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士農工商

朝、目がさめたら雨が降ってた。やったあ、水まきをしないですむと思ったとたんに背中も痛いし、また二度寝して、今日も一日だらだら過ごした。やることは山ほどあるのになー。

ぼやっと朝ドラ「あんぱん」を見ていたら、ヒロインが師範学校の寮に入るために家を離れる場面で、家族も使用人も皆見送ってくれてるのに、祖父だけが出て来ないで、石屋の仕事に没頭してガチゴチ石を削ってる。皆から「しょげてるんだ」と見抜かれていたが、そう言えば私が仕事や大学から田舎の家に帰省して戻るとき、いつからか祖父が見送りに出て来なくなり、一度探しに行ったら、離れの自分の部屋の廊下の籐椅子に座っていて、別れを告げても、あまり返事もしなかった。あー、つらくて出て来れないんじゃないかしらと思い当たったのは、ずっと後になってからで、ひたすらに切なかった。それを思い出した。私も若くて不器用だったから、さりげない別れをするだけで、ハグのひとつもしてやらなかったもんなあ。

そして主人公の嵩くん、子役のときにもその憂いに満ちた目にインパクトがあったけど、大人役になってからも、無言で憂鬱な目をするのがうまいなあ。今の時代に通じるものでもあるけれど、それ以上に何だか古めかしい昭和時代の繊細で誇り高い若者の、鬱屈や懊悩や、怒りが悲しみの中に重く沈んでみなぎって、あれはなかなかの演技だぞ。毎回、一見の価値がある。

昨日、トランプのことをちょっと書いたが、彼がただのアホで狂人で酔っ払いなら、まだましなのだが、欲得ずくの判断だけは冷静にできるようだから、そこがますます始末が悪い。

経営者や金持ちの中にも、ちゃんとした立派な人は古今東西いくらでもいるだろう。それはわかっているが、それでも、トランプやその取り巻きを見ていると、江戸時代の(これも実際にはそう定着も機能もしてなかったという説も最近はあるようだが、当時の文献にもそこそこ出ては来るので、まったく使われてなかったとも言えない)「士農工商」という身分制度というか差別意識というかの色分けの順位が、妙に正しく見えてくる。精神や道徳や理性を司る層がトップで、以下農業や技術者や、生産性を持つ人たちが評価され、そういう人の生み出すものを右から左に動かして利ざやをかせいで生きるのが、人間としては一番低級で価値がないという位置づけは、かなりまっとうで正しいのじゃないか。そりゃ実際には、江戸時代でも今でも農民は粗末にされ、商人はウハウハでぜいたくをしてるけど、それでも、やっぱり、人間として国民としての価値は士農工商で、信頼できるのもその順番なんじゃないかと、どっかで考えてる方が、まちがいないって気がするのよ。

ちなみにマルクスはいつだって、革命の時に一番たよりになるのは工場労働者つまり「工」で、農民はそれに次ぐが、お天気に左右されるから精神が不安定でいまいち、知識人階級はその下でもっと危なっかしいと言ってたんじゃなかったっけか。つまり、「工農士」の順番だったわけで、「商」なんて、順列の中に入ってさえない。あっそうか、商は資本家で資本主義だから、むしろ敵でなくさなきゃいけない存在だから、この順位にも入れてもらえないんだ。

とか言うのは全部私の勝手な空想で妄想で、ただのおしゃべりですが、いやもう、トランプの言い草で世界が回ってるのを見ると、つい、そんなところから考えてしまいたくなるのよ。商売とか取り引きとかいうもののすべてが、何だかいやしく醜いもののようにどこかで思えて来てしまう。逆にそれをカッコいいすばらしいと思ってしまう人たちというのも、これまた妙に皆薄っぺらで危なっかしい。少なくとも私の場合、トランプ大統領の存在は、商売や商人というものについての価値をどんどん下げて行く。これは商業関係の人たちにとっても、不本意なことなんじゃないのかなあ。

経済とか取り引きとかについて考えるのが大事なことはわかってる。私も自分の人生に関してそういうことは大事にするし、見逃したくない。でも、だからと言って、その取り引きや損得が、金に限ったものでしか考えられないのは、危険だし病気だし、脳の中心がその感覚に犯されると政治家でも指導者でも人間でも、きっともう、ろくなことにはならないぞ。

植え替えた柿の木は今ひとつしゃんとしなくて、当分お世話が必要なようだが、一応今のところは無事だ。バラもまだあちこち病んでそうだが、何とか花を咲かせ始めた。最初に咲いた一輪は、あまりにみごとで切りそびれて、そのままながめている内に、そろそろ散りそうになっている。黄色の中に小さく紅の斑点が散って、息をのむほどきれいだが、去年もこの株からこんな花が咲いたっけ。ただの黄色だったような気がするんだけど。

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カツジ猫