「インシテミル」感想、かな?(2)。
キャラママさん。
「インシテミル」、原作でもたしかにたのまれもしないのに、やたらお茶をつぐ女性はいますけど、あれは、その人の性格というか職業というか環境というかをちゃんと表現するためのものですし、まああれだけ男女がいれば、今の日本では(海外でもそうかしらんけど)まだ、ああいう人が一人ぐらいいるのは自然っちゃあ自然です。
もう一人、なんかお茶のポットがあるあたりでうろちょろしてる女性もいましたけど、それは彼女の武器だか凶器だかがお茶に入れる毒薬かもしれないという可能性があるので、これまたそんなに変じゃない。
さっき「一人ぐらいは」と書いたけど、まあ今の日本じゃもっといるかもしれなくて、でも、それがそんなにめだたないように、いてもおかしくないように、作者はさりげなく配慮してる感じもした。原作では。
そもそも原作では、食事に使った食器などを洗ったりする必要はありません。どっかに入れとけばひとりでになくなって、食事のたびに新しいのが出てくる。だからそういう飲食関係の家事としては、ぎりぎりお茶を入れるという作業があるだけです。
それを映画じゃ、のっけから最初の食事後に、いきなり台所で女性二人がまるで橋田須賀子のドラマの嫁姑もどきに、せっせと皿洗いしてる。まあ、その二人はさっき言った二人だから、しょうがないかと思っていたら、その後も他の女性すべてが水仕事をすることが前提となっている動作や行動を男性女性全員がやっている。ほとんどの男性は、そもそも台所に近づこうともしていない。
こういう状況って今はもうあんまりないけど(あ、相当あるのかな)、昔は映像でも現実でも日常で、それにどれだけイライラムカムカさせられたかを思い出すと、もうそれだけでどわっと疲れてしまうのよね。
映画はいろいろ原作とはちがうんで、この状況もなんかの伏線かと思ってたけど、別にそうでもなさそうだし。
第一、複数の人間が集まって殺し合いをするかもしれない状況で、食器や飲食物の管理を女性だけにまかせて、水仕事に何の関心も示さない男性たちのセキュリティ感覚も異常でしょうが。そもそも男性たちに毒薬の武器はないんだなということも、かなりの確率でわかってしまうかもしれないし。
まあ伏線というなら、最後に近く、女性の一人が料理までしはじめて、それを男性の一人が「これが最高の幸福だ」みたいなことをジョークでもなく言ってかみしめてるみたいだから、あー、この映画の制作者も登場人物も、女性が朝飯うやうやしくかいがいしく作って持ってきて、自分は他の家事もしなきゃ稼ぎもしなきゃその他の何のサービスもしない(何せ、テレビも新聞もないからね。男がどわっと座って飯を待ってる様子が、過度にめだってしまうってこともある)という状況が、ジョークでも逆説でもなく、マジで至福の時なのねという価値観までもわかってしまうわけだけど。
それを意識して確信犯でやってるならまだしも、まるで気づいてなくてやってるんじゃないかと思うのよね。現実にも気づかないやつはまるで気づかないように。発想の貧困、感覚の鈍麻としか言いようがない。
とか言ってたら、相当長くなりそうだから、不本意だけど二つにわけるわ。あー、もう、こんな映画に、腹がたつけどしかたがない(笑)。