掲示板でのおしゃべり2004年12月以降
[509] 何だか我ながらどっと疲れてしまって。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/12/02(Thu) 21:11
◇仕事じゃありませんよ。それはいつものことで(笑)。
「鳩時計文庫」の更新をしているのですが、この数日。もう、よくも昔は私たち皆、こんな恥ずかしいものを書いていたなと我ながら、一人でギャーギャー言ってます。
下手だ、という意味ではないですよ。それを言うなら多分皆、今でもだろうし、別にまあ、そう見られたもんでもないということはないと思う。でも、何と言ったらいいのか、まあその、ああ、ほんとに若いということは恐れも恥も知らないもので。
今、「グラディエーター」や「トロイ」の小説書いていますが、してみると、あと30年も生きたら、これもきゃあ、ひゃああ、と言いたいぐらい恥ずかしくなるものなのでしょうか?今とはちがった意味で。そう思うと、ちょっと長生きしたくなる。100歳ぐらいになってもいいから(笑)。
こんなこと書いてもほんとにしょうもないのですが、つ、つまりですね、この昔皆で書いた小説の更新って、手間とは別に何だかすごいエネルギーがいるのです。知らなかったわあ。予測してなかったわあ。まあいいけど。まだ自分にも恥じらいがあったってことが、妙に実感されて。
しかし「青い地平線」と「A高」、同時に進めるとここあたりからしばらく何だかあまりにあまりなんで…少しどっちかだけにします。まあ、この二つだけでなく、「これが読みたい」というものがあればあちらのアンケートでも、こちらの掲示板でもどうぞご希望をお聞かせ下さい。
はあああ。深呼吸して、明日からまた少し更新いたします。他の話もおいおいと。
「トロイ」関係の小説については、同人誌方面の皆さまの作品が面白くて、ついつい読みふけってしまって、ちょっとさぼってますが、これもその内に。あ、2ちゃんねるで見たのですが、何ですか多分外国の(アメリカかな)のサイトで、最高に伸びてるスレッド(つまり盛り上がってる話題)が「アキレスをきらいな10の理由」ってやつだそうで、私は英語苦手だから、もちろんそのスレッドは行っても読んでもいませんが、その題名見ただけでたいがい笑ってしまいました。
それはつい誰でも書きたくなるでしょうね、よくわかる。ついでに、映画の中の人たちのもみょーに思い浮かぶ。パトロクロスなら「1.戦いに出してくれないこと 2.帰国してしまうこと 3.わかるように話してくれないこと 4.大人扱いしてくれないこと 5.ブリセイスとつきあったこと」とかで、エウドロスだと「ご自分を大切になさらないこと」とか、パリスなら「1~9.兄を殺したこと 10.ブリセイスと愛し合ったこと」だろうし、アガメムノンだと「たった10しかないのか?」だろうし、オデュセウスは?アイアスは?と考えてると、たっぷり遊べる(笑)。それで、へクトルとプリアモスはどっちも「ええっと…別にありません」「さあって、そう言われると特にないなあ」とか言いそうなんですが、何となく。
ブリセイスは「1.死んじゃったこと 2.バカなとこ」とか?あ、とっさに言ってるんで深く追求しないで下さい(笑)。
[511] わっ、わっ、わっ、どうしよう、というようなことばっかり。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/12/05(Sun) 00:43
◇ひとつは他愛もないことなんで、その内ほとぼりさめたら言います(笑)。
◇かがり かなでさん。
チャットにお招きいただいたのに、行けなくってすみません!もう、仕事が限界ぎりぎりの状態で、さすがの私も世の中や人目をごまかせませんでした。
今度は絶対お邪魔しますので。また必ず誘って下さい。
サイトの日記の「ブラックホーク・ダウン」の感想拝見しました。前にも言ったかしれないのですが、映画館で見た時の強烈な違和感を今も忘れません。自分がその場にいるような異様なまでの不快感(映画への不快感ではありません)をずっと感じつづけました。しいて言うなら、昔、学生運動していた時の日常の、常時吐き気がしていたような(嫌悪感という意味ではこれまた必ずしもなく)に非常に似ていました。
これは「鳩時計文庫」で言うなら、潮由美が「水の王子」の第三部「都には」で描いた世界です…いつアップするのかわからないですけど。
◇サヤさん。
「モーターサイクル」もう一度見たい気もするのですが、はまってしまうか、欠点や弱点を見つけてしまうか、どっちも恐くて、どうもこれきりになりそうです(笑)。原作の本はせっせと読んでるのですが。映画とはまたちがって面白いです。
この前私としゃべった恩師は、「『ハウル』は予告編見て行かないと決めた」と言ってました。「何がおいやなのですか」とお尋ねしたら、「あのお婆さんがかわいくない。あれをずっと見せられるのはたまらん。城も今ひとつ。もっと魅力的にしてもらいたい」ですって。 後で考えたら…あ、これは長くなるので、また。
私たちの世代には、あまり「ネタばれ」という感覚がありません。なので、恩師は「父帰る」のあらすじも内容もぜーーんぶしゃべってくれました。それはそれでまた面白いのが困るんだけど(笑)。
で、「あんなわからない映画はない」とけなしてました。「一言言えばそれですむんだよなあ。そう思って見てるから、まるで感情移入できない」って。そこで「ダンサー・イン・ザ・ダーク」をいきなり出して「あれと同じだよ」とおっしゃるので、「どこがですか。私はあの映画は大っきらいでしたが」と言うと、「だから、『一言言えばすむことを、何で言わないんだー?』と思って全然同情できないのが同じだ」とのことでした。
私は「父帰る」は見てないのですけど、「そりゃーだって、一口には言えないような事情があるんじゃないんですか」とか反論してたけど、あんまり説得力はなかったなー、多分。
きゃー、またこんな時間ですね。また明日まいります!
[512] いやまったく 投稿者:キャラママ(板坂) 投稿日:2004/12/05(Sun) 23:14
◎じゅうばこも書いてますが、わか~~~~い時に書いた小説の見直しは疲れます。同人どうし押し付け合いです。(笑)
何とか少し「青い地平線」アップしました。当分これを急ぎます。他の作品でアップのご希望がありましたら、こちらの掲示板にでもお知らせ下さい。あちらでもいいです。対応いたします。
おっ、今夜は12時前に帰れるか?
