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何が幸せかって

ライトノベルを読みまくってて、何がもう幸せかって、男性が皆せっせと料理してること。お店のシェフとかの設定も多いが、「総務課の幡上君のお弁当」「総務課の澁澤君のお弁当」なんて、ごく普通のサラリーマンが上手に作るお弁当に同僚の女性が魅入られて、おかずを分けてもらったりレシピを教えてもらったりお弁当を作ってもらったりするのが、結果としてはデートになり順風満帆なままハッピーエンドという、最高の展開だ。しかもそれが周囲の職場や日常に、何の違和感もなく認められて、溶け込んでいる。

本当に、私が「私のために戦うな」を書いた時期の、のたうちまわって苦しんでいた、現実でも架空でも、女性が料理しお茶をつぎ、男性はどかっと座ってそれを食う、の図式しかあり得なかったころのことを思うと、隔世の感どころではない。生きてる間にこんな世界を見られたことを、本当に幸せに思う。

まあ、最近でも日本の映画やドラマには、そういう古色蒼然の設定があることがあるし(映画「インシテミル」とかさ)、日常でもそうだけれど、小説だけでも、ほぼまったくそういう設定にぶつからずにすむだけでも、まるで地雷の撤去された野原をかけまわるような、空気が満ち足りた星に降り立ったような、解放感と安堵感がはんぱない。

ただ、「総務課」シリーズを読んでいて、それとは別に主人公たちがなかなか恋愛できない(「メシ友」にはなれても)状況というのは、彼らが社会人になって会社づとめする中で、仕事になれたり、こなしたりするのが、もうひたすら手いっぱいで、恋愛だの何だのに時間も気持ちも割けないことに大きな原因がある気もしてきた。これは他のライトノベルでもそうで、彼ら彼女らの仕事の忙しさは、もう個人的な感情にかまける余裕が残されていない。

少子化対策は給与を上げるのも雇用を確保するのも大切だろうが、それをクリアしたところで、この働き方がそのまま続くなら、あんまり状況は改善されないだろうと思い始めた。職場も家庭も、正しい意味で、もうちょっとヒマにならなければ、どうしようもない。特に有能な人が、ということでもあるだろうけど。

「ハワイ・ファイブ・オー」ファイナルシーズンのDVDにはまって、最近ラジオを聞いてない。しばらくぶりに見たドラマだが、そう言えばこのドラマ、なぜかどうしてか、悪役系の大物が、皆ムダにもろイケメンだったのを思い出した。最近では、アダムの恋人の父親のヤクザが、これまた、いやにきれいな顔立ちをしている。
このドラマ、脚本がいいのか何なのか、いつものメンバーが新規参入組もふくめて、妙にすぐなじんで、見ていていい感じになる。少なくとも私はそうで、ルーの太り具合もジュニアの丸顔も最近ではすっかり好もしくなって驚いている。吹き替えもいいのかな。私はアダムがわりと好きなのだが(まあ最初の恋人のコノが好きだった連鎖反応でもある)、これは最初あのどこか変なぎごちない吹き替えの口調にひっかかっていたのが始まりだったような気がするから、世の中何がどうなるかわからない。

さて今日はいよいよ節分。集中講義の成績評価を提出するなど、仕事もそれなりにこなしつつ、野良猫のたむろしている裏の枯れ草の崖に除草剤をまいて撃退し、夜は「悪い鬼は外~、いやな野良猫は来るな~、福は内~」と言いながら惜しげもなく庭中に豆をまき、余った豆を食べまくった。
私の暮らした地域では恵方巻の習慣はないので、あんまり思い入れはないのだが、コンビニで小さい450円のを一本注文してたのを買って食べた。引換券をなくしていたのだが、問題なく引き取れてほっ。ついでに節分にはイワシを食うといいと聞いていたので、夕方の買い物で、頭を落としたイワシ数尾と、いわしのハンバーグをスーパーで買って大根サラダや野菜スープといっしょに夕食にした。めったに使わないグリルでイワシを焼いたら、うまく焼けて、いわしバーグとともに超おいしく、大変ぜいたくな気分の節分ディナーだった。

さてと、明日は節分グッズを片づけて、ひなまつり体制にするか。他の仕事も山積みで何だかあせってもいるのだが、足元からひとつずつこなして行くしかない。

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カツジ猫