしく上等で、タオル地と言ってもフェルトのようにやわらかで暖かく、赤と緑とブルーの色も鮮やかで深い。ピエール・カルダンの文字が入っている。古くてよれよれなのだが、縫製がしっかりしているのか、少しも破れたり壊れたりはしていない。
とは言え、大変古かったので、叔母の家から持って来た荷物の中から引っぱり出して使っていたのは、田舎の家を人手に渡す前の大掃除の時だった。二軒あった家の大きな古い方を最初に売った、その時の大掃除で、ものすごいごみとほこりの山の中、いよいよ最後の最後の奮闘をして、すべてのごみを袋に入れて庭に出して引き上げるとき、最後のごみの袋の中に三足とも放りこんでおさらばしても、おかしくなかった。実際漠然とそうするつもりでいた。
しかし、最後に砂やガラスの細かい破片もまじったほこりやごみの中を、惜しげもなくかわるがわるにはいて回った、その三足のスリッパの、落ちついた色合いを見ていると、言ってみれば決死の戦いや作業をともにして、それが終わって引き上げる戦友のような気持ちがした。私はそういう片づけをおおむね全部一人でしたから、その間の冒険も工夫も知る人は誰もいない。先の見えない絶望さえもする余裕がなく、ただ前向きに、ただ足元と手元だけ見て進み続けた日々と時間のことを思い出しあって語る相手は、このスリッパぐらいのものだ。
で、何となく持って帰る荷物に入れた。
今いる家は、わりときれいに使っているので、スリッパは基本的にいらなかった。お客に出すには微妙に古くてくたびれすぎているので、三つのスリッパはずっと丸い、もとおひつ入れの中に入ったままだった。それでも色あせた三つの色は美しく、見ていて苦にはならなかった。
当面ソックス代わりにはくにはいいかもな、と思ってはくと、素足にやわらかな布地がしっくり触れて、求めていた当座しのぎの暖かさにちょうどよすぎて、笑うほどだった。
寝る前にベッドの横に脱ぎ捨てると、古びて色あせ、ゆがんだ形が、これまた何とも言えない風格があって、なかなかかわいらしかった。
こうして季節の変わり目を私は乗り切り、下着もふとんもほぼ冬仕様に切り替えた。
しかし今また忙しくなった仕事のため、ともすれば掃除が遅れがちで、このきれいだったはずの家の床も少しほこりっぽくなっていて、ついそのまま、スリッパをはき続けている。
このままでは、まさかと思うがそうなってはならないが、かつての田舎の古い家のように、ほこりとごみだらけの床の上を、老いた戦友のような、このスリッパをはいて歩き回るのが日常になるかもしれない。恐い恐い。(2018.10.17.)