(91)板坂文書
十数年の年月をかけて、叔母のマンションと田舎の家、最終的にそこからわが家に集まってきた荷物の片づけに忙殺されていて、それでも、食器、洋服、雑貨などなど、ようやくある程度はトンネルの出口が見えてきて(まだそこかい)、井戸に石を投げこんだら、底に届く音がかすかに聞こえたような気も時にはするようになって来て(だから、まだそこかい)、次第に本とか資料とか書類とか、もう見なかったことにしていた最大の山にも、少しは目を向けられる状態にはなった。
そういう時に一番迷って行きづまってしまうのは、私が仮に「板坂文書」と名づけている、祖父母や親戚の何代にもわたる日記や手紙のたぐいである。
日記はもともと捨てる気はない。アルバムも一応保存しておくことにしている。叔母の家計簿もまあ日記代わりと考えれば、捨てないことにしようと思う。また、祖父が南京から家族や居留者たちを率いて生命からがら引き上げてきた前後の記録など、明らかに歴史資料として価値がありそうなものもあり、このへんもとっておくしかないだろう。
問題は、叔父や叔母が小中学校のころに書いた手習いの習字がどっさりあることだ。あきらかに捨てても問題ないのだが、何かに使えないかと迷いが生じる。
母の平和運動や選挙活動の時のチラシなども、母の息づかいが伝わるだけでなく、地方の市民運動のなまなましい手触りがあって、将来貴重になりそうでもある。
国文学関係の資料調査をしていると、お城や神社や地方の素封家の蔵書を拝見し整理する機会も多かった。そこでときどき大先生たちから教わったのは、大きな立派な本や叢書は、どこでも大事にとっておくから、資料的価値も古本としての商品価値も、必ずしも高くはないということだった。逆に片々たる地方出版とか、読んだらすぐに捨てられる子ども向けの幼稚な本などは、稀少価値ゆえに莫大な価格になったりするのだそうだ。それを聞いてからというもの、しょうもない漫画の月刊誌や週刊誌も、案外こんなのが将来高くなるんだろうなあと、あさましい思いで見る癖がついた。
そういうことを思うにつけ、今捨てていいと思えるものこそが、将来は手に入りにくくなるんだろうなと思ってしまって捨てにくい。
ややこしいのでは、誰かが書いて叔母や母に渡したらしい、手書きの借用証。これがけっこう残っている。また身近な人に頼まれたらしい、結婚相手の調査をした探偵社からの報告。これも破棄した方がいいに決まっているが、後にこの時代を知る資料としては役立ちそうでもある。
家族親族の手紙やハガキもバカにならない量だ。亡くなった人たちのを読んでみると、微笑ましいものや事務的なものが大半だが、中には自殺の決意を親に書きつづったものだの、穏やかでない内容も多く、こういうのを私の手で永遠に葬り去るのは、それなりの決意を要する。
自分のやりとりした手紙などは、けっこう派手に処分しているし、何の未練もないのだが、家族やご先祖様のものは何やら託されているような気がして、かえってここで断ち切るのがエネルギーを要するのだ。
せめて、何かの基準があれば、一気に処分もできそうなんだけど。
そんなことを考えている時、例によって、またとんでもないアイディアがわいた。
雑貨のたぐいをおおむね整理したと言っても、微妙に迷ってしまうものもやはり多かった。とっさに決断できないものは、文庫本整理用のプラスティック箱を昔たくさん買いこんでいたのに、とりあえず詰めて重ねている。その中で、ばかばかしいが、どことなく面白く、でも普通の人にあげてもしょうがないような、ちょっとしたものがいろいろあった。たとえば映画「カンフー・パンダ」のクリアファイルとか、「トランスフォーマー」にはまった時に買いあさったロボット型のイヤリングとか、「エロイカより愛をこめて」のペンケースとか、昔の小さいスカーフとか、叔母の化粧ケープとか、小さいはさみとか、ハート型のカード立てとか、昔のデパートの風呂敷とか、つげの櫛とか、キーホルダーとか、上等の爪切り、クジラの骨の耳かき、などなど、がらくたのようで、小ぎれいな小物の数々だ。