[513] やっと一寸時間が。 投稿者:かがり かなで 投稿日:2004/12/06(Mon) 23:51
ペコ様
ご挨拶ありがとうございます。サイトにご訪問していただいたそうで感謝いたします。よろしければお暇なときにでもまた来てください。
私など本当にすごいレビューサイトの方に比べたらまだまだです。一時期はたくさん見なくちゃ!と焦らされたりしたのですが、本数よりも感想の質に気を配った方がいいや、とボチボチやっていこうと思っています。
「オールドボーイ」は本当にお気楽な気持ちで見に行って、余りのすごさに吃驚しました。
私は「JSA」から割と気にして観る様になりました。「殺人の追憶」もラストのかさぶたを剥がす様な後味の悪さが、日本ではきっと出来ないすばらしい作品です。
日本では「デビ○マン」なんて映画作品とも呼びたくないようなものを作っているのに、こんな近くの国ではこんなすごい作品が生み出されているかと思うと…。でもいいやアニメは日本が一番だから(言い訳)。
「OB」はカンヌで「華氏911」とパルム・ドールを争い、タランティーノ曰く「本当はこの作品に賞をあげたかった」とのことですが、鑑賞後その言葉に納得したし、彼の真っ当さに感心しました。
「OB」は彼の好みにあうだろうし、映画の質としても高いです。でも「華氏911」はあの瞬間に評価するべき作品であるし、そうでなくてはあの作品の存在意義がないと思うのです。言いすぎかもしれませんが今後「OB」のような映画を作ったり評価するためにも、あそこで「華氏911」に賞を与えたタランティーノの人間性に感心しました。
じゅうばこ様
来ていただけなかったのは本当に残念ですが、お気になさらないでくださいね。よろしければそちらの都合を教えてくださいませ。
「ブラックホーク・ダウン」のレビューはあげておきました。よろしければご覧になってください。今までの鑑賞映画のジャンルを見て意外に戦争映画を観ていないことに気が付きました。 本当はバナ演じるフートに対して一寸した言及があるのですが、それはまた後日あげたいと思っています。
フートは「トロイ」でいうならオデッセウスのようなキャラクターですね。
余り「突きつけられた」印象がありませんでした。TVで鑑賞したせいかとも思ったのですが(もちろんそれもある)、どのキャラも矮小にも英雄にも描かれていないし、映画的な装飾されたリアルとは違う。最初からドキュメント的に描いているからそう感じたようです。
よくよく考えてみたら、この事件から映画が上映されるまでたった5年しか経っていないのですね。そのことに一寸びっくりしました。
こんな手痛い、あらゆる意味においての失敗を言い訳も美化もしないで忠実に描くなんて。
最近、「ギルバート・グレイプ」がよく話のネタに上がってくるのでDVD買ってしまおうかという気になっています(苦笑)。
そういえば私がこの作品を観て最初に思ったのは「こんなアメリカ人いるんだ…」って事でした。なんでこう、心の中に色々溜め込んで煮え切らないんだか…観ると脳が煮えるのです。好きなんですがね
じゅうばこ様が「ヘクトルよりもギルバートの方が聖人君子に見える」というご意見に関して、師匠は「そりゃそうでしょう」と申しておりました。
「ギルバートは他にしたいことがあるのにそれを我慢しているからね。ヘクトルはその瞬間に彼なりの一番したい行動をしているから。マラソンが好きで走っている人はへばっていて、他人に『走るの止めなさい』と言われてもやめないでしょ?それと一緒だよ」ですって。
ああ、もう少し書きたい気もしますがこの辺で。
http://www.bmybox.com/~cinema/
[514] あら~まあ 投稿者:キャラママ(板坂) 投稿日:2004/12/06(Mon) 23:53
◎教育改善何とか室(ごめん)に出す書類と、明日の留学生用の「日本の文学」の資料と、今度出るかもしれない本のあとがきと、今日締め切りだった紀要の校正と、全部横一列に並べて仕事していたら、どれも完成しないうちに夜中になったわ。帰って寝ます。
と言いながら「青い地平線」を少し更新。第二章が長すぎてはみだし「続」まであります。よろしくごらん下さい。はあ~でもまあ、これ書いた頃、私たち皆元気だったのねえ・・・つくづく。
[515] あー、もう私も書きたくてしかたないんですが。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/12/07(Tue) 19:07
◇かがり かなでさん。
仕事が私を呼んでいる、ちがった、追いかけてかかとにかみついている(ふんでやろうかしらん)。
そう、ヘクトルとギルバートでは、絶対に後者の方が耐えてる感じです。だいたい私はヘクトルが気の毒ではあるけれど、あんまり悲惨で痛々しいという気はしないんですよね、見れば見るほど。俳優さんのイメージが働いているとは思いませんが、彼はどこかのんきで明るい感じがただようのです。引きずられていてさえも(笑)。
ああいう人は、皆につくし、義務を果たすことがつまり好きでしたいことなので、「あなたの好きなことをしなさい。何がしたいの」と聞かれたら、ほんとに困ると思うんですね。
きっと、すっぱりわりきってるし、迷ってもいないし、だから見ていてすごく救われる気さえします。
むしろ、そういう意味での痛々しさはアキレスの方に感じます。彼こそいろいろ考えて、耐えてしまってることが多いのじゃないかとつくづく思います。「バカにわかるような言い方をするのなんて、相手に対してとても失礼だ」という感覚があるんじゃないでしょうか、この人は(笑)。
ギルバートの方はねえ、最初に見た「プラトーン」で、無線係の若者になって、トム・べレンジャーのバーンズから「通訳せんか、こら!」とヘルメットの上から頭たたかれてたりした姿が目にやきついてて、それ以来もう何か「耐えてる」人に思えてしまうっていうのもありますね、きっと。第一印象って恐いわあ。
何とか時間がとれたら遊びに行きますので。今はもう熱いトタン屋根の上の猫状態(どんなんや)なもので、うーーー。
◇「青い地平線」第三章までアップ。最初の地雷原は抜けたかな?と思ったらまた次が…ほんとにこの時期の私たちって、恐いもの知らずの恥知らずとしか言いようがないですねえ。いいけど。
