しゃもじ
トランプ大統領は、就任第一日目でウクライナの戦争をやめさせると公言したのは、「面白半分だった」と言ったらしい。どうせそんなこととわかっているから、もはや腹も立たないが、アメリカの劣化ぶりに歯止めがかからない感じではある。うっかり運命共同体にならないように気をつけといた方がいいぞ、日本も、他国も。
どーでもいいことだが、私は岸田首相も安倍首相も、普通に生きている分には、それぞれそう気にもならずにつき合えそうな気もするが、首相の何のという権力者になったら敵としても味方としても最低で手のつけようがないと思ってる。ウクライナ侵攻が始まったころ、岸田首相が激励のしるしとかで、しゃもじを持って行った時には、ほとほと恥ずかしさと怒りで、もう憎悪しか感じなかった。
でも今、トランプ大統領の所業や話を聞いてると、少なくとも今、彼に会うには石破首相や赤澤大臣のような、一応普通の人のする普通のことではもったいなくて、あの岸田首相がしゃもじをプレゼントしたような、ピントはずれで下品で悪趣味で最低のことをしてちょうどいいのではないかと、とっさにもう思ってしまう。かけてもいいけど、トランプだったら、あのしゃもじは絶対喜ぶ。仮にトランプがウクライナ首相でゼレンスキイさんであったとしても(もはや何が何だかわからんが、わかってほしいぜ)、きっと心から大喜びする。そういう男だっちゅうの。何から何までアホらしすぎて、もうそんくらいしか言うことが見つからない。
集中講義の第一回は何とか無事に終了し、今後の見通しもそれなりについた。コロナが流行していたころ、予防をかねて、にせオンラインというかオンラインもどきというか、このホームページの一部を連絡用の掲示板にしたりして授業をしていたのだが、どうやらもう大丈夫そうなので、ふだんの授業の形式に戻した。それもあって、いろいろ気をつかったが、何とか無事に行きそうだ。
来週は連休絡みか何なのか、お休みなので、次の授業は二週間後。言っちゃ何だが、輝くような目もくらみそうな休日期間が足もとから未来に向かって延びている(何と大げさな)。
それで、るんるんしていたものだから、今日はだらだら過ごしてしまった。というか、庭の手入れかパソコン作業か授業の資料をかついで回ったせいか、その全部が合体したか、いつもの腰の痛さが移動して、背中と脇腹が突っ張って痛いせいで、つい、くさくさして、だらけてしまう。
でも、この二週間何をしようかと思っただけで、わくわくするのを止められない。実は授業の成績評価のレポートで、課題の一つに「自分で黄表紙を作ってみる」をあげている。もう何十年前かの授業で一度やって、案外傑作が出来て来たので、そんなに過酷な課題じゃないはずだし、もちろん別のテーマも選べるし。
で、その以前に学生たちが作った黄表紙、とっておいたはずなので、今回の学生にも見せようと思っていたら、例によって書庫が伏魔殿のようになっていて、どこにあるのかまったくわからない。次の授業までに、これを発見して、ついでに書庫を片づけることが出来たら万々歳なのだがと、これも楽しみの一つ(苦しみかもしれないが、もうわからん)である。何しろ昨日、ちょっとひっかきまわしただけで、ここ数年行方不明だった裁縫箱がいきなり見つかったのだからな。きっと得るものは多いはず(ほんとかね)。
授業では黄表紙の「親敵討腹鼓」も皆で読んだ。朋誠堂喜三二作で、絵は恋川春町だから、何だか大河ドラマと重なってくすぐったい。カチカチ山のうさぎに殺された狸の息子が、仇を討ちに出かける話だが、結局うさぎがかっこよくて、たぬきは冴えないのがかわいそう。八畳敷の金玉が何度も出て来て、おかしかった。春町の作品や絵は、かわいくてきれいなのに、どっか気持ちが悪いんだよなあ。森銑三先生はお好きなようだが。
朝バテて水まきをさぼったので、夕方行ってみたら、移植した柿の木がちょっと元気がないようで、培養土を少し根元にかぶせてやった。ついでにバラの鉢をいくつか手入れして、土を補充してやった。かなり元気になったようで、あちこち花が咲き出している。フリージアはもうそろそろ盛りをすぎたかな。切ってきて、飾る方がいいのかな。