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母と、母の母(8)

この封筒には母と叔母の姉妹への手紙がいっしょに入っている。二人から故郷の叔父(弟)に送った小包を、叔父が学校から帰るまで開けないでいた(あたりまえかも知れないが、そこも立派だよね)、その前後に書いたので、続きものになったらしい。
「おべん」は前にも出た、今も名物の地元の渋柿。

キャンデーだのコーヒーだのがさらさら書かれているのも、少女のころ外国人宣教師のつきそいをし、長崎の活水に学び、英語も読み書きできた祖母ならではだろう。しかもそれを私の知る後半生数十年にはまったく封印して、おくびにも出さなかったし態度にもまったくうかがわせなかったのが、すごいっちゃあすごい。

私は叔父の板坂元が数多いエッセイで、ともすれば幼少年のころの洋風でおしゃれな食生活をいろいろ書くのを、何だか面映ゆくて、鼻につく人もいるのじゃないかと心配で、お尻がむずむずしたりすることもあったのだが、こういう手紙を読んでると、叔父にとってはあれは別にひけらかしとかでも何でもなく、単に本当に普通の昔の思い出を書いたらああなるのかなと、そこも一寸意識が変わった。ありがたいというべきかもしれない。

なお祖父(お父さん)は、羊羹をわしづかみで丸ごと一本ぺろりと食べるほどの「さすがの甘とうさん」だった。
「五年坊」はよくわからないが、この時期しばらく滞在していた親戚の子どもらしい。他にもときどきそういう子どもたちが滞在していたようだ。
「宇中」は「宇佐中学校」のこと。今でも相撲は盛んである。

わが家の周囲は一面の田んぼだった。これが冷房効果を生むのか、夏は扇風機もいらないぐらい涼しい風がいつもそよそよと家中をわたっていた。米や麦の出来も台風の結果も、だから常に目にしていた。
これを読んで思い出したが、祖父が開いていた医院で薬代の報酬は半額は保険で入るが、本人からの支払いはほとんど回収できないぐらい困難で、祖母は毎日村中を歩き回って集金につとめていた。それでも農村の生活は苦しく、集金はなかなか出来なかった。祖母がその時の一軒一軒の様子を愚痴混じりに母に逐一長々と報告するのが、そばで聞いていて私はとても面白く、そのまま克明に手紙に書いて叔母に送ってやったら、叔母から「読んで涙が出た」という祖母に同情した返事が来て、笑わせようと思って書いた私は驚いたという記憶がある。あの手紙、我ながら名作だったと思うんだけどなあ。ちょっと惜しい(笑)。

「百姓共といっしょに」豊作を喜ぶという祖母の記述は、横綱双葉山の来訪に見物に行く者がない「田舎はどうしようもない」の記述と合わせて読むと、医師の奥さまの傲慢さのように見えるかもしれないが、決してそうではないと私にはわかる。豊作で農家が豊かで医者への薬代を支払う余裕もできるということは、医師の一家の生計にとっても死活問題ではあったのだ。そこには大人気の双葉山を見たくても「三十銭でも金を出すところには行かない」当時の農村の貧しさや、薬代をもらえないとわかっていても、どんな病人にもかまわず高価な薬を処方していた祖父の精神も浮かび上がって来る。祖父の前に居たお医者さんは、差別されていた人たちは待合室に入れずに庭の石の上に座らせて待たせていたとか聞いているし、多分支払いをできない人には診察もしなかったのではないか。それも責められないと思う。今だって制度としてはそれに近いのだから。

祖父は金銭的なことにはまったく無頓着で、とりわけ医療に関しては採算をまったく考えないし、自分の体調がよほど悪くても決して診察を断らなかった。破天荒でわがままな典型的な亭主関白だったが、医師としての倫理観は徹底していて、どんな時でもゆらがなかった。だからこそ、村の人たちからは愛されていたのだろう。私が時に耳にする、患者をバカにしたり金儲けに走ったりしている医師の話に背筋が総毛立つほどの嫌悪感を抱くのも、多分そのせいなのだろう。祖父を尊敬すると言うより、あんなにはちゃめちゃで家族に迷惑かけていた祖父でさえ、医師という職業に関してはあれだけ高い意識を持っていたのに、と思うと、そういう金もうけにうつつを抜かしている医師が人間以下に思えてしまうから困る。

