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(83)ミルクの思い出

ヘタレな私

マンションで猫二匹を飼っている若い同僚が、ほとんど使ってないか未使用だったかの、猫のトイレをいりませんかと聞いてきたことがある。何でも、ダンボールを使用するか何かの画期的なトイレ処理方法を発見したらしかった。ついては、いらなくなった大きめの立派なトイレを処分することにしたのだが、もったいないので、もらっていただけないかということだったと思う。

うーむと私はうなった。ほしいのはやまやまだったが、実はあまり人に言えない事情があった。みっともないが、ここは正直に言うしかないと思って、「いやー、ほしいっちゃあほしいけど、実はねえ、私は二十年前に死んだキャラメルとミルクという兄弟猫が使っていたトイレを四つぐらい、もう今は使わないのだけど、捨てきれないでただ取っているヘタレでねえ。いただいても置いておく場所がないのよ」と告白した。同僚は自由奔放大胆不敵な生き方をしているように見えて、実は大変繊細かつ礼儀正しい人なので、そんなのとっとと処分したらなどという、さしでがましいことはちらとも口に出さなかったが、さすがに「そ、それはたしかにヘタレですね」と感服して、話はそれきりになった。

二匹の中でも私はオープンで甘えん坊のシャムっぽい白猫ミルクより、ちょっとツンデレ風の落ちついたふわふわのペルシャ風オレンジ猫キャラメルが好きで、八歳の若さで死んだなつかしさだけではなく、ひたすらにもうそのすべてにメロメロだった。

そのころは、まだ猫のトイレもあまり開発されていなくて小さめだったし、すのこ式で二重になっていた。どこのメーカーだったかが、その中ではちょっと大きめの、真四角のトイレを売り出したので、私はさっそくそれを四つほど買って、あちこちにおいて使った。商品名が「大きくなってもだいじょうぶ」という名前で、それも何だか気に入っていた。

淋しい町

キャラメルの死後、ミルクは田舎の母に預けている間に行方不明になり、私はその後また何匹か猫を飼ったが、その内に、すのこ式ではない、もっと使いやすい更に大きめのトイレが出始めたこともあって、「大きくなってもだいじょうぶ」トイレは、次第にお払い箱になった。それでも、ひょっと捨て猫を一時保護するときなどにいるかもしれないと予備に取っておいたが、もうそんなこともないまま、次第に古びて来て、処分しなくてはと思っては何となくそのまま、物置の隅や、ウッドデッキの下に重ねておいたままにしていた。

何とか活用したかったから、花でも植えたらいけるのではないかと思って、土を入れて花の苗を植えてみたこともあるが、あまりうまく行かなかった。そうこうする内、十数年もたつとさすがにプラスティックも劣化してきて、ふちもあちこち欠けはじめ、それでも捨てられずにいた。

そもそもキャラメルの死んだときのカレンダー、山のような写真、最後の点滴の針を抜くときしたたった何滴かの血がついた豆皿、切り取った毛の一房、つけていた首輪、などなどを、何ひとつ捨てられずに私はきれいな紙箱につめて、そのまま取っている。彼は私の両腕に抱かれて死んだので、自分のその二本の腕までが時にいとしい。それに比べて写真しかない行方不明になったミルクのことも思えば切ない。

海外ドラマ「ワンス・アポン・ア・タイム」で、この世に思い残りがある人たちが住んでいる煉獄みたいな、一応普通の町が出て来たとき、私は自分の家族や猫たちが、そこにはいないで、もっといいところに行っていることをほぼ確信できたが、ミルクはきっと私にもっと甘えたがって、まだそこにいるだろうと、つくづく思った。

かわいがってはやったのだ。キャラメルと差別もしなかった。だが、ミルクの愛情の求め方は激しく底なしで際限がなく、放っておくと淡白でクールなキャラメルを押しのけてどこまでもべたべた甘えるので、それが私をいらつかせた。

特にキャラメルが死ぬ直前や死んだ後の、苦しいからこそ穏やかで静かな時間を持ちたい時には、元気でパワフルな彼を近づけるのがつらかった。ほとんど憎んでいたと言っていい。

だから田舎の母に預けたのだ。彼は母に思いきり甘えて幸福そうだったが、母の一泊旅行中にいなくなってしまった。帰って近所を探したが、見つけることはできなかった。

しょうもない海外ドラマも、思いがけない役には立つ。私はそのドラマの中の、一見普通だがどこか悲しげで憂鬱そうな町のどこかに、きっとミルクがいると思えた。彼をもう一度抱いて愛して満足させて、よりよい世界に行かせてやらなければならないと、つくづく思った。

