掲示板でのおしゃべり2004年9月


[409] そうかやっぱりまちがってるような気がしたが。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/06(Mon) 18:42

◇「シュレック2」のチャーミング王子のルパート・エヴェレット様ごめんなさい!「モーリス」なんぞと書いてしまって。同時期に大ヒットした「アナザー・カントリー」の方でしたよね。当時のあの映画の人気ってものすごかった。私はいろんな理由で「モーリス」の方が身につまされて好きだたのですが、「アナザー・カントリー」も悪くなかったです。「JUNE」などが、めちゃくちゃとりあげてましたっけ。コリン・ファースも魅力的で。

トロイ小説「守りつづけて」、そろそろ終わるんですが、うっかり口から出まかせにアンドロマケの故郷を「トロイの東」とやっちゃったばかりに(「イーリアス」とはちがうんですが、それはもうどうでもいいってことで)、「森の中の館」にしていいかどうかでばたばたしてます。話の筋からもうそうするしかないんですが、地図で確認したらトルコですがな、森なんかあるか?というわけで、トルコの旅行記や歴史の本を買い求め、まあ「3000年前だから知らんわい」の切り札出さなくても、何とかかんとか森もないことはないとわかってふうう、ほっ。黒海沿岸まで行けば楽勝であるんですが、できればもっと近くでもないことはないということだと話がより漠然となるのでありがたいものですから。
しかしまあ、この忙しいのに何が悲しくてトルコに森があるのかどうか調べなくてはならんのだ。こんなお楽しみの小説のために。まあ、「グラディエーター」小説の「街道風景」書く時はスペインの旅行記や小説を20冊以上買っちゃったからなあ。あれに比べりゃ冷静になったよ私も。それで、こういう知識って、小説書いたら忘れちゃうので、いつまでも私は物知りになれない。あーあ。


[414] らしさ、というのは、ほんとに尽きない話題です。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/09(Thu) 21:21

◇かがり かなでさん。
らしさ、リアルさというのは歴史小説に限らず文学の永遠のテーマなのかも。
私もキャラママ(板坂)も、「赤毛のアン」シリーズが好きなのですが、あの小説の中で森や湖、村の様子を読んだ時、私たちが想像しているのは、絶対にカナダの田舎ではなく、自分の家の庭や、近くの小川や森なんですね。そして、それでもいいのだと思っています。そうやって、いろんな体験やイメージもごちゃまぜになって、読んだ人それぞれが頭の中で微妙にちがう世界を再構築するのは充分に許されると私は思う。

その反対の例かもしれないけど、「チボー家の人々」の小説が今ひとつのれなかったのです、中学の頃読んでずっと。
それが、ある時、(昔のこととて)モノクロのニュース映画でフランスの街の風景を見た時、突然ぱあっと小説の中のいろんな場面がいっぺんで肌でわかった気がしました。 それまでもフランス映画や絵画や当地の写真を見てなかったわけでもなく、何かがその時私の中に醸成されてたものと結びついたのでしょう。

前にも書いたのですが、阿刀田高の「新トロイア戦記」とか、辻邦生の「背教者ユリアヌス」とかに私がどうしてものめりこめないのは、日本の時代小説の文体や匂いを私が感じてしまうからです。でも、これが辻氏の短編にはのめりこめる。森鴎外の小説でも、須賀敦子のエッセイでものめりこめる。
多分、ある種の翻訳文体、異国情緒、を私は求めてしまうのでしょう。ある「はいから」な感じとかを。それも結局自分の子どもの頃読んだ児童文学などで刷り込まれたものにすぎないのかもしれません。

それは小説のような文章とはちがって、映画などの「一目瞭然」な世界ならもっと問題が明確になるだろうとは、私はちっとも思いません(笑)。
小説の文体と同じように、映画にも映像がある。
先日、何年かぶりに「コックと泥棒、その妻と愛人」の映画を数人に見せて楽しんだのですが、この映画の監督の映像なんて、まさにダリの絵画とも似た、凄い特徴がありますよね。赤はただの赤ではないし、青もただの青ではない。
ここまでものすごくなると誰もが納得しますが、要するに(要してるかな)そのように、それぞれの監督の描き方によって語り口によって、映画にもそれぞれの世界が生まれている。

それが、自分の考える古代や中世や宇宙のイメージとくいちがうのも、それで失望するのもわかるけど、私が何だか脱力するのは、そこでいきなり時代考証がとか史実の無視とか言い切って、しかもそれを作品評価に速攻だか即効だかでつなげてしまうことなんですね。

失望したのはわかります。違和感持ったのもしかたがない。でも、それは何でなのか、どういうところでなのか、もう少しわかるように説明してほしい。自分の中でも分析してほしい。せっかく感じた感情なのに、第一自分を粗末にしてません?

私はよく年寄りが若い人を攻撃する、「言葉が貧困」「ダサい、キモい、ですべてを片づける」というのが、それこそ、決まりきった悪口に見えてあまり好きではありません。 どうせ乱雑に批判するなら、まだ「うぜえ」「ダルい」などで片づける方がいさぎよくって爽快だ、と思います。
まあ、自分も若い時はそうだったような気もしますから、それこそ年寄りのせりふなんでしょうが、自分がたまたま手にしてる、身につけた、一つか二つの物差しで、すべての作品を切り、自分の感情を表現し、しかもそれが結局はすごく型にはまった無難な意見にすぎなくて、それを「時代考証」(あの、たまたまこの言葉を右代表で使ってるだけで、別にこれが特に悪いとか、これだけが悪いとか言うんじゃありませんけど)とかいう、ちょっと偉そうな言葉使ったら皆が恐れ入るかという無意識の甘えと安心が底にある、そういう、発言するにあたっての緊張感のなさが、つまんないんですよ、すごく。

あ、「努力したから」みたいな評価をされているとは少しも読みませんでした…読めなかったと思いますよ。ご安心下さい。
ちなみに私は努力が嫌いで、努力したということには何らの価値も見出さない人間です。せめて努力したら、それを気づかせないで、見せないでほしいと願います。「こんなに一生懸命やったのに」と報酬を求めるのは、恋愛でも教育でもボランティアでも宗教活動でも政治活動でも末期症状だと思っています。あー、また敵が増えるなあ(笑)。キャラママ(板坂)は教育者だから、またちょっとちがうと思いますが。

それと、私も言い忘れたのですが、ブラッド・ピットであれ誰であれ、トップにいる人はちやほやされて、つきあう人も幸福な人が多いでしょうから、それでのぼせてバカになる人もいるでしょうが、そこそこ普通に性格いい人だったら、ますますいい人になると思うのですね。一流の人は変な人も多いけど、案外人格者が多いというのは、そういうこともあると思います。虐げられて、いじめられて、さげすまれていたら、それだけでいやな人間になることが多い。
水戸黄門みたいに肩書や身分かくして皆にさげすまれても、それは「実は私は」って余裕があるから壊れないですむけど、ほんとに落ちぶれたら、そこでなお、自分らしさを保つのは至難の技でしょう。そういう点では、トップにいる人の性格の良さというのは、疑う必要はないけれど、どんな状況でもそうかどうかはわからないとも思います。

ななななんでこう長くなるのだ。アンドロマケのことも書きたかったのですが、また今度。


[415] 仕事が進まないので、くさくさして連続書き込み。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/10(Fri) 00:35

◇ほんとは、かもめさんの「グラディエーター」サイトでお話するべき(ってほどでもないけど)内容なのですが、つまり、そちらで、映画「トロイ」のへクトル関係のお話をいろいろしてたので。ただ、ちょっとしょうもない話題もあるような気がして、こっちで書きます。過剰萎縮自己規制気味かなあ。まあそれも楽しいけど、この際。

映画「トロイ」のアンドロマケのことです。かもめさんは、この奥さんがあまりにも情けなくて夫の足をひっぱってるのがくちおしいと怒っておられて、かがり かなでさんはむしろ彼女に同情共感されていて、私はその間でふらふら、という感じでした。

しかし、感覚的には私はもうはじめから今まで、どうしても彼女は嫌いになれなくて反感も持てなくて、それはあるいはこの夫婦の俳優さんたちの演技のうまさなのかなあ、とも思っていたのですけどね。
でも考えてみると、それだけではなくて、理屈の上でも私は多分彼女を嫌いになれない理由があるんだと思う。

かもめさんが、「皆でヘクトルにすがって、彼の重荷になって」「彼女にはもっと彼を支えてほしかった」というように言われるたびに、もっともだと思いながら(ヘクトルは好きですので、こうやって彼のために怒る人を見ると理屈抜きでうれしいものですから)、でもやっぱり、うーん、どこかちがう私は、と思ってしまう、そのわけはというと。

私は彼女をパリスやプリアモスやその他の人と同じにくくれないのですね。パリスはこの際ちょっとおいといて、あれはあれでまたちがうような気もするので、あの国の連中とアンドロマケとは同じ立場じゃないと思う。どう考えても。

「彼を支える」ということは、あの国のあの状況では「国のためにしっかり戦わせる」ことでしかない。「私のことは心配しないで、あなたが死んでも子どもも自分もきっちり守りますから、さあ心おきなくお国のためにがんばってきて下さい。安心して死んで下さい」とはげますことにしかならない。

彼女だって、第一王子に嫁いで来たんだし、次期王妃でもあるからして、それが自分に要求された役割であることは知っている。だから人前ではそうふるまう。夫と同じに義務をつくし、役割を果たし、弱味は見せない。
ついでに言うと、夫が死んでも彼女は当然ちゃんと生きて子どもも守って行ける人だし(原作とはちがうことにしよう)、それを自分で知ってるし、その覚悟もあるし、夫はそれはよく知ってるし、夫にそれを知られてる(信頼されてるとも言う)ことは妻もわかってると思う。

それでも彼女が夫に「行かないで」「死なないで」「いなくなったら生きていけない」と言いつづけるのは、彼女の立場として許されるせいいっぱいの意思表示なのだと思う。「あなた一人が背負うことはない」「もっと誰かに戦わせなさい」「父親にクーデターを起こしなさい」「いっそ二人で逃げましょう」そういうことをほんとは言いたい。言ったらマクベス夫人でクレオパトラでまあそれはそれでもいいですが、彼女はそこまでは言わない。ただ、「私は納得していない」「私は悲しい」「私は生きられない」というメッセージを送りつづけるしかないのだ、と思います。

父と弟を選ぶのか、自分と子どもを選ぶのか、という選択を彼女は夫に迫らない。苦しめたくないから。でも聡明な夫だから、自分の要求を控えめにでも泣き言としてでも伝えておけば、何かよい方法を考えてくれるかもしれないという期待を持っている。
彼女は最後の最後まで、笑って夫を送り出さない。「私には納得できない。あなたを奪うこの国と、父と弟を認めない」という、あれは抵抗だと思います。
そして、そういう彼女だから、夫は彼女がこの国と心中したりのみこまれたりはしてしまわず、自分たちの子を守るだろうと信頼するのだし、自分の中のこの国や父への恨みを彼女と共有できることで、癒されて、慰められるだろうと思うのです。

あれ?どこが危ない話なのだっけ?
ああ、そうか。要するに、彼女と父親をひとくくりにしてはいけないということ、両者の間にはヘクトルをはさんで対立と亀裂があるはずだということ。少なくとも彼女の方には。
お父さまは、彼女とよりかは神官長とべったりなわけで、私は同人誌文学でどうしてどなたも、あのけっこうハンサムな神官長と王様の昔の恋を描かないのか実に不思議でなりません。その内自分が書きゃしないかと思って恐いよ、ほんとに。
あ、もう一つ、なぜどなたも書かないのかなあと思うのは、アポロン神殿のどこかに城内への抜け道があって、王族はそれを知っている、という設定で、これ書いたら随分いろいろ話がやりやすくなるのになあ、とか(笑)。ブリセイスちゃんは、他の巫女をそこから城内に逃がして、自分は間にあわなくなって一人とどまった、とするとカッコいいし、とか。

ヘクトル夫婦でどうでもいいこともう一つ書くと、ヘレンが逃げ出す前に二人で「すごいヤリを投げる戦士が」とか話してる時、背が高いヘクトルが寝台に座ってるのに、寝台が高いのかサンダルの足が宙にぶらぶら浮いて見えるのが妙にかわいらしいといつも思ってしまうのですが、私の目の錯覚なんですかね?(笑)

とっとっと、ヘレンの弁護もしたかったのですが、これはまた。明日も早いので。


[418] わあっ、もうお返事したいことがいっぱいなのですが。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/11(Sat) 21:21

◇風子さん。
いらっしゃいませー!おしゃべりしたくて死にそうです。でも今夜はどうしてもだめ、明日はもしかしたら…です。待っていて下さいませ!あ、もし、追加があればいくらでもお書きになって下さいませ。他の皆さまも。小説の感想、俳優のこと、何でもござれです(笑)。

キャラママ(板坂)のことを気づかっていただいてありがとうございます。大丈夫だと思いますよ。何ですか、「平家物語」の一の谷の合戦で平家の武将平忠度を討ち取る岡部六弥太という源氏の武士がいるんですが、キャラママが専門に研究してる江戸時代の紀行で、この人の出身地での、この人にまつわる伝説が記してあって、「実は女で、乳房があった」というのです。「いったいどうしてそんな奇妙な伝説が」と彼女長いこと首をひねってたのですが、映画「トロイ」のヘクトル(かエリック・バナか)が、胸筋がすごくて乳房に見えるって話題になってるって話を教えてやったら、「そうか、六弥太もそういうたくましい体躯の人だったってことかもしれない。それで初めて納得できる」と言ってました。が、その解釈、「注釈に書いたり授業でしゃべったりするのはまだちょっと自信がない」そうです。まあ、そんなこと言ったりしてるぐらいですから(笑)。


[419] ミーハ―ならもう私決して誰にも負けません(笑) 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/13(Mon) 22:01

◇風子さん。
遅くなりましたー!!
何から書けばいいのかわからないので、順々に書いていきますね。

「ラッセル・クロウ論」(かまいたち)、読んでいただき、ありがとうございました。あんな長いもの、ほんとにありがたく恐縮しています。書いた時はいろいろあってもう夢中で書いたのですが、あれ以後ラッセルは結婚して子どもができて(そうしたら人間落ち着いたの、まともになったの、普通の人間だったのという感じでとらえ直しはじめるマスコミにもこれはこれでまた何やらムカムカはしますが)、あの当時ほどの攻撃はされなくなったけれど、それこそブラッド・ピットであれオーランド・ブルームであれ、マスコミが適当にレッテルはって攻撃する俳優さんは今後もたくさんいるのだろうと思うと何だかやりきれないです。
一番つらくていやなのは、ファンが気づかずにその片棒をかつがされてしまう場合があることで、これはもう実に救いがないと思う。 恋愛がらみのニュースなど特にそうですね。そして、最終的に結婚してしまうと、今まで悪口言っていたファンの人も認めて支持しはじめるのも、微笑ましいと笑えばいいことではあるのですけど、自分や近しい人たちが、周囲の人の「親身」な口出しでどれだけ苦しい恋愛をしなければならなかったかを思うと、笑えません。どうしてまったく会ったことも話したこともない人の個人的なことに、それだけ自信を持って発言できるのか、大げさに言うと、精神的な頽廃をさえ感じます。
…って、うわあー、今夜も最初から何かもう、アガメムノンの戦車みたいに飛ばしてるなあ私、破滅に向かってさ(笑)。

実は昨日、「トロイ」をまた見てきたのです。それも、文化会館みたいなとこで、最近は日曜と言えどもどんな突発予定が入るかわからないので、三回上映の前売り券のいつのを買ったら大丈夫か迷ったあげくに三回分とも買ったのです(笑)。そうしたら、珍しく予定が何も入らず、しょうがないからあさましく9:00と13:00と16:00からと、三回連続で全部見てしまいました。とても人には言えません(言ってるけど、こんなとこで)。
それでですねー、もう私きっとかれこれ30回は見てると思うんですがこの映画(騒ぐことはない、「グラディエーター」は多分100回超えてるから)、最初から「ひょっとしてそうかな?」と思いつつ確信持てなかったことを昨日もう完璧に確信しましたね。ブラッド・ピットはめちゃくちゃうまい(笑)。
そんなこと今わかったのかと各方面からはったおされそうですが、でも今まで「はまってる」「がんばってる」「意外にいい」とは思っても、「最高にうまい」「誰もこれはやれまい」とまでは思わなかった。昨日はそう思いました。三回も観たから疲れて頭が煮えたんだろと言われるのはわかってますが、でもそうじゃないです。

でもこの人ほんとに損してますね。きれいだ、カッコいいというのがまず目につくから、ほめる人もそうしか言えない、そう言えばすむから、後を言ってくれない。まあもう言わなくてもいいんですが、見ればわかるのだから。
でも、だから、ほめる人までが、ただのミーハ―、面食い、筋肉フェチのバカみたいに思われてしまう。まあいいですよ、それでも。私だって自分がそうだってこと否定はしないから。
でも、あの演技はすごいです。エリック・バナのへクトルもまったくほころびなく常にヘクトルなんですが、ブラッド・ピットのアキレスもまた瞬時もアキレス以外の人にならない。アキレス以外の表情もしないし、しぐさもしない。

私はこの映画でミーハ―として誰が好きかと言ったらやっぱりヘクトルだと思うんですよ。いろんな意味で。特にうれしいのは、キャラママ(板坂)と私がこの数年間ずっといろんなところで言ってきた、「どうして『非の打ち所のない優等生』の魅力を映画や小説はもっときちんと描こうとしないのだろう。暗い過去もかくしてる傷もない、骨のずいまでただの優等生という人の持つ、かわいらしさや色っぽさをどうしてわからないんだろう。それをきちんと書いたら絶対ミーハ―うけするんだのに」という不満に完璧に応えてくれたのがヘクトルなんですね。
前にも書いたけど、こんな立派な人物は誰がやっても人気が出るからバナの演技のせいじゃないなんて発言を聞くと、怒りで頭が燃えそうになります(笑)。あんな立派な人物をそれ相応の風格と実在感で生身の普通の人間であるただの俳優が演じるんですよ。こんなに難しく危険なことはない。ほんとに、成功したら、見てる人は「誰がやってもできる」と思うもんなんですね。けっ。

なので、ヘクトルはどれだけほめてもほめすぎではないのですが、しかし同様にアキレスもすごい。どうして皆もっとほめないんでしょう。風子さんが言っておられる通り、これはアキレスの映画です。それを支えてゆらがない演技をブラッド・ピットはやっている。柔軟に、軽やかに、自然に。
もはや私に興味があるのは、何だってこれほどの演技がここまで無視されるのか、むしろ悪意や敵意で彼の演技の評価を封じこめようとする空気があるのか、この方が今すごく気になっています。私にこういうことを注目させると、ろくなことはないのは自分でもわかってるのですが。

ディカプリオなんかもそうだったけど、こういうミーハ―に人気のある俳優さんは、それだけで、玄人っぽくかまえたがる人たちからは「悪口言わなきゃバカにされる」みたいに思われるんでしょうか。
それとも、彼をほめたらヘクトルのエリック・バナの輝きが弱まるとでも思う人がいるのでしょうか。逆だと思うけどなあ、あらゆる意味で。アキレスのこの演技を評価しないと、ヘクトルの魅力も輝かないし、味わいが深くならない。

もうこうなると私あらゆる理由を考えてしまうのですね。ちょっといったん切ります。


[420] だんだん恐ろしい水域に突入してる気がするけどいいのよもう。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/13(Mon) 22:38

◇手短に、続けます。
私は同人誌文学に違和感はないけど知識はないので、果たして「トロイ」にそういう傾向のもの書く方々が熱中している度合いが、他の映画や文学と比べてどの程度強いのか特殊なのかわからない。でも、そういう傾向のサイトでしばしば言及されているように、この映画には非常にそういう要素を刺激し誘引する題材が多い。
だけども、それはしかたがない。ていうか、ちっともおかしくはない。ギリシャ神話がそうなんだから。んなこと言うなら、「ジャン・クリストフ」だって「チボー家の人々」だって「贋金つくり」だって「車輪の下」だって「トニオ・クレエゲル」だって、世界文学皆そうじゃんよ。日本文学だってもさ。

私はほんとに恐いもの知らずで言ってますし、私のこういう発言で何が起こるかわからないので恐いから、どういう考えのどういう立場の方も、皆さんそれぞれこれまでにもまして慎重にふるまっていただきたいのですが、私がこういう男女を問わず同性愛を趣味として描く傾向の文学がすごく広まる一方でそれが地下に沈んでタブーとなり、それはどっちも全然かまわないんですが、真剣に危機感感じるのは(それほど深刻でもないけど)、なんかもう、そういうのを「異常」と思って反発する人たちが、それらしい気配のものを皆排除拒絶するのがあたりまえと思ってるようなこと、拒絶される方でもそれを普通と思ってること、それもまあいいんですが、その基準で行くと、私の書く小説はもちろん、まあそれも別にいいんですが、それこそ世界の大古典名作文学も皆拒絶してしまうことになる。
「ジャン・クリストフ」の主人公なんて、生涯の親友と会ってしばらくしてから「これと恋愛とどうちがうのかしら?」と不安になり、その結果「愛し方に二つはない。真剣に愛するか、そうではないかだけ」と思って、真剣に同性の青年を愛します。これだって絶対拒絶の対象になるでしょう。そういうものを拒絶する感性と知性を養う常識が築かれていくのは、はっきり言ってごめんです。