[516] この数日 投稿者:キャラママ(板坂) 投稿日:2004/12/08(Wed) 18:34
◎日本の子どもの学力が低下した、特に文章を理解する力が低下(退化?)した!って驚いたり騒いだりしてる話を私の回りでもよく聞くんですが、そもそも「自衛隊の活動してる所がすなわち非戦闘地域」などと、「不思議の国のアリス」のトランプの女王が言いそうな、「キャッチ22」の小説の中でしか生きてる間はお目にかかれまいと思っていた、論理も感情も無視破壊した発言をする総理と、「そう言ったって、あの人以外にこれという人もいないし」などと、これまた意味なし意志なし表現する内容なしの発言を平然としていたりする国民たちの国で、子どもだけまともな言葉の理解力が育ったら、その方がよっぽど異常でしょうさ。私はちっとも驚かないわ。 と、言うように、荒れとります。私。
「青い地平線」ちょこっとだけ更新しました。第四章に突入です。
[529] クリスマス・イブというのに、ここをのぞいて下さっている皆さん(笑)。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/12/24(Fri) 22:09
◇「青い地平線」もうすぐ更新します。あとそうですね、10分ほどお待ちを。
それにしても、イブというのにこんなまあ…しかし、案外こういう話をこういう時に読む方が何か元気が出るものかもしれません。
今日、黒崎ロキシーで「トロイ」を見てきました。
見れば見るほど悲しい映画ですね。華やかで大味と見せかけて、緻密で重厚、ギリシャ悲劇のようなぬきさしならない運命が描かれているのが実に私好みだと、あらためて確認しました。
そーゆーややこしいことはさておくとして、アキレスがブリセイスの血を拭いてやろうとして二回ほどはたきかえされて、思わず布をぶっつけるところ何回見ても笑えます。ほんとにまあ、こういうやつだなあと思って。怒ってるというのでもないのだけど、どうしていいのかわからなくなると思わずこうしちゃうのですね。トロイ兄弟だったら、それぞれ別の意味で絶対しない行動だろうなあ。
いかにも男の子の行動のようで、ものすごく女の子がしそうな反応でもあるのが、すごくおかしい。さすがアキレス(笑)。あれは監督の指示ではなくて俳優の工夫のような気がします。
それと、木馬を見てパリスとヘレンが会話するところ、彼らの向こうに立っている兵士のよろいがめっちゃ派手な気がするのだけど、あれは何なのでしょうか。あそこにしか出てないようなんだけど。どなたかDVDで確認しておわかりになったら教えて下さいませ。
[530] クリスマスなのにここを観に来ている私(苦笑) 投稿者:かがり かなで 投稿日:2004/12/26(Sun) 00:23
毎日拝見しには来ていますが、なかなか時間が取れずバタバタしておりました、じゅうばこ様やキャラママ様などはなおさらでしょう。
最近は他作品やレイアウトに時間を割いてしまい、「トロイ」考察がままなりません。何だか余りにも色々考えすぎて「今更こんなこと言わなくても皆わかっていることなんじゃないの?」とさえ思ってしまったりして。
余りに昔の返信で申し訳ありませんが(汗)
>>「あなたの好きなことをしなさい。何がしたいの」と聞かれたら、ほんとに困ると思うんですね。
本当にヘクトルはあの作品中でしていることが、彼なりの選択なので困りそうですね。
しかし、好きでしていることですし一応周囲は彼の行為を評価しますが、彼自身は「正しいことをしている」「なんら恥じる行為をしていない」とは決して思っていないところがヘクトルを心情的に気の毒だと思う一つの理由です。
ギルバートは全くその逆ですね。
本当にしたいことはたくさんあるけれど、彼なりの選択であの生活を送っていて、真っ当なことをしているという気持ちが慰めのはずなんですが、の割には「あいつはちゃんとやっていない」「もっとちゃんとしてよ」と周囲に言われてしまうのが気の毒です。
で、その不当な評価に時々切れるんだけど切れた自分にまた凹む人なんで。
http://www.bmybox.com/~cinema/
[531] こちらもまったくばったばったの毎日です。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/12/27(Mon) 01:02
◇かがり かなでさん。
キャラママ(板坂)ほどはキレてないけど、私もこの忙しさにはちょっとうんざりしています。
「トロイ」も書きたいことは次々あって、小説も3つか4つぐらい書きかけているのですが、もうともかく時間がなくて。我ながらどうしても書いておきたい構想があるのになー(笑)。くやしいです。
明日もまた精神を集中し、体力を消耗し、良心をとぎすまさなくてはならない会議があるのですが、大丈夫かなあ。
その内また時間作ってゆっくりおしゃべりしたいです。あー、でも年内は無理なのかしら。
「トロイ」に関しては、わかってる人は今さら、と思うことでも、わかってない人は絶対世界の中心までわかってない、この差がやたら大きいような気がする。だから、「こんなこと」と思うことでも、ぜひぜひ書いて下さい!とお願いしたいです。
◇「青い地平線」一応終わりました。しかし大急ぎでアップしたので、きっとまちがい(誤字脱字)多いと思います。ぼちぼち見つけて直します。
[535] なななんとまあ、この年の瀬にアキレスが走り出してしまった。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2004/12/30(Thu) 22:07
◇で、「疾走」ちょっとだけ更新。あとは来年か?まったくもう、年の終わりに何やってるのかなあ、私(笑)。
[545] もうやけ。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/01/05(Wed) 20:55
◇かがり かなでさん。
絶望的に時間がないので、ちゃかちゃか早口で言っちゃいますが、トロイ小説「疾走」のこと。 浅草での上映、もうごらんになりました?