他の猫たちとちがって、命日さえもわからない。思い出の品もない。せめてと彼の写真を立派な銀色の額に入れて、棚に飾った。まだ彼に対する気持ちを充分に整理できてはいないけれど、その内に命日にする日もきっと決められるだろう。

ノラ猫対策

何だかんだでそこまで時も流れたことだし、そろそろ彼らの使ったトイレも処分していいころだった。ちょうどそのころ、ご近所でエサをもらっているノラ猫たちが、私の庭の一角をトイレにしていて困っていた。砂利をしきつめているから、あまり快適なトイレの場所ではないと思うのだが、何が気に入ったか、毎日そこで用を足す。処理するのもうっとうしいが、糞といっしょに回りの砂利を捨てるのが、ゴミ出しの基準に合っているのかわからず不安なのと、ついでに私の感情移入症候群では、その砂利もかわいそうに思えて、何とかしなければと思った。

体験のある人ならわかるが、猫がトイレに決めた場所をあきらめさせるのは容易ではない。高い忌避剤もかなりまいてみたが、一時的な効果しかなかった。

やって来る猫たちは、皆かわいくて、栄養がいいのか丸々太っていて色つやもよく、うちの飼い猫たちよりよっぽど見てくれがいい。ときどき会うと、一応追い払うのだが、あわてもせずに、ゆうゆうと去る。

私の猫たちも以前は放し飼いにしていたから、どこかのお宅でこういう迷惑はかけていたのだろうと思いつつ、あまりに目に余るので、私はもういっそ、バリケード代わりに花を植えてしまおうと考えた。それも直接植えたのでは掘り返されるから、安物の鉢と安物の苗を山ほど買って、快適なトイレ空間ができないように配置してしまうことにした。ついでにガーデニング用の細縄を地面すれすれに張りめぐらして網状にし、更に去年、若い人が裏の崖を整地してくれた時に掘り出して積んでいた、大小さまざまの石くれを、その間に配置して、怪しげなロックガーデン風にした。

これで猫さんたちは何とかあきらめてくれたようだった。以前に衝動買いした金属のテーブルとベンチがあり、地面に植えていたアジサイの茂みもある。その横にその後真っ白い野ばらを植えたら、これもそこそこ栄えて美しい。安物の花ばかりだが、ちゃんとそれなりに彩りを見せてくれている。ただし、あまりきれいに草をとると、また猫たちが目をつけそうで、雑草もそのままだから、かなり見苦しくはある。ただ私はもともとあまり整然とした庭は好きではないので、まあこのくらいは我慢できる。

これをきっかけに、古い猫用トイレも処分しようと決心した。
ところが、かなり広い空間ではあるので、大急ぎで買いこんだ鉢を少々並べても、追っつかない。猫たちが立ち入れる場所をなくすため、あらゆる植木鉢を総動員して、あちこちに伏せてもまだ足りない。

結局、古い猫トイレを伏せておくと、そんなに見た目も悪くなく、かなりの空間がカバーできることがわかって、四個全部をそうやってあちこちに使うことにした。

ノラ猫のトイレ防止に、かつての猫トイレを使うというのも何やら皮肉な気もするが、当面こうして古い猫トイレは、処分どころか庭造りの必需品になってしまった。

ふと抱く夢

苦笑しながら毎朝私は、水まきをして、猫用トイレの上のほこりや汚れも洗い流す。
クールなようでも、ファイト満々、狩りの達人でけんかも強かったキャラメルは、去勢されたあとでも、よその猫が来ると庭に張りめぐらせた金網の天井に下から飛び上がって、片手でつめを立ててぶらさがりながら、もう片方の手でパンチをくり出して、よその猫を追っぱらっていた。(ミルクは小顔だったせいか、けんかには弱くいつも負けていたし、今いるカツジ猫はもっと弱くてカマキリにもびびる。)
そんなキャラメルが、使った猫トイレでよその猫たちを追い払っていると考えればまあいいのかと私は自分を納得させたりする。

キャラメルの墓は上の家の庭にあるが、ミルクの墓は当然まだない。いつか、もう少し庭が整えば、このあたりに墓石だけのミルクの墓を作ってもいい。その日を命日にすることになるかもしれない。
そんなしょうもない計画をいろいろと立てたりしている。(2019.7.8.)

 

 

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カツジ猫