私だって、男性どうしや女性どうしのベッドシーンが延々続く作品を寝てもさめても読みたいとは思わない。書いてる人たちだってそうでしょう。でも書きたいし読みたいし、それはこっそり隠しておきたい。それは私もそうだし大賛成です。(でも、くりかえし言うけどね、女の裸の写真や漫画やポスターが白昼堂々街中にさらされる国で隠す必要があるとも全然思いませんけど、まあ正当防衛の意味ではわかります。)
ただ、拒絶する方が何もかもそれらしいものを拒絶していいと思っていたら、世界の日本の古典文学皆読めなくなりますよ。そりゃまあ、文学は皆不健全で病気で狂気で青少年は見るべきでないという理屈も昔はあったし復活しない保障はないけどね。
こんなセンスを身につけた人が公務員になって図書館の本をチェックしたり、PTAの役員になって子どもの指導をしたりすると思ったら私はマジで恐いです。同人誌やそれに類する世界を敬遠嫌悪拒絶するのはけっこうです。そうしていただいた方がされる方もありがたいこともあるでしょう。でも、どこで線を引くのか、どこが境なのか、(ほんとはそんなもんなくて地続きなんですけどね)それなりに…ああ、もう、「勉強しとけ」なんてあらゆる意味でこんな時に使いたいことばじゃないんだけど、やっぱりそうしか言いようがない。せめて、児童文学でもいいから世界と日本の古典を読んで、どんだけ異常で病気かしかと確かめておいておくれではないか。

うう、どこが手短だよ。

それで、当面言いたいのは、「トロイ」はひょっとして、このあおりも食ってるのかなと。ちょっとか、かなりか、それもわかりませんけどね。
つまり、ギリシャ古典を忠実に再現してるだけなのに、いわゆる同人誌文学的な要素が強い作品ととられてしまって、(それを拡大歪曲して同人誌文学がそういう世界を作り上げるのは、まったく自由で、それはそれで全然かまわないんですが、もしかしたら拡大や歪曲でさえないのかもしれないんですが)映画としてまっとうに評価するのが皆、腰が引けてる、評価のしかたがわからない、何かヤバいかもしれない、ととられてしまって、きちんと見つめてもらえない、みたいなところがあるように感じる。

この次はもっと危険な話になるので、いったんまた切ります。


[421] もうこれ書いたらほんとに地雷をふむなあと思いながら。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/13(Mon) 23:57

◇書いちゃうと(笑)。
もう一つ口走ると、私何かこの「トロイ」って映画、始めから、「部分的にはいいとこもあるけど失敗した戦争映画ということで楽しもう」というように考えたがっている人がとても多い気がするんですね。
私なんかは「えー、いろんな意味で完璧に近く完成してるじゃないかよ」と思って、この傾向がまったく理解できなかったのですけど。

最初からよく嘆かれたのが「どっちに味方していいかわからない」ってことでした。これも私は「はあ?」だったのですが、自分の感覚とのずれは、時間がないから今はおいときます。
最初の頃私はこの映画を反戦映画と言ったのですが、それでごちゃごちゃ言われないために、更にごちゃごちゃ言い返しときますと、どんな映画であれ、戦争を描いて名作の映画は、どんなに娯楽作でも反戦的傾向はどこかに絶対にじむし、またその一方、どんなに反戦を主張し戦争を告発した映画でも(「西部戦線異状なし」「真空地帯」などでさえ)必ず戦争の楽しさや軍隊の魅力は描いてしまう。これは避けられない皮肉で矛盾でしょう。

それを前提として更に言いますと、戦争で「敵」を描く場合、たとえば「ロード・オブ・ザ・リング」(原作「指輪物語」でも)、「ハリー・ポッター」シリーズ(戦争物じゃないけどまあ)のように、敵となる悪は絶対の悪で妥協も融和も話し合いも許さない存在として描かれる場合がある。でもこれは、寓話の世界だから、そういう純粋な悪が存在し得るのです。それでさえ、「ドラゴンランス戦記」などでは、悪と善とは均衡を保つという図式が生まれているように、最近では流動的です。

このような絶対悪としての敵は、「ナルニアものがたり」などでもそうですし、それなりに必要だし面白くもあるのだけど、でも私はぎりぎり正直なところ、これをリアルな映像として実際の戦闘として表現する時には、ある種の哲学や美学がかなり微妙に必要ではないかと思っています。その点で「ロード・オブ・ザ・リング」がどうだったか、私はまだ判断できません。少なくとも、観た時点では私にはすんなり納得はできず、疑問に感じた部分が大きかったです。でも、これもまたにします。何だかかたっぱしから地雷ふみまくってますね。

もう一つは、敵をほとんど描かずに、それこそ天災のように姿のないものとして扱って、それと戦う味方の軍隊内部のドラマだけに焦点をしぼってしまう方法です。古くは「トップ・ガン」がそうで、キャラママ(板坂)が授業で敵(悪)の描き方についてこの映画をとりあげた時、学生の一人は「この映画の『悪』は、主人公のライバルの青年だとずっと思っていた。戦っている相手のソ連空軍は『悪』とも『敵』とも意識してなかった」とレポートに書いてキャラママをうならせました。
少し前では「ブラックホーク・ダウン」も、最近では「マスター・アンド・コマンダー」もこの系統でしょう。敵はほとんど描かれず、憎しみや大義はなく、戦いは前提として存在し、時に不条理でも日常の義務として運命としてそれに立ち向かう人たちの姿が描かれる。

「フルメタル・ジャケット」では、そのような姿の見えない恐ろしい狙撃兵が可憐な女性だったことがその死とともに確認され、「プラトーン」もまた敵の姿をある程度見せて「相手も人間」を伝えます。このような敵の描き方は当然、戦争を批判し告発するものが多い。 それぞれ観る人の好みや主義主張もあるでしょうが、どのような描き方にもそれなりの利点や魅力はあり、映画としてよくできていればそれはそれで成功でしょう。

「トロイ」の原作となった「イーリアス」はこの点、「平家物語」と非常によく似ています。敵も味方もほぼ同じ比重で描き、どちらにも感情移入しています。そもそもそういう文学で、だから当然「どちらも人間」の視点が基本にあり、「戦争は空しい、悲しい」という基調になります。それをもって反戦というならそうですが、そもそもそういう骨組みと図式を持った文学で、これを題材に選んだ時点で、もうあの厭戦気分の諸行無常の雰囲気はお約束としか言いようがない。
映画「トロイ」はいくつかの改変で、この骨格を更に強調しています。それは原作の精神といって悪ければ雰囲気をより鮮やかに拡大しているだけで、私には原作をよく理解しているからこそできた改変と思えます。

私は映画でも小説でも(人間でも?)、別の作品(人間)と比べて批評するのはあまり意味がないと考えていますが、特に「トロイ」の場合、先にあげた「絶対悪」や「顔の見えない天災悪」タイプの映画にぞっこん入れあげた人たちが、「トロイ」という映画も何とかそういう映画として理解してしまえないかと四苦八苦しているような気がしてしかたがありません。
戦闘場面や人間ドラマにそれなりの魅力は感じて捨てがたい(特に「ブラックホーク・ダウン」で名演を見せたエリック・バナがこの度も最高に魅力的に演技していることが話を一段と複雑にしている、かもしれない)、でも「敵も人間」という図式がどうしても好みじゃないし容認できない(それにも、きっといろいろな理由はあると思います。反戦思想が好かんとか、とにかく慣れてないから嫌いとか、その他いろいろ)、なので結局、これは「絶対悪」もしくは「天災悪」タイプの映画のできそこない、として楽しめないだろうか、という願いです。

映画はどう楽しもうと、それこそキリストの映画で性的に興奮しようと、ポルノ映画でボランティアにめざめようと、何をどう使おうと、それは人それぞれのまったく自由です。私自身、思想的主義主張的には絶対認められない映画を、健康促進、気分転換、その他いろいろ大いに楽しんで用いていることはいくらでもありますから。チャップリンの「独裁者」なんて、ナチスの悪役(多分ゲッペルスがモデル)を見たくて何度も映画館に行ったもんなあ。

ですが、「トロイ」は「敵も人間」タイプの描き方をする戦争映画として非常によくできた傑作なのですよ、どう考えても。これをちがうタイプの映画の失敗作として部分的に評価しようとするのは多分すごく無理がある。そういうのはやめた方が、自分の好みで部分的に評価するにしてもきっとずっとうまく行く…何だか私マスターベーションの手ほどきをしてるような気分になってきましたが(笑)。

何をたらたら書いてるかというと、この映画を「敵も人間」という戦争映画(の成功作)として認めたくない人にとって、一番いやなのは、アキレス(とブリセイス)なんですよ。敵と味方の壁を越え、憎しみと愛と許しの間を行き来する二人。この映画の描こうとしたことを最も表現している、この映画の精神そのものの二人。
徹頭徹尾、トロイの側に身をおいて戦い最後までそれに殉ずるヘクトルの生き方の美しさや悲劇は、まだ「絶対悪」「天災悪」としての敵を描く戦争映画の枠の中で理解できます。ギリシャをそういう敵として観てしまえば、そういう映画としてうけとめられる。
でも、アキレスとブリセイスの恋と悲劇は、どうしても、その枠を壊します。この二人へ、他ならぬ「トロイ」のファンがしばしば向ける激しい拒絶や憎悪や無視は、単にブラッド・ピットが嫌いとか、ローズ・バーンが趣味に合わないとかいう人も(案外同人誌文学好きな人で、ひたすら男女の恋は好かん!という人もいたりして)いるでしょうが、そういう理由もどこかにあるんだと感じます。

私は、そういう観方をしたい人の気持もわかるし、それもあっていいと思います。かつて「ウェスト・サイド物語」でベルナルドを見たいばかりに主人公二人の恋を我慢して見ていた身としては。
でも、アキレスとブリセイスの恋は、この映画の精神そのものです。くりかえしますが、どんな観方もあっていいけど、この映画を一番深く長く楽しめるのは、この二人の恋に共感し、二人を好きになれる人でしょう。それに目をそむけ続けていたら、かえって疲れて、いつかは結局この映画そのものを憎むようになるのではないかと思います。

あと、もうちょっとだけ。


[422] 時間がどんどんなくなるので、もう本当にかけ足で。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/14(Tue) 00:32

◇「イーリアス」と「平家物語」は似ているのですが、根本的にちがうのは、そして「イーリアス」が他の戦争文学と決定的にちがうのは、そもそもの戦争のきっかけとなったヘレンを始めとして、決定的な部分にぬきさしならず「女」が関与しているということです。ヘレンがもうそうなのはいうまでもなく、戦闘の勝敗の帰趨を決定的に左右するアキレスの戦闘拒否のきっかけはブリセイスという捕虜の乙女の処遇です。そのアキレスの訴えに応じて天界を動かすのは母の女神テティスです(そもそも発端となった金の林檎を投げこむのも不和の女神のエリスですが)。
映画には出ないけれど、トロイの運命を知って警告しつづけるのも、落城の時に神殿で小アイアスに犯されて、彼が天罰を受けて死ぬ運命を導くのも、アガメムノンに連れ帰られて彼が妻に殺害される原因となるのもトロイの王女カッサンドラです。アンドロマケもまた、後の伝説ではトロイ戦争の語り部のように活躍しています。やはり映画には出なかったけれど、王妃へカベーや王女ポリュクセネーの存在も重要です。
英雄たちの運命や国の運命、日常の描写にも、単なる風物詩や彩りなどの水準じゃなく、ぬきさしならず女がからんでいる。私はアガメムノンの映画での最期に驚きましたが、よく考えると原作の成り行きを象徴的に描いているとも言えなくはない。

キャラママ(板坂)の講義ノート「トロイのヘレン」にも少し書かれていますが、「イーリアス」やトロイ戦争について語るなら、何か作品を書こうと思うなら、「女をどう考えるか」をごまかしては絶対に書けません。「マスター・アンド・コマンダー」や「ブラックホーク・ダウン」や古くは「アラビアのロレンス」や「大脱走」がやったように、女性をまったく排除してしまう(私はこの形式は大好きでしたが)ことが、絶対できない文学です。監督はヘレンを登場させないバージョンを当初考えていたといいますが、たとえそうであったとしても同じことで、この伝説ほど、作者や監督(読者や観客?)の女性観を試し、あらわにし、挑戦してくる物語はありません。私やキャラママ(板坂)がこの映画を高く評価する一つの理由に女性の見方がしっかりしていることをあげるのは、どんな映画でもしっかりしていてほしいという気持もむろんありますが、それよりも、この物語をとりあげる上ではそれが欠かせないこと、そこを避けては通れないことを痛感しているからで、この題材を選んだ場合に最も困難になるその課題を監督がきちんとクリアしていることにはやはり注目しておきたいのです。

あ、最後に。
風子さん。
ラッセルはこちらの想像できないことを次々にしてくれるので、案外飛んでくれるかもしれませんが…ううむ、ブラピがマキシマスやるのと同じくらいちょっと今は想像つかない…ヘクトルもなんかちょっとちがう…ずっと若返ってならパリスは案外似合いそうな、やれそうな(笑)。


[425] 昔はもっともっとバカなことしてましたけどねえ。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/14(Tue) 19:36

◇風子さん。
私の若い頃は映画館が入れ替え制じゃなかったんですよ。なので、「椿三十郎」も「ウェスト・サイド物語」も「大脱走」も「ベン・ハー」も「アラビアのロレンス」も、朝の最初の上映から夜中の最後の終映までずうっと座りつづけて繰り返し見ていました。時々二本立てで、その間にちがう映画が入っていてもですよ。執念というものは恐ろしい。
あれはでも、映画を愛してるっていうのだろうか…ただしつっこいだけみたいな気がします、私の場合(笑)。

好きな映画や俳優にはまると、ほんとに友だちなくしますよね。Yahooの掲示板で、「グラディエーター」にはまって彼女にふられた男性が「後悔していません」と書いていたのには、笑いながらも深くうなずいてしまいました。でも、その分、何ていやなやつと思ってた人が、同じ映画や役者を好きだとわかったら、一気に好感持ちますから、差し引きまあいいのかな。

ラッセルのファンの中には「トロイ」を見ていると「グラディエーター」を見たくなる、思い出す、という方多いのですが、私はそれはまったくなくて、ただマキシマスの中にはアキレスとへクトルが両方いるなあ、と感じることはよくあります。あの激情とあの諦観。あの童心とあの清爽。
ただ私はマキシマスには、時々冷たい意地悪さを感じることがありました。私だけかもしれないけど、そこがたまらなく好きだったけど。アキレスとへクトルには、それがありませんよね。そもそも「トロイ」の登場人物は皆、こせこせした屈折や微妙にカリカリしたとこがなく、実にのん気で大らかです。
それが雑な、粗い描写と思う人もいるのでしょうが、私はこの大ざっぱさ、乱雑さが、とても神話らしいスケールの大きさに感じられるのです。変に近代人っぽい繊細さがない。そこがすごく神話の味を感じさせてくれるのが一番うれしいです。

あ、時間がない!今夜はこれで。

◇この次はヘレンとパリスの弁護をば。それと、「トロイ」コーナーには新趣向を二つほど予定。実行したら、こちらでお知らせしますね。近い内だと思います。(あんまり、あっというようなものではないので、期待ふくらませすぎないで下さい。笑)


[430] 仕事が一段落して今日こそはゆっくりできると思ったのに。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/15(Wed) 19:41

◇甘かったわー、甘かったわー。あっという間にもうこんな時間。
皆さまとつきあって、とっことんおしゃべりしたいのにっ!

◇サヤさん。
いらっしゃいませ!
暖かさって、冷たさなんですよね。いきなりもう、変なこと言いますが。「トロイ」はおっしゃるようにほんとに人間賛歌のような明るいおおらかさに満ちていますが、でもそれは個人にとっては恐ろしい悲劇を、平気ですらすら語ってしまうってことでもあるんですよねえ。
私はそこがすごく、「原作っぽい」「神話っぽい」と思いました。太宰治がシェイクスピアの「ハムレット」をパロって「新ハムレット」を書いた時、前書きか何かで、自分のはやっぱりどこかスケールが小さくてちまちましていて、明治の坪内逍遥の訳なんかは、原作にふさわしく堂々としている、ということを「足音が大きい」だったかそういうような表現をしてたのですが、何かちょっとそういう感じです。

アガメムノンのそばにいる、あのにやにやしてる士官、いい味ですよね。私もごひいきですよ。あのパトロクロスとへクトルの一騎討ちの時の回りの兵士たちもそうなんですけど、皆すごく周囲の兵士たちが、演技してますよね、ちゃんと、それなりの顔で。それがすごくおかしくて好きです。
サヤさんがおっしゃるように、アガメムノンの配下の好みはいいんですが(笑)、それも含めて、ひいきめかもしれないけど、トロイの兵士たちとギリシャの兵士たちと雰囲気がちがって見えるんです。鎧とかのせいだけじゃなく。(やっぱり、ひいき目だろうなあ。CGだったらどうしよう。笑)何かね、ギリシャの兵士たちはがさつで陽気で、トロイの兵士たちは上品でまじめに見えるんです。表情とか、しぐさとか。集団にもある程度、演技指導したのかしら。まさかとは思うけど。

でも、これは確かなのは、最初のテッサリアとギリシャの対戦の時、テッサリア勢は雑然と進んで来るけど、ギリシャ勢はおぼろげながら隊列作ってますよね?そこは少し近代的ってことなのかな?とか(笑)思って見てました。
アガメムノンとアキレスの関係は私、ものすごく好きです。テントで二人きりになった時にアキレスににまっと笑って見せるのなんかも、何なんでしょうあれ。アガメムノンはどんな時でもきちんと「この人にはこの人の人生と信念と悲しみがある」とわかる演技をしていて、ほんとに名優と思いました。
ブリセイスは最初登場した時、無声映画時代の女優さんのような感じで、ヘレンの近代的美貌に比べて時代色があるのが工夫してあるなあと思ったのです。どなたかのサイトで、女優さんたちが出すぎてないのがいいとあったのですが、ほんとにそうで、でもそれ言うなら、あのピーター・オトゥールも、あのブラッド・ピットもまるで脇役のように自分の役割に徹していたのがすごくいじらしくて好感が持てたのも、この映画が好きな一つの理由です。
まだまだお返事したいことあるのですけど、またぼちぼちと。

◇かがり かなでさん。
力入りすぎて失望とかされてませんよね?(笑)そういう心配をしてしまいたくなるほど、「トロイ」は好きな映画になっていて、自分でも困ります。
ところで、増殖しつづける私の「トロイ」ページなのですが、この掲示板でなく、その「トロイ」ページのどこかに、かがり かなでさんのサイトのトップページ(ここの掲示板で紹介されているもの)をリンクしておいてもかまわないでしょうか?一人でも多くの方に見ていただきたいので。

◇雷がごろごろ鳴ってるので、停電したら恐いので、いったんここで送ります。


[431] 書きたいよう、ヘレンとパリスのこと! 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/15(Wed) 20:37

◇風子さん。
でもこれ書き出すとまた徹夜しそうなんだわあ(笑)。

この映画の中に出てくる恋(愛)って(一応、男女のね)、へクトル夫婦、アキレスとブリセイス、ヘレンとパリス、ですよね。
アキレスとブリセイスの恋が音楽やら何やら、すごく甘くてガキっぽい型どおりの描写で、と悪口言う人も多いんですが、これもあるサイトでどなたかが「少女漫画みたいでかわいらしい」と言っておられたのに私は同感します。
この映画が描く戦争がどこかひなびてのんびりしてるのと同様、恋愛もまた、歯が浮くようで乙女チックである方が似合うんだと。

また変に大所高所からかまえちゃうのですが、だいたい戦争映画に登場する恋愛って、男が(普通はね)戦いに行くことで、ひきさかれるというパターンか、敵どうしが恋をして苦しむか、そんなもんですよね?あと何かあるっけか?
この映画では、へクトル夫婦が前者ですよね。権力の中枢にいる、戦争おこした主体の王家の人なのに、戦争にまきこまれた犠牲者みたいな顔するのは図々しいって庶民の声もあるかもしれないけど、この際無視。かがり かなでさんも指摘しておられたのではないかと思いますが、この夫婦、王子とその妃でありながら、戦争に対する姿勢や意識はまるで徴兵される一兵卒夫婦です。それをちっとも不自然に見せないのは脚本なんだか演技なんだか、あるいはもともとトロイ戦争がそうだったのか(原作の王家の人たちからしてすでに、戦おうとするへクトールを一家総出でとめてますから。「何でおまえが戦うんだー、お願いだから帰ってこいー」って。私は子どもの時読んで、こんな戦争もありだと刷り込まれてしまいましたけど、今の戦争の常識から考えるとすごく変…でもないのかな?ブッシュ大統領や小泉首相の家族は戦地に行ってないようだから…とか言ってるとまたややこしくなるからおいといて)、今ちょっと私にはわからないけれど。

で、アキレスたちの恋は後者ですよね。これは現実にもめったにないことなので、リアルに描くのは難しい。多分監督も脚本もある程度わざと、おとぎ話、少女小説風描写にしてるんだと思います。よく笑いものにされてる、焚き火のそばでブリセイスをレイプから救う時のアキレス登場の際のわざとらしい音楽なんか(私好きですけど)そうでも思わなきゃ説明できない(笑)。古めかしい昔なつかしい雰囲気をわざとねらったんだと思います。もっともその中にきちんと現代的なものを入れてるのが、これもうまいのですけどね。

で、書きながら考えたり思い出したりしようとしてるんですが(何しろ時間がないもんで。すみません)、ヘレンとパリスの恋のようなかたちで戦争に関わる恋愛って、他にありますかね? 何しろ、世界最古の文学(戦争文学)に、この話があるので、普通にありそうな気がしてしまうのですが、虚構現実とりまぜて、戦争の話に、こういうかたちで関わる恋愛が?恋愛そのものが目的で戦うというような話が?

