母と、母の母(4)
長崎の活水女学院に行っていた母と叔母の二人の娘に祖母が送った手紙を、ひきつづき紹介する。
少し季節はずれだが、叔母(南生子)の命日が過ぎたばかりなので、「じくし(熟柿)」が好きだったらしい彼女のことが出てくる手紙にした。「おべん」とは、今も豊後高田市に伝わる名物の渋柿。
母と叔母がいた下宿(吉村さん宅)を出なくてはならなくなったらしく、その心配(祖母も活水で学んだ最も初期の学生で、神近市子さんや中山マサさんといっしょに勉强したらしい。リンクした神近さんの記事の写真には祖母も写っているのかも)や、柿を送る件や、お手伝いさんや看護婦さんなどの使用人についての問題など盛り沢山な内容。多分病院の看護師やお手伝いさんが数人いたのだろう。祖母が批判している人にも、そちらにはそれなりの事情がきっとあったのだと思う。
元は板坂元。末っ子で、この時は学生で祖父母と同居していたか。金さんは前にも書いた家族同然の使用人。祖母に同感して祖父に怒っているのがおかしい。
この写真はその当時のものではないだろうけど、実家の庭になったのをとってきた、数年前の柿です。
少し寒くなりました 二人共かわりないでしょ 元も本が送って来てゑらひよろこんで居ります 廿三日にも中津に行ってまた本を買って来ました 誕生日にお父さんからお金を貰ったので早速です 下宿の事心配してますでしょ どこの内でもよその家庭は色々ですからやはり寄宿の方がよくはないの ことわられて見れば居るわけにも行かずね 寄宿もいゝ点ばかりはないけどもいやなところも修養の一ツとおもつて辛抱した方がいゝことないかとおもふのよ 御父さんも一生懸命心配成すってゝ矢張り寄宿の方が一番いゝと仰言ってます 植田先生あなた方に何とかおっしゃったじゃないの 内には未だ何とも返事がいってこないのよ 人間は衣食住が云々と直ぐいふが何ふしてあなた方の住の問題はこふごたつくのでしょか お母さんは十年一日の如く寄宿で過しましたよ 勿論その間色々と雨風が吹きあたれるやうに問題もおこりましたが強く立って切りぬけました 後もわづか一年と少しですからね 江戸町からも今日その事で手紙が来たから吉村からことわられたかわりにお母さんの意見もうんと云ってやってをいたのよ あのおばさんなんか分らないでしょ それからね 柿は吉村に送ってあなた方には送りませんでしたが今年は値がたかくそれに梅崎中佐に送ったりしてたりなかったのも一ツの理由だけどお父さんはあまりたかいし子供達には辛抱して貰らへってね お母さんは御父のお心が不思議 大人などより子供が菓子や果物は甘しく食べるのに それでお母さんが金さんにとんで行ってこふこふだから先生にひみつで一貫目買って来なさいといったら金さんも大変おこってほんとに内の先生は少しちがってると云ってました お母さんが必らず送りますから待ってゝ頂だい そのかわり受取りの手紙などやらぬことですよ それに昨廿三日松岡さんがおべんを持って来たのよ それはそのまゝじっとしてをけば じくしになりますから南生子がじくしは大好きでしたから共に送ります 松岡さんも又来てくれるやうになりましたのでお母さんも大助りです そのかわりミッチをかへします 本人がかへしてくれといってやったのでしょ 母親からかへしてくれとまるで狂人のやうにいって来ますからお母さんもいやになりましたので今度は松岡をこっちに使ひます 今度松岡をよぶやうにしたのもお母さんの考へて考へてこっそりさい工したのよ 處がお父さん何も知らないで居らして一人で大よろこび そして身体さへよければ明日からでも来いと云って上きげん お母さんも松岡も面喰らったのよ 仕事上手の働き手の松岡とお母さんとでやります 松岡もよろこんで私はいつもいつも先生や奥さんの夢を見てねごとまで云ってよく内の者に笑われましたとよ あのやうに骨身惜しまず一生懸命に働く松岡を何ふして御父さんおきらひなさったでしょか でも今は松岡は決して悪るい人間じやない 人は好過ぎる位だと仰言ってます 時々御父さんのはかわりますからね でも松岡の件は一切ひみつです 元とは相談して上手に取り計らひなさいと元も力を貸してくれましたのよ ミッチもあの通りの人間 とても勉强など出来ませんから今の内に返すのが一番いゝでしょ それによその親は辛抱しなさいと云ふのにあの母親は自分から返せと電報二本も打ったりまるできちがひですから子供もつまりません でも今は却って帰って貰らった方がいゝやうになりました 唯古賀が困るでしょ 松岡とあわないからね
来月の今頃は帰ってますね 今年は兄さんも年内にかへりますでしょ そして皆で南生子の学校も今度はきめてやらねばなりませんでしょからあなた方が帰るのを待って居ります 吉村の方には何かお礼もしなくてはなりませんでしょからお母さんから送りますから先づ三十円上げてをきます では二人共大事にして
母より
澪子
南生子 様(消印は12.11.24.昭和12年か)