黄表紙を粗製乱造中
うーん、もうめっちゃ暑い。
寝坊して、朝の水まきをしそこねた。家の中はエアコンつけて快適だし、食べ物は冷蔵庫にたっぷりはいっているし、申し分ない環境だけど、その分、熱波の中の花や木たちが、どうなっているのか生き延びているのか、わからないので、やきもきする。ノアの方舟の中で、洪水の世界を思いやっている心境だ。(ウクライナに家族を残して日本に避難してる方々の気持ちにたとえるのは、あまりにも失礼すぎてできない。)猫のカツジはこの快適な家の中で、のほほんと寝こけている。今朝は刺し身を切らしていたから、ひさしぶりにチュールを与えたら、ぺろりと食べあげて、もうないのかという顔をしていた。
寝坊したが朝ドラ「あんぱん」は見た。中国での紙芝居などを使った現地の人の宣撫工作は、文学でも映画でもあまり描かれたことはなかったから、ちょっと興味深く見た。でも、その後でYahooの感想で、「感動して号泣した」とか書いてる人がいたようなのは、何だかどこがどうしてそうなるのかわからなくて、こう言っちゃなんだが、すごく気味が悪かった。
「あんぱん」のいいところは、こういう局面の何がいいのか誰が悪いか、ことの本質は何なのかをすごくあいまいにぼやかして、わけわからなくするところだ。軍部や古参兵や現地人が単純な悪者ではなく、敵でもなく、わりきれない中に現実が展開する。実際がきっとこうだったのだろうとも思う。もっと苛酷な面はあったかもしれないが。
だいたい、そもそも、大陸が舞台で中国への侵略が題材になって来た時点で、このドラマは今や南京大虐殺だの慰安婦問題だのと、現代の最先端の微妙でひりひりする問題の数々が、ぎっしりつまった火薬庫に踏み込んでいるようなものだ。それをこれまでの描写でとことん煮えきらず割り切れず瞬発力がなくて動きが遅いと伏線をはりまくっている主人公の嵩の、ある意味鈍い、ただヒューマニズムだけを血肉に埋め込んでいるようなキャラで、のほほんじわりと、なんだか間延びしたような日常に落とし込んで、深刻にせず白黒つけず、じんわり伝えてくれている。それを軍隊生活も日本軍の戦争犯罪もあまり知らない若い世代が、ぼうっとながめて受け入れて行く構図は、ひやひやするけど、とてもうまく行っている。
だから、型にはまった感動や激情や反感を既成概念やお仕着せのことばや枠にあてはめようとすると、変にずっこけたりまちがったり見当違いなことになる。あの紙芝居の場面だって分析すればものすごい複雑な要素が重なり合い入り混じっていて、でもそれが現実でわりきれないままうけとめていくしかないんだろうと思う。なまぬるいし、まだるいし、でもこれでいいんだろう、これしかないんだろう。
まあそれにしても、何日もヒロインがまったく登場せず、兵士たちだけの世界が描かれるのも確信犯だろうがすごすぎるし、それで視聴者から特に文句が出ないのもすごい。それから、ただの個人的感想だが、健ちゃんの「死にそうにない感」もすごいよね(笑)。私は先のことはまったく知らないが、この安心感はいったいどこから来るんだろう。
ゆうべと今朝とついやして、しょうもない黄表紙のアイディアを五つほど作って、絵もざっと描いてみました。これを仕上げて印刷する時間をどこからしぼり出そうかな。あっ、気がついたらお昼ごはんを食べそこねてた!
父の日は結局何もできなかったので、せめて玄関に父の日の花らしいヒマワリの造花を飾ってみました。今年はこれで勘弁してもらおう。