基本的に、愛というのは戦争によって「ひきさかれる」か、「許されない」かするものであって…戦争を「起こす」ものではないんではないですかね、普通には。一般には。

何を言いたいかというと、自分でもほんとわからんのですが、ものすごくバカなことを考えはじめている気がするのですが、考えても思いっきり何にもならんことを。
つまり、そもそも、ホメロスが何でこんな話を書いたか、事実は実際どうだったかはもう知らんけど、そもそも、この、いわゆる「バカップル」の恋がですね(誰の恋でもですよ)、戦争を起こすとか戦争に関わるとか、そういうことがもう、ものすごく、ありえない、あってはならない、不自然理不尽めちゃくちゃな話で。
だから、それはそうなっちゃうこと自体がおかしいんで、神さまたちにせよ回りにせよ何にせよ、そうした人たちがおかしいんで。
こんなの、この二人のせいじゃないと思うんです、どう考えても、私。

ああもう、何を言ってるかなあ。自分でもよくわからん。

二人はただ愛し合っただけでしょ。人の妻であれ、異国の王子であれ、そんなもん、知ったことですか。恋は盲目ですよ。
それで戦争が起こって、あれだけの人が死んで、国や都が滅びて、それに匹敵するほど真剣に愛し合ったのかとか言われても、あなた。

そんなこと知るか!大きなお世話です。

あ、私いよいよ全世界を敵に回してるかもしれない(笑)。

でも、そんなので戦争が起こる方がまちがいなんですよ。アホなのは周囲で、二人ではない。
戦争や国の破壊や人々の死に匹敵するような恋や愛なんて、どうせありゃせんのです。あってたまるかそんなもん。
だから、あの二人がバカとか真剣じゃないとか不真面目だとかガキだとか、いくら言ったってそんなのやつあたりのとばっちり、見当ちがいのおかどちがい。
たかが二人の色恋沙汰で戦争した連中がバカなだけ。あの二人のせいじゃない。

だから、どうまちがっても、ゆめゆめゆめゆめあの二人の愛を、「あれだけの戦争を起こすにふさわしいものであったか」という視点や基準をちょっとでも入れて見ちゃいけない。それに値する美人かとか思ってもいけない。

うん、少しまとまってきたかな。

あの二人の恋はあほらしいです。先のこと考えてないし、何かあったらふらふらします。ほんとに世間知らずのガキです。
悪いかよ、それで。

私は、あの二人がほんとにかわいい。恋愛とはああいうもの、あれでけっこう。

ううむ。世界を敵に回したかな。

まだまだ続くのですが、ごはん食べないと死にそうなので、あとはまた明日。
ええ、皆さん。反論がおありならいくらでもどうぞ(ほ、本気かよ…)。


[435] いえ… 投稿者:かがり かなで 投稿日:2004/09/16(Thu) 12:01

失望してはおりません(笑)私も大概ヒートアップすると長いので。
そうそう、来週から東京は目黒の映画館でまたもや「トロイ」が上映されるらしいので、狂喜乱舞している人がおります。私は流石に無理。
そういえば、リンクに関しての記述をしておりませんね。リンクに関してはリンクフリーですのでどうぞご自由になさってください。
よろしいのですか?お目汚しにならなければよいのですが。

完結に(そうか?)「今の戦争の常識」と違うと言うよりは現在アナウンス(ここポイント)されている戦争の常識とは大きく違うのは確かですね。
世間的に「もっともらしい」理由がないと戦争なんてやっていけませんから。

うーん、説明が難しいけれど二人の恋愛がどれだけ本物であったとしても、その想いに戦争が対価として支払われてはならない。 二人が王族故に、トロイをのっとりたいギリシア側に戦争を起こす理由を与えてしまう可能性を考えないこと。
『彼女は僕のものだ』と叫んだり『メネラウスに挑戦する』ことで、愛の深さが周囲に理解されれば、皆が祝福してくれる、戦争は起こらない、と思っていること。
があんぽんたんなだけで、愛が深かろうが浅かろうか、美人だろうが不細工だろうが、そんなことは問題ではないですから。
オデッセウスが「王ともなれば、そう簡単にはいかない」と言うように、恋愛とは自分にも相手にもそして周囲にも責任を持つ、ということなのだなと思います。
ううこれだけを書くために、一時間も師匠とディスカッションしてしまった。いい加減語ることもないと思ったのになあ。

http://www.bmybox.com/~cinema


[436] この点については私もまるで自信がなく、 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/16(Thu) 12:36

◇もー、いきあたりばったりに書いてますので、

◇サヤさん、風子さん(まとめてごめんなさい!)
あまり私にまるめこまれず、しっかり反論なさって下さいね(笑)。

うむ、そうか、戦争と恋愛。「職場恋愛」もありましたね。「イングリッシュ・ペイシェント」もちょっとそれか。今後女性の兵士が増えると看護婦さんだけでなく、このケースは多くなるかも。

昨夜ごはん食べながら、そうか待て、アーサー王伝説も最後の戦いはアーサーの妃ギネビアと忠臣ランスロットが不倫して、王妃が火刑になりかけたのをランスロットが救い出し、そこで戦いが…だっけなーと思い出してました。たしかそうだよね?もとの伝説は。(映画「キング・アーサー」じゃなく。もちろん。)なら、それも、愛が戦争を起こしたケースなのか。わわわ、他にもあるかもしれんて。

パリスのもこれも、「不倫」なのは偶然なのかしら、と思います。つまり、王妃=人妻は夫の「持ち物」だから、財宝が奪われた、という感覚が出てくるのかしら、とか。合意の上での不倫なら本来戦争まですることじゃなかろうに、というのは、やはり女性の主体的な生き方が認められつつある現代の感覚なのかもしれません。

まあ、その辺になるとまた、地平線まで問題が広がるので、これもまたおいとくとして。
あ、でもちょっとその前に、仮に女が妃が財宝としても、財宝奪われて即戦争というケースもどうなのかなあ。江戸時代のお家騒動で「お宝の紛失」はもう定番ですが、そういう場合むしろ、隠して隠密やなんかが陰でこっそり取り戻す。全面戦争に突入したりしませんよね。
パリスの場合も、スパルタとトロイは水面下の交渉とか裏取引とかスパイ合戦とかやれないのかなあ。そこが古代か。まあいいけど。でもスパイと売春婦って、人類最古の職業だとかいいません?

まあいいわ。そこは放っておいて。

あ、ちょっと人が来たので、切ります。


[437] 「サビニの女たち」のことも思い出しちゃって。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/16(Thu) 12:43

これ、ずっと昔に子どもの頃に見た絵なんですけど、ダヴィッドという古典派の画家の。

サビニというところの女性たちが、別の国の男たちに(女性不足だったんだっけ)祭の時に掠奪されて、連れて行かれて、そこで子どもも生んで…って時に、故国の父や兄弟たちが取り返しに来て戦争が始まる。
その時に、この女たちは、子どもと自分たちを両軍の間に投げ出し、両者を和解させた、と。

子どもの時読んだ解説では、この中央に立って大きく手を広げる女性の姿の平和を願う雄雄しい美しさを賞賛していました。

今、数十年ぶりにこの絵を見ていると、みょーに胸が熱くなります。いろんな意味で。この女性たちの顔に姿に手に目に、訴えられているものが何か今、すごい迫力。

この絵は、こちらのサイトからリンクさせていただいてます。「著作権」のところもごらんになっておいて下さい。

ここでリンクさせていただいた絵は、絵の中心の部分だけで、ほんとは左右にずっと大きく広がっています。戦う(裸でね。笑)両軍の男たちの姿もいっぱい描かれてすごい迫力です。その真っ只中に子ども投げ出している女性たちの姿も。
有名な絵なので、大抵の画集には載ってるのじゃないかな。ヤフーとかで「サビニの女たち」で検索すると、いろんな話も読めますよ。10件ちょっとしかないから、見るのにも程よいし、「トロイ」関係の資料になりそうな面白そうなサイトもありました。

「女がもとで起こる戦争」にはこんなのもあったっけ、という話です。

もう一つ見つけました。これだと絵の全貌がわかるかな。

こちらのサイトからのリンクです。


[438] おっとっとと、すれちがいました。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/16(Thu) 14:09

◇かがり かなでさん。
リンクの件、ありがとうございます!

「サビニの女たち」の件で横道にそれたのですが、話を続けます。
(ああ、もうすぐ、きっと夜まで続く会議。それまでにコーヒーでも一杯飲んで置きたい。つうか何か食べねば。)

たしかに王族のスキャンダルは戦争を誘発しかねない、身を慎まねばならない、ということはありますよね。
ただ、私いつも、かのヘクトルも最後にはついていけなくなったアキレスの無茶苦茶な動きのように、変なとこから話を持っていくので、混乱させてしまいそうですが、言わないと自分でも忘れるので、こういうとこから話してみるのですが。

パリスとヘレンが「先がどうなるか予想もできず予測もしないで軽率なバカ」とののしられるたびに私、そりゃーねーよなーとか思うのですよいつも。
起こってしまったこと皆見た時点から振り返って、どーのこーの言うのは簡単よ、とか。あんただって、あの最初の時点で何かあの二人以上のこと予測できたか?最後まで見た上で「常識だろそんなのは!」って責めるなよあの二人を。それが常識みたいな気になるなよ、とか。

キャラママ(板坂)が江戸時代の最初の時のことを学生に講義する時よく、年表をたたきながら、「忘れちゃいけません。私たちは江戸時代が、平和な時代がこの先300年続くと知ってます。でも関が原の戦い直後の江戸の人たちはそんなこと知らない。この平和は十年つづくか、五年つづくか、十日後には終わるかまったくわからないでいます。そのことを忘れちゃいけない」とくりかえしてますが、それと同じような気持ち。

ああいう戦争が起こった、ああいう結末になった、そこまで見てから「当然おまえら予測できただろうが、軽率な!」とあの二人責めるのは、トランプの手札見た上でゲームしてるようなもん。卑怯よ。

すいませーん。好き勝手言うてますが、勢いつけないとこっちも勇気が出んのです(笑)。

私は自分が60年近く生きてきたこと、ちっこいながらもお粗末ながらも組織のトップに近いところでばたばた動いたこと(そういうのは、小さい組織で私ぐらいの年だと、大抵の人は体験してる)などを根拠に若い人に何か言うのはしないことにしてるんですが、でも、これはそういう実感にもとづいて言っちゃうんですけどね。
「なにーーーっ、そんなことして正気か、ああもうだめだ、すべておしまいだ、少なくとも大混乱だ、何人が詰め腹切らされることやら」と覚悟していたぐらいの、とんでもないことでも、はずみや対処や成り行きやその他まかふしぎないろんなことで、「は?嘘…」「何それ?」「ま、まさか…」と脱力するほど無事にすうううっと終わってしまうことって、けっこうあるんですよ。

もちろんそれで大騒動になる場合もあるし、一つの組織や共同体が実際崩壊することもある。でも、それと同じかもっと、「ひえええー、あれだけのことしたのに、よくもまあ無事で」と切り抜けられたケースも多い。
ヒヤリハットは何も車の運転だけじゃありません。立派な指導者はそれで心をひきしめて「この次はこうは無事にすまないかもしれない」と思い、無能な指導者はそれに甘えてどんどんずさんに気をゆるめ、ついに大失敗に至る、ということだと思います。

なので、パリスが上目づかいに「僕を愛してる?」と兄に問いかけ、何とかしてくれると期待したのは、私にはそれほど非常識には思えないのです。
まだまだ話はとめどなく続いてしまうのですが、あれで無事にすんだ可能性や選択肢はトロイの浜辺の砂の数ほど存在したと思うのですよ。
ヘクトルはあそこで「がーーーっ!」と怒ってますが、「女のために戦争なんかしたくない!」と一気に最悪の予想してますが、それが結果的にはあたるもんだから観客もそれしかないと思ってしまって、それを予想できなかったパリスが大バカもんに思うのですが、ヘクトルは超がつく悲観主義者(すぐれた指導者は皆そうで、だからブッシュや小泉さんは人間としてはいい性格でも指導者としちゃ失格以前)だから一気にあんなことまで考えるので、そうならない可能性はいっくらでもあった。あえて言うなら、その可能性をかたっぱしから消してったのはヘクトル、あんただからなあーーーって、自虐史観の好きな私としては、好きな人の悪口言うのはほんとに楽しくて♪やめられないんですが、会議が始まりそうなので、この続きはまた。は、反論等ございましたら、皆さまもうどうぞ、いくらでも(ぶるぶるぶる…武者ぶるい。笑)。


[439] いえ 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/16(Thu) 18:49

じゅうばこ様にまるめこまれたわけじゃないですよ(笑)。これまでパリスとヘレンにはあまり興味がなかったんですが 風子さまの書き込みをみて 彼らのことをつらつら思っていたときに 浮かんで感じたことそのまま [431]で、じゅうばこ様が書いてくださってる! と書き込み読んで吃驚してたんです。二人の恋があほらしいしふらふらしてるとは別に思わないですが。私は、パリスは甘っちょろい奴だけど頭は良い子派です。でも戦争と愛についての話は全く同感なのです。しかしあの意見に反対の感覚もつ人なんてあまりいないんじゃないでしょうか。

パリスについては 私自身がへたれなもので、彼がへたれな上 考えなしな奴として描かれてるってことにすら最初 気が付いていませんでした。ただ演技がすこし硬い気がしたので余り共感はできなかったんですが、前半はパリスに対して腹立ちを感じることは全くなかったです。(むしろヘクトルに対して腹たててた感じです。)もっともっとへたれで甘ったれに幸せなこだったらさらに良かったのに。
そしてメネラウスとの一騎打ちが終わったあとのパリスは、頑なで、冷静に他から距離をとって構えてるかんじで、キャラクターとしても余り好きではありませんでした。(アキレスを倒したあと、ブリセウスの側で困ったように立っているところだけは、男っぽくかっこよくもあり、人間臭さもあって可愛らしくて好きだったんですけど・・。)へレンはパリスと同じく余裕がないくせに、お姉さんぶって優しく励ましてあげるところが可愛かったです。あんなかわいらしい子二人に怒る気持ちになることって考えられないです。こっちとしては怒る理由もないし。怒れるのってトロイの逃げ惑う市民達にしてみたらそりゃ怒って当然なんだけど。
ヘクトルがやられるときにアンドロマケに駆け寄る所は、ヘレン神経太いな、と思いましたが、アンドロマケの ヘレンを完全に受け入れることも拒絶することもできない葛藤 そして寛大さとけなげさや、トロイ家族の仲良しぶりを表すのには適当な表現だったかもしれません。ヘレンはパリスだけでなく家族の皆に惚れこんだというか温かさを感じたと思います。
この映画では 二人が逃げたという事実は初めのきっかけにすぎなくて、一度動き始めたらとまらない戦争として描かれてて パリスへレン二人のもつ意味が小さい。女が原因の戦争の色合いを減らしているところは、古代色をうすめて現代風にしているなと感じます。やはり女が理由って、現代人には理解しがたい感覚だからでしょうか。

パリスとは違って、ヘクトルには自分がちゃんと引っ張っていかなきゃという自覚があるはずなんです。でも弟一人おさえることができないし、目の前にいる人間にたいして情かけちゃって、その人(ヘレン)がひどい目にあうことにつながることには手がでない。
それにアガメムノンの申し出、断ってしまう。あの話し合いを聞いてて、ああ、ついにこの人も弟切ることにしたんだ。かわいそうに弟。兄も条件のめばいいのに!と思っちゃいました。
トロイの城壁の守りは完璧だったはずなので、要求はねつけて良かったのかもしれないんですが、
その後のヘクトルの憂慮の顔見てると、彼自身は先を懸念したのにも関わらず、人々の命よりも民族の誇りをとったのかしら?それとも上層のひとたちの総意を考えずにヘクトル一人の意思で自由に取引することはできない感じだったのかー―とか、ホントに私にとってヘクトルの行動は、よく理解できないところが多かったんです。軍議でももっと自分の主張を強硬に訴えることはできなかったのか、とか。
(ヘクトルにだって自分の好きなように行動する権利あるはずなんで、彼ばかり責めるのはおかしいんですが。でも彼が他のキャラクターと違って自分の個人的要求は結構我慢してることが多くて、しかもそれが上手い方向に働いてないところが、すっきりしないのか?
それにヘクトルって一見して優秀っぽいので、見る方として要求が厳しくなるのかもしれません。)(私はこの映画の、登場人物が好き勝手に行動しているところがすごく好きなので、パリスとヘレンを戦争とむすびつけて考えるってことが苦手というか全くできないのです。)
アガメムノンの要求はねつけた責任をになうためにも、ヘクトルは国のトップの一人としてはアキレスとの戦いで命をおとしたりしちゃいけなかった。でも彼個人としては出て行かないわけにいかない。辛そうに心の準備をしようとするヘクトルを見つつ、彼を城に縛り付けてでも 誰か止めればいいのに!と周囲の人に腹がたってしかたなかったです。ヘクトルにばかり背負わせて期待だけ押し付けておいて何もしないのか、と思って。(うろ覚えですが、アンドロマケだけは一言ヘクトルをとめようとしたような気がします。それだけでもまだ救いかな)
ヘクトルに対して納得いってなかった私でしたが、アキレスのまえでの少年のような頼りなげでピュアな佇まいに、やっぱり好きだと思わされずにはいられませんでした。[(殺したのがパトロクロスでなく)君ならよかったのに!]と言うヘクトルは、もう王子としての顔は面影だけで、彼個人の悲痛さだけが伝わってきて、美しくて 子供みたいなところがあります。
傷ついているアキレスとヘクトルの二人は、とても純粋で、人間の生の美しさを凝縮して見ているような趣がありました。

パリスに関連してパトロクロスのことなんですが。元作品?では、パトロクロスってアキレスより年上?らしいのですが、パリスとの対比の意味でも 彼を年下の従兄弟設定にしてくれて本当に良かったと思います。
むしろパトロクロスがアキレスの恋人なら説得力あったのに、という意見をどこかでみかけて、そんなのより可愛がってる従兄弟設定のほうが全然心に来るのに!と思ったのですが、これは人それぞれの好みなのかな。でも恋愛が理由なら、怒ってヘクトルを殺しにいくのも頷けるという考え方には、ふに落ちないところがあって・・。人を思う気持ちの種類に優劣なんかなくて、まあやっぱり好みというところに落ち着くのか。

あと、私は普段映画をみつけない人間なので、トロイみたいにすごくシンプルな見せ方をする映画は、 親切でとっても面白く感じられたのですが、たくさんの映画を見られて 複雑な作品にも慣れてらっしゃる方には物足りなかったりしたりするのでしょうか。
それに自分に歴史その他の知識がなかったことも楽しくみられた理由の一つなのかなと思ったのですが。
でもいろいろ詳しそうな方でも トロイお好きな方 いらっしゃって、なんだか良く分からなくなってきちゃいました。
キャラクターの魅力や見せ方の上手さとか テーマとか、トロイ好きな点は一杯あるのだけど、なんで自分がこうまでこの作品を魅力的に感じるのか不思議な気持ちです。


[440] もう、パリスについて語りだすときりがないのですが。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/16(Thu) 22:42

◇サヤさん。
パトロクロスのこと、ちょっと。どこかのサイトで、ギリシャ神話だかイーリアスかのファンで、パトロクロスが好きだった人が、「でもあの映画の彼も好き」と言っておられたのを思い出します。「イーリアス」のパトロクロスもいい人で、年上って設定は私はあまり感じず、アキレスと同年輩の、優しい青年というイメージでした。映画があのような少年にしたのはほんとにうまいと感動しました。最初見た時、ヘクトル、アキレス、パリス三人はもちろん満足でしたが、ある意味それ以上にうれしかったのは、パトロクロスとオデュセウスです。幸福なくらい、予想以上のいいイメージにしてくれていて。

しかも、原作の筋を死ぬほど知っていながら、私パトロクロスがアキレスの身代わりになってることに気づかず、兜の下から彼の顔が現れた時は完全にやられた!と、それこそ兜を脱ぎました。
あれね、トロイの攻撃の前にアキレスがちょっと目をさまして耳をすませるか鼻をうごめかす(火の匂いをかぎつけた?)みたいなショットが入るんですよね。それで、「あ、アキレスは目をさまして、攻撃に気づいて、走ってきたのかな?」と見ている者が錯覚するんですよ。みえみえの手口ですけど、やっぱりうまい。

パトロクロスの死は、後半の引き続く悲劇の幕開け、将棋倒しの最初の一枚で、それを預かる俳優として彼の存在はほんとに重要だし貴重だと思います。
このシャキーンと硬質な彼の生き方の美しさがあるから、対照的なパリスの華やかさがまたひきたつ。

ところでそのパリスですが、私はそもそも彼があんまり甘えん坊にもへたれにも見えないんですね。むろんバカにも見えません。
パリスとヘクトルが愛しあっている、弟が兄に身も世もなく甘えているという空想をされている話はとても楽しくて、大喜びでそういう小説はいくらも読ませていただいてますが、私があの映画からずっと感じる印象は、パリスは兄とは別の価値観で別の生をきちんと生きている、というものです。
だからこそ、卑屈じゃないし、嫉妬も屈折もない。