長いこと、この小説の更新がとまってたのは、実は事情がありまして、そんなん読んだらどなたにでもいっぺんにわかりますけど、何度この映画見ても、アキレスにとって、ブリセイスはへクトルなんですよ。この二人を重ね合わせてアキレスの愛を語らないと、結局「トロイ」の本質は語れない。
でも、これって、言うまでもなく、やおいや同人誌文学のまっただなかに入ってしまうことなんですね。
それでもいいんですけどね、別に。ただ、実はやっぱり、それともまた絶対ちがう部分があるんですよ。
つくづく、ややこしい映画だなあと思います。私はもともと、寓意的に読める、寓話として成立できる映画や小説が好きで、というよりかは、優れた作品というのは、絶対に寓話として読める性質を備えてると思うのですが、この映画もそうです。どんな深読みもできる。「疾走」なんて書いてたらほとんど、フロイト流心理学(知らんけど、多分)の世界になっちゃった。ええ、「少年が成長しそこなう話」に。もちろん、私なりのですけど。
私はやおいや同人誌の世界で、この二人がいかにくっつこうと何をしようと全然平気などころか、大変に楽しんでいます。
だから逆に書けなかった。そういう世界とはちがうものを書かなきゃなあ、と思いながら、でも絶対にそういう要素がある映画だよなあとも思って、迷ってました。
私は、そういう要素を持ったサイトや何かが、この二人をそういう関係にするのは、実に無理がないと思います。それはある意味、この映画の本質ですもん。だから、その視点から分析すると、見えてくることって、ものすごく多い。
でも、これがまた、ややこしいとこなのですが、この映画は決して、そういうことだけの関係では二人を描いてはいません。
だから、そういう同人誌的解釈との重なりを恐れていては本質に迫れませんけど、そこにだけとどまっていては、また逃がしてしまうものが多いと思う。
ともかくも、そういうわけで、私はもう遠慮しないで、二人の、そして三人の関係を描きます。でなきゃアキレスが浮かばれない。
ちなみに、この後、さまざまな登場人物の会話を描いた「連弾」三部作、その後は「おれにまかせろ」級の長編「12日間」が控えています。下手すると、今年いっぱいかかりますね。と年の初めにしれっと言ってみる(笑)。
ちなみに「12日間」はブリセイスの独白で、彼女がトロイに戻ってからの日々です。何があったか、知りたいでしょーう?!
あー、年頭からとちくるってすみません。
私も昨年の大きな成果は、かがり かなでさんのサイトとおつきあいできたことです。また一年、どうぞよろしくお願いします。うー、チャットもしに行きたいんですけど。
[557] はじめまして 投稿者:美月 投稿日:2005/01/15(Sat) 12:33
はじめまして、美月と申します。
お正月休みに何気にトロイのDVDをレンタルし、いまやどっぷりとハマっております^^;
検索して、トロイ関連のあちこちのサイトにお邪魔してみたのですが、みなさん盛り上がったのは夏までで、その後は静かなんですよね(当然といえば、当然なんですが)
でも、こちらはまだまだ熱く語っていらっしゃる!
しかも、その内容の素晴らしいこと…
ああ、こちらのサイトを見つけられて、本当に良かった!
ただ、悲しいのは、自宅のパソとこちらの掲示板の相性が悪いらしく、自宅では見ることはできるのですが、書き込みができないのです。
(おんぼろパソのせいか、1割ぐらいの確率で、そういうことが起こるのです。)
なので、今、職場からコソコソ書きこんでおります。
どこかにメールのアドレスを書いていらっしゃるかなあ、と思い、探してみたのですが、非公開にされておられるのですね。
もしご迷惑でなければ、メアドを教えていただきたいのですが、ちょっと無理なお願いでしょうか?
(当方、怪しいモノではございません(爆笑))
では、更新を楽しみに、またお伺いいたしますね。
[558] きゃ、うれしい。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/01/15(Sat) 19:58
◇美月さん。
はしたなく喜んでしまうのは、昨日のアンケートで気をよくしてるなごりかなあ(笑)。
私は前に「グラディエーター」にはまって、5年間ファンフィクションというのでしょうか、それにまつわる小説を書きつづけ、今もまだ書きつづけているぐらいなので、「トロイ」もきっとあとまだ何年もこうだと思います。前にどこかで、この映画をつまらないと言っていた方が「1年後にはこんな映画があったことも忘れるだろうなあ」と書いておられるのを見て、「ふうん、そう思う?」と思わずとても邪悪な笑いを浮かべてしまったものでしたっけ(笑)。
アドレスは特に隠してるのでもないのですが、何しろ最近職場が火事みたような忙しさで、いろんな方とまったくお話ができないのです。なので、メールとかお手紙いただくのはすごくうれしいけど、きっとお返事ができなくて、結局ここでお答えしてしまうことになるんじゃないかなあ、とか思うものですから(笑)。何せ最近、絶対必要な仕事の連絡さえ充分にしてなくて、薄氷をふむような毎日なんですよ。
それでよければ、もうちょっとお待ち下さい。私も今自分のパソコンからじゃなくて、あろうことか、自分のメールアドレス覚えてないんですよ。まったく我ながらどういう電脳生活なんだかもう。
「トロイ」にほれこんだ方がこうして来て下さるのはとてもうれしいです。「トロイ関係一覧」にリンクさせてもらってる、かがり かなでさんも、この映画についてまだまだ語ることはおありだとかいうことで、またぜひ、チャットでもしたいと思っているところです。パソコンがうまくつながるようでしたら、そちらでまたぜひ、お会いしたいですよね。
こちらこそ、これからも、よろしくお願いいたします。
[559] 本当にそのとおりですね 投稿者:かがり かなで 投稿日:2005/01/16(Sun) 01:29
いい加減考えることはともかくとしてテキストにあげるのが一寸面倒になってきました。誰か口述筆記して下さい。
今日は珍しく封切り初日に観た「ネバーランド」が期待を裏切らない良い作品でしたので気をよくしております。
私も「トロイアンケート」をやってみました。(URLはサイトブログにはってありますので興味がおありの方はどうぞ。)個人的に結構嬉しい結果ではありましたが何分英語が不得意でいい加減に答えたので次回やったらまた変わるような気がします。師匠はアキレス、アガメムノン、パリス、ブリセイスと我を曲げないキャラばかり上位ランキングしてしまい少々凹んだようです(苦笑)
そうそう、久しぶりにヤフートピックスでトロイの名前を聞いたと思ったら「ミスの多い映画」ランキングの3位でありました…。
内容を見てみましたが皆よくもそんな細かいところ見ているなと思うものあり、そんなこととっくに知っておるわ!というものあり、時代考証、考証って五月蝿い…と思うもの様々でしたが、意外に私が気が付いたものはありませんでした。それに気が付いたときは一寸夢壊れましたが、撮影の関係上仕方が無いか…なんて。
あ、浅草の映画館行ってまいりましたよ。椅子とスクリーンはなかなか良いところでありましたが、客層がとても浅草らしかったです。
私も寓話的な作品は大好きで総じて私の評価が高いのはその手の作品なのですが、トロイは本当に驚くほど寓意的だと思います。これほど伝えたいことを、直接には表さないで表現する作品を私は知りません。「脚本が凡庸」「簡単にしすぎ」という評価も最近では寓意が読み取れない観客にもそれなりに観ることのできる作品に仕上げることってすごいことなのかもと思うようになりました。
小説、今現在のところまでだとアキレスはなんだかピーターパンみたいな印象がありますね。師匠もじゅうばこアキレスの解釈を楽しみにしているので更新お待ちしております。
http://www.bmybox.com/~cinema/
[562] するってえと。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/01/17(Mon) 21:55
◇美月さん。
561はもしや、携帯からですか?(笑)
明日までの仕事が煮詰まっているので、またゆっくりお話しますが、「トロイ」にはこうやって、おいおいはまって下さる方がこれからもきっと増えると思います。私もまだまだ語りたりておりません。待っていて下さいね!