写真は多分、母と叔母。家の近くの道だろう。後ろに見えているのは、「としゃく」と地元で呼ばれていた脱穀後のわらの山。

今朝 元への小包届きました 帰ってからあけて見て嘸ぞかし喜ぶでしよ 一寸時間がありますから受取の手紙をかきました この間は又々画をたのんでやって世話だったでしよ 今は五年坊が居りますので共に勉強して居ります 今こちらは稲刈で萬作の為め喜んで居ります 百姓共と一處に何となく嬉しい気持がします 今年のお正月には皆がきっとよく薬價を拂ってくれるだろうと今から楽しんで居ります 時に富有柿が少し出初めたそうですが未だ味がよくないそうです 内にはあのおばあさんが甘くなった時にはちやんとかついで来ますからお母さんもゆっくりと待って居ります 先日松岡さんからもおべんが沢山送って来ましたので じくしと干柿とを沢山送ってをきました 冬のお休に□度甘くなりますでしょ
この間双葉山が来た折 宇中も試験がすんだばかりだったので皆行くことになり元も玉錦を見るのだと朝出る時入場料まで持って行ったものが夕方帰っての話に行かないとの事 何ふしたのかと聞いて見たらそこは矢張り田舎たとへ三十銭でも金を出す處には仲々行きませんね 仲間が一人も行かぬので止して遠足組に行くて折角あゝまで楽しんでたものをかわいそうにとおもって見ても仕方もないこと 田舎は何ふしやうもないね 兄さんも試験が近づきいそがしいとの便り あれからからだには何のさわりもないそうでやっと安心してます この夏の事をおもひ出せばまるで夢のやうね これから冷え出して殊に朝夕がひどいから面倒でもまめに着替へて病気せないやうに 南生子はわづらひやすいからよく注意してやって頂だい 小包をあけたら最と何か書く事があるかも知れないけど元が又かくでしょから唯々受取りの報のみ 
                        母より
  澪子様
    十一月四日

こちらは叔母宛の分。

南生子ちやん 今日は小包有がたう
まだ五年坊が居て夜も遅くまで勉强してるので毎晩お茶を出してやるので今晩は甘いコーヒーでさぞよろこぶでしょ ほんとに有がたう 元あてに小包も来てるから多分キャンデーもは入ってるとおもひますがまだ学校から帰りませんからあけないでそのまゝにしてあります さぞよろこびますでしょ 富田のお母さんまだ病気かわいそうですね でもね御父さんがあまり行かないがいゝと仰言ったのよ それでもあまりかわいそうとおもひますから今日は荒木のおばさんにくわしくかきました あのおばさんは直ぐ見舞に行きますでしょ 高田さん達は何ふしてるでしょか ほんとにかわいそうな人達ね 荒木のおばさんから返事がくるでしょ そしてモスの羽織は誰か通学生にたのんで仕立直して貰らひ成さい 調度今元ちやんが帰って来たのよ そして小包をあけて早速あのキヤンデーを食べたら甘くて甘くてお母さんは小さいのを半分食べたら沢山でした 元はその半分と又一ツ食べてましたよ 化学の参考書も写真機のサックも画も来たのでよろこんで鼻歌うたつて二階に上ったり又下りたりしてるのよ 御父さんは未だ診察間の方ですからお上りになりませんが さぞ沢山上りますでしよ こうかいてる處に又お父さんも居らしたのよ そしていきなりほうばつて一生懸命に召上がってましたがさすがの甘とうさんも一つですみましたよ あんなのはこゝらには買ふたってありはせんし ほんとに甘しかったのよ この間松岡さん方からおべんが沢山来たのであなた方が冬のお休に食べるやうにと沢山干柿にし又じくし柿もしておきました 富有柿が甘く成ったらあのおばあさんが屹度持ってきてくれますので送って上げますよ 内のおいも大き過ぎる位に成ってます とても甘いの 最う少し近ければ江戸町や荒木にゴマ大豆いもなどを送りましょけどね
この間のセータきられるか知らん 袖付の處が少しきつくなかったかと案じて居ります 今が時候のかわり目で朝夕の冷え方がひどいから面倒くさくてもよく着がへて風引かぬやうに用心し成さいよね 兄さんもすっかり達者になって試験準備をしてるそうです 兄さんは一人で小さい時からひどい病気ばかりするのでかわいそうだとおもって居ます 内はこの頃それはそれは平和に暮らして居ますから何も心配せんやうに 今年はお米がよく出来てますので正月には薬代もよく集るだろうと楽しんで居ります 柿を送る時には虫薬を入れてをきましよ 澪子姉さんのは元が帰らない時に書いたので小包をあけてからの事は書いてありませんから一寸よませて頂だいね 
受取の手紙のみです 
                               母より
 南生子様
 十一月四日夕

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カツジ猫