あんなにすぐれた兄なのに、嫉妬も感じず、いじけもぐれもしないでいるのは、その1、めちゃくちゃ兄を愛している、その2、頭の中がお花畑の図体だけ大人の子ども、のどっちかしか解釈がないので、大抵の方はどっちかの解釈をとられるのでしょうが、私はパリスは自信がきちんとあるのだと思います。自分の生き方や能力に。
それを兄も認めていて、どこか尊敬さえしているから、守りもするのだと思う。

私はパリスに感じるのは「動物」なんですよ。「自然児」かもしれない。人間界の文明のルールは通用しない。だから、殺されそうになったら逃げる。
ヘクトルがほんとにパリスを自分の庇護下におき、保護していたら、愛していたら、彼ほどの人があんなに弟を甘やかしたりはしなかったと思うのです。そこまでヘクトルが愚かで無責任というのは、むしろ彼のイメージにはそぐわない。
おそらく彼は何か自分とは異なる資質を弟に見ていて、それは自分のような人間には理解も統御も不可能なものだと漠然と知っていたのではないでしょうか。そこがヘクトルという人の聡明さだろうと感じます。

まただんだん、人をまるめこみそうになってるので、気をつけて下さいね(笑)。

でも私、パリスとヘレンを無責任、バカ、おっちょこちょい、という先入観で見ない方がいいと思うんですよ。そりゃ思慮深いとまでは言いませんが、恋愛なんてあんなもんです。
2ちゃんねるかどっかで、どなたかが指摘されていたけど、パリスは兄に怒られると、自分で責任とろうとちゃんとしている。スパルタに戻ると言い、メネラオスと戦うと言い。
ここで兄に怒られたからと反省し、ヘレンへの愛がいいかげんだった、まちがいだったと反省したら、そういう人間は私はガキで甘ったれで、人を愛する資格もない無責任なやつだと心おきなくののしって完璧に見限ります。でもパリスは頼りにしていた兄が、助けてくれないとわかったら、自分はスパルタに戻る、戦って死ぬと言います。その後も、宮殿を出て逃げようとか、メネラオスと戦おうとか、せいいっぱいに考えて、自分の個人的な問題に家族や国をまきこむまいとしている。それはヘレンもそうで、戦死者を見て戻ろうとする。

彼らを責めるのは容易です。皆さんたんとバカになさいよ。この二人の行動は、それは笑おうと思ったらいくらでも笑えるさ。でもこの二人のその時々の必死の判断や試みは、そんなに甘くていいかげんですか?
くりかえすけど、少々のことしたって、何とかうまく話がついて、無事にすむことだって可能性としてはかなりあった。そういう実例をそれなりに二人は見てもきてるかしれない。だから、そうなる可能性に賭けていたのに、事実はどんどん、そうならない方向に行く。それには、実にいろんな要素が悪い方にかみあったので、これは脚本がほんとにうまいんですが、もうちょっとどこかがどうかしてたら、この二人の恋は見逃されて、認められて、ハッピーエンドで、それこそ孫の代には忘れられて叙事詩にも何にも残らなかったでしょう。

それで、二人はあわてる。その時々にできることを考え、探して実行する。誰にも迷惑をかけまいとする。
私が二人を好きなのは、じっとしていないことです。悲しんで泣いたりしない。やたらめったら回りの人に相談や打ち明け話もしない。お互いどうしでさえ甘えない。心中も自殺もしない。するふりもしない。どうしたら自分たちの恋を成就させ、そして皆に迷惑をかけないですむか、必死に考え、自分の胸に苦しみをかくして、できる行動を見つけようとする。
よく笑えるよね、こんな二人を。バカにできるよね、自分はもっと賢いことが何かできるかのように。

あ、いかん。だんだん本気になってきてるわ私(笑)。

こうなりゃ言ってしまいますが、例の船の上でのヘクトルの「おまえは戦いも愛も知らない」のお説教もね、いいかげん私は頭に来るんだよね。まあ、言いたくなる気持はわかるけど、あれを言うのは反則だろう。よくもパリスがあれで怒らずぐっとこらえて冷静に対応したと私は思う。愛の力だろうなあ。ああいうところに私は彼のヘレンへの、ヘレンとの愛の深さを見るのです。真実の気持とわかるのです。

戦ったこともない人間が、もう相手の救いは頼りにできないと思って、自分にできるだけのことをしようと決意して「戦って死ぬ」と言った時に、戦いまくってきた人間からあんなこと言われてどういう返事ができるというの。あんな切り札を出すのはすごくずるいし残酷です。どんなに逆上したからってしちゃいけないこと、言っちゃいけないこと。しかも「おまえの愛は本物じゃない」とまで否定する。私がパリスだったら、あそこでもうヘクトルを見限る。それまでどんなに世話になってても愛してもらってても許さない。もう二度と。

だから、パリスがメネラオスと戦うと言い出した時、ヘクトルはとめられなかったし、ずっと気の重い顔してたのかもしれませんけど(笑)。自分がしてしまったことわかっていて。

ああ、誰も言わない(言えない)ヘクトルの悪口は言っててほんとに楽しいわ♪まだまだ続きそうですが、ひとまず今夜はここまでにします。


[441] パリスには無理かもしれないけど、 投稿者:風子 投稿日:2004/09/16(Thu) 23:19

ヘレンにはある程度予測できたんじゃないでしょうか? だってギリシャの王族の妻ですよね、一応?いくら「恋は盲目」でも、そのくらい予測できなきゃ困ります(笑)むしろ、この人は、自分がそうすることで夫はどういう行動に出るのかを、ハラハラドキドキしながらも楽しみにしてたみたいなとこがある。二人のことはほとんど覚えていないので、確かなことは言えませんが、そうでなければあのヘレンという人をどう理解したらいいのか私にはさっぱり解りません。戦争を引き起こした張本人とは云いません。でも自分の行動がもしかしたら戦いの口実になるかもしれないくらいのことは自覚していたんじゃないでしょうか?そういう意味では、確信犯ヘレン説は有効です(笑)だからといって、それほどの悪女とも思いませんけどね。ただ、パリスとヘレンの恋し方には微妙な温度差があったんじゃないかな・・と。


[442] 同じくJLデヴィットの「ヘレンとパリス」です 投稿者:風子 投稿日:2004/09/17(Fri) 00:04

「サビニの女たち」のデヴィットの絵です。

☆じゅうばこ様、さきほど書き忘れましたが、今日「華氏911」を見てきました。帰ってからリンクされていた「サビニの女たち」を見て、わたしも胸が熱くなりました。教えてくださってありがとう!


[446] 今日は「華氏911」を見られるかなー? 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/17(Fri) 12:02

◇と思いながら、ちょっと町まで行ってきます。

私もオデュセウス好き!パトロクロス好き!だし、ヘレンの弁護もたーーーーっぷりしたいのですけれど、深夜か、ひょっとしたら明日になるかも。皆さま、どうぞいろいろお話されていて下さい。長くなっても短くっても一向にかまいませんので。


[447] タッチの差で見そこないました。「華氏911」。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/18(Sat) 00:20

◇負けてはならじと、明日一番の上映に行きます。その後午後は研究会、夜は(多分)飲み会。うーわー、仕事ができん。

というような状況で、明日は早起きなので、簡単に(そーかなー。最近自分が信じられない)。

◇風子さん。
このパリス(ヘレンも)かわいいですよね!何も考えてなさそうなのがよく伝わってきますです(笑)。

ヘレンには先の見通しぐらいついたんじゃないか?ってことですが。

また変なことから話しますが、この時代(それも、この話のもとになった何かがあった時代か、ホメロスがこれ書いた時代かってこともありますが)、浮気とか人妻の義務についての世間の感覚がようわからんのですね。アンドロマケとヘクトル夫婦の細やかで自然な交歓の描写や、ぺネロペイアのオデュセウス待ちや、カッサンドラをレイプした小アイアスの天罰による末路や、その他いろいろ見てると、家族愛、夫婦愛、女性の貞操(カッサンドラは巫女だってのもあるけど)がかなり大切にされてる気もする。ある意味(ある意味ですよ)近代の文学(文学のです。表現の姿勢とかそういうもの)よりも。
そもそも私が子どものころからなーーんとなくギリシャ神話が好きなのは、ほんとに近現代の文学よりも女性が大切にされてるって印象があるんです、読んでいて。実際の社会的位置がどうかは知らんけど。描かれ方が。アテネを筆頭にした女神たちの強さも含めて、母系性社会の名残かなんかかしらんと思うぐらい。

ローマ時代でも家族は大切って意識がかなり強いですよね。そういうことを思うと、浮気への社会的反発や制裁は強かったのでしょうか?しかしそもそも、ヘレンがぬけぬけ故郷に帰って長生きしたという話がとにもかくにもまがりなりにもあること自体、それがものすごく異様なことととらえられてる風もないこと自体、こういう妻でもうけいれる文化はあったと見るべきなのでしょうか。

このへんはもう、わかりません。いろんな学説はあると思うけど、厳密に検証すれば、とてもこうだと確定できるものにはなってないと思う。むしろ、こういう物語が残っているということが最大の資料なんだと思う。
この映画も、どんな映画も、そんなところまで「当時の感覚」は追求しないで、だいたいのところでとらえた上で、あとはむしろ現代と重ねて表現し、訴えるはずです。少し注意ぶかくしさえすれば、それはそんなに「当時の感覚」と多分はずれもしないでしょう。

なので私も、そういう程度の感覚でこのことを判断してみるのですが。ヘレンには先のことが予測できたのじゃないのか?ということ。

しかし、こういうのを詭弁というのかもしれませんが、こんな浮気で戦争になって国が滅びた例なんてそれこそ、それまでなかったんじゃないんでしょうか。
だったら、前例から何かを予測するということはできるはずはない(笑)。
もし、何か似たような例をヘレンが知っていたら、それは、これほどのことにはならなかった、どっちかというと結局無事にすんだ例でしかない。

だいたいメネラオスとアガメムノンの兄弟のすることなら、「少々理不尽なことしても何とかなる」という実例の方をヘレンはむしろ見聞きすることが多かったのじゃなかろか。

彼女がよく攻撃されるのは、「パリスがトロイから逃げようと言った時、アガメムノンはそれでもトロイを許さない」と教えることで、そこまで知っててあんた逃げてきたのか!と怒る人が多いんですよね。それと、夜中に夫のとこに戻ろうとして、ひきとめられたらあっさりとどまってしまうところ。
どっちも、風子さんの女スパイ?説を信じたくなるような、かがり かなでさんの「自分に酔ってる」説も深く納得したくなる発言と行動です。ものすごく誤解されやすい、むしろもう、誤解してくれと言わんばかりの。私はこの監督や脚本が(よく言われるように)恋愛描くのが下手だとは決して思わないのですが、観客に不親切もしくは媚びない描写をするなとは、このへんちょっと思います。そう思いたい奴は思え、それでもかまわないとつっぱなしているような。

ちょっとまた切ります。うう、また長くなるか。私には成長というものがない。


[449] まったくもう、ヘレンのことも書き出すときりがないのよ。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/18(Sat) 01:17

◇そしてほんとは、かがり かなでさんのして下さってるように、ちゃんと人と討論とかして自分でも考えて、短くまとめて書くべきなんでしょうが、何しろ時間がないもんで、垂れ流しと言われてもしかたがない、走りながら考えてるような、だだ長い文章でほんとに皆さまごめんなさい。

さて、あの「私たちがいなくなってもアガメムノン兄弟はトロイを許さない」発言ですが、「そこまで知ってて来たのか、おまえは!?」という詰問に対しては、なんかもっとうまい、いい答えをいろいろ思いつけそうではあるんですが、私もうとっさに浮かんだこれがあまりに大きくて強くて、言ってしまわないと、後のことが何も思いつけない。
それは何かって?
知ってて来たのよ、それが悪いの!?ってことです。
それほどに耐えられなかった。あそこにはもう、いられなかった。いたら、生きていられなかった。生きるためには来るしかなかった。たとえ、トロイが滅ぶことになっても。溺れる者が何かをつかむように、そんなこと考えていられなかった。

「誰も知らない」の映画の中で母親が「あたしだって幸せになっちゃいけないの?」と言います。言う相手も言う状況も言語道断です。兄の足にしがみつくパリスみたように問題外の態度としかいいようがない。これに、烈火のごとく怒る人も、許せないと思う人も多いかもしれない。でも私はわかるし、実はこれにまじりけなく怒る人や許せない人とは、絶対に理解しあえることはないとまで思う。共存はできますけどね。もちろん。

「めぐりあう時間たち」の中にも家と子どもを捨てる母親が登場します。暴力を受けたわけでもない、一見申し分のない家庭なのに。おそらく圧倒的な罪の意識を感じていて、そこまでして何かを得たかというほどのものは多分なく、それでも長い年月の果てに彼女は「ああしなければ生きられなかった」と言う。ジュリアン・ムーアの寒気がするような名演技もあって、彼女のその力むでもなくうつろなまでに静かに述べる言葉は山のように重い真実に満ちていました。

二人とヘレンが重なるのです。何かを求めてもがいていて、でもそれが何かわからない。そしてつかのま、それがかいまみえて、また永遠に遠ざかる。その後に待っている日々がどんなか、もう予測もできない。誰を何を犠牲にしようとも、生きるためには飛び出すしかない。
ダイアン・クルーガーの演技は初々しくてもはっきりとそれを伝えてくれていたと私は思っています。

えー、まだあるのですけど、今夜はここまで。

◇サヤさん。
もともと私、オデュセウスが好きだったんですよ。なぜかどうしてか。これは多分ぺネロペイアとセットで好きなんじゃないかと思うのですが。魅力的なカッコいい人がやってくれたらいいのにと昔からずっと思っていました。でも、あれほど素敵なオデュセウスは想像でさえ望んだことがありませんでした。ちょっとかわいらしすぎるのかもしれません、ほんとは。でもいいんです(笑)。
神話の中でのオデュセウスという人のおいしい位置を、あますところなく表現してくれたあの映画はオデュセウスファンとしてとても満足しています。

パトロクロスもパリスもそうなんですが、私はイメージの合わない役者が演技で見せてくれるのもいやじゃないのだけど(「風と共に去りぬ」のオリビア・デ・ハビランドさんとか、見るたび脱帽しますもん)、演技はそんなでなくても、その役柄にはまっているのが一番気持ちがいいです。その点もギャレット君は最高でした。多分演技もうまいんだと思います。

あと、これはもう妄想、ファンフィクションの範囲なのですが、私は船の上でヘクトルにあんなこと言われてからのパリスは、すでに「わかりました。成長します。もう甘えません」モードに入ってると思うのです。それは、怒りや冷たさとは無関係でも、だからこそ一層ヘクトルには耐えがたかったのじゃないかしらん。
おそらくあそこでパリスが逃げないで立派にメネラオスに殺されてしまったら、ヘクトルは永遠に弟を失った、最後までふりむいてもらえなかったという悲しみにさいなまれつづけたでしょう。彼が自分に助けを求め(ただ足元で死にたかっただけかもしれませんが)てくれた時、ヘクトルは許されたと感じ、天にも昇る気持ちだったのじゃないでしょうか。困るのは困っていたとしても。(妄想ですよ。笑)


[453] こういうんではだめだろうか。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/18(Sat) 22:58

◇つながりにくくなってるみたいなんで、大急ぎで。あとは明日にでもまた。

ヘレンのことです。

1 最初はもう夢中で飛び出した。何も考える余裕なんてなかった。
2 トロイに来て少し精神的に余裕ができてきて冷静になったら、先の判断がつくようになった。
3 更に生きる力がよみがえってくると、ここに迷惑をかけてはいけない、自分を犠牲にしても、という、人のことを考える元気が出てきた。

この過程は私にはとても自然に、むしろ必然に思えます。

へとへとの限界で生きるためなら何でもしようと思ってる時に、冷静な判断も他人の悲しみをうけとめる余裕もない。凍えていた身体がお湯に入ったら感覚がよみがえるように、理性も感情も戻ってくる。映画のヘレンは賢い、優しい人だったと思いますが、夫との暮らしはそんな彼女を無感動にし、幽霊にし廃人にし狂人にする寸前だった。この場合、夫がいい人でも彼女を愛していても、そんなこと関係ありません。
わ、また長くなりそうなので、ここまでに。あとは明日。


[454] そうそう、ついでに言っておきますと、 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/18(Sat) 23:14

◇「華氏911」今朝見ました。ドキュメンタリとしてもドラマとしてもコメディとしてもシリアスとしても、とても内容ゆたかな、ぜいたくな映画を見たという気がします。あまり寝てなかったのに、全然眠くありませんでした。あんな面白い映画見逃したとは、ブッシュも小泉さんもかわいそうに。
ほんとに、豊かで面白い。悲惨なのに明るい。厳しい現実なのに元気がわく。荒っぽいようで、とことん趣味がよく品がいい。アメリカの最も良質な特徴が全部生かされていますね、ムーア監督という人の中には。陽気で優しく、元気で暖かい。
おいしものをいっぱい食べたような、ほんわかしたいーい気持ちになりますよ。

話したいことは山ほどあるのですが、私「ブラックホーク・ダウン」の映画を見た時、一番強烈に感じたショックは、あの貧しい国の民衆がゲリラと化して、それこそイナゴの群れのように限りなく襲いかかってくる時、とっさに鎌か棒きれが似合いそうなのに、最新兵器が泉のごとくいつもどこからかわいてきて彼らの手にあるのですね。それがものすごく異様で不気味で、恐かった。
「華氏911」で武器を売りまくる、むしろばらまく軍需産業のエリートたちの映像が紹介されるのですが、「ブラックホーク・ダウン」のあの映像と重なって、ほんとに胸が悪くなりました。気分が悪くなりました。
戦争はどうせよくないんですが、ものすごくごみを増やす環境破壊でもあるという新しい観点を、実感として感じました。あー、まだ背中がぞげぞげする。


[457] ペネロペイアは人によっては好みがわかれるみたい。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/19(Sun) 22:39

◇サヤさん。
阿刀田高さんはたしか陰湿、とまではいかないけど、そういうイメージを持っておられるようだったし。でも私好きなんですよ。この夫婦の関わり方が。塩野七生さんも「サロメの乳母の話」って短編集の中で、この夫婦をわりとしらけた感じに描いておられたけど、そうすると魅力がなくなるんですよねえ、二人とも。この二人はどっちも賢いけどかわいくて、そしてお互いを猛烈に好きでなくてはいけないと思います。賢いどうしが変に白けていたら、見られたもんじゃない。しけったお煎餅みたいにまずくなる。
そういう意味では、あの映画のオデュセウスは変に屈折も白けもしてないのがすごくよくて、あのオデュセウスに似合うペネロペイアをくっつけて続編で「オデュセイア」作ってくれたらいいのにっ!