◇かがり かなでさん。
そんなわけで、いつもながら時間がないのですが、携帯で言えなくて欲求不満になった長話をちょっとだけ。
あのアンケートですが、作った方は少なくとも、登場人物の解釈が私とかなり近いのでしょうね。それでああいう結果なのかと。
よく考えたら「ネバーランド」に感動しておられる方から、アキレスがピーターパンみたいと言われるのは、とっても喜ばなくてはいけなかったですね(笑)。
私はもともと、ピーターパンが好きでして、ピーターパン症候群とかウェンディ・ジレンマとかいう心理学の本を読んでは、けっと笑ってバカにしているくちです。キャラママ(板坂)が「脇役論コーナー」の「夢の子ども」で書いてますけど、大人にならない人こそ大人ってこともあるのですよ、絶対に。
だから、アキレスの心理描くのにも、自然にそういうとこが入ったのですが、最初にご感想を拝見した時は「そっか…そうだよな、瞬間だけど、飛ぶしさあ」なんて、ヌケたこと考えてました。
前も何度か書いたのですが、アキレスの「名を残す」が何かしっくり来ないのです。その内わかるのかもしれませんが、今はどうも、その心理がわからなくて、なので、これは、故郷で成長し老成するということが単にイヤだっただけじゃないのかと…。
ただ、書いていて思ったのですが、彼はやはり彼なりに、ギリシャや特に兵士たちを愛していると思うのですよ。自分が生きてみせること、戦ってみせることが、彼の愛の表現なわけで、それはかがり かなでさんも書いていらしたけれども。
すごくむずかしいのですが、その絆をもっと的確に表現してくれていたらなあと思います。
2ちゃんねるで一度、ラッセル・クロウにアキレスをやってほしかったという意見が出て、それじゃ老けすぎてるからやめてほしいという反論があったのですが(しかしたしかブラッド・ピットの方が年上なのですよね。笑)、私はもしかしたらラッセルなら、それを見せてくれたのかもなあとは思う。「グラディエーター」のマキシマスは何をしたとか言ったとかではなく、兵士や仲間をすごくひきつけているのが、問答無用で画面から伝わってきましたから。あ、「マスター・アンド・コマンダー」のジャックの時も。
なのですが、しかし俳優と役柄というのには、もうその人のためのものとしか思えない、役柄の人物が降臨したのではないかという結びつきがあるもので、ヴィヴィアン・リーのスカーレットだの、オトゥールのロレンスだの、それこそラッセルのマキシマスだの、もうその人でしか考えられないというのがあるもので、(エリック・バナのヘクトルもむろんそうでしょう。ひょっとしたらオーランドのパリスも、ショーン・ビーンのオデュセウスもそうかもしれない。前者には異論のある人多いでしょうが、あの役をあのように演じられる俳優は他にはいないのではないでしょうか)ブラッド・ピットとアキレスも私はそうなんじゃないかと思ってしまう。ラッセルであれ他の誰であれ、もっと上手な説得力ある演技でアキレスをやることはきっとできる人はいるかもしれないけれど、でも少々欠点や弱点があっても、あのアキレスのアキレスらしさは出せないと思います。
それを前提とした上で言うのですが、アキレスがギリシャ全軍をアガメムノンとはちがったかたちで掌握し支配しているというのが伝わりにくいと思うのです、ややか、かなりか。
「疾走」の小説では、もろ、その解釈で飛ばしますので(笑)。
映画の中の矛盾、特に時間の経過はもう、監督らほとんど考えてないのじゃないですか?「グラディエーター」の時も、朝なんだか夜なんだかわからない場面のオンパレードだし、そもそもあの映画にはジーンズはいた人の足やらガスボンベやらがしっかり映っていましたし、私はもうそれもなつかしい。
「トロイ」の場合、「想定問答」のラストを書いてた時に「待てよーう、どっちが西だって?」とは思いましたが…きっと海岸が湾曲してるんだわさと考えてすませました。
きゃー、時間がない。世の中をなめているとひどいことになりそうなので、仕事に戻ります。それにしても今夜も寒いですねえ。
あっ、そうそう、さっき携帯でのぞいたら何とアクセス数が「66666」でした。自分でこんな数にあたってちゃしょうがないなあ。
[563] 仕事が進まない…。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/01/17(Mon) 22:53
◇かがり かなでさん。
で、言い忘れたこと、あと一つだけ。
でもこれ、前にも言った気がするのですけどさ。
その「寓話的」ってところが、すごく神話的とも思うんですよ。私、原作?に超忠実で神さまがわやわや出てくるギリシャ神話ものの映画って、昔わりと見たけど、いくら設定や筋書が神話に忠実でも、全然神話らしく感じなかった、むしろものすごく悪い意味で現実的でした。極彩色の絵葉書みたいで。
「トロイ」は、神さまが出なくても、人間界のこととして描いていても、すごく象徴的で抽象的で、神話っぽさを感じます。一見大衆文学的、紙芝居的に見えながら、前衛劇としても味わえる骨太さを忘れてない。普遍的で恒常的。これは神話の必須条件です。「単純」と「わかりにくい」と、両方の否定的な評価があるのも、そういうところと関係してるのじゃないでしょうか。あっ、また長くなりそうなので、また仕事に戻ります。
[564] ブログがつながらなくて… 投稿者:かがり かなで 投稿日:2005/01/18(Tue) 00:03 更新履歴がUPできません。困ったものです。