そこそこ高価なアクセサリーとかは、きちんと誰かに渡すとして、こういう、しょうもないものは、何の価値もないけれど、何だか昔の人の荷物の中から出てきたら、面白いのじゃないだろうか。今の私がそうであるように、顔も知らない昔の家族が使ったと思うと、何となくいろんなことを考えて気分転換するための刺激剤になりそうである。
それで思ったのは、膨大な手紙や書類の中から、無作為にいくつかを選んで、これらの小物とセットにして、いくつかの箱に入れて、私がまだ会ったことのない、あるいは会うこともないだろう、未来の板坂家の人たちに残すことにしておいたら、それ以外のものを捨ててしまってもいいと思えるきっかけになりそうということだった。
この場合、大事なのは、本当に高価な、価値のあるものではだめだということだ。それこそ争いや不和のもとになりかねない。大したものではないもの、ばかばかしくて、捨ててもかまわないもの、錆びたり割れたりしないもの、でも、もらったらちょっと嬉しい、グリコのおまけ(古いな)や景品程度のものでなくてはならない。親族のそれこそ高校生や中学生のような人たちに、一箱ずつ渡してもかまわない。封書やハガキ、バースデーカード、クリスマスカード、ある年の手帳、日記帳なども入れていい。
これはなかなか面白そうだと思ったが、さて次は、ではどんな箱に入れるかが問題になる。
最初は、昔いくつか買ったことのある、つるつるした表面がきれいなバラの花模様の箱や、いっそクールなブリキの缶や、すきとおったプラスティックの書類箱や、いろんなものを考えた。でも、せっかくなら、ちょっともったいぶった感じのものが逆に面白そうな気がして、桐の箱とか漆塗りので、手頃なのはないかネットで探してみた。
桐の箱もあるにはあったが、それよりも驚いたのは、けっこう昔ながらの立派な漆の文箱が、安いものでは二千円台で、たくさん売られていることだった(お店によって、多分同じものでも、数千円の差があったりする)。描かれている模様も、古風なようで、現代風なスマートさを取り入れていて、お洒落である。
昔、先輩の結婚式の引出物に、小さめの漆の文箱をいただいたことがある。また、それもかなり昔、歌舞伎の梅玉さんかどなたかの襲名披露に売られていた大きめの漆の箱を記念に衝動買いしたことがある。
どちらもまだちゃんと持ってはいるが、特に大切に手入れしているわけでもない。それでも別に古びも汚れもしないまま、最初のかたちを保っていて、漆もつやつや黒々光っている。
あれだって、どちらも超高級品ではなかったわけだし、だったらこのネットの商品でも大丈夫かなと思い、思い切って三つほど注文してみた。
そもそも、何個作るかも決めなければならなかった。親族の家族を考えて、数代あとには、どのくらいの人数になるかはわからないが、三個では少ないし、十個では多いし、まあその中間ぐらいだろう。そして、漆箱の中に「思い出箱」と文字が入っているのがあったので、これを真似しようと、「思い出箱 板坂」と書き入れてもらうことにした。
一、二、三、と番号をつけると、結局いくつあったのかわからなくなる。天地人とかいろんな組み合わせを考えてみたが、結局、母が昔、私に歌うように「スイキンチカモクドテンカイメイ~♪」と暗記させてくれた、惑星の名前をつけることにして、ということは、九ついるということだなと、追加で六個を注文した。
追加の六個には、蓋の裏や本体の底に、説明文もつけてもらった。
「これは、板坂家の昔の人たちが、使ったり、作ったり、
書いたり、読んだりしたものです。
ながめて、さわって、楽しんで下さい。
好きなものがあれば、使って下さい。
新しく入れたいものがあれば、加えて下さい。」
そして、日付と、私の名を入れた。
これだけ入れても、文字入れはそんなに費用はかからなかった。一件二千円ぐらいだったかしら。