そうですよね。あの映画の登場人物は皆非常に単純です。そこがねー、いいんですよねー。
何かまたできごころで、トロイ小説書き出したんですけど、それで考えて見ていると、ヘクトルだってどこが智将だと言いたくなるぐらい考えてることアバウトですもん(笑)。
それと、これも小説書いてると気づくんですが、アキレスはほんとに孤独ですね。だから書いているとつらくなる。

あっちこっちで、「ウェスト・サイド物語」に似てるなと思ってしまうんですが、トニー(ロミオにあたる人)がマリア(ジュリエットにあたる)の兄ベルナルド(従兄ティボルトにあたる)を行き違いから殺してしまって、マリアのもとに来た時、彼女、トニーに飛びかかって胸をこぶしでたたきながら、「人殺し人殺し人殺し」とののしるんですよね。そして泣きくずれる。
もとの「ロミオとジュリエット」でも、ティボルトがロミオに殺されたと聞いてジュリエットは怒るし嘆くけど、乳母が自分に賛成してロミオの悪口を言うといきなり怒って弁護する(笑)。
どっちもすごくうなずけるんですけど、彼女たちの気持。でも、それと比べた時、ヘクトルを殺した後でテントに入ってきたアキレスを見た時のブリセイスは、冷たいというか厳しいよね。だから私は好きなのですが。

アキレスを見てヘクトルが死んだと察した彼女はただ泣く。アキレスに怒りをぶつけるのでもないし、彼が生きていたのを少しでも喜ぶ複雑な心境もまったく見せない。
まあ、トニーやロミオとちがって、殺そうと思って出かけた人だから、そこがちがうんですけどね。だからアキレスがまったく無事を喜んでも、怒りをぶつけてももらえないのは、完璧に自業自得なんだけど。くりかえすけど、このブリセイスにはほれるけど。でもアキレスはほんとにかわいそうです。
原作の「イーリアス」では、へクトルを倒した後、味方のギリシャ勢もいっしょにヘクトルの死骸を傷つけて喜んでいる。趣味は悪いけど少なくともアキレスは孤独じゃない。
でも映画では味方もアキレスにどこか辟易してる様子がある。戦いの後使者をよこして死骸を集めさせてくれた敵将への好意が、その彼にこんなことしたアキレスへの嫌悪になって漂っているような様子さえある。
これは多分、「イーリアス」で、神々の中にもアキレス批判が高まったというくだりをそこはかとなく反映させてるんでしょうが。

そしてとどめが父親訪問。私初めに見た時は何というヘクトルいじめの監督だと恐れをなしたんですけどね、よくよく見るとアキレスの方がいじめられているような気がしてなりません。

ヘレンのこと、まだ書きたいのですが、今夜は無理かなあ。仕事もあるし。

◇サイトの中の映画「トロイ」関連を一覧にまとめました。トップページの「映画『トロイ』関連一覧」をごらん下さい。少しは見やすくなったかと。


[458] リンクありがとうございます 投稿者:かがり かなで 投稿日:2004/09/19(Sun) 23:31

その名誉に恥じぬように、一生懸命がんばります(笑)っていうか、いい加減「トロイ」について考えるのは力も時間も必要なので楽しいけれど辛いです。
元々好きでしたが、私たちもオデッセウスの株はバリバリ上がっています(笑)もう、私も師匠もべた褒めなので、長文になるかも。

ええと、拝見していて思ったのですが[438]でおっしゃっている「そうならない可能性」って例えば何ですか?
そういえば以前「トロイ戦争は起こらないだろう」という戯曲があってそれのヘクトルの性格が映画とかなり一緒だという事を書いてましたね。
私も常々この映画の戦争がどうにも精神的にダメージが酷くて、どうしたら無血で起こらないように出来るのだろうと必死に考え抜きフローチャートまで書いたのですが(書くな)どうあっても映画の世界設定とキャラ性格設定では「戦争」のバットエンドに行き着いてしまうのです…。
パリスやヘレンの命を保障しつつ、戦争も起こさない方法って何でしょうか?
私なら、どんなに泣き喚こうがスパルタに取って返して二人をメネラウスに差し出しますけれど、そうするとパリスが死ぬから…。
と思ったら、小説を書いていらっしゃるのですね!?書きあがるまでお預けですが?がふー

あと[453]ですが、真珠の首飾りをもらう時点でパリスのことがばれたら「私たちはメネラウスに殺される」とヘレンが言っているので、彼女もこの恋が「夫の怒りを買い、殺されるほどのタブー」だという自覚はあったと思います。


[459] ひとことだけちょっとだけ、ほんとにひとことだけー(笑) 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/20(Mon) 00:01

◇かがり かなでさん。
私はこういう、どーでもいい(直接に戦争だの倒産だの裁判だのにかかわらない)論争だと浮かれてしまって調子にのるので、どらねこがじゃれてるように他人のひんしゅくかうぞ、と友人から注意されます。気をつけてるのですが、失礼の段はくれぐれもお許しを。

…ということを言いたいんじゃなくてですねー(笑)、
フローチャートまで書かれましたか、う、うれしいです、そんな方が他にもいて下さって。いえ私は書いてはいませんが。

新しい小説「おれにまかせろ」(ほとんどヤケとしか思えないタイトル)は、まさにもう、その戦争回避シミュレーションです。まかせて下さい(ほんとかよ)。で、犬を連れた乞食と言いますとそれはもう一人しかいないだろうというわけでして。まったく仕事が忙しいのにこんなことしてていいのか私は。
多分そんなに長くなる話ではないので、あまりお待たせしないと思うんですが先のことはわからない♪

あ、書きたかったのはそんなことでもなくて。
つくづく脚本がうまいと思うのは、ほんとにあの設定だとああしかならないのです。その一つはメネラオスが「名誉を重んじる」人だったことです。これがうわべだけであれ、ほんとにそうであれ、その両方であれ、このことが実にうまく効いてますよね。

「殺される」発言ですが、あのままあそこにいれば、ととっちゃだめですか?だから逃げればいいってもんでもないのはもちろんですが、そのへんはもうちょっと考えさせて下さい。私はあれは、それだけ彼女が追いつめられ、自信をなくしている状況を示しているように見えちゃったのですが。

リンク、あまりきれいに表示できてなくてすみません。もしも何かお気づきのことがあれば、いつでもご指摘下さいね。


[465] 怒りはみなぎっているけれど、憎しみにはまったく汚れていない。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/20(Mon) 17:42

◇というのが、私の「華氏911」の感想なんですよ。

◇サヤさん。
あの映画のブッシュは、とてもかわいらしいです。憎めないです。
フランスの監督ゴダールが「この映画ではブッシュは倒せない。逆に宣伝映画になる」と言って批判したのは、きっとそのことなんでしょう。

前の「ボーリング・フォー・コロンバイン」で話題になったのは、全米ライフル協会だか何かの団体のトップ、チャールトン・ヘストンへの突撃取材で、ヘストンの哀れさ、醜さがあらわになったと見た人はよく言ってましたね。でも私はあれを見た時、ヘストンは当惑し困惑しながらもとても美しく、それなりに誠実に見えました。
そのことに何より感動しました。
多分、ムーア監督という人柄の前に、ヘストンがそれだけ人間らしい姿を見せざるを得なかったのだと思ったのと、もし仮に、醜い姿をさらしていても、ムーア監督はそこをカットして、ヘストンを美しく撮ったのじゃないかと思った。
この後半はちょっと考えすぎかもと思ってましたが、「華氏911」を見ると、またそのことが確信に近くなりました。

ブッシュにしろへストンにしろ、どんな敵にしろ、ムーア監督は自分のカメラでは、その人の一番愛すべき美しい姿を撮る、そうしないではいられない人なのでは、と思います。
それが弱点にならず、逆に最大の説得力になるところに、この監督のすごさがあり、私が彼を泣きたいぐらい信頼できるところです。

「華氏911」の手法や訴えている内容は、大変オーソドックスで正統で、古めかしいとさえ言えます。戦争は資本家が金もうけのために起こす。貧しい人たちがその犠牲になる。古色蒼然とした左翼的な、私たちの世代にとってはなつかしい論理でさえあります。
ただ、この論理と事実そのものは、少しも古くなってない。だから訴えてることはまったく正しい。正しくないという人も当然いるでしょうが、この論理と事実とは、一応皆が知るべきだし、訴えられるべきだし、情報として流されるべきでしょう。このある意味大ざっぱで荒削りな理論を一応は皆が知った上で、いろんな議論をしなくちゃ、やっぱりはじまらない。

だけど、それでも、ムーア監督が新しいのは、こういうことを指摘しまくっていても、映像に「敵への憎しみ」がないことです。「怒り」はあふれかえってますけどね。
昔の(今もか)左翼映画や小説は(いーや、右翼だってそうですが)、攻撃する相手の「敵」を無気味に醜く見せました。そうすることで、「この連中を滅ぼさなくては」「許せない」と訴えました。もちろん、そういう手法はあっていい。でもムーア監督は絶対にそれをしません。

戦争に反対し、平和のために戦うという時、一番困るのは、戦争を起こす人たち、人を残酷に殺す人たちを、攻撃し、憎まなくてはならないことで、キリスト教の「敵を愛せよ」という姿勢以外には、これから逃れられません。どうかするとキリスト教でさえも、悪魔との戦いと称して、狂気のような残酷さを敵に見せます。
その泥沼にはまらないですむ一つの回答が、ムーア監督の映像には、常にあります。

「華氏911」のブッシュはとことんバカです。多分ほんとにそうなんでしょう。そして自分の地位のおいしさはわかっていても、どうふるまっていいかわからない、哀れさと滑稽さをいつもただよわせています。でも、憎めない。あーあ、いい人なんだこの人、と心から思ってしまうのです。私だけかな?ちがうでしょう。
この映画見て腹の底からブッシュを憎い、殺したいという欲望がわきあがる人はいないと思います。ブッシュは多分、相当のバカなんでしょうが、あの程度のバカはそのへんにいくらでもいますから、その点だけでもそんなに珍しいわけじゃないし、魅力があるわけでもない。ふつうの中年男です。それをこれほど、愛すべき人柄に思わせる魅力を引き出したのは、ムーア監督の対象への愛の力でなくて何でしょう。

でも、ムーア監督は絶対にバカではない。日本のマスコミが政治家をバカにし、おもちゃにしながら結局は利用されてしまうような、「何のためにこんなことしてたんだっけ?」とぽかんとしてしまうような(私はこういう人間のこういうところが一番嫌い。それこそ、憎みます。だからだめなのね)幼稚なちっぽけな愚かさがまったくない。本来の目的を忘れず、ゆらがない。
彼がブッシュをかわいく描くのは、彼の映画監督としての誇りでしょうが、そのことで結局彼が伝えるのは、「こんな愛すべきバカが大統領になってまちがいばっかしてるのは、本人にも我々にも不幸だからやめさせようや!」という、ごくごく合理的で常識的なメッセージ。そこをまったく、ゆらがしません。

あー、また長くなる。いったん切ります。


[466] たとえばこういう映像があるんですけども。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/20(Mon) 18:48

◇「華氏911」は、ブッシュをはじめとした金持ちが、モラルもなくなりふりもなく、金もうけのために戦争を続け、世界も、自国も崩壊させてゆくということを、実にはっきりわかりやすく描いています。それもバカだから、ほどほどってことを知らないから、このままだと、全部滅ぼして、本人たちも不幸になるだろうから、止めてやんなきゃいけない、という言い方で。

その中で、難しいことはわからん人にも映像でたたきこむのが、イスラムやアラブの大金持ちの人たち、それこそビンラディンご一族とブッシュ一家がそれは仲よくおつきあいしていたというパーティーやら行事やらの写真のオンパレードで、まあそのですね、アメリカの庶民がイスラム系の人や店をリンチにかけ、イラク攻撃に批判的だったフランスのワインをぶちわったりしてる間に、肝心の本家本元のブッシュさまご一家は頭にかぶりものした例のアラブ風の服装したエリートの方々と仲むつまじくご歓談ご会食されてる、こういった映像は、そりゃアメリカの庶民には衝撃的だと思います。
その一方で、明らかに自分たちとよく似た生活環境のイラクの家族の爆弾で傷ついた無惨な姿を(でもそれも決して必要以上には見せない品性の確かさ)見せられちゃ、「私たちは何をしてるんだ?誰が味方で、敵なんだ?」って誰でもが普通思うでしょう。まじめにイラクやフランスに怒ってた人ほど。

私が、武器の輸出、だだ流しの映像を重ねて、胸が悪くなったのは、こういうエリート軍事産業の方々の優雅な交流の場面だったのですけどね。

ですが、これはこじつけかもしれないけど、奇妙なことに、そういう映像はまた、「あー、ほらー、アラブやイスラムの人とでもあんなに仲良くできるんじゃないー」という実感を与えてしまうのですね。
ここがムーア監督のすごいとこで、たとえば9.11のテロで犠牲になった家族の中にでも、「愛する者の死を戦争の口実にされたくない」とイラクに行って、そこの爆撃の被害者と交流してるアメリカ市民もいるんですよね、一人ふたりじゃなく。
でも、そういう映像はムーア監督は出さない。それだと、がちがちの自称愛国者の人たちから「こんなやつらは変わり者、裏切り者、共産主義者、国賊」みたいに言われてしまう危険があるから。 「誰だって仲良くできるんですよ」という説得を、ビンラディン一家とブッシュ一家の交流風景で実感させるなんて、悪魔なみのウラワザです。しかも効果的。

だいたい、それはそうなので、昔からはじめから、資本主義者が愛国者になったためしはありません。もうけるためなら、敵も味方も故国もないのが資本家の論理。だからこそ、客が入ると思ったらムーアの映画だって上映してしまう。この体質は、本質的に国際的で合理的でさわやかです。祖国なんか愛するものか。あり得ない。そういう点では私はいっそ好きでもあります。
愛国心の祖国のなんてお題目に感動して命捧げるのは、国や支配者にふみつけにされてる貧しい人たちだけですよ。金持ちはよその国の銀行に貯金し、よその国の安い労働力が買える工場で製品を作ります。自国の利益なんか絶対考えてない。

だから、あのエリートたちのうるわしい交歓風景はめちゃくちゃ理にかなってるし、不思議でも何でもない。
戦争は貧しい者たちにさせといて、自分たちは思いっきり平和の楽しさ味わってるんですよ。 その平和をちっとはこっちにもよこせ!というのが、ムーア監督の主張でしょう。わかりやすくて、あたりまえの。

戦争を維持するために、支配者は「恐怖」を使う、とこの映画は繰り返し警告しています。イラクが、北朝鮮が、恐ろしい国だという宣伝をどれだけ私たちは聞かされることか。検討もなしの不勉強なマスコミのたれ流しで。
でも、それを攻撃批判する人たちもまた往々にして「資本主義」だの「軍需産業」だの「独裁政権」だのを、怪物のような無気味な敵として宣伝し、「今戦わないと、後がない」という恐怖で人をかりたててきた。

私が深く感動するのは、ムーア監督とこの映画が、イラクを爆撃し、面白半分人を殺す若いアメリカ兵たちをも、それなりにそういうようになる事情があるということを描いて、「彼らもまた人間だ」と抱きしめていることでした。
空洞化するアメリカ経済の中で、さびれすさんで行く町、軍隊に入るしかない青春。「誰も悪くはない」という無気力なつぶやきではなく、救いようもない図式を見せてなお、誰も悪くない、怪物も悪魔もいない、だからもっとうまくいくように工夫し行動しようと陽気に叫ぶこの映画と監督に、悲壮感はありません。温かさと、信頼と、深い愛情があふれている。世界を、人間を、アメリカを、この監督は理解し、信じて、愛している。それが波のように伝わってくる映画です。

この映画が訴えていること、伝えていることもですが、その訴え方、伝え方が私をほんとにさわやかにし、力づけました。
楽しめる、笑える、元気の出る、勉強になる映画です。どこかでまだごらんになれるなら、ぜひ見ていただきたいです、どなたにも。


[469] でもさ、憎しみって敗北の予感かもしれない(笑)。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/20(Mon) 19:32

◇サヤさん。
ご心配なく、私もしょっちゅう、人のこと呪い殺したくなったりしてます。それに、独裁者や権力者の気持もわからないよりはわかった方がいいですよ。きっと。
でも大昔(高校生の頃)、私、「汝の敵を愛せよ」っていうのは、勝つためのテクニックと思ってたんですよねー(わっはっは)。相手を憎むのは敗北の予感、相手を愛するのは勝利の確信につながる、みたいな。
言いかえれば、憎むのは弱者の権利で、だから強い立場の人間は絶対人を憎んじゃいけない、とかも。

ところで、例の映画は「Z」でしたかー!(思わず青池保子の漫画「ツェット」を思い出した私もバカ。)風子さんに感謝!です。トランティニアン大好きだったのに、なぜかこの映画見てないのです。多分誰かが「サンチャゴに雨が降る」の映画の批判するのに、「Z」をほめてて、それでぐれちゃったのだと思います。だから、何かの映画を批判するのに、別の映画をほめるのってヤバいんですよ(笑)。「サンチャゴに雨は降る」は今でも私の中のトップテンに入る大好きな映画です。チリのアジェンデ政権の崩壊を描いた映画ですが。

◇亜紀さん。
いらっしゃいませ!ごあいさつが遅れてしまってごめんなさい!
「トロイ」はあまりほめている批評がないし、映画のサイトもできてないみたいで、淋しい思いをしてるので、お話できる方がいらして下さるとうれしいです。この掲示板、他のまーるで関係ない話題も飛び込みますが、どうかお気になさらずに(笑)。興味ない話題はしっかり無視しちゃって下さいませ。

私は「トロイ」の映画は何から何まで好きなのですが、やはり最初は(今でも)ヘクトルやパリスに目が行くのですね。でも、そういうののすべてを、主錨のようにずっしりしっかり支えているのがアキレスの存在だって、だんだん実感してきました。ブラッド・ピットがこういう存在になること自体が珍しいのかもしれません。

私は昔から恋愛映画は苦手です。その割りに見てますけど(笑)。戦争映画の方がずっと好き、見る人が多いだけでも(笑)ってぐらいだったので、ヘレンとパリスの恋や、アキレスとブリセイスの恋を賞賛弁護してる自分が信じられません。どういう心理なのか、かがり かなでさんのお話を参考にしたいと楽しみにしています。

あれがベタって言いますが、恋愛の描写なんてどっちみちベタでしょうに。かがり かなでさんのサイトでも指摘されているように、むしろとても斬新で大胆だとも思いました。
アキレスの孤独の深さとブリセイスの暖かな豊かさとの結びつきは、とてもスケールが大きい恋だと思います。

私が皆さんと少しちがうのは、あの二人のラリサでの生活がかなり想像できてしまうところでしょうか(笑)。アキレスは家庭人としてはめちゃくちゃですが、そんなに浮気もしないし、悪い夫ではない気がします。案外家庭生活にものすごくはまるのではないでしょうか。必死でゆりかご作ったり、でも下手で、とか。

◇かがり かなでさん。
「華氏911」のこと、アキレスとブリセイスの恋のこと、オデュセウスのこと、もうもう、お聞きしたいことばっかり!でもお互い、無理せず、ゆるゆる行きましょう(笑)。サイトをのぞくのを、いつも楽しみにしております。


[470] おっと、またまたすれちがいました。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/20(Mon) 19:48

◇サヤさん。
長文チャットの趣きが(笑)。
ヘレンについては、キャラママ(板坂)の講演もあるので(亜紀さんは、講演も読んで下さったのですねー、もうほんとに感激です)…ええと、前に出してるのとは別のがもうひとつあって、今ちょっと準備中なので、それをアップしたらまた少しお話できると思います。

あ、ついでに…。
「466」で、ビンラディンとブッシュのご一族がつきあってる話、それは事実なんですが、それからアラブの方のお金持ちとブッシュ一家との交歓もその通りなんですが、パーティーとかの映像はいっぱいあったけど、どことどこかはっきり覚えてません。でもこれは監督も確信犯でイメージ映像として使ってると思うのですね。「ビンラディン一家とブッシュ一家がごちそう食べてる映像なんてなかったぞ」と言われたらいけないので一応(笑)。


[474] そーなんですよー、どこまで続くか自分でも恐い。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/22(Wed) 00:19

◇ガブリエルさん。
「トロイ」の話、あと1、2年は続くんじゃないでしょうか。私ってほんとにしつこいので。実は「グラディエーター」小説もまだ書きかけてるんですもんねー。

ブリセイスはラリサだろうがアマゾンだろうがアフガニスタンだろうが、ちゃっちゃと生きていけると思うなあ(笑)。
パリスもですね。常識のない子はどんな文化でも強い。
こう数え上げて行くと、おっしゃるように一番ひよわではかないのはヘクトルのようで。まあ、そこがいいのですけれど。

「想定問答」(ですよね?)のご感想ありがとうございます!
なんかもう、きっとガブリエルさんは大王にげんなりして途中で読むのやめておられるんじゃないかと思ってましたので、うれしい。大王もきっと、ほくほくしてるでしょう(笑)。
私はきっとアガメムノンはヘクトルを飼いならしているような気がするんですけどね。まあ、彼の妄想の中だけかもしれませんけど。
と、いうよりか、彼のバカなところがヘクトルの保護者意識をくすぐってしまうような気がするんですよ。これでヘクトルタイプの人はいつも貧乏くじを引くんです。

またご感想やお話や、楽しみにしています。

◇サヤさん。
わ、混乱させる書き方でごめんなさい!「サンチャゴ」にはトランティニアンは出てないです。でも、彼の雰囲気に似た、シャープでクールな切れ味の映画で、彼を好きな人なら好きだと思う(めちゃくちゃなこじつけ)。
問題は、この映画ビデオ屋さんとかにもめったにないんですよ。「特攻城砦都市」だったか(多分うそ)、何かとんでもないタイトルになってたみたいだし、ビデオ。 こんないい作品、DVDにでもしてくんないかなあ。

個人的には誰かが誰かを守って戦うのは別にいいと思うんですよね。二人の契約としてでも、一人のもくろみとしてでも(笑)。ただ、国や社会をあげてのスローガンやモラルにする必要はもう今はないと思うんです。昔はあったかどうかも知らんけど。
キャラママ(板坂)とよく話すんですが、こういうこと書いたり言ったりすると、「バカな女が」とか「ブスな女のひがみ」とか言う男の人がいるんですが、もう、そういうこと言った時点で、「女を守る」免許はもらえない、さしあげられない人だと思うんですよね。ブスでもババアでも性格最悪な女でも、女ならすべて心からいやな顔ひとつしないで守りぬくのが「女を守る」ということであって、自分の気に入った人を気に入った時に守って、しかも何かの報酬を期待するのは、それは「守る」とかは言わない。「ほしいものを確保してる」だけです(笑)。
それだって別に悪くはないし、そうやって「確保される」ことを願って選ぶ生き方も、男女を問わずあっていい。ただ、全人類や全国民に押しつけないで。どうして、他人にも同じことをさせなきゃ自分の好きなことをする勇気が出ないんだか、これはもう私には永遠の謎ですね。

◇風子さん。
TV「トロイ」の紹介感謝!です。私これDVD買った時点で安心して、まだ見てないんですよー。
映画「トロイ」でアガメムノンの世界征服野望の設定、「イーリアス」にはまったくないのにすごいと思ってましたけど、こっちの「トロイ」にその萌芽がかなりあるんですね。そんなこともわかって勉強になりました。
でーもー、このヘレンの過去の設定すごいですね、力入ってるう(笑)。キャラママ(板坂)の授業ノートの資料にぜひ加えてもらわないと。それにしても、「どういう理由をつければ、人はヘレンを許せるのか?」には、お国柄や時代色がすごく反映されるようで面白いです。キャラママも書いていますが、作者個人のモラルも反映されますよね、恐いぐらいに。

