怪我の功名ってやつですかね
外に出るのが恐いぐらいの風が吹いている。…とか言ってたら、おひな祭りも終わってしまい、今日は風はやんだが、また寒い。
愛猫キャラメルの命日も、一応無事に終わった。
亡くなって二十五年、彼の命日には、いつも不思議に彼の毛皮のように金色の陽射しがさす、よい天気になった。雨模様の曇った日でも、彼が息を引き取った時間になると、いつも不思議と空が明るく太陽が顔を見せて、私はいつも笑った。「太陽の似合う猫」と呼ばれていただけのことはあると感心した。
今年はさすがに悪天候の雨つづきだったが、それでもやっぱり、つかの間、空は明るくなった。それに、このところバテ気味で庭の水まきが苦になっていた私にとって、この雨は、陽射しと同じくキャラメルの私への恵みと贈り物のようにも見えた。
テレビで先日、今では難しくなった「男らしさ」の定義について話していた。思えば心のどこかでいつも、キャラメルは私にとって「男らしい」頼もしい存在だった。時たま思いがけなく見せる弱さも含めて。
最初に飼ったメス猫のおゆきさんも、これまたいつも頼りになる心の支えで、死んでいなくなった時、私は何だかばかばかしいほど毎日心細かった。
そんな彼らに比べると、今のカツジはねえ…(笑)。キャラメルの倍近く生きて、そろそろおゆきさんを追い越しそうなのに、あいかわらずどこやら高校生みたいだ。いいけどね。
ずっと買ったままにしておいたコミック「大奥」を読み始めた。昔、学生に勧められて、面白くて中途までは読んでいたし、ドラマも映画も見たのだが、あらためて読み応えがあり、人がどんどん老いて死んで入れ替わるから、何だか「失われたときを求めて」を読んだときの印象を思い出す(笑)。
ちょっとびっくりしたのは、今、登場してきた平賀源内なんだけど、こんなに軽やかで明るくてはつらつと愛らしいキャラクターとは! 実はドラマでこの部分は見てたのだけど、俳優さんはうまい人だったのだろうが、何だか汚れて疲れて手垢のついた、しけたおばさんにしか見えなくて、こんなさわやかな魅力はかけらもなかった。原作読んでちょっと得をしたかもしれない。まあこれは、もしかしたら、二次元の絵とリアルな実物の映像との間の乗り越えられない壁なのかもしれないが、でもきっと探せば、あの原作のイメージにぴったりのキラキラ透明感のある清々しい俳優は見つかったと思うのだけど。
近所の家々ではいろんな梅が満開だ。うちの庭のは日陰なので、咲くのが遅くて、まだちょっとみすぼらしい。それでも今年は枝を刈り込みそこねたのが怪我の功名で、そこそこ豪勢に広がっていて、もうちょっと楽しめるかな。
トランプの仲間がゼレンスキーの発言や態度が無礼だと文句を言っているそうな。おまえらがこれまで、たかが自分たちの手柄のためになりふりかまわずプーチンのごきげんとって、当事者のウクライナを無視して来たのをこそ、無礼と言わずに何と言うんだ。あっきれはてて、ものが言えない。それも、鉱物資源が手に入りそうにない腹いせもあるんだろ。何から何まで恥知らずで欲の皮がつっぱっていて、見るに耐えない。声を聞くのもただ不愉快だ。