じゅうばこ様
「グラディエーター」ミスは「破壊屋」さんで見て夢壊れたので以降観ていません(苦笑)
私はあの世界では太陽は西から昇るのだと解釈していました。
いやもう本当に細かい人はすごくて、「このショットでは髪がふた筋前に来ているのに、直後では全部後ろになっている」とか「ギリシア陣営に曳かれてきたヘクトルの死体に砂がほとんど付いていないのに、包むシーンでは付いている」とかびっくりですよ。
個人的には奇襲をかけるシーンがすごいスピードで夜が明けていくのが気になります。別に間違いではないですが。
「ピーターパン」は昨年の映画を観て感動し、原作を読んで好きになった口です。いままでずっとディズニーやお子様向けお芝居にだまされていましたから。
原作を読んだときに、子供社会であっても大人社会であって何かしらある葛藤や心の痛み、得られるもの失うものに対する気持ちが密やかにこめられていると感じましたが、「ネバーランド」はどうしてこんな作品を書く事になったのかがちゃんと描かれていました。
これはおいおい自分のサイトで書くとして。
私は映画にしろ小説にしろ漫画にしろ物語を描く人、その世界を構築する作家は神様だと思うのです。「トロイ」ならば脚本のベニオフや監督のペーターゼン、俳優のブラッド・ピットやエリック・バナ、その他大勢のスタッフです。
優れたヒューマンドラマは神様(製作者側)の意図が読めると思う。
私はこの作品を最初に見たときにそれぞれのキャラクターがとてもチェスの駒のようだと感じました。性格がしっかりと創られていて運命に弄ばれているとしか思えなかった。完全に予定調和がされていて、「この人ならこの局面で絶対にこの選択をする」という予測が出来て、神様がいなくても神話的だなと思ったものです。
すいません。何だか書き捨てです…
http://www.bmybox.com/~cinema/
[570] 急遽。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/01/19(Wed) 21:40
◇美月さんからメールでいただいた、映画「トロイ」のブリセイス論、転載いたします(パソコンの相性が悪くて、直接書き込めなくていらっしゃるので)。
おっもしろいですよーーーー(笑)。
美月さん、何か訂正あったらおっしゃって下さい。あ、でも今夜は帰るので、明日以降になると思うけど。
以下、美月さんの文章です。次回からは、こんな解説はなしに、すっきり、のっけますので、あしからず。
それにしても、たしかに!と思うことばかり。私も含めていろんな人に、ここまで書かせる「トロイ」も偉大だ(笑)。
◇美月さんの「独断と偏見(&妄想(笑))によるブリセイス論(1)」
どっぷりハマってしまったトロイ、最初はブリちゃんについて語りたいと思います。
わたしの中では、ある意味一番印象的なキャラクターなんですが、印象的だった理由は多分、トロイの登場人物の中で「設定、脚本、演出」と「俳優さんのイメージや演技」の間に、一番距離を感じたからなんです。
ブリちゃんは、明るくて活発な王族のお姫さまで、アポロン神殿の巫女さんになります。
映画ではさり気なく描かれていますが、これって、とっても凄いことですよねえ。
贅沢な生活、日々の様々な楽しみ、恋や結婚。
それらを全て捨てて、神々への祈りと儀式の人生を選んだのですから。
このことから、ブリちゃんはただの元気なお姫さまではなく、この世の姿や人の生きざまを思索する一面をもっているのが分かります。
それに加えて、彼女の一途さや意志の強さも伺われます。
彼女が「巫女になる」と宣言したとき、周囲の人々は、真っ向から反対はしなかったでしょう。
しかし、老いた未亡人が出家したり、昔の日本の皇女のように、交代制で斉宮を勤めるのはワケが違う。
おそらくは「もう一度よく考えて」と、暗に翻意を促されたんじゃないかと思います。
でもブリちゃんは挫けなかった。がんばってみんなを説得し、賛同(諦め?^^;)を得たのでしょう。
あるキリスト教徒の方が「信仰とは戦いである」とおっしゃったそうですが、ブリちゃんも、自分の将来への夢と希望に向かって戦い、それを勝ち取ったのだと思います。
まさに「Take it! It's yours!!」(爆)。
そう考えると、帰国した王子兄弟を出迎えた時のブリちゃんの喜びに満ちた声は、高らかな勝利宣言のようにも聞こえます。
(最初にトロイを見た時、わたしは「もしかしてこの子、パリスに恋をしてて、ヘレンの出現に大ショック!って展開になるのか?」と一瞬誤解しかけたことを、ここに懺悔いたします(爆)。)
「勝ち気なお姫さま」と「敬虔な信仰者」。
それぞれは、とても分かりやすいキャラクターであり、どちらも小説や映画にしばしば登場しています。
しかし、1人でこの2つの要素を兼ね備えているとなると…
説得力をもって演じるのは、かなり難しそうです。下手すると、二重人格みたいになっちゃうし。
ブリちゃんを演じたローズ・バーンも、そこを良く消化できないまま、監督に言われたとおりに演じてるような印象を受けます。
なので、1場面1場面で、決して悪くないのになんだか曖昧、な感じがするんですよね。
そして、ギリシャ連合軍が襲来。
神殿が襲われ、ブリちゃんは捕らえられますが、大暴れ(したに違いない)ブリちゃんを神殿からアキレスのテントまで連行したミュルミドンのみなさん、さぞや大変だっただろうなあ^^;。