◇亜紀さん。
前のお返事で忘れてましたが、「疾走」を読んでいただいてほんとにうれしいです。このお話が長引くのは、かるーく書けないからなんで(他のはえーかげんに書いてるというのではないですが)、書いてるととても楽しくて、どんどん発見があるのですが…。
気づいていらっしゃる方もおいででしょうが、「グラディエーター」小説に比べて私、「トロイ」小説は軽く書いてます。それは適当とかいいかげんとかいうことではなく、軽く書くのも重く書くのと同じかそれ以上にすごく力がいるんですが。その中で「疾走」はどちらかというと重い書き方になりそうです。で、待っていていただけるのはとてもありがたく励みになります。がんばってみますので、末永くおつきあい下さいね(笑)。


[476] じゅうばこ様の 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/23(Thu) 06:13

小説 「想定問答」読ませていただきました。
アガメムノンのヘクトルへの思い入れに先ずは吃驚し、そんなアガメムノンにつきあっているおじさま方がかわいかったです。
ヘクトル愛がつたわってくる作品でしたが、私としては、オデュッセウスがアキレスを気にかけているところが良かったです。オデュッセウスがため息をついて、やるせなさそうに言う、アキレスのギリシャ兵への愛、ここが一番好きなシーンでした。
このお話を読んで、アキレスもオデュッセウスも好きだと改めて思いました。アガメムノンがアキレス嫌いな理由についても触れられていて興味深かったです。

アキレスの孤独について、
―映画では味方もアキレスに辟易してる様子があり、戦いの後使者をよこして死骸を集めさせてくれた敵将への好意が、アキレスへの嫌悪になって漂っているような様子さえある―
という趣旨のじゅうばこ様のお言葉を聞いて、そういう面もあるな、と確かに納得しました。そういえばヘクトルってそんな人格者な面みせてました。敵将への好意がギリシャ軍にもあったのか。

でも、私が最初思っていたのは、アキレスの怒りの激しさに、ギリシャの兵士たちも戸惑って怖れた為に、引いちゃってるのだろうと感じていました。パトロクロスが死んだ場面に彼らも居合わせていたわけで、アキレスの憤りと悲しみの深さを考えるとギリシャ兵としてはアキレスから距離をとらざるを得ないけれども、彼ら自身アキレスから疎外されているような寂しさを感じているに違いない・・という解釈で。
でもこれはやはり、アキレスはギリシャ兵に人気の英雄でいてほしいという自分の思い込みが強すぎるところもあったのかもしれません。
私がヘクトルを好きなのも、アキレスの前では、彼が彼個人でいられる、王子としての自分から抜け出て、素直に自分を出せる、というアキレス絡みの場面でやっと好きになれたわけで、いいかげん何を見るにもギリシャ側に偏りすぎだな・・。

(でもヘクトルをひきずりながら、トロイの一家から視線を外さずに去っていくアキレスとか見ると、彼の孤独さにアキレスが可哀想でたまらなくなってしまったり。
そうなった間接的な原因はプリアモスだけど、このあと強張っちゃってたアキレスの心を溶かしてくれたことには感謝です。世代とか立場的に近いブリセウスとかよりも、父親的な人が必要だったのか、それともプリアモスの特別な力だったのか。)
トロイの家族のことも でも前よりも好きになってきました。

「おれにまかせろ」の方も覗かせて頂きました。彼が彼を責めてるなんて、今のところ私としては楽しくてしかたない進行です。映画での自分の言いたいことだけ言って、さっさと去るあの人好きだけど、親切にも時間をかけて付き合う乞食を見られるのは嬉しいです。
メネラウスの心理も・・これから先楽しみです。

[449]でじゅうばこ様が言われていたこと、―船の上でヘクトルにあんなこと言われてからのパリスは、すでに「わかりました。成長します。もう甘えません」モードに入ってる― 何だか納得できてきました。
パリスがメネラウスに決闘申し込んだのって、国の人々やヘレンへの責任を感じているせいとばかり思っていましたが、ヘクトルに「愛を知らない、戦いも知らない」と言われたことへの反発もあったのですね。とことん兄弟なパリスとヘクトルに今さらながら驚いてしまいました。


[479] ひえぇぇぇー、皆さま申しわけありません。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/24(Fri) 20:12

◇「トロイ」小説、書いてる途中で変えることってあるから!とは書いてたものの、実際にそういうことは誤字脱字以外はあまりないはず、と内心では思ってたんですが、最新作の連載中の「おれにまかせろ」、ゆうべめっちゃ変えてしまいました。ひょっと前のをとっておられた方、捨てて下さい。あ、見比べて創作の経過をごらんになるのなら、それはそれでいいですが(笑)。

「想定問答」がずっこけまくりで遊んだんで、今回はもうちょっとだけまじめに静かにやろーかなーと思ってたんですが、やっぱり似た路線にしないと、この手の話はわかりにくくて面白くないよねーと思って開き直りました。今度の方が確実に読みやすくなってると思います。 まあもう、こういうことはないと思いますが…何しろ今からパリスとヘレンを説得しなくちゃならないもんで、どうなることやら。

この話、この先どうなるかどうしたらいいか、予想されたら、どうぞご遠慮なくお教え下さい。かがり かなでさんのフローチャートもできたらおうかがいしたいわっ!

こんなどたばたで、またろくに寝てないので、今日は早めに…とか言ってまた長いな。

◇サヤさん。
そっ、そんなわけですので、ほんとにごめんなさい、「おれにまかせろ」、変えてます。もしもし、よろしかったら、もう一度お読みいただけますでしょうか?すみませんっ!
ただし、もちろん大筋は前のままですので。

オデュセウスってけっこう、乞食になるの好きなのか、よくなってるんですよね。「イーリアス」でも「オデュセイア」でも。変身願望があるのでしょうか(笑)。なので、このくらいのことはするだろうと。
アキレスも好きなので書きたいのですけどねー。なかなか出てきてくれなくて。こういうスケールの大きい人おちょくるのは、エネルギーがいります(笑)。

ギリシャ軍がアキレスに引いてるのは、サヤさんの解釈の方がまっとうで正しいと思いますよ。私の解釈はおまけということにしておいて下さい(笑)。あの怒りの激しさと大きさはとてもよく表現されてたと思います。そして、うけとめてくれる人がなくて自家中毒みたいになってるところにあらわれるプリアモスは癒しでもあるなあと思いますよね。

「想定問答」はアガメムノンに延々アキレスの悪口を語らせるのもいいなあと思ってたのですが、ちょっと時間が足りませんでした。
どこに登場させてもオデュセウスはほんとに書きやすく、よく働いてくれます(笑)。映画でもアキレスに戦線に戻ってくれと頼む時、ものすごい切ない顔と声してますよね。

パリスの「わかりました」モードは、ぐれてるわけではないと思うんですね。すごく微妙なとこだけど、「あー、そうですか、じゃ自分でやりますから!」じゃないんだと思う。でも、その「はい、成長します」は、実はヘクトルの望んでたこととも微妙にちがうんじゃないのかなあ。
兄弟で城壁の前にいる時、「どうしても決闘するのか」「僕の始めた戦争だから」のやりとりの後、パリスは城壁のヘレンを見上げますよね。もう兄からではなく、そちらから力と支えをもらおうとするかのように。守られる弟じゃなく、戦う男として。パリスがいやみでやったわけではないのはよーくわかるんですが、あの時のヘクトルはものすごく淋しかったような気がします。


[429] キャラクターについてなんですが。 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/15(Wed) 19:23
すみません。ヘクトルあまり好きじゃないと書いちゃったもので、補足なのですが。またもや書き込み失礼します。呼びにきたアキレスを前に、出ていかずにはすまされなかったヘクトルを見ているのは辛かったです。本当は出て行きたくないのに、成長する息子の姿を見たいのに、真面目で名誉と礼儀を大事にする性分だからアキレスと向き合うことから逃げるなんて とってもできないヘクトルがすごく可哀想で 悲しかった。ただ ヘクトルは、個人としての自分や 相手のアキレスを大事にしたわけで、軍を率いる人間としてとか国に対しての責任とらなくていいのかなってところが少しひっかかったのです。でも大きな部分にだけ目をむけ、他は冷静に切捨てられる冷徹にもなれるキャラクターと、いろいろ煩悩とか迷いとかありまくりのヘクトルみたいなのと、どっちがいいかと比べれば ヘクトルみたいな人全然嫌いではないし。現実を前に流されていくことしかできなくても、翻弄されつつも個人として、精一杯のことしようと努力するさまは、哀しくて、立派で見ていて面白かったです。(あと、アンドロマケについてなんですが、彼女は、ヘクトルの中にもある「王子としての責任や義務から逃れられないのは辛い」という気持ちを、彼に代わって代弁している部分があるのではないかと感じました。)ヘクトルに対して自分の見方が厳しいのはギリシャびいきのせいかもしれないです。

私は、ギリシャ勢好きで偏っちゃってるもので。アキレスやオデュッセウスからアイアスやテッサリアの王様?まで皆好きです。
冒頭にでてきたアガメムノン付きのofficerもお気に入りです。ニヤニヤして面白そうにしているところが。
この兵士や 相談役?のネストルとオデュッセウスとか、アガメムノンは 使う人の選択の趣味がよくて、さすが覇者になろうとする人だけのことはあると感心しました。そんなけっこう余裕ありげに構えているアガメムノンが、アキレスに対しては、なんでああまで相容れないのだろう?と思います。感覚や価値観など趣味があわないとはいえ、アキレスの前では体面かまわず、ムキになる大人気ないアガメムノンを見て、アキレスってそんなにすごい人なんだ・・?と観客としても思わされました。アキレスへの恐れを隠そうとしないところも愛らしいです。アガメムノン。

女性は女優さんはみな可愛かったのですが、そんなに共感できるキャラクターはいませんでした。(ヘレンについては、名誉がどうとかじゃなく「ただ生きたくて」というパリスが好きだというところは、すごく共感するのですが。)

面白かったのはブリセウスです。城中でパリス兄弟を出迎えたときには、ふにゃっと娘娘していて とても巫女には見えなかったし、幸せで楽しそうではあるけれど、魅力的とはとてもいえなかった。なのに、アキレスのテントで怒りに満ちているときの彼女はとても美しかったこと。この変貌具合には驚かされました。女優さんやスタッフさんの力はすごいと思ったのですが、以前から、泥などで多少汚した方が人の美しさって際立つよなあと感じていたので それが男性だけでなく女性にも当てはまることが確認できたのも嬉しかったです。
気高さやプライドのあるところ、従兄弟を失った後のたよりなげな風情など、王族風なところ 無邪気な女の子風のところ、と両方みせてくれた所もブリセウスのキャラの見せ方の好きな点です。
ブリセウスが、プリアモスについてトロイに帰ってしまう所が不満だったのですが、これはこの映画自体が、家族愛第一主義を貫いた作品なので仕方ないですね。

ヘクトルは息子に獅子の石彫ほってるし オデュッセウスの木馬のヒントは兵士の息子への手作りだし、トロイの兵士は 息子の存在をアキレスにアピールするし、プリアモス一家は、家族のすることは何でもかでも親族ごと受け入れちゃうし。パリスの相手として、抵抗なく家族の一員として迎えられるヘレンや、パトロクロスの保護者を気どって喜ぶアキレスに、奥さんの名前をサラリと出すオデュッセウス。パリスとヘクトルの兄弟愛に、メネラウスとアガメムノンの絆。父と息子を語るプリアモスにアキレスとか、とどまるところを知らない家族愛こうげきです。そういうの好きなので私は全然かまわないのですが。こういう映画だとは全く予想してませんでした。くどくなく、素朴な家族のかき方に好感がもてました。シンプルにわかりやすく見せてくれるこの作品はとても美しい映画だと思います。 劇場で御覧になれる方がうらやましいです!


[432] じゅうばこ様の 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/15(Wed) 22:13

・「暖かさ=冷たさ」というコメントに、そうかあ、と思いました。なんとなく分かるような、分からないような私にはちょっと難しいお話なのですが。でもトロイって現代的な感覚もありつつ、ちゃんと古代風の空気が流れていて、神話っぽさの取り入れ方も上手いですよね。

・隊列の違い。そんな所まで私、見れていませんでした!細かい点も、注意して見れば 面白いところ沢山あるのでしょうね! 集団演技指導も徹底したのでしょうか。

・ブリセウスの時代色。確かに。それに比べると ヘレンとパリスの二人は現代風な?カップルかな と思います。
そして、主役から 脇役、端役にいたるまで それぞれが輝いていて、なおかつバランスがくずれない所、この映画のとても好きな点です。
そしてアキレスの評価が低いらしい?こと残念です。ブラピはトロイを見るまで、思い込みで何となく好きじゃない、と思っていたのですが、アキレスは大好きです。風子さまが仰ってるように あの二人は並び立ってるからこそ両方が輝いてるんだと思うのに。
二人がちゃんと主役としてしっかり心に残る映画だったと思います。

・パリスとヘレンについてですが。あの二人は一応自分達のしようとしていることが回りに累をおよぼすだろうってこと、頭ではわかってますよね。逃げる前。でもそれを覚悟しつつも無茶な行動に出れるほど相手のこと好きな感じは見ててあまり伝わってこなかったんです。
でも、奥さんをとったからって、戦争になるなんて そっちこそ激しく間違ってるし、好き同士が一緒になるのが当たり前っていうのはホントに普通にまっとうな感覚だと思います。その点に同意です。でもヘレンとパリスのカップル関係については、ほんとに話のとっかかり という感じで全体の中では影がうすめの関係のような気がして ちょっと可哀想かも、と感じつつ映画みてました。


[433] とんちんかんな質問をしたうえに、 投稿者:風子 投稿日:2004/09/15(Wed) 23:05

ごはんまでお預けにしてしまって、本当にごめんなさい!!
どうかお願いですから、きちんと食べて、ゆっくり休んで、お体大切にしてくださいね。

女スパイ、ギリシャの手先、またの名を誘う女のヘレン像が一体どこから出てきたのかちんぷんかんぷんなんですが(いい加減ですね)、たぶん「あんなバカップルのために戦争しないでしょ、普通・・・」という岩のような常識(?)が私の中にあったんだと思います。ふたりの恋が本物だとしたら、自分の妻が奪われたからと、あれだけたくさんの兵を率いて戦争を仕掛けるギリシャのお偉方には空いた口が塞がらない。でも考えてみれば、戦争仕掛ける方に納得のいく理由なんてあったためしがなく、妻が奪われて口惜しい!から戦争しちゃうなんて微笑ましいというか、まだしも人間的というか、なるほどギリシャ神話がおおらかだというのはこういうことかと妙に感心です。

<戦争映画における恋愛>に是非「職場恋愛」(?)も加えてください(笑)
古くは兵士と従軍看護婦(題名が思い出せない)、記憶に新しいところでは「スターリングラード」のロシアのスナイパー(J・ロウ)とレジスタンスの女兵士(レイチェル・ワイズ)があります。明日をも知れぬ極限状況での恋愛はどうしたってドラマティックになりますよね。

20日(日)にWOWOWで2003年に製作された「トロイ/TROY」(原題 Helen of Troy)というドラマが放送されます。
TV雑誌によると、
「ヒット作「トロイ」も取り上げた古代ギリシャのトロイ戦争を、映画では省略された戦争の始まりからきちんと再現された前後編のドラマ大作。戦争のきっかけなのに映画では分かりにくかった、ヘレンとパリスの恋が、詳細に描かれるのがいい」 だそうです。
これでも見て、勉強させてもらいます。


[434] またまた 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/16(Thu) 10:05

ヘクトルのことなんですが。 アキレスとの決闘にでかけた彼って、結局 弟のパリスをとったということなのかな、と思います。パトロクロスを殺してしまったときに、なんで若い相手だからとはいえ、あそこまでショックうけてたかを考えると パトロクロスにパリスが かさねてみえちゃったせいじゃないかと思ったんです。 自分にとってのパリスがアキレスにとってのパトロクロスだと悟ったからこそあんなに難しい顔してたのかな、と。自分が手をだしてパリスは命があったのに、反対にパトロクロスはパリスよりも若いのに命をおとしてしまった。そんなこと考えたら やっぱりヒヤッとするし、落ち込んでしまうだろうなと同情します。

アキレスはアキレスで、パトロクロスが死んだ時点で、ブリセウスとの平和な生活という選択肢はふっとばして ブリセウスのことも 配下からも離れて一人になるところ もう帰れないと覚悟をきめるところ、 でブリセウスよりもパトロクロスを問答無用で選んでいるわけで。 血とか 時間をかけてできた絆のほうを優先している感じで、男女間の恋愛感情は軽視している傾向があると思うんですが この作品。
女性のキャラクターのほうも 家族関係を大切にしていますし。
女優さんたちが出すぎていないのがよい、というのはそうなんだろうなとは思うのですが アンドロマケ役の女優さんとか素敵でしたので、本音はもうちょっと活躍してほしかったです(笑) でも舞台は戦争だし 男性中心の描写になるのは当然のことなんでしょうね。確かに男優さん見てるだけでも充分楽しめましたし。

恋愛至上主義じゃないというところは、でもこの作品の好きなところかもしれないです。
崇高だったり、ちゃんとした恋愛なら、他のなによりも優先されるーなんて映画じゃなくてよかった。
恋愛感情(異性間か同性間かに関わらず)が他の何もかも許される理由になる とか、弟や従兄弟を大切に思う気持ちよりも、上にくるのが当たり前だ・・なんて描き方からは かけ離れてる作品であることが嬉しいです。

ヘレン・・。パリスとヘレンって、映画では普通の可愛らしい 健康的な魅力の男女という感じでしたが(原作も内容知らないのですが) ギリシャの手先なヘレンっていうのも、すごく楽しそうです!


[443] たびたびすみません。 投稿者:風子 投稿日:2004/09/17(Fri) 00:06

リンクされましたね。絵をクリックすると大きくなります。


[444] ! 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/17(Fri) 08:54

あの映画で、一番好きなのがパトロクロスとオデュッセウスなんです!彼ら二人が誉められてるのを見るとすごく嬉しいです。
パリスが話の起になってるなら、パトロクロスは転なんですけど、パリスよりも、私はパトロクロスがキーになってるとしか思えなくて、もうこの話の一番の重要人物だと思い込んでるくらいです。 パトロクロスが死んだあと、両軍がショックをうけてひきあげるのを見て、パトロクロスってすごい子だなあと感心してました。

トロイの攻撃のまえのアキレスが鼻をうごめかすショットは、不幸の予兆?という感じで、ドキドキしちゃいました。
その不幸な悲劇のあとのアキレスとヘクトルの闘いも、二人ともパトロクロスのために戦っていると思うと、思い入れもひとしおです。
(決闘場面としての二人の静や動、アクションとして画面の力溢れる美しさを見ることの楽しさとともに、心情面ではアキレスもヘクトルもすごく悲しくて痛々しかったですよね。あのシーン。 ヘクトルには悪いけれども私はアキレスを応援しがちでしたが、ヘクトルとってもキレイでした。)

パリスもパトロクロスも優しい心の持ち主で、純粋で、迷いなく生きている。でもその表れ方がパリスとパトロクロスでは全く違うのにも関らず、結果として彼らの行動は同じく悲劇をよんでしまう。
でもアキレスやヘクトルはその個性のなかに悲しさをかかえた人物なのに対して、悲劇の原因になるパトロクロス自身は 陽性というか、ひたすら一途でさわやかで、曇りなくいきていて、そこが大好きです。

確かにパリスとパトロクロスの二人には若さというか性急さみたいなところがあり、それで批判をうけることもあるのでしょうが、私はパトロクロスのすること全てが愛おしくてしかたなくて何も考えられなくなってしまうのです。なんでだか、パリスとパトロクロスの二人に関しては、二人が関わっておきた出来事に対しても、彼らの周囲の人間ばかり責めてしまいがちです、私。

また、パトロクロス役の役者さんが、新人さんらしいのにすごく上手じゃなかったですか?
あのパトロクロスがヘクトルにやられて、苦しんで泣いているところ、あのシーンだけは、唯一泣ける!と思ったシーンでした。(もちろん他にも悲しいシーンはあるけれども、泣ける種類のものかというとちょっと違ったので。)
登場時間は 短いのに 存在感がすごくいきていて、大変に心に残りました。
テーマ上もあとの展開に説得力をもたせるのにも、パトロクロスはとても重要な役なので、彼みたいなひとが演じてくれて本当によかったです。誰よりも輝いていた気がします(他を殺さず、ストーリー上の効果としてちょうどいい程度に)。

パトロクロスに限ったことではないのですが、この作品のキャスティングは最高に素晴らしいと思います。
今回の映画のパトロクロスとオデュッセウスが、余りにも好きだったので、あの役を他の役者さんがやったりするのが想像できないというか、私のなかで オデュッセウス像とパトロクロス像がすっかりあのイメージで固まっちゃいました。
あと、ギリシャの船団がやってくる中、トロイの市内で、赤ん坊を抱えあげる黒髪のお母さんがとっても美人で、心に残ったなーとか、そういうことばかり気にしていて、映画鑑賞中はアキレスとヘクトルの二人に余り意識がいかないというか集中できてなかったかもしれません。でも、見終わったあと、二人の存在がちゃんとジワジワ効いてきて、やっぱり主役はあの二人ということなのか、主役がちゃんと立ってる映画なんだ、さすがだなと思いました。


[445] [440]で仰っていた 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/17(Fri) 09:04

