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ドロシーとハーブ夫妻。

◇ゆうべは、ここ数日の疲れが出たのか、ケーキとチキンを食いすぎたのか(笑)、服を着たまま、エアコンも電灯もつけたまま、ベッドで寝てしまいました。何ともしまらないクリスマスイブです。

昨日は朝から実家にあった荷物を車から下ろし、ずっと実家のあちこちにかけていた、大江さんという画家の小さな油絵を、美尾庵の壁にかけるのに専念していました。由布院のギャラリーで10年近くかけて、ぼちぼち買っていたものですが、田舎の広い家のあちこちにかけていたので、こちらの狭い家だと、それこそどこにもかけるところがない。
小さいし、どこにかけてもいいとは思っていたのですが、ふと、もう何もかけまいと決心していた、大きな富士山の絵をおいてある上の空間にかけたら、案外いけるのではないかと思いつき、早くやって見たくて半月ほど、うずうずしていました。

やっと昨日、田舎から絵を持って来れたので、さっそく試して見たらなかなかいけます。それも、直接壁にかけようと思っていたのですが、上からつるすようにしてかけた方が面白いことも判明。けっこうな感じにしあがりました。
さっそく写真をとって、ここでも紹介しようと思ったところが、ベッドで寝ていたカツジ猫も入れこもうとしてあわてた結果、どうもフィルムの大半を、キャップをしたまま撮影した感じ。上等ですが超古いカメラなので、こういうことも起こるのです。
まあ、何枚かはとれていると思うので、その内に紹介します。

◇ただねえ、ややどころじゃなく不安なのは、この前の夜、BSで、アメリカはニューヨークの美術収集家、ドロシーとハーブ夫妻のドキュメンタリ映画を見たのですけどね、ごく普通の公務員夫妻の彼らが、現代アーティストの膨大な美術コレクションを収集し、それに埋もれて暮らしているという、微笑ましいような感動的なような、すごすぎるような、いろいろものすごく面白いし考えさせられる話だったのです。
で、いろんな感想はすべておいといて、夫妻が大きなすてきな猫や亀や魚も同居する狭いアパートの壁に、それこそもうぎっしりと、超すごいアートを飾っている様子を見ていると、もうそれって、幸福なんだか不幸なんだかもよくわからなくなるような、目まいがしそうな気分になるのですが、まあそんなこともおいといて、そういう映像見ていたら、もう、壁という壁に絵をかけすぎで、ちょっとこれどうなんかなあと思っていた自分の家なんか、まだまだあーた大丈夫という感覚になってしまったのよ。

夫妻ほどのスケールになったら、それはもう立派だけど、私程度の家と絵だったら、ほんとにひとつまちがえば、いやもうすでにそうなっているんだろうけど、ぐちゃぐちゃしすぎの、やりすぎなのです。現に、壁の絵がほとんどなくなった田舎の家が、妙にすっきりして、それなりに感じがいいもん(笑)。
なので、夫妻のアパートの映像を見た時点での今の私の感覚は、明らかに少々おかしくなってると思うのよね。まあいいか、これも運命なんでしょう(笑)。

◇それにしても、あちこちの仏壇屋でもクリスマスツリーを店頭に並べてるという、この目まいのしそうな日本の宗教界?の現状はもはやどうにもならんとは言え、少しはクリスマスらしく、キリストや貧しい人へのことに心をはせなければとか思って、DVDの「チョコレートドーナツ」を見てたんですが、映画館でも見たから今さら悲しまなくていいようなものだけど、やっぱり何べん見てもつらいなあ。かなり以前のことだというのが、まだしもちょっとは救いだけど、でもやっぱり悲しい。

この映画を映画館で見たあと、ネットか何かの感想で、最後の関係者への手紙が意地悪で感じが悪いとか書いてある感想があって、私はまあクリスマスに書くようなこっちゃないですが、その時にその感想を書いた人に対して抱いた憎しみとさげすみと嫌悪を今もまったく薄らがせていません。

◇あれだけの結果を生んだことに対して、激怒も嘆きも押し殺して事実だけを伝えた抗議は、そりゃ最高の意地悪でしょうが、された方にはそれだけのことをされる資格が十二分にありすぎです。
その人たちは強い立場にいた。勇気も決断も必要だったろうけれど、このような事態にならないように、やろうと思えばできる力をその人たちは持っていた。
なのに、怠惰や臆病や無知や不勉強から、彼らはそれを回避した。それに対して、何の罰も与えられるわけではなく、ただあの手紙をもらって、ちょっと不愉快になることが、そんなに気の毒なんですか。同情する相手を目ん玉かっぽじってよく見てから言いなさい、ふざけるんじゃないよ。

安倍首相が、公的な立場にある人が他者の悪口を言ったことを国会で指摘されたときに、「私もその程度のことはしょっちゅういろんなところで言われている」と、多分気の利いた冗談で切り返したつもりで答弁し、議員席から笑いも起こったと知ったとき、私はもう完全にこの首相を見限りました。絶対の権力を持ち、人の上に立つ人間が自分の支配下や管理下でひどいことが起こってる時、「自分も同じ目にあってます」とか言っててどうするんですか。
こわもてのことをいくら言ってたって、この人は根本的に弱い。それも優しさとはちがう、腐った意味で弱い。こういう弱さは変わらないし、治らない。人の上に立たせてはいけない。

でも、それ以上に、こういう発言や態度を許してしまう周囲も情けないし最悪です。それは「チョコレートドーナツ」でわずかな幸福も奪い取られた弱い無力な人々の怒りや抗議を「意地悪、感じが悪い」ととらえて、そういうものを向けられた強い立場の人に同情するという、すっとぼけた感覚、敏感なようでとことん鈍感な精神と同一です。

◇本当は私は、わりとずっと、そういう上に立つ立場の方にいて、時には相当理不尽な、そういう怒りや抗議も向けられてきた方ですから、そっちのつらさもわかります。でも断じて同情なんかされたくはないし、同情をかいたくもないし、それを弁明になんかしたくない。それって恥です。
そんな、ささやかな「上に立つ立場」で、ちゃんと責任取って黙ってがんばった人は、それこそ星の数ほどいくらでもいると思う。倒産した小さい工場の社長とか。普通の家庭の男女をとわず家長とか。
安部首相の発言や、さきの映画の感想などは、そういう人たちに対しても、もちろん私に対しても、ほんとは、とても失礼です。
多分、自分はそういう風な立場に立ったとき、無能や鈍感からどんなに人にひどいことをしても、意地悪(と自分が感じること)はされたくない、周囲にいたわって優しくあつかってもらいたい、と

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カツジ猫