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(88)あらゆるものには歴史がある

田舎の家に、たくさんの座布団があって、一度それでふとんでも作ろうかと思ったのだが、何度かこれまで、ふとんの打ち直しなどを頼んだ、近くの寝具店の人は、「座布団の綿はあまりよくないので、同じ座布団ならいいが、ふとんにはしない方がいい」と忠告した。あいにく座布団の方は新しいのもかなりたくさんあったので、あきらめて、そのままにして、二十枚近い座布団は、田舎の物置にずっと重ねておいていた。

この春四月から新生活を始める若い人に、クッションや枕のたぐいは、かなり押しつけてさしあげてしまったのだが、紺色と赤の巨大座布団が各一枚、もしかしたらもう一枚ぐらいあって、真ん中に「寿」の字が染めこんであり、これはさしあげるわけにも行かない。案外、喜んでもらえたかもしれないが。

昔は老人が少なかったのか、自治体にも余裕があったのか、喜寿だの米寿だのの時には、こんな立派な座布団を、地方自治体が贈ってくれた。いつからか、それが紅白のまんじゅうや弁当に変わり、ついにはほとんどなくなった。
祖父母と、豊かだった地方自治体の古きよき時代をしのぶために、この巨大座布団はそのままにしておくことにして、花模様の大きなカバーを作ってもらって、かぶせていた。

ともあれ、若い人に押しつけて、座布団やクッションはかなり減ったので、私はまた、田舎の物置の古い座布団再生計画を考えはじめた。そんなある日、草むしりをしていたら庭先に車がとまって、元気そうなおじいさんが現れ、ふとんの打ち直しをしないかと言う。

私がいつも行く、近所のふとん屋さんの親戚で、少し離れた町の人だった。古い座布団を作り直して、大きさもたとえば、長い座卓に合わせた、ソファのような長方形なのも作ってくれるという。
そういう飛び込みセールスは基本的に私は遠慮するのだが、そのおじいさんには、どこやら老舗ならではの品のよさと、のんきさがあった。ワゴン車で広範囲を回って客を獲得する積極性と、どこやら微妙なたよりなさと、変形でも作れるというプロっぽさと、いろいろそぐわないものが入り混じっているのも面白かった。

田舎から古い座布団を持って来る、カバーはいらない、新しい布地は私が選んで持ってくる、などの取り決めをした後も、昨今のふとん屋稼業について、おじさんは私と長話をした。若い人を雇っても、労働がきついと言ってすぐやめると嘆き、奥さんパートに来なさらんですかと私のことをスカウトにかかった。私はおじさんのお眼鏡にかなったのが誇らしかったが、もちろんそれは遠慮して、数日後、田舎から何種類かの座布団を車で運んで来た。昔から家にあったものや、叔母が持ってきたものや、それぞれの布地が田舎の家のいろんな時代を思い出させた。

一方で、前から考えていたのだが、新しい布地は思い切りぶっ飛んでやろうと、福岡のお洒落なビルの中にある、マリメッコの店を襲撃した。ここの布地は丈夫で模様もカッコいいが、私の感覚では目の玉が飛び出るほど高い。幸い、端切れがセールスになっていて、山積みになっているのをひっかき回し、座布団だかクッションだかの模様によさそうな、適当に地味で、適当に風変わりなものを十枚ほどゲットした。割安でも、けっこうな値段だったが、幼いころからいっしょにすごした座布団たちをよみがえらせるのだから、このくらいの散財は覚悟していた。

やがてまた、おじさんだかおじいさんだかは、ワゴン車に乗って現れた。座布団と布地を見せて注文を確認していると、おじさんは、布を破って綿を確認し、数種類ある座布団の一つは戦後のまじりものの多いくず綿で、座布団にするしかないが、あとの二つは昔ながらの大変いい綿だから、掛け布団と敷きパッドのセットが二組作れるからそうした方がいいと勧めた。

