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映画「侍の名のもとに」感想もどき(7)

7 ここが始まりの地

学校の先生から町内会の会長まで、何かのまとめ役やリーダーになった人は、折々に自分が管理し支配する集団の前でメンバーを鼓舞する演説をしなくてはならない。
シェイクスピアの劇「ヘンリー五世」で、主人公の王が、圧倒的に優勢な敵との戦いを前にして行う「聖クリスピンの演説」は、あまりにも有名だが、映画の中でも、「グラディエーター」のマキシマス将軍、「マスター&コマンダー」のジャック・オーブリー艦長(ナポレオンに勝たせたいか? 賞金がほしくないか?)、「トロイ」のアキレス(俺たちは獅子だ!)とヘクトル(トロイは母だ。母を守れ!)などが、それぞれの戦いにふさわしい名演説で部下をやる気にさせている。

この映画でも、試合前の選手たちへの監督のスピーチがくり返し映される。だが上にあげたような数々の名演説とはうってかわって、毎回それは、驚くほどに穏やかで冷静だ。興奮して声を高めることは一度もなく、相手への闘志をかきたてることばもなく、選手たちを叱咤激励することもなく、国や国民やファンへの責任を口にすることもない。常に節度と暖かさを失わず、まるで教育者か母親のように彼は選手に呼びかけ続ける。

「いい選手を集めるのではなく、いいチームを作りたい」という、この映画の象徴ともなる監督のことばは、最初の段階で語られるが、最後まで彼が選手に求めるのは何よりも仲間との結束であり、チームとしての一体感である。常に、今ここにいる皆を最優先し、国やファンへの義務は持ち出さない。他者の評価や結果による責任感や優越感を刺激しないし、意識させない。あくまでも、今ここにいる一人ひとりを同じように大切にすることから、すべてが始まっていて、それを選手にも共有させようとしている。

ある意味、雑音を排除した閉ざされた空間にも見える。しかし決してそうではない。稲葉監督の姿勢は、外部からの圧力を意識することではなく、まだ目に見えない未来に向かって大きく開かれる。
彼は再三、この気持ちを、それぞれのチームに戻っても持ち続けて、と呼びかけ、日本の野球人口が減っていることをくいとめたいという、壮大な展望を示す。
国のために金メダルを、ではない。皆の期待に応えよう、でもない。ここにいるメンバーが各チームと野球界を未来に向かってふさわしいものに生まれ変わらせる原動力になろう、と監督は訴えるのだ。
内田樹『日本辺境論』が慨嘆した、「辺境の思想」は、ここにはない。この二十九人が中心であり、出発点だ、という視点を稲葉監督は提示しつづけている。それは、映画の後半になって、急速に加速し集中して描かれる。映画の焦点もまた、そこに向かってひきしぼられる。(つづく)

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カツジ猫