船中でのヘクトルの言葉についてですが、本当だ 確かにパリスって寛容ですね。ヘレンへの愛も家族への愛も揺るぎなく確かだし。
でも和平交渉の帰りだってのに、ヘクトルがああいうふうに言いたくなるのわかりますよ。気の毒に。

パリスにもパトロクロスにも彼らなりの考えや行動がちゃんとあるのに、アキレスもヘクトルも、中途半端に子供扱いにして、これまで来てたような気がします。でもヘクトルのほうはこの戦い中、パリスを尊重する姿勢みせてましたけど。

パリスが戦いに参加したこともなく、重い責任は兄がになってるのを、ただ見ているところとか、他の現実とは違うところで自分一人超絶してるところは、ちょっと傲慢な気がするというか甘えというか もうちょっと歩み寄ってくれてもいいのに、と私は思ってしまいます。
でも、一人で他とは違う生き方をするのってパワーがいるだろうにそれをナチュラルにやってのけるパリスはすごい人だと思いますし、
メネラウスとの決闘で厳しい現実に触れて、変質してしまったパリスは好きになれなくて、やっぱり私は甘いパリスが好きなんだと思います。

パリスにはメネラウスもタジタジでしたよね。
名誉をおもんじること一筋にいきてきた彼なのに、あの年で、死ぬまぎわになって、パリスにカルチャーショック与えられて、揺らいだまま自分の自信とりもどすことも適わずにあの世行きだなんて。かわいそうすぎます。

こんな男がよかったのか!と叫んだメネラウスの声の悲痛さに、あれこの人本気でヘレンのこと好きだったんだ、と悲しくなりました。
パリスが逃げた瞬間、メネラウスの中で、妻をとられたという屈辱から、ヘレンが自分とはちがう生き方の男を選んだという悲しみのほうに、怒りからベクトルが移ってます。それにしてもショック受けすぎなメネラウスは本当に純粋だなあ。アガメムノンとメネラウスの兄弟は素直で可愛らしくて仕方ありません。

[442]で、ご紹介の絵 素敵ですねー。それに映画のパリス・ヘレンのイメージと雰囲気が似ていて楽しい・・。


[448] トロイとは関係ない話なんですけど 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/18(Sat) 00:31

トロイみたいに戦争を舞台にした映画ではないんだけれども、反戦色の強い作品をテレビで見たことがあるのですが、タイトルが不明なんです。
ある事件を追って、検事が冷静に捜査を進めて、最後には軍の上層部を告発するところまで持っていくというストーリーで、でも結局軍のクーデターによって全て引っ繰り返されてしまう・・というような話だったと思います。うろ覚えですが。
自分の中の良識を越えた行動には、とても出られないという意味で、リベラルっていうのは弱いんだなと思い知らされて、打ちのめされた覚えがあって、もう一度詳細を見たい作品なんですが。 どなたかこの作品のタイトルとかご存知でしたら教えてやっていただけないでしょうか。こんな拙い内容説明じゃ、わかるものもわからないかもしれないのですけど。あつかましいお願いこんな場所でしちゃいけなかったでしょうか。すみません。

トロイの中で、歴史に名を残すことに拘るアキレスを見て、連想として思い浮かんだのは、
・ 『指輪物語』(J.R.R.トールキン)で、自らの経験を書き留めることに拘るビルボを初めとするホビット連中 と、
・以前読んだ『太平記 <よみ>の可能性――歴史という物語』(兵藤 裕己) の2点でした。 こういう話にでてくる登場人物は、自分達の行動が物語りとして歴史に残るということを意識して動くという特徴があり、そこが何だか昔風だな と感じます。
また戦争っていうのは物語になりやすいというか、記述の対象になりやすいのだと思うと何だか物悲しいです。


[456] [449]のお話しを見て思ったんですけど、 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/19(Sun) 08:19

うーん、私は、ヘレンとパリス以外も、あの映画に出てくる人すべて、あまり複雑な思考のタイプする人っていないんじゃないかと思うのです。
別に頭悪いわけじゃないから、こうすれば先々起こるだろうことも予想はついているんだけれども、それは取り合えず考えないことにして目の前のことをパッパパッパと本能的に行動する人ばかりなような気がします。そういうの私は好きだし、特にこの中からパリスとヘレンが目立って攻撃されているなら、それはどうしてなんだろうかその理由知りたいし、興味があります。

映画のオデュッセウス、きらきらしててお茶目にくたびれてて、可愛すぎるくらいかわいらしかったです(笑)
もうちょっと違うオデュッセウスでも、きっと面白かったでしょうね。でもあのオデュッセウスはあれはあれで最高でした。
映画ではぺネロペイア、オデュッセウスの「妻」という一言でしかでてきませんでした。原作知らない私としては、いきなり奥さんが引き合いにだされて、一瞬 戸惑いましたが、原作ではそんなに素敵な夫婦なのですね。

素敵な夫婦といえば、
ヘクトルが死を前にして、アンドロマケに逃げ道教えるのをみて、一般市民に迷惑かけといて 自分らだけ逃げるんだ・・と不足を感じていたのですが、思いかえしてみれば、ここってヘクトルとアンドロマケの素敵な夫婦ぶりのあらわれたシーンでした。
ヘクトルが、自分の思うこと あるいは自分の中の憂慮や懸念を口にすれば、それそのままを理解してくれるのってアンドロマケだけのような・・。
説明しなくても理解は早いし、ヘクトルによって動揺させられても、それを周囲にまで伝播させず自分のなかに抑えておける気丈さがあるし。
一心同体というか、兄弟みたいに感覚が共通していて、寄り添っているんだけれども、多少の厳しい要求もし合えるような 二人の関係ってとてもイイと思いました。


[460] 「華氏911」 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/20(Mon) 00:15

お金払って、ブッシュの顔を見させられるなんて、とんでもないよ と思いこんでいたのですが、感想を読ませていただくと、面白そうな作品らしいので、ちょっと悔しいです。
他の映画を見に行ったときの予告で、テロが起こった直後の嘆きを訴えるブッシュの顔がアップで映ったのを見て、「とんだ大根役者だよ オイ」と 呆れてしまったのですが、思っていたよりもニュース映像で見るときなんかよりは抵抗感は感じず、ブッシュも意外にかわいらしいおじさんに見えるな、と変な感慨を抱いたのですが、実際のところ本編でもブッシュは可愛らしかったですか?
テロを知った翌日の晴天の朝、これからブッシュらは戦争に持ち込むに違いないと脅えつつも、テロが原因でブッシュ退陣に追い込まれるかも、と期待していたことを思い出しました。世間を知らずに楽観的にすぎた自分の予想とは正反対に実際は動いたことには、ほんとにガックリきましたが、アメリカの国民の人はどう考えているのかな?実際一人一人のひとは?支持率とかの数字が真実を反映しているって、とても本当とは何だか信じられないのですが。数学苦手もいいとこなので。


[461] オデュッセイア 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/20(Mon) 00:33

ショーン・ビーン主演でオデュッセイア(+素敵な女性をくっつけて)。
私も切望しております。早いとこ何処か作ってください!
ショーン・ビーンって、「フィールド」なんかで見たことのある、素直なんだけども少し、鬱屈傾向のある人な役もはまると思ってたんですが、
オデュッセウスみたいな役だとこんなにカッコイイんだ?!と驚いちゃいましたよ。

私がトロイ好きなのって、アキレスとパトロクロスが剣の稽古をし、オデュッセウスがやって来る、あのシーンの素晴らしさに魅入られてるせいかも、と思います。
オデュッセウスのあまりのかっこよさに、やられちゃったという部分もあるのですが、何よりあの3人の関係が素敵です。
劇場で同じ映画を2回以上見たことってなかったんですが、あのシーンを見るためだけにでも映画館に通いたくなるような、そんなシーンでした。
ノスタルジーというか、故郷の幸せな日常の美しさを あんな短い時間で、あれだけ描ききってることの見事さに感動してしまって。

この映画を戦争映画だとは思いたくないのですが、戦う兵士たちにも地元の平穏な日常というものがあるんだよ、と示しているところは確かに反戦的だと感じました。
(じゅうばこ様 オデュッセウス小説書かれてるんですか?!)

・テントで泣いてるブリセウスを見ていて、アキレス側にたってる観客としては複雑な気持ちでした。アキレスが死ぬのとじゃどっちがマシだったのかな、とか思って。ブリセウス自身が一番複雑だったんだとは思うんですけど。
でもそんなテントにかえってきて二人でいる、怒ったような困ったようなアキレスは好き・・というか二人は好きだと思いました。
アキレスは、エウドロス他身近な仲間や、ブリセウスを自分から離させて、自ら孤独を選びにいってるところがすごく寂しかったです。


[462] こんばんは 投稿者:亜紀 投稿日:2004/09/20(Mon) 01:54

はじめまして、亜紀といいます。
「トロイ」にはまり、あちこちをネットサーフィンしていたらばここを見つけ、書き込みさせていただきました。なんだか突然でしかも長文で本当に本当に申し訳ありません。

この映画、友人から誘われ何気なく見に行ったはずだったのですが、思いがけず心惹かれてしまい、いまだに映画館に足を運んでしまいます。
複雑に絡み合う人間関係の中で、私が一番心動かされたのがアキレスとブリセイスの恋だったのですが、友人にそのことを言ったら「あーゆうべたなのが好きなんだあ。ハーレクイン小説でも読めば?」と言われてしまい、ちょっとへこみました(笑)

アキレスについて。史上最強の戦士と謳われ周囲から名声を集めながらも、空虚な自分を持て余していて、誰かを上手に愛することも出来ないのに、誰かに愛されたくて仕方が無い…って言うとなんだか自分に構ってほしいがために好きな女の子にわざと砂をかける幼い少年が思い浮かんでしまうのですが(笑)
女性には不自由していないのでしょうけど、多分そういうのではなくて、彼の部下が彼に絶対の忠誠を誓うように、トロイの人々が神々を信じるように、…書いているとちょっとそれはそれで種類は違うと思うのですが、彼もそういう存在を求めていたような気がします。愛されるよりも愛したいというか。いや、相手も愛してくれなきゃ駄目なんですけど。
何の造作も無く人を殺し続ける自分を許さず、そんな自分と真正面から向き合って、その上で自分の全てを受け入れてくれる誰か。そんな存在を自分が求めていることはなんとなくわかっていても、彼はまだ安らぎを知らないから、その存在自体が彼の安らぎになりうることにまだちゃんと気付いていない。いや、気付いているかもしれませんが(どっちよ)でもとにかく、それは彼自身が心の安らぎを求めているということになるわけで。

ブリセイスは汚れを知らないからこそ恐れを知らず、誰に対してもどこかあたたかい雰囲気で接することが出来るのだと思うし、例え本人がそう接したくなくても、よほどのことが無い限りそうしてしまう気がします。なんだかもう、染み付いているというか。
ただ、彼女はお父様に似たのかお母様に似たのか戦士のごとく豪胆な女性で、誰に対してもずばずばとものを言い、どんなときでも素直に感情を表していると思うのですが、彼女がどんなに厳しいこと言って相手を…たとえばパリスを蹴飛ばそうが殴り倒そうが(ごめんねパリス)、その存在自体を否定することはないので、どんなに痛いところをつかれても、心の片隅では安心して彼女の言葉を聴けるのだと思います。言葉に限らず態度も。どんなに冷たく相手にとって厳しい態度をとっても、相手の存在は否定しない。切り捨てない。だけどそれは同時に彼女の真っ直ぐな気持ちと向き合わなければならないということで。場合によっては滅茶苦茶にぼろくそに罵倒され、存在を切り捨てらるよりも辛く苦しいし、痛い。

で、まあいろいろあってそんな二人が愛し合うように(はしょりすぎ)。
でもどんなに寄り添っても、どんなに愛し合っても、人は結局みんな独りで、決してひとつにはなれなくて。おまけに人生は、なにかを得てなにかを失うということの繰り返しで。
時にそれはどうしようもなく寂しく辛いことのように思えるけれど、どんなに繰り返し傷つけあおうとも、人は誰かを求め、愛おしく思い、大切にしようとします。
だけど大切にするということは本当に難しくて、傷つけたり壊したりしてしまったらいけないと思いその存在を自分から遠ざけても、手の届く場所にないとどうしようもなく寂しくなってしまうものだと思います。

アキレスにとってトロイ、そしてそこで生まれ育ったブリセイスやヘクトルは、彼が今まで見て感じていた世界を一変させる、モノクロームの世界を七色に染め上げる、そういう存在だったような気がします。
犯した過ちも受けた傷口も塞げば消えるものではないし、でもだからこそヘクトル殺してしまってもなお、陥落間近の燃えゆくトロイの中、自分から離れたくないといって(というか態度で示して)くれたブリセイスの存在が彼にとって本当に救いだったように思います。あの時、アキレスを人間たらしめていた唯一の存在が、彼女だったのだと思います。
彼がどんな気持ちで自分の死を受け入れたかは私にはよくわかりませんが、決してあきらめることの出来ない何かを守るためならば、他の全てをあきらめることは決して愚かなことではないし(それはあきらめとはいわないかもしれませんが)、ブリセイスと結ばれた夜と、トロイ陥落の日、彼が死んだあの夜は、確かに決定的に違うけれど、翳りのない安らぎに満たされていた点では同じだったような気がしました。

そんな風に思うところもあって、全体的にはああ無常って感じの終わり方だったんですけど、でもなんだか妙に幸せな感じにも思えて、そう思ってしまうことが寂しくもあって、うーん自分でもなに書いてるのかよくわかりません(笑)。

全然関係ないのですが、もし何事も無くアキレスがブリセイスをラリサに連れ帰っていたら、二人はどんな感じの日々を送っていたのだろうとよく考えるのです。でもどうも思い浮かばない。
あっちには彼と寝た女性がたくさんいそうだなあとか、テティスはどんな姑になるのだろうとか、パトロクロス君とブリセイスちゃんは仲良くやっていけるだろうかとか、アキレスは浮気しないだろうかとか、そもそもそうなったらトロイ戦争はどうなるのとか、そういう現実的なことを考えれば考えるほどなんだかありえない夢物語のように思えてきて、それはそれで寂しくなってしまうという(笑)。

たいしたことも書いてないのに長くなってしまってごめんなさい。しかも自分でもなにいってるかわからないぐらい話がはちゃめちゃ…。
小説やキャラママ様の講演文も拝見させていただきました。
「疾走」も、例え完結までに何年かかろうと楽しみに待っていられると思いますので、ゆっくりと頑張ってください。
それでは、この辺でお暇させていただきます。


[463] リンクはあれで十分ですv 投稿者:かがり かなで 投稿日:2004/09/20(Mon) 03:20

じゅうばこ様
そうですね。想像するにあの方なのでしょうね(笑)うーんそろそろ我慢しないで元ネタの「イリアス」を読もうかと思っています。
今自分でも「これならどうだ?」と思ったルートがあったんですが、よく考えたら無理なので却下しました…。待っております。

サヤ様
「華氏911」 は一見の価値はあると思いますよ。前作品よりは、監督色が抑え目なんですが、やっぱり「ムーアらしい」です。監督のブッシュの嫌いな理由が私の想像とはちょっと違っていたのが以外でした。戦争に対するメッセージは私が「トロイ」を見て感じたことを対して変わらなかったので、「激しく」へこたれることはなかったです。

亜紀様
アキレスとブリセイスの恋が好きという方を初めて拝見した気がするので、ちょっと有頂天になってしまいました。私も、あの二人の恋がとても好きです。普通の恋愛映画で泣けないのに、彼らには激しく肩入れし涙を流してしまいます。

どうしてかって言うのは途方もなく長くなってしまいますので他所のお宅では控えさせていただきます。うう、自分ところで頑張ろう。

そして私も、二人がアキレスの祖国に戻ったらどうなのだろうと考えたことがあります。アキレスサイドでしか考えれられなくて(笑)海が近いから漁師になるのだろうか、あのヘクトルをして「すごい」と言わしめたヤリを投げてカジキでもバリバリ取ってくるのだろうか、…似合わないなあ。などと想像して結局大笑いしてしまいます。

http://www.bmybox.com/~cinema


[464] ブリセウスって、 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/20(Mon) 09:27

最初にアキレスを起こしにきてくれた少年と雰囲気が似ていますよね。あの少年も 素直で利発そうな子で、アキレスと仲がよさそうでした。 ブリセウスがあの少年に似ていて、真っ直ぐな性格だったのも、アキレスが無意識でしょうけど、彼女に親近感と興味をいだいた理由の一つかも?と思います。
アキレスって、自分もそうだからか、真っ直ぐな人が好みみたい。パトロクロスもそうだし、プリアモスの直球な行動にも心動かされていたし。(て、ことはアキレスが信頼しているオデュッセウスも真っ直ぐなのか。アキレスにとってはそういう人ということかな。
確かに思ってることが直ぐ顔にでる素直なオデュッセウスで、彼には裏がなさそうでしたが。)
そして、兵士と巫女という全く違う立場だからこそ、突っ込んだ話ができるし、ぶつかりあえるというところもアキレスにとっては魅力だったんじゃないでしょうか。同じ兵士仲間には、そうそういつも物思いにふける様子見せるわけにもいかないでしょうし。
ヘクトルがあの朝パトロクロスを殺しさえしなければ、アキレスには幸せな新生活への希望があったのに(きっとパトロクロスとかブリセウスとか仲良くて、アキレスがまたニッコニコの毎日送るんじゃないかと、笑顔やふてくされる顔が頭に浮かびます)、ヘクトルも死なずにすんだのに と思うと、やっぱり少しプリアモスを恨んでしまいます。
絶対に無事で幸せでいて欲しいと思える存在を見つけることができて、彼女を希望として残して死んでいくことができたアキレス、死んだ兵士達の元へと逝けた彼を思うと、ブリセウスがいてくれて本当に良かったです。

かがり かなで様
感想教えて下さって、ありがとうございます。
「華氏911」やはり見応えある作品なのですね。ムーア監督がブッシュを嫌いな理由。気になります。
そして私もそろそろイリアス読んでみようか迷っているかもしれないです。映画みた直後、本屋でみかけたときには、下巻しか置いてなかったのですが、図書館ででも探してみようかな。

亜紀さまのお話しを見ていて思い出したのですが、私、トロイのベタなところもこの映画好きな理由の一つだったんでした。
ベタな 演出とかしていても、しょうもないと思わせずに、「面白い、ベタなん好き♪」と楽しませてくれるところがすごいです。
何につけてもトロイには感心させられてしまいます。


[467] 混乱してます 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/20(Mon) 18:51

□じゅうばこ様  華氏911のこと
あ~、やっぱりそうだったんですか。ブッシュの映像を見て好意を感じたことなんて あの予告が初めてでビックリしてたんです。
ムーア監督ってそういう人だったのか。彼の作品は見たことがなかったんですが、じゅうばこ様のお話を拝見して、なんだか少し感動しました。何か撮ろうとする人、特に人間を撮ろうとする人はそうであって欲しいですよね。

でも、ちょっとモヤモヤしちゃいます。
何年も前に、新聞で誰か忘れましたが、多分頭のおかしい政治家か誰かが、とんでもないことを言ってる記事が掲載されたんです。
内容はさっぱり覚えていないんですが、そのとき経験したことのない激しい怒りを瞬間的に感じました。
それは、自分の身の安全を脅かされるかもという恐怖から来ていたような気がします。「こんな人が存在してたら戦争とかになってコッチまでとばっちりだ、こんな人この世からいなくなればいいのに!」とかそういうことを思いました。多分。
その後すぐに、自分の気持ちにゾッとしました。
今まで理解しようもないと思っていた、独裁者とか、戦争起こす側の権力者の気持ちが理解できた、シンクロしたと感じたからです。
憎しみにかられて行動するくらいなら、負けちゃったほうがマシかもと思ってしまいました。弱い人間なので。

訳のわからないこと書いてすみません。でもじゅうばこ様のお話にけっこうショック受けてしまったので。
監督の作品作りの姿勢は尊敬しますが、そういう良識が通じない人とかもいるだろうと思うと・・。(誇りも何もかも捨てて目的一筋に行動に移せる人だっていくらもいるんだし。)だって、ブッシュの宣伝映画にもなりえてるわけなのでしょう?。顔も見たくないくらい嫌いだったのに、私も初めて好意もったくらいだし。 次の大統領がどうなるのかますます心配になりました。(映画とかがそんな影響力を持てると思っているわけでもないのですが。) それにブッシュみたいないかにもバカそうな人や小泉首相みたいに調子のいい曖昧なことしか言わない人が国のトップというのもあんまり嫌だなあ。


[468] [466]も読みました! 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/20(Mon) 19:02

カメラって、冷たくも温かくもなれるんですよね。その視線が真摯でゆるぎないものでありさえすれば、見る人はそれに感動できます。
そして、暖かい目線で人間愛にあふれた映画っていいですね!
それにアメリカの良さをいまだ現場の人が実感しているというか確信しているのだと知ると、ほっとできます。

話はかわって、
□ヘレンとパリスについての疑問
“史上最大の愛のための戦い“というコピーを目にして、映画実際見るまでは、何だ?ソレって思っていたのですが、
確かにこのコピー通りの内容で、妥当な表現でした。
パリスとメネラウスはヘレンへの愛のために戦うし、
アキレスやヘクトルは、パトロクロスやパリスやらのために戦ったし、
パトロクロスもアキレスやギリシャへの愛のために戦場にでました。
愛のための個人的な戦いの場面が結構あった。愛のためばかりとは言いませんが。一部 愛のため。

でも、映画未見の間は、上記のコピーって、一組の男女のために戦争が起こるのかな、そんな映画なのかな と不安な印象を与えてしまうと思うんです。戦い=戦争、そういう連想が働きがちだと思います。
そういうイメージが元々あって映画を見るということがあるから、だから戦争が起こったことに対して、ヘレンとパリスが批判的にみられがちなのかな、特に責任を問われちゃうのかな、と思ったのですが どうなんでしょうか。


[471] TV版「トロイ」見ました。 投稿者:風子 投稿日:2004/09/20(Mon) 23:49

同じ「イリアス」原作でも、視点を変えることでこれほど違う作品になるのかとちょっとびっくりしました。前後編の前半部分はヘレンとパリスの生い立ちから出会いですから(笑)ヘクトルもアキレスもその他大勢のひとりですもの。アキレスなんてほとんど海坊主(笑)それなりに可愛らしいんですけどね。
ま、それはいいとして、ヘレンのことがさっぱり分からなかった私にはいい勉強になりました。キャラママ様の「ヘレン考察」大変興味深く読ませていただきました。「イリアス」に描かれているヘレンについての知識もいまのところ私にはそれに拠るものだけです。その上で今日見たTV版のヘレンを振り返るとかなりの脚色があるように思えるのですが、なかなか魅力的なヘレンでありました。
印象的だったのは、子供のころにアテネの王・テセウスに誘拐されるエピソードです。世界一美しいという娘っこをおもしろ半分に誘拐したものの、その無邪気さ無垢さにたじろぐテセウスは彼女に手もかけられません。そして請われるままに彼女の出生について話きかせます。父王の留守中にゼウスに孕まされた子供がヘレンであること。母親は彼女を産んだ後傷心のあまり自殺したことなどなど。ショックを受けるヘレンではありますが、誰も話してくれなかったことを正直に話してくれたテセウスに奇妙な感情が生まれます。二人の間に友情とも愛情ともつかない感情が芽生えはじめたときにヘレンの兄・ポリュデウケスによって見つかり争いの末、ヘレンは愛するテセウスと兄を失ってしまいます。もともと呪われた娘をうとましく思っていた父王テュンダレオスは跡継ぎの王子を失った悲しみから、こんな呪われた娘は誰でもいいからどこかに連れて行ってくれと、ギリシャ諸国の王たちに差し出すのです。(このテセウスのエピソードはまったくの創作ですかね?)

