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困ったね

昨日買った白いトルコ桔梗、きれいなんだけど、ちょっとめりはりをつけたくなって、今日はエリンジウムを一本だけ買って来て加えてみた。悪くないけど、もう一本あってもよかったかな。

グラジオラスが、あれっきりなかなか咲かない。つぼみも見えない。これはちょっと、あてがはずれた。でも、終わりかけの散る寸前のバラを熱波の中から救い出して、添えてみたら、これはこれでよくなった。何だか、我流の生け花をしてるみたいで、自分で笑っちゃう。

ところで、江戸の黄表紙「江戸生艶気樺焼」つながりで、オースティンの「高慢と偏見」にちょっとはまり、新訳を読んだあとで、古い訳の岩波文庫も読み始めたのだが、なんとこっちの方が断然読みやすくて面白い。もちろん新訳で一度読んだ直後だから、だいたい話がわかってるってのも大きいが、何より新訳を読んでいて一番疲れて気に触ったのが、誰も彼もをミスタ・ベネット、ミセス・ベネット、ミス・ビングリー、ミスタ・ビングリーとしか書かないことで、しかも夫婦や親族が山ほど出て来るもんだから、うっかり奥さんかご主人か妹か兄かいちいち確認しながら読まなくてはならない、そのストレスがものすごかった。

旧訳じゃ、それを「氏」だの「夫人」だのと、ひと目でわかるようにしてくれてるだけじゃなく、ちょっとまちがえそうなときにはすかさず「(ジェインのこと)」などと注をはさんでくれていて、とても読むのが楽だった。それに旧訳は古めかしいかもしれないけれど、男女や老若や身分によって、しゃべりかたや口調をけっこう変えてくれているので、それも区別がつけやすい。

新訳は、その点多分現代に受け入れられやすくしたのか、そのような区別をほとんどつけずに皆がしゃべる。だからとっさに誰の発言かわかりにくい。
 これはまあ、方針や主義主張やポリシーもあるだろうから難しい問題だが、そもそも、けっこう昔の小説でもあるのだから、明治大正昭和風のことばづかいを皆がしたって、それはそれでいいんじゃないのかなあ。今の人になじみやすくするのって、何もそういうところで、のっぺらぼうに無機質にしなくてもいいのじゃないかと思うけど。

うわっ、でもそれで思い出して、腹がたったことがある。少し前にYahooのニュースに字幕翻訳の戸田奈津子のインタビュー記事が出ていて、本文でもコメントでも賞賛と批判があいなかばしていた。この人の全盛期の字幕は忙しかったからか、もうむちゃくちゃな誤訳が多くて、相当問題になったし、映画そのものを破壊し葬りかねない間違いもあって、私は今でもこの人の名前を見ただけで寒気がする。そしてインタビューでは、それを反省するどころか、まるで批判を見ていないようにいっぱしのことを語っていて、あらためて怒りしかわかなかった。

「この人の間違った訳で殺されかけた映画の数々を決して忘れない。よくあんな仕事ができたものだ」と思わずコメントした。そういう声も多かったか、あまりコメントも増えず、あっという間にその記事は消えてしまった。賞賛してる人たちの意見で私を納得させるようなものは皆無だったが、中に、「彼女(戸田)の訳は、日本人に好まれる情緒的なもので、機械的に正確な訳より好まれたのだろう。堀口大學のフランス詩の訳のようなものだ」というようなことを書いていた人がいて、私は大変気に食わなかった。

堀口氏にしろ誰にしろ、外国詩の訳がどれほど情緒的で原作から乖離していても、大抵の場合、そこにはちゃんと努力や工夫や原作への愛がある。初歩の文法的な誤りから知識も背景も知らず知ろうという努力もしないまま、やっつけ仕事で原作を汚しまくってふみにじって、そのことを記憶しようともしていない戸田氏の仕事や精神とは、どんな意味でもいっしょにはならない。少なくとも私は戸田氏が「映画を愛する」人だとは絶対に思えないし、自分の仕事を愛する人とも思えない。人は誰でもまちがいはするし失敗もする。だが、それを消して忘れて葬り去って、嘘と虚像の上に築いた自分の功績と人生をかついで生きて死のうとする人は、私には許せないし、誰がどう評価しようと最低の人間としか思えない。

というわけでありますからして(笑)、「高慢と偏見」の旧訳は私はかなり気に入ったのですが、それでまたついでに、数冊あるこの小説の訳を全部読んでしまいたくなり、ああもう本当にそんなひまなどないというのに。

くう、またそれで思い出したけど、参院選の街頭演説が始まって、各候補の第一声をニュースがいろいろ紹介している。そこで例の参政党の第一声は「高齢者女性は子どもを産めないんです」であったそうな。あいかわらずとことんバカだが、ゴキブリを一匹見かけたら、百匹ぐらいいるとか言うから、こんな発言をさせるということは似たようなバカが相当数いるんだろうなとも思っていた。いや、ゴキブリには失礼だけども。

そうしたら、その発言が何だか参政党の公式動画では消されていて機械の故障でその部分だけ消えたのだそうな。戸田奈津子といい勝負かもしれない。まあ、こっちの方がはるかに危険だが。

ろくでもない意見を持とうが、それが私と異なる内容だろうが、それはそれでしかたがない。しかし、天下の公道でマイクにぎって公衆に呼びかけたことを、何を基準にまずいと判断したのか自分のとこの公式動画で消してしまうような人間も組織も、一人前の存在として、まともに相手にできるしろものじゃない。選挙が公示されてまだ二十四時間もたたない内に、こんなお粗末な欠陥商品ぶりが露呈するんじゃ、まったく先が思いやられる。参政党じゃないよ、私たちの先がだよ。

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カツジ猫