先制攻撃(笑)
13日の金曜日だからって言うのでもないが、今日はもう早め早めに仕事を片づけようかと思う。でもどうなるかわからない。
上の家で仏壇に線香を毎朝上げる。私は田中角栄のことは今の自民党のおおかたの政治家と比べるとはるかにましとは思うものの、別にひいきにはしていない。でも彼の屋敷が燃えてしまったのは(ずいぶん前のことですが)、もしかしたら仏壇の火かもしれないということで、ちょっとショックだった。いずれは、いつかは、私も仏壇にろうそくや線香を上げるのは控えて、電気のにせろうそくでも上げることになるかなあ、その前にバテるかなあなどと、ふと思い巡らしたりした。
で、ろうそくと線香が燃え尽きるまで、ここもまた散らかり尽くしている小さい仏間(にしている小部屋)を、ちびちび片づけたりしている。ここにおいてあるソファと椅子とテーブルは、昔田舎の実家の応接間にあった、ぼろい古いもので、でもしっかりしてはいる。自分が買ったおしゃれなソファセットは人にさしあげてしまって、今残っている家具は、ほとんど私が死ねば廃棄される古いものばかりだ。時にはそこに座って本を読む。短い時間なので、気軽な短編集が多い。
前回、『黒猫を飼いはじめた』では、唯一好きだった「神の両側で猫を飼う」の作者似鳥鶏の他の文庫本も今ちびちびと読んでいる。テンポのよさやスマートさは米澤穂信の学園ものにも似ているが、もっとからりとしていて、湿っぽさや陰りが少ない。その分深みがないかもしれないが、男女関係などは、私はこちらが好みかしれない。ただまあ時々、それはどうなのというような壮大過ぎるトリックはあったりするけど、まあそれは目くじらたてるほどではない。
猫ものが特に好きというのでもないが、それに続いて『猫で窒息したい人に贈る25のショートストーリー』というのを読みあげた。表紙に「猫がひどい目にあう話はひとつもございません」という断り書きがあって、なるほどいい配慮だと笑ったが、よく見ると「猫が」に傍点があって、もう一度笑った。
『黒猫』もそうだったが、こういう短編集では好みの作品はあっても一つぐらいと覚悟してる。この本でも結局大いに気に入ったのは「冷たい階段で眠る猫」だった。亡くなった祖母の家で残された猫を飼う若者の話だが、おしゃれでクールで自分をあまり見せなかった祖母の思い出と、平然とえらそうにしている猫と、若者の三人?が、それぞれに、そっけないようで冷たいようで、とても優しくて強くてさりげなく思いやりや暖かさがあるのが、ものすごく似たものどうしで、いとしくてカッコいい。あまりにもさらっとしか描かれないから、そのことに読者が気づかないほどで、それがまた心憎い。深い愛や信頼は、見せびらかさず堂々としていて、からりとさわやかなのがよくわかる。作者は浅瀬彰という人で文庫本が一冊しかない。さしあたり注文しといた。
東京都議選が始まったようだ。立派な樹木をどさどさ切り倒すなどをはじめとして、今の都知事は好きじゃないので、できるだけちゃんとした野党が増えてほしい。れいわや社民党にもがんばってほしいが、さしあたり共産党は全員当選してくれないと困る。そして万博と兵庫県知事と統一教会の件を思うと、維新と参政党にだけは絶対に投票してほしくない。
そう言えば武器の見本市で、共産党の取材を断ったとか聞いたが、いったい何を考えてるんでしょうかね。それだけでもう、怪しいセールスってことが伝わるよ。
写真は仏間もどきの小部屋に飾った新しいバラ。そこはかとなく周囲が散らかってるのはお見逃しを。奥に見えてるのが例の古いソファ(張り直してます)。右下にちらと見えるのは『猫で窒息』の文庫本ですね。
ところで朝ドラ「あんぱん」、少し前ですが、嵩が入隊直後のころ、「軍人勅諭を暗記しとけ」と言われたその後、靴磨きを言いつけられた場面を、華丸大吉の華丸さんが「覚えろと言っといて靴磨きなんか言いつけたら、覚える時間がないじゃない」と同情して怒ってたのがものすごくおかしくて楽しかったです。もうそういう、あまりにも今風にまともな不満や異和感を何の不思議もなく吐露できる今の時代のありがたさがが、ほんとに胸にしみました。