ここで、「神殿と城市の間に秘密の地下通路があり、他の神官や巫女を先に逃がして自分は最後まで残ったブリちゃんが、逃げ遅れて捕まったのかも?」という見解を述べていらっしゃる方がおられますが、わたしもそれに大賛成です。
神殿は海岸線に近く、宝物のヤマですから、大して信仰心を持っていない敵なら、まっ先に攻撃目標にしそう(実際しました)。
そんな所に、事態を予測していたリアリストのヘクトルが、安全の裏付けなしにブリちゃんを置いておくわけがない。
誰もが、警報の鐘が鳴ってからでも、神殿から無事に避難できると思っていたのではないでしょうか。
アキレスの船の船足があれほど早くなければ、アキレスやミュルミドンがあんなに強くなければ、ブリちゃんは無事に逃げたか、あるいは駆け付けたヘクトルに救出されていたと思います。
場面変わって、ブリちゃんとアキレス、運命の出会い。
アキレスは、今までにも老若男女たくさんの捕虜を見てきたし、「お楽しみ」もよくある事だったのではないかと推察されます。
(のっけから、あの登場の仕方でしたからねえ<アキレス(笑))
どうでもよさそうな口調でブリちゃんに名前を聞きますが、これって、本当に名前が知りたいわけではなさそうです。
大抵の捕虜は、絶望に沈むか、追い詰められてキレるか、怯えてに命乞いするか…。
でも、それでは「お楽しみ」しにくいから?爆)、仮&一時の友好の申し出として、名前をきく。
(この映画の中では、名を残すのはもちろん、名を尋ねる、名を答える、名を知る、というのが、とっても重要視されていますよね。
テッサリア王はアキレスを偉大な戦士と認め、名を尋ねる。アキレスはヘクトルに、自分の名を知っているかと確認する。ヘクトルを引き取りに訪れたプリアモスは、アキレスに問われても、直接名乗らずに婉曲に身元を告げる。…)
しかしブリちゃんは名乗らない。
誇り高い彼女としては、今から自分を強姦し殺そうとするかもしれない相手など、名乗るに価しないと看做しているのでしょう。
もちろん、迎合する事など想像もしていなさそうです。
一方アキレスは逆に、(「お楽しみ」に同意するかどうかはともかくとして^^;)、自分の生命の奪与権を握っている相手を撥ね付ける捕虜がいようとは、これまた夢にも思っていなかったんじゃないでしょうか。
重ねて尋ねてもブリちゃんは、もちろん名乗るどころか、毅然とした態度で、アキレスたちが神官を殺した事を非難しまくります。
アキレスは、最初は「投げやりモード」で、殺したのは部下だ、などと答えてますが、ブリちゃんに言いたい放題罵られて、段々ムカついてきた模様(笑)。
水を弾いてみたり、神々を見たと言ってみたり(この映画の世界観では、ありえないと思うのですが)、お子ちゃまぶりを暴露してます^^;。
この時点では、アキレスはまだブリちゃんの言動の基にある、彼女のキャラクター(篤い信仰心、神学の知識、生命に対する畏敬の念(それも並外れた)、意志の強さや誇り高さなどなど)を知らないので、「この娘は王族で、高慢で、人を見下すのだ」と結論付けます。
アキレスってば、かつてどこかの王族の女性に、不愉快な思いをさせられたことがあるのかな?(笑)
その一方で、我が身のことはさておいて、神々への冒涜にのみ言及するブリちゃんに、高慢だけでは説明できないものを感じてたんじゃないでしょうか。
さらに名を尋ねるアキレスを、またしても無視するブリちゃん。もちろん、王族だろうとの指摘にも反応しません。
でも、手首を縄を解いてもらうと、ようやく名を明かします。 示された親切に対して、礼儀正しさで応えるあたり、ブリちゃんの育ちの良さと素直な性格を感じます^^。
さらにアキレスに「怖いか?(怖くて口がきけなかったから、最初は名前が言えなかったのか?というニュアンスらしい)」と問われて、ブリちゃんは不思議そうに「怖いって?」と答えます。アキレス、ちょっと唖然(笑)。
この、すれ違いまくった会話、わたし的にはとってもツボです(爆)。
この場面のブリちゃん、わたしの友人の飼い猫を連想させるのです^^; 数世代に渡って大切に室内飼いされた家系に生まれたその子は、この世に怖い事や悪い事が存在するなど夢にも思っていないとか。
「猫らしい繊細さなど微塵もなく、ワイヤーロープのようなその神経は、間違いなく何本か抜けている。そして全ての人類は、自分を熱愛してくれていると信じている(飼い主談)」。
あれっ、これってむしろパリスに似てるぞ?(爆)
ブリちゃんがただの高慢娘ではないと気が付いたアキレス、彼女のエイリアンぶりに自分とは全く違った世界観を垣間見たのだと思います。
そして、真直ぐにその生き方を貫くブリちゃんに、敬意を抱いたのではないでしょうか。
そこにエウドロスが登場、アキレスは一気に現実に引き戻されます。
何だかとってつけたようなアキレスの誉め言葉と、「邪魔してゴメンよ」と言いたげな(笑)エウドロスの表情がおかしい^^;。
しかしこの時点で、「他の男たちと同じ物を求めている。でも本当に望んでいるのは、それ以上のものだ。」と言い切るアキレスと、ブリちゃんの価値観、世界観は、1万光年も隔たっている感じです。
う~ん、この二人の恋は、(意味合いは違いますが)パリスとヘレンより前途多難そうな印象があります。
アキレスは「心配するな、お前は助けてやる」と言いおいてテントを出て行きます。
ここ、セリフでは「You're the only Trojan who can say that.」なんですが、なんだかブリちゃん以外は皆殺しも辞せず、って感じを受けるのは、わたしだけでしょうか?
