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アンソロジーの醍醐味。

◇ゆうべは何だかどしゃ降りで、カツジ猫も私のそばで眠りながら、耳をぴくぴくさせていました。
今日も曇っているのでほっとしてたら、またじわっと暑くなりそう。
ゆめタウンに食べ物を買いに行きたいんだけど、またセルフレジのとこで、あのおせっかいなおばさん店員につきまとわれると思っただけで、何だか行くのがいやになる。私もヘタレだなあ。

◇ホリエモンがJアラートに起こされてぶちきれたり、小林よしのりが山尾議員をかばったり、マツコ・デラックス(彼女は前から、まっとうなことをよく言ってたけど)が山尾議員はたたかれ過ぎだと言ったり、最近はもう誰がどこにいるんだか目まぐるしい。
そう言えば毎日新聞の与良さんがコラムでいつも普通にちゃんといいことを書くんだけど、この前のはどうなんだろうな。前原さんに期待してるそうで、「まん中の政党が日本にはなくなった。安倍政権が右に寄りすぎたから、民進党が左に寄りすぎてしまった。ここはもう少しもとに戻して」とか、まるで意味わからない話を書いてる。

半分当たってるのですがね。アベたちのやってることは、もはや普通の右でも保守でも政治家でも人間でもない。無能で冷酷な狂気の集団というのが、わりと正確な表現と思う。

もともと無色とか中立とかまん中とか言う言い方ってほど意味がないものはなくて、それ言うなら公明党は中道ですよあれでも一応。そんなのは政策でも政治姿勢でもない。そのへんのありあわせのものを見回して、とりあえずまん中にいるって、かごめかごめやだるまさんころんだ並みのお遊びでしか通用しない話です。あ、ペルシャじゅうたんでも買うときの業者とのかけひきなら、それは知らん。どっちにしろ責任政党の言うようなこっちゃありません。まん中とか、普通とか。

赤と白のまん中はピンクです。しかし白が消えて、赤とピンクになったら、そのまん中は赤に近くなる。塩と砂糖をまぜた味は、甘塩と塩をまぜた味じゃない。100と0との半分は50ですが、100と50の半分は75。何の意味もないじゃありませんか。
中間とか中立とかいうことばに、まるで意味はなくて、だったら北朝鮮やアメリカとつり合いを保つためには、思いきり反対側に過激になっておかないと、話のまとまる座標軸が、強気で狂気な方に、どんどんずれこむ。政治としても戦略としても、最低に無能で単純で芸のないやりかたでしょう、それは。

◇なーんとなく、上の家の本棚から抜いてきた、猫の短編小説集二冊を手元においてます。秋に紅茶でも飲みながら読むのに似つかわしい気がして。
もう古い単行本で、きれいなカバーがついています。「おしゃべり猫のティータイム」「気ままな猫の14物語」という二冊。書庫の整理をしてるので、動物関係の本は猫好きの若い方に全部あげるようにしたのですが、この二冊だけは手放せないのは、「ティータイム」の中の「飾り窓の猫」、「14物語」の中の「ふとった猫」が、もうどうしても好きだから。何回読み直してるかわかりません。

こんなのは、もう本当に好みなんだろうなあ。他の短編と比べて、二つとも特にどうって話じゃないんですよ。それでも大好き。なぜなんだろう(笑)。

「飾り窓の猫」は、血統書付きの高級猫が迷子になって死にかけてたのを、猫のことなんか何も知らないアンティークショップの若い女性に飼われて看板猫になる話。最初に保護センターで彼女と会ったときの猫の顔、特に目の色の描写が愛猫の故キャラメルにそっくりだったのもあるけど、とにかく全体の何だかすべてうまく行く様子が、読んでいてもう幸福で幸福で。

「ふとった猫」の方はアジアの戦場で海兵隊員たちの前に現れて、一人の兵士にめちゃくちゃなつく猫の話。醜くて平凡で、生家でもどこでも目立つことなんかまるでなかったこの兵士が、猫に選ばれ好かれて夢中になるのと、その後の二人?に訪れる試練が、もう胸が砕けるほど切なくてたまらない。
私は10年ほど前までは、つかれたように映画やなんかの二次創作の小説を書いてたし、子どものころからそういうことはしてたし、本も作ったけど、ヒマがないのや余裕がないので、ここんところはやめてます。でも、この兵士と猫が、無事に戦争が終わって国に帰って、貧しいけれど幸福な暮らしをして年老いて、ひょっとしたら素敵な伴侶や家族もできて、まあできなくてもそれはそれで二人でとても幸福で、みたいな後日談は、いつもついうっとり脳内で作ってしまいそうになります。おぼろな断片的な場面で、それだけでもう充分に、とろけるような快感に包まれる。
私はもちろん男女を問わず美しい人は好きですが、この「ふとった猫」にほれこまれた、平凡な醜い兵士のことを空想していると、醜いと言われそうな顔の男性を見るたびに、あの猫がほれこんだのは、こんな人かなあと思って、すごくわくわくしてしまいます。

ふしぎだよねえ、二つとも全然どうってことない話なのに。作者も訳者も編集者も、こんなに熱烈に愛されているって、きっと知らないし予測もしてないんだろうなあ。
アンソロジーつながりで言うと、「猫の事件簿」って文庫本のミステリシリーズの中の「貴婦人の猫」っていう一冊の中の「ただでは死なない」という短編も、どうってことないのに、もう、つぼでつぼで(笑)。そんなにはまったと自分でも自覚してなくて、うっかり返さないでいいよみたいな感じで人に貸したら、何年たっても禁断症状がおさまらず、とうとう古本で買って、よだれをたらしそうな満足感でこれまた何度も読み返してます。

工事現場で同業者に殺された男が猫に生まれ変わって、復讐しようと犯人の屋敷に行ったら、相手の男は大変な猫好きで、たちまち溺愛されるペットになってしまう、という話。あっという間に終わる短い話なんですけど、これもまた、もしかしたらハッピーエンドかもしれない(ちがうってば)から、つい後日談を作ってしまいたくなる。いろんな意味で恐いから、まだやってないけど。

◇こういう好みを書いてると、私、自分以外の人類との意思の疎通や感情の共有をすっぱりあきらめてしまいたくなるのね。だって、わかってもらえるわけないやん。こんな理屈でもことばでも説明できない

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カツジ猫