かいぬしは、ぼくの、へんがおがすき(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
かいぬしは、さいきん、ぼくのへんなかおを、ひとにみせて、よろこんでいます。
このまえは、わかいひとに、「ほら、うちのねこ」といって、このしゃしんをみせて、
「えっ」と、おどろかれていました。
たぶん、ぼくのかわいいしゃしんや、かっこいいしゃしんをみせて、
「かわいいですね」「りっぱですね」「たかかったでしょう」とかいわれて、
「みためだけは、いいんですよ」とか、
「ただの、ざっしゅの、のらねこで、まよいこんできただけです」とかいうのに、
あきてきたんだと、おもいます。
かいぬしは、このまえ、「はにわ」のてんらんかいにいきました。
「うまや、しかや、うしや、とりが、かわいかったよ。
でも、いぬや、ねこは、いなかったなあ。どうしてかねえ」といっていました。
そのあとで、ねっとでしらべて、
「いぬのはにわは、あるらしいね。ねこは、もともと、いなかったみたいよ」
と、いっていました。
「そういえば、かりのときの『たかじょう』のはにわは、あったなあ」といっていました。
これは、てんじしてあるのを、かいぬしが、じぶんでさつえいしてきたのだそうです。
きょうは、かきたいことがいっぱいあって、じかんがたりないから、またあした、かくそうです。
「うみのむこうの、ばかなおっさんが、じぶんのきらいなほんを、
としょかんから、なくすといってるらしいよ。よも、すえだねえ」と、おこっていました。
そういうのが、ありすぎるから、こんやは、はやく、ねるそうです。
だから、ぼくも、いっしょに、ねることにします。
おやすみなさい。