次々届く文箱は、皆それぞれに魅力的だった。ネットでいっしょに並べて売られている中には、数万円や数十万円のものもある。それと実物を比べていないからわからないが、二千円程度のものでも、決して安っぽい感じはしない。伝統をきちんと守りつつも、むしろ気軽に買える品ならではの、若々しい元気さのようなものがあふれていて、手抜きやこけおどしのけばけばしさは、みじんもないのが嬉しかった。友人知人に見せびらかしても、皆、驚きつつ感心してくれた。これは人にプレゼントするのにいい、と私たちは言い合った。実際にその後私は、親しい方の退職祝いに、同じ漆の文箱の、少しだけ高価なものに、お祝いのことばを入れて贈ったりした。
ところが、最初に注文した三つには、説明文が入っていない。巻物や色紙にして入れようか、薄い板に書いて入れようかなどといろいろ考えたが、結局、説明文を入れたものを新しく買い直すことにした。
そもそも、漆の箱などネットで買うのは初めてだから、「板蓋」とか「合口」とかいう用語さえ何のことだか最初はわからなかった。蓋と本体が、きっちりかみ合う「合口」が一番手がかかって少し高くもなるのだが、私は、かっぽり蓋がかぶさるものの方が好きだったので、この機会に、そちらにそろえた。
余った三つをどうしようかと困ったが、知り合いの数人に相談したら、私の名前が入っていてもかまわないと、二つ返事で喜んでもらってくれた。ありがたかったが、それであらためて気づいたのは、別に板坂家の後代の人でなくても、まったくの赤の他人にあげたっていいのだよなということだ。一つの時代を切り取った、思い出のつまった箱として。未来に残すタイムカプセルとして。
鶴、高野槇、桜、鉄仙、小さい虹色の梅の花。それぞれの箱の模様は特徴があって楽しい。黒い表面が光りすぎて、写真を撮ると鏡のようにいろんな周囲のものが写りこんでしまって、いまひとつきれいに見えないのが残念だが、実物はもっとずっと見事だ。
それぞれ、箱のどこかには、説明文と、「思い出箱 水 板坂」の文字が入れてある。「水」の部分には、「金」「地」「火」「木」「土」「天」「海」「冥」の九文字が、それぞれ入る。
バカみたいですよねえ? 誰が聞いても、あきれるか笑うだろう。
もっとも友人や知人たちは、けっこうわかって、面白がってくれた。
「そうやって、選ばれて、その箱に入れられることで、何でもないものが特別なものになるんですよね」と言った人もいる。
私はしばしば、学生たちに、文学全集や、歴史や、辞書について語る。あるいは日記や紀行について語る。
人間の歴史に起こったこと、それぞれの時代に生まれた文学、ことがらやことば、また一日の体験や、旅中の見聞は、すべてを残すことはとてもできないほど膨大だ。コンピューターを駆使する現代や未来が、記録や保存の容量を画期的に増大させたとしても、人間の寿命が延びない限り、一人の一生で見られるものは限られていて、結局はその中から何かを選んで残して行くしかない。それは個人の記憶や思い出もそうだ。とどめられるよりは、消されるものの方が、いつだって、はるかに多い。
何が残す価値があるかという選択は、どんなに工夫し考慮しても、完全に正しいことはあり得ないだろう。偶然に選ばれ、残される場合の方がきっと多い。
それでも、私たちのひとりひとりは、誰もがささやかに、自分だけの選択ができる機会を持っている。それを誰かがうけとめるか、うけつぐか、その可能性もまた決して高くはないが、そうやって選択したものを、結婚式のブーケのように、後代の誰かに向かって投げることはできる。
九つの思い出箱は、結局すべて、私の死後は、ごみとして焼却処分されるかもしれない。それでも、たとえば八犬伝や水滸伝の主人公たちや、子どものころに好きだった童話「五つのえんどうまめ」の豆たちのように、同じ何かにつながれたものたちが、広い世界に旅立って、それぞれの持たされたものを、どこかで誰かに伝えていくかもしれない、という、はかなくも途方もない夢を見ることができただけでも、私は充分幸せである。
店舗から大切に送られてきた紙箱に入れたまま、私は九つの箱を、二階に上がる階段の横の小部屋にある棚に並べて置いている。ときどき、入れたい小物や手紙をそのどれかに少しずつ入れて見ては、そうすることで、それ以外のものを手放し処分する力を蓄えようとしている。
あせる気はない。あくまでも、じわじわと、ゆっくりと。(2019.8.5.)