このまま書いていくとあらすじを全部書いてしまいそうで怖いのですが(笑)、そうやって彼女の生い立ちや生まれ育った背景を知っていくとたしかに感情移入はしやすくなります。同様にパリス(なぜかエリック・バナ似)の生い立ちも、神々のいたずら込みで描かれ、こいつがしっかり者で優しくてめっぽう強いいい奴で、この二人を「世紀のバカップル」なんてホンのちょっとでも思った自分を呪ったほどです(うそ)。

二人の出会いはまさにトニーとマリア(「ウエスト・サイド物語」)!私にはあの体育館のダンス音楽♪マンボ!が聞こえてきたくらいです(笑)
で、ヘレンの自覚問題ですが(笑)、これがちょっとこのTVドラマのユニークなところでアガメムノンとメネラウス兄弟の確執(?)がかなり色濃く描かれており、ヘレンをめぐる兄弟の確執もあり、権力者アガメムノンに対して兄に頭が上がらないが反発も感じている弟メノラウスはなんだか初々しい印象の青年なんですね。ヘレンの境遇に同情し、純粋に恋してるわけです。でもパリスに恋してしまったヘレンは、パリスの命が危ないからと彼を逃がそうとします。「一緒に逃げよう」というパリスにヘレンは答えます「メネラウスは私にひどいことはしないから大丈夫」と。しかし、去っていく船を見送るヘレンは結局パリスとの別れに耐えきれず海に飛び込んで彼を追います。(ここまでヘクトルほとんど登場せず。。。ごめんなさい、みなさま・・・って、私が謝ってもねぇ)
そんなこんなで、もともとトロイ征服の野望を抱いていたアガメムノンには絶好の口実ができてトロイ戦争とあいなるわけです。
もうひとつだけ、とても印象的だったシーンを。
戦争になりメネラウスが多くの兵士と共に戦っているシーン。城の上からヘレンはそれを見ています。二人の視線が交差した瞬間、全ての動きがとまります。放たれた矢も空中に止まったままになります。
そこでメネラウスだけが剣をみつめて「一体自分はここで何をしているんだ?」というようにたたずんでいるのです。そしてまた戦いが始まります。演出家(あるいは脚本家)のメネラウスへの想いがかいまみえるようなシーンでした。

このTV版「トロイ」への賛否も、きっと映画同様分かれることでしょう。ストーリーとしてはちょっと雑な感じも否めないのですが、私には映画とはまた違った視点を見せてくれたことが新鮮でもあり、何よりヘレンとパリスの好感度アップでした(笑)
映画のことでもないのに、長々とごめんなさい。

☆サヤさん、「Z」のトランティニヤン、いいです!!最高です!!お役に立てて嬉しいです。


[472] TV版 投稿者:サヤ 投稿日:2004/09/21(Tue) 07:11

風子様のHelen of Troyの感想 読ませていただきました。楽しそうな作品です! 特にテセウスのエピソードが素敵。 そして無垢で美しくて、かわいがらずにいられないって、ヘレンとパリスって本当に似たもの同士の二人だなあ♪と思いました。回りで、ヘレンをめぐる争いがたくさんってことは、映画トロイよりも、ヘレンの特別な美しさが強調されているのでしょうか。そしてHelen of Troyのほうでも、メネラウスは純情な人なのですね。でもお兄さんとの確執にすっきりしない若者だなんて、さらに肩入れしたくなりそうです。
☆風子さま、「Z」のこと本当にありがとうございました! 判事さんがかっこよかったんだよなーってことだけは、ずっと覚えていたのですが(苦)。

あー、御覧になってない方もいらっしゃるのに、考えなしにも、重要なねたばれ部分書いてしまった・・。す、すみません。でも批判に使われたり、有名な作品だということは、もともと大筋ご存知でしたでしょうか。だといいんだけど・・。「サンチャゴに雨は降る」など、他のトランティニヤン出演作も見てみたいです。

キャラママ様の講演記事 拝見し、「女を守って男が戦う」ということ、このような映画の見方もあるのかと大変興味深く思いました。
そして以前みたドキュメンタリーを思いだしたのですが、アメリカの?二人の若者がいて、二人とも当初は戦争反対の意見を表明していたのにも関らず、一人は戦役拒否?で刑務所に収容され、一人は応じます。その人が言うには、僕が行かなきゃ誰が大切な人を守る?ということらしく、そんなこと言う若者がいるのも戦争のなくならない一因だと腹立たしく思い、でも何が大事かの見極めはその場その場で判断するのって難しいだろうな、色々事情もあるのだろうなと同情したりもしました。
でも今回キャラママ様のお話を見て、後者の判断に、アメリカの男性っぽいマッチョ思考みたいなものも少し影響していたかもなーと思ったんでした。××のために戦うって、ばからしいんですけれど。


[473] お久しぶりです!!トロイ、まだまだ盛り上がってますね。(笑) 投稿者:ガブリエル 投稿日:2004/09/21(Tue) 17:42

じゅうばこさま+みなさん、お久しぶりです。

暫く忙しくて掲示板を拝見出来ないで居ましたが、
ちょっと時間が出来、覗かせて頂くと、
まだまだ「トロイ」で盛り上がっていて嬉しくなりました。

また、新しい「トロイ」好きの方々の、
感想&思いを知る事が出来て、
とても興味深かったです。

亜紀さんの462や、サヤさんの464や、
じゅうばこさんの469の書き込みは、
アキレス&ブリセイス派の私には、嬉しくなってしまいました。この二人の恋愛賛同者が増えていくのが、
本当に心から嬉しいです。
あの映画での二人の描き方は旨いと思います。
旨く書けないのですが、多く言われている下手って言う恋愛の枠では、収まらないと思っています。

私もじゅうばこさんと同様、二人のラリサでの生活って想像しやすいのですよね。(まあ、私はブリセイス・サイトですが・・・)
トロイとの違いで、始めはカルチャーショックを受けるかもしれないけれど、結構マイペースで生活していきそうに・・、想像してますね。

最後になってしまいましたが、「三幅対」の感想を。
短いですが・・。
読むのが苦しく感じる箇所が多くありましたが、
基本的には面白く、興味深かったですね。
同人(やおい)では読めない、アキレス&ヘクトルを、感じ取る事が出来たのは、お得でした。
じゅうばこさんが書き出した大王、う~ん、嫌な奴ですが、面白いと感じましたね。
アキレス+ヘクトルとはまったく違う、カリスマ性を感じましたね。(これが有るから、ギリシャの大王に成っているんだなぁ・・と、妙な感心をしてしまいました(笑))
大王のヘクトル観+アキレス観+ブリセイス観は、
どれもただ間違って居るとは思えない。(偏りすぎてるけど・・)確かにこれも、一つの見方であると、
読んでいて強く思いましたね。

辛らつで厭味で、皮肉で、ドロドロしてる。
読んでいて楽しいものでは無いけれど、
この話の彼を、ただ嫌な奴の一言で、切り捨てられない(拒絶できない)のは、彼が己を良く知り、それを認めている所為です。(まあ、この行為も、彼は利用しているけど・・)

読んでいて、私がヘクトルが妻に逃げ道を教えた辺りから、
彼が好きだなぁ・・と、感じ始めたのも、案外この大王のヘクトル観が私の中にも、潜んでいた所為かもしれないなぁ・・・と。

ああ、旨く纏まらない・・・!!
読後、暫く経ってから引き出した答えは、
矢張りヘクトルは大王の部下にはならないだろう・・と。
でも彼は生き続けられないように思う。

アキレスやブリセイス、パリスはどんな姿に成っても、
生き続けるだけの強さを持っているように感じるのですが、
どうしてもヘクトルにはそれを感じる事が出来ないのです・・。すべてを失った後の彼の行き続ける姿は、想像できない・・・。

纏まりが無く、ごめんなさい。
また感想書きに来させて貰います。


[481] お疲れ様です 投稿者:かがり かなで 投稿日:2004/09/25(Sat) 16:58

キャラママ様御身体大切になさってください。確かに書き物って深夜の方がはかどりますけど。静かですし。邪魔も入らないし。

キャラママ様が書かれている件、「ゆらぐ戦争の大儀」というタイトルでヤフーに上がっていましたね。「華氏911」を観て帰ってきた直後でした。
「大量破壊兵器があるかもしれない」で戦争を起こせるのですから、人間って3200年前とちっとも変わっていないどころか退化しているのではないかと思うほどです。どうして「あんな理由で戦争が起こるなんてありえない」なんて皆言えるのかしら。もっとしょうもない理由で今まさに起こっているっていうのに。イラク戦争も昔だったら良かったのにね。そしたら勝てば官軍で、大儀の意義なんて追求されることもなかったのに。

「華氏911」意外に評価が低いですね。で、低い人のコメントを聞くと「公平であるべきだ」というのが殆どです。(あと「もう今更知っていることばかり」とか。)今まで戦争を扱った映画で「公平」な作品がどれだけあるのでしょうかね?第二次世界大戦物なんてドイツ軍人悪者ばっかり。どうして今まで「公平じゃない」作品を楽しんできたのに、今更「公平じゃない」?不思議なことです。

最近「アマデウス」を観ました。
生きている時には余り評価されなかったモーツァルトの才能を、唯一見出していたサリエリから描いている作品なのですが…。
一般観衆は「長すぎる」とか「音が多すぎる」とか「オチが盛り上がらない」などと酷評するのですね。ですがモーツァルトやサリエリからすれば、これ以上一音だって削れない完璧な作品なのです。失意にくれるモーツァルトにサリエリはこう慰めます「観衆に限って言えば、四時間も聞く能力が無い」「オチは大袈裟にしなくては喜ばれない」「君は観客に多くを求めすぎる」
自宅で見ていたから遠慮なく笑ってしまいました。「トロイ」はまさしくそうだわ、と。私からすると、もっと余韻が欲しい。詰め込みすぎ。三部作にしてもらってもいい位。観客は一度にそんなに沢山メッセージを読めないよ。脚本家も監督も俳優も観客に要求多すぎ、とよく思っていたので。

あまりにも「トロイ」に入れ込みすぎて(苦笑)
先週見たときに、初戦のトロイの浜辺のシーンでぶるぶる震えるようになってしまいました。やだーこんな風に死にたくない…。そして「バナ生きてるから生きてるから。ブラッピー生きてるから生きてるから。」とか言ってしまう。アホじゃないでしょうか私。もう末期。

フローチャートは…(苦笑)私たちは各キャラクターの思想を変えない前提で進めているので、パリスとヘレンにあれ以上がみがみ言わないことにしたのですよ。
映画上のシーンで「パリスを説得する」という選択はバツってことで。

私兄弟が城壁の前にいるところ、パリスは視線を感じて(その辺は愛が深い)振り返ったらヘレンが王族の場にいたのでびっくりした。って感じだと思っていました。
パリスは出陣する前にヘレンに「僕の戦うところを見てくれ」と言ったのでしょうか?どうだろう?どっちかなあ。判断に迷います。結局見に来るわけですけれど。
ヘレンはアキレスとヘクトルの一騎打ちの時一人で佇んでいた(よく考えたら何故あそこパリスと一緒にいないのだろう?)ことといい、パリス以外の人と接触する場が無いんですよね。やっぱり居辛いんじゃないかと。だから、呼ばれていないけれどおずおずと入ってきて、その辺を察してプリアモスが「こっちにおいで」って言うのかな、って思ってたんです。その後ギリシア軍が撤退するときプリアモス、ヘレンとアンドロマケの手を握りながら喜ぶんですよね。そういう意味ではいい王様だわ。
http://www.bmybox.com/~cinema


[482] 何だかだ走り回ってる間にもう10月が目の前に。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/26(Sun) 21:28

◇キャラママ(板坂)は「9月初めの犬の命日を忘れてた!」と焦って、今日お花と犬のかんづめを買っていました。

◇かがり かなでさん。
キャラママがご心配いただいて感謝しております。でも、誰も彼もどうしてこう忙しいんでしょうねえ。私の回りだけかしらん。

「華氏911」を批判する人のそのご感想、「知ってることばかりだった」というのを数日前にどこかのサイトで拝見して、「がーーーーーっ!!」と吠えそうになってました。
いまどき「公平な」表現が映画や文学にあるかのような無邪気な言い方と、こういう「知ってるもん」発言と、どっちにより多く腹が立つか考えるのも不毛な選択というものでしょうが、どっちかというと私は後者が気に食いません。
私は知りませんでしたけどね。ブッシュさんがあれだけ国内のテロ対策手抜きして沿岸や町の警備がらあきのすけすけにしてるのなども。でも、仮にあそこで言われてること皆知ってたって、「よく言ってくれた、もっと言ってくれ、たくさんの人に知らせてくれ」と思ったことでしょう。

「知ってた」という人たちが、「知ってたけど、それは公平じゃない、正確じゃない、自分の望みや要求とあいいれない、都合が悪い情報だ、だからあんまりこういうの知りたくない、知らせたくない」とか思って言ってるのなら、つまりそれなりのムーア監督のメッセージへの方向性への批判として、そういう手法使ってるんなら、まだわかるし理解できるんですけどね。
もし、そういうんじゃなくて、ただ「あー、こんなの知ってる」と、ほんとに、ただ、言いたいだけで言ってるのなら、はっきり言って私はそういう人たち、成績とか学歴とか知能指数とかそういうこととはまったく関係ない意味での「バカ」だと思いますよ。

ところで、おたがい入れ込みすぎかもしれない「トロイ」ですが(笑)、上陸戦闘場面で震えるようになったとのお話をうかがって、そういう方がいらっしゃるんだと安心したはずみに、ふだん絶対言わないことを言ってしまいますと、私、これもかがり かなでさんが以前に、見ていてすごく暗くなるとおっしゃった、城壁前の激突場面、ああいうの見るとわくわくしてしまうんです。
それも、あー、昔から絵本や名画やなんかで見なれてた絵柄がそのまんま映像になってる!という感動だけではなく、自分があの最前列にいたら、どうするかなあ、死ぬまでに何人殺せるかなあ、絶対できるだけ多くやっつけちゃる、とか妙にはりきるのですよ。同じことなら、やっぱりああいう時は先頭にいたいよな、とか。
これは私の戦闘能力や運動神経とはいっさい何の関わりもないのはあまりに明らかなんですが、気分としてはまさにそう。こういう私が何でもう戦争絶対反対の発言行動主張してるのか、まあでもそんなもんかもしれませんが。

ヘレンのトロイの中における不協和音的動きは印象的ですよね。脚本はこのへんもとてもうまく処理してると思います。リンクさせていただいてるサイトでの批評、いちいちうなずきながら読ませていただいてます。

トロイ戦争を避けられるか?がテーマの小説「おれにまかせろ」、試行錯誤しながら書いてるので、読んでる方にはご迷惑かけてるのですが、今までのところでまとめておきますと、私は船の上でヘクトルと同時に事態に気づいたとしたら(3000年前の外交関係の常識なんてわかりませんから、「イーリアス」その他でだいたい推察できる程度のことで、あとはもう今の感覚。それで、そんなにはずれはないと思います)、

1 メネラオスとアガメムノンの接触だけは絶対に阻止する(アガメムノンを介入させてはならない)。

2 そのためには、ともかく一刻も早くスパルタに引き返し、メネラオスにこちらの姿を見せる。

これが最初の基本だと思っています。ここははずせない。あとは、

3 このことを盾にとられて屈辱的外交をしてはならない。

4 パリスとヘレンに別れろと言ってはならない(それでは二人の協力が得られない)。

などかな?(笑)


[486] はじめまして。 投稿者:秋津 投稿日:2004/09/30(Thu) 12:35

じゅうばこ様
初めて書き込みさせて頂きます。
とある同人系サイト様から伺わせて頂きまして、「トロイ」に関する膨大な考察に舌を巻きました。
私も「トロイ」にハマったひとりで、特にアキレスとヘクトルの関係性には鑑賞直後からものすごく惹かれるものを感じていました。

個人的なことで恐縮ですが、只今留学をしておりまして、すっかり「トロイ」への"萌え"を忘れかけていたのですが(汗)、じゅうばこ様の考察を読ませて頂いて、「そうだよ!」と思い起こされた感じです。
恥ずかしながら私も同人系サイトを運営しておりまして、留学と言うこともありすっかり放置気味なのですが、来月には「トロイ」もDVDが日本で発売されるそうなので、できれば今度は字幕なしで彼らの戦いを観たいと思っている次第です。

あと、じゅうばこ様の文章を読ませて頂いて、日本語にしろ他国語にしろ、「書く」って作業、私も好きだったなぁと思い出すことが出来ました。このところというもの、新しい環境に巻かれて何が好きだったのか忘れかけていたので。
この場を借りてお礼申し上げたいです。

では、長々と乱文失礼致しました。

http://fenrir134.hp.infoseek.co.jp/


[487] あー、もうそう言っていただけると恐縮するばかり。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/09/30(Thu) 21:24

◇秋津さん。
いらっしゃいませ!おいでいただいてとてもうれしいです。
「トロイ」については、こんなことになるのなら、もうちょっと整理して短く書いておくべきだった…と今になって後悔していますが、もう遅いですね、完璧に(笑)。
私は時間がなくてまとめる元気も余裕もないほど、だらだら書いてしまうので、もうほんとに量だけがやたらと増えてます。これを誰が読むというのだろうと最近は頭かかえてます。
サイトにもおうかがいして楽しませていただきました。このサイトの「トロイ関係一覧」のページでリンクしたらご迷惑ですか?今のようなかたちで書き込みの都度紹介していただくのでも、もちろんかまいませんが。

前にも書いたことなのですが、「トロイ」は、そのもとになったギリシャ神話の世界からして、同性愛が自然にからんでおり、そこがこの映画を愛する人たちの中にも、混乱や時には対立を生んでいるなと感じることがあります。
この作品をもとに、とことん露骨な妄想を楽しもうという人も、そういうものを一切排除してこの映画を楽しみたいという人も、どちらも私は否定できません。その両方がまったく無理なく私の中には共存しますから。
なので、このへんに神経質になることに逆に不安を感じます。

(二次的)創作であれ、感想であれ、当然自分の感性その他に合ったものとそうでないものとはあるわけで、私にもそういう好き嫌いは当然あります。
ただ、そこで私は「同性愛的描写があるから」「ないから」ということを好き嫌いの基準にはしません。
あろうとなかろうと、好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いです。

キャラママ(板坂)は以前に授業で学生たちに、「あなたたちの誰かが私にホテルに行って愛しあおうと誘って、私が断ったとする。その時、あなたが私の教え子だから、年下だから、人の夫だから、妻だから、女だから、断られたのだと思ってはいけない。あなたが、あなただから断られたのだと思ってほしい」と言ったそうです。
彼女はまた、「男は女を守るのは義務だから、などと言って私を守るのなんか失礼きわまる。『自分○○は、あなた板坂を守りたい』と何で言えない。それなら守られてやってもいいけど」とも申しております(笑)。
そういうこととも関係があるのかもしれません(ないかなあ。笑)。

英語ができるのはうらやましいですね!
それで思い出しましたが、2ちゃんねるでは原脚本をざっと訳した方がそれを紹介しておられました。読んでみていろいろ面白かったです。

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