CMいろいろ
忘却バッテリーのコミック本、最新刊が手に入ったので、ネットで読んでいた分(少し前のは見られなくなる)と、ようやく話がつながった。これ、主人公たちはまだ甲子園に行く地方予選で他校としのぎを削ってる段階なので、それを思えば今のプロで活躍してる人たちなんて、よくよく幸運で有能なんだろうなと実感させられてしまう。
普通の小説の軽い読み物も読んでないわけじゃないんだけど、このごろは書店の半分近くがコミック棚になっていて、それも無理ないかと思うほど、コミック類が健闘している。猫を飼ってない友だちがたしかはまっていて、私は何となく「実際に飼ってなくて何がわかるかい」と白い目で見ていた「おじさまと猫」も、ついにずるずるはまってとうとう全巻買ってしまった。
途中から飼い主のおじさまを巡る人間模様が大きい部分を占めるようになって、あららと思ったけど、不自然じゃなくうまくシフトしてて、猫マンガと音楽マンガがいいあんばいに両立している。
そして、「忘却バッテリー」もそうだが、野球にしても音楽にしても、天才たちの葛藤や競合のすごさもさることながら、金銭的な負担がきっちり書き込まれているのもすごい。こういうのを読んでると、思わず電子書籍で発売してる「お買い物と文学」の続編を書きたくなってしかたがないが、マンガ以外の題材がいまいちそろわないんだよなあ。どうしよっか。
米の値段だが、私の周囲では高止まりのままだ。あきらめて買ってるけど、最近はテレビのCMがわりとというか妙に好きな「ネオバタ」のパンを買って来て、お菓子と食事の中間みたいに補充している。「ウソはヨクナイ」「ネオバタがあるじゃない」という、あのCMがなぜか何回聞いても苦にならなくて好きなのだ。他には買わないけど「エビデンス」をくりかえす特茶のCMもいやじゃないし(サントリーは好かんが)、「買うわ!」の女社長も好きなままだ。
一方で「いいと思います!」の車の宣伝は最初はどうってことなかったのに、くりかえして聞くほどあの女の子の声が鼻について大嫌いになったし、スマホの宣伝の教室の宣伝じゃ「強引じゃね?」と白けてみせてる女子高生の顔も声も態度も最初見たときから身震いするほどいやでいやで、今でも思わずチャンネルを変える(阿部寛は何度見ても別にいやじゃないんだけど)。変に下品な女王のCMは、ものによってはそう気にならないが、どっかもうやっぱり何かが卑しいんだよなあ、この女王。
こんなのどれも、もちろん私と反対に好きなひともいるだろうし、もう完璧に理屈じゃないし分析もできないし、そういう点ではCMって制作者も出演者も大変だよなあとつくづく思う。
そういうのとはまた少しちがうが、名画をパロったパンのCMはあいかわらず、「うまいでしょ」って感じが不愉快で嫌いだし、「ハイジ」のアニメをこともあろうに塾のCMに使ってるのも、おぞましくって身の毛がよだつ。このごろはもう本家の「ハイジ」まで嫌いになりそう。そして最近、サザエさんやちびまる子ちゃんのアニメも音楽こみでさかんにCMに使われてるのも、つくづくやめてほしいと思う。あのアニメ、二つともつい見るがそう好きでもなく、特に後者は大嫌いな方なのだが、それでもCMになってるのを見ると、何でこんなひどい目にあわなきゃならないんだろうと思ってしまう。
「赤毛のアン」は最初にどこかに応募した小説が落選したあと、親友のダイアナがその原稿をこっそりベーキングパウダーの宣伝用の小説に応募して当選し、ダイアナを傷つけまいと内心は見せないが、絶望し屈辱にあえいでのたうち回る。何でそんなに嘆くのか不思議がるギルバートに、アンは(ブルータスおまえもか!と思ったとあって、幼い私はこのセリフをここで初めて知ったのだったっけ)「自分の赤ん坊の肌に全身ベーキングパウダーの入れ墨がしてあったら、どんな気持ちになると思う?」と食ってかかる。そのことを思い出す。ハイジやちびまる子やサザエさん一家の肌に、どぎつい入れ墨がしてあるようで、本当に自分の皮膚に痛みが走る。