こうして書いていると、何だか悪徳セールスの常套手段のようだが、田舎の母が、そういう業者にだまされまくっていたのと何度も対決し、私自身も毎日と言っていいほど数しれず、その手の売りこみを撃退していた経験から、私はこれはそういうのとはちがうと何となくわかった。おじさんの説明は、長くこの商売を本当にして来た人にしかない詳しさがあり、古きよき時代の、どことはなしのいいかげんさも逆に信頼できた。
家に入れてベッドも見せて大きさも測ってもらい、今まで持っていなかった、大きなサイズの掛けぶとんを作ってもらうことにして、座布団の方は、サイズがいろいろのマリメッコの布を、とにかく、その通りの大きさで、サイズはちぐはくになってもいいから作ってくれるように頼んだ。おじさんは何だか危なっかしく、でもていねいに、細かい数字や色を書きつけて、座布団をワゴンに積んで去って行った。

そしてそれっきり連絡がない。月末には持ってくるという話だったが、翌月の半ばをすぎてもそのままである。
自分でもおかしいほどに、私はまるっきりあわてなかった。何となく、そうなりそうな気がしていたし、最後はちゃんと仕事をして来てくれるだろうとも思っていた。
ただ、時間が立ちすぎると、あのメモをなくしたり、いろんな指示を忘れてしまって、とんでもないものが出来てくる可能性もあるぞと少し思ったが、まあそれはそれでも面白い気がした。何だか私は昔の田舎で、母や祖父母がやっていた、大ざっぱでのんきな仕事のまかせ方をつい思い出して、そのペースになってしまっていたらしい。

二ヶ月が過ぎようとしていたころだったか、携帯に使い慣れていない人らしい、何だか支離滅裂な留守電が入り、やがて電話がつながると、あのふとん屋さんだった。座布団だけできたから、先に持って行く、お金はふとんが出来てからでいいとのことで、待っていると、注文通りに仕上がった座布団が届いた。なかなかにうっとりするほど、イメージ通りの仕上がりだった。「面白い布地だと、他のお客さんにも評判で、こんなのはどこに売ってるのかと聞かれた」と言うので、私は「ちょっと値段が高いけど、端切れの安売りをする時もあるから」と言って、マリメッコの名前と場所を教えた。

それからまた、しばらくして、ふとんも来た。大きいが軽くて扱いやすい。綿が余るからと、クロゼットの狭い寝台用の小さいふとんを二枚作ってもらっていたのも、よくできていた。ただし、私が布見本を見てほれこんで注文した、青と白のユリの模様の生地は、まちがて別のものになっていた。どうも、その布地は廃盤になってた気がすると、おじさんは言い、もしまだあったら作り直しますと約束したので、私はとりあえずお金を払った。

まちがえて作られた生地もそう悪くはないし、このままでもいいかと思っていたら、おじさんから電話があり、やっぱりあの生地はもうないとのこと。このくらいのミスで終わったのは上々と私は機嫌がよかったので、あのままでいいですよと返事した。おじさんは、それでは申し訳ないから、お金を少し返すと言い張り、その内行きますと言ったが、まだ現れない。

ちなみに、それからしばらくして、九条の会などで、いっしょに活動しているしっかり者の女性が、注文とちがうと誰かに電話しているので、もしやと思って聞いてみたら、あのふとん屋さんだった。結局少し高いものについたし、いつもの店に頼めばよかったと彼女は悔やんでいた。私の方は、あの有能で、市役所との交渉のときなどは、水も漏らさぬ議論で相手を追いつめる彼女が、私と同じように、うっかりあのワゴン車のおじいさんに説得されていたことが妙におかしく、あのふと信頼してしまう雰囲気はやっぱり誰にでも通用するのかと納得した。

生まれ変わったふかふかの座布団を家のあちこちにおいて、快適に使いながら、私は同じように見えた、田舎の家の座布団が、綿の種類がいろいろで、その時代の歴史も反映していたことに軽い驚きとかすかな感動を感じている。
多分、叔母が持って来た、一番立派そうでお客さん用にしていた一組が、ぼろな綿だったのも、少し衝撃だった。
リフォームしなければわからないままだった、そういうことの数々を教えてくれた、あのふとん屋のおじさんに、私はやっぱり感謝している。(2019.7.31.)

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カツジ猫