英語の得意な方、ご意見をお聞かせくださいm(_ _)m
つづく
[572] 「トロイ」のブリちゃん論・その2 投稿者:美月(さんのメールをじゅうばこが転載) 投稿日:2005/01/23(Sun) 21:44
じゅうばこ様=キャラママ様、こんにちは! 美月です。
またしても長文です^^;。
サイト内のトロイ関係以外のコーナーも、少しづつ読ませていただいております。
「赤毛のアン」、もうン十年前になりますが、夢中で読んだのを懐かしく思い出しま した。
わたしが今もしっかり覚えているのは、最終巻で、出征したアンの長男の帰還を愛犬 が出迎えるシーンです。
ぼろぼろ泣きながら読んで、ここで感激しすぎたせいか(笑)、ラストのリラの恋人 が帰ってくるシーンでは妙に冷静でした^^;。
独断と偏見(&妄想(笑))によるブリセイス論(2)
この発言からお分かりのことと思いますが、わたしが英語が超苦手です^^;。
ですから当然、セリフを聞き取るどころではなく、英語字幕を読んで辞書をひいてみても、理解には限界があります。
わたしの英語オンチぶりは論外としても、翻訳は(操作マニュアルとかなら完璧な内容伝達が可能でしょうが)、感情や文化的背景を含むとなると、どんな名訳であれ、絶対に限界があると思うのです。
映画はさらに、字幕では字数の制限、吹き替えでもセリフの長さや声優さんの声質・演技という要素が絡んできます。
(それでももちろん、ロード・オブ・ザ・リングの第1部映画版のような、しっちゃかめっちゃかな字幕は許されるはずがありませんが。)
声優さんといえば、アキレスに「怖いか?」ときかれて、ブリちゃんが返事をする場面。
ローズ・バーンは普通の口調でセリフを言っていますが、吹き替え版の声優さんは、噛み付くような口調で言っています。
この違いだけでも、観る側に与えるイメージは、ずいぶんと変わってくると思います。
で、そういう事をつらつら考えると、トロイのように練り上げられた脚本の元に作られた映画を観る時は、自助努力が必要なのかな~と思えてきます。
実際、英語字幕を読むのがこんなに面白いとは、トロイを観るまでは想像もしてませんでした。
さて…、アキレスは、短い会話の中で、ブリちゃんを「人を見下す」「王族」と評します。
「見下す」は、ブリちゃんはそういう人柄ではありませんから、アキレスの誤解だとしても、王族だというのは大当たりです。
で、そう言ってるアキレス自身、実は王族のようなものなんですね。
ギリシャ諸国の王侯貴族と対等に付き合っていて、当然そういう階級の女性を知っている。
そのアキレスをして「王族だろう」と思わせ、香油の薫りでそれを確信させている。
服装や装飾品、立ち振るまいといった要素は除外された状況ですから、ここはもう言葉しかないわけです。
では、ブリちゃんの発言を復習してみます(字幕版)。
「神官を殺すなんて」
「部下たちよ」
「神の報いがあるわ」
「必ずある」
「アポロンは太陽の神よ 何も恐れないわ」
「人殺しなんかに神々のことは分からない」
これを、もっと王女さまっぽくするとしたら…。無謀にもチャレンジしてみました(爆)。
バージョン1(時代劇風に)
「おまえは神官を殺した」
(俺は殺してない)
「では、おまえの部下が」
「神の報いを受けるといい」
(いつだ?)
「あるべき時に」
(神官は死に、巫女は捕まった。神は俺を恐れてる)
「アポロンは太陽の神、恐れるものなどない」
(どこにいる?)
「おまえはただの人殺し、神々のことを何も知らない」
バージョン2(お姫さま風に)
「神官を殺しましたね」
(俺は殺してない)
「では、あなたの部下が」
「神の報いを受けることでしょう」
(いつだ?)
「あるべき時に」
(神官は死に、巫女は捕まった。神は俺を恐れてる)
「アポロンは太陽の神、恐れるものなどないのです」
(どこにいる?)
「人殺しにすぎぬ者に、神々のことをなど何も分かりはしません」
う~ん(- -;)、翻訳って難しい。
***********************
さて場面は変わって、アガメムノンのテント。
アキレスとアガメムノンが、心温まる会話を繰り広げているところに、衛兵に引き摺られてブリちゃん登場。
このタイミングの良さからすると、アガメムノンはアキレスの周囲に密偵を放っていたように思われます。
そして「神殿を襲って財宝と女を手に入れている」と報告を受け、ブリちゃんを連れて来させる。
ここでアガメムノンは、とっても酷い事をしているような印象がありますが、実際には、彼にはそれほどの悪意はなかったと思います。
アガメムノンが望んでいるのは、アキレスをコントロールし、利用することであって、敵対することではありません。
ただ単に、自分が上位者であることを示したかったんじゃないでしょうか。
しかし、所有しているものを取り上げることによって力を示すやり方は、狼や犬の群れのボスと同じですね^^;。
アガメムノンは、アキレスの執着心に乏しい性格を知っています。
ほんのわずかな時間でブリちゃんがアキレスの敬意と関心を得たとは、思いもよらないアガメムノンは、「財宝?欲しいならやるよ」というのと同じ調子で、「女?欲しいならやるよ」という反応を予測していたと思われます。
ところがアキレスは激怒し、剣まで抜いた。
思わぬ展開に、アガメムノンはキモをつぶした事でしょう。
この緊迫した事態を収めたのは、なんとブリちゃんでした。
剣を振るおうとするアキレスを非難し、自分への救援を拒否するのです。
ここでブリちゃんがアキレスに「殺すな」と言っているのは、彼女の味方ではありません。
たった今、祖国を蹂躙し、同胞を殺戮し、これから自分に危害を加えるであろう敵兵なのです。
自分の命や身の安全よりも、敵の命。
これはもう、マハトマ・ガンジーかマザー・テレサか、というレベルです。
アキレスが驚愕してフリーズするのも、無理はありません。
アガメムノン、あんたも笑ってないで、少しは驚けよ!と言ってやりたくなります。
アガメムノンは、ここで小賢しい計算を巡らせて、結果的に自分で自分のクビを絞めたと思います。
アキレスの反応から、ブリちゃんを人質に使えると思いつく。
(人質だからこそ、アガメムノンはブリちゃんに対し、横取りしておきながら手は付けないという、中途半端な扱いをしたのだと思います。)
アガメムノンにすれば、オデュセウス経由でしかコントロールできない(それも充分とは言えない)アキレス、そのアキレスの弱味を握れたと思ったのでしょう。
これで言う事を聞かせられると思いきや、アキレスは出陣をボイコットし、翌日の戦いでギリシャは大敗します。
この計算ミスは、アガメムノンが、アキレスのブリちゃんへの感情を読み損ねたために、アキレスの怒り発露の方向性を予測できなかったことが原因と思われます。
この時点では、アキレスはまだ、ブリちゃんに明確な恋愛感情は持っていないと思います。
もし恋をしていたら、彼の性格からして、ブリちゃん本人が何と言おうと、アキレスは「自分のために」ブリちゃんを救出したんじゃないでしょうか。
アキレスの気持ちにあるのは、自分とはあまりにも異なっているブリちゃんの信念への驚きと関心、それを貫くことに対する敬意(だからこそ、ブリちゃんの意志を尊重して剣を収めた)、そして救援を拒まれた腹立たしさ、またしても言いたい放題罵られた事に対する怒りと当惑だと思われます(う~ん、複雑^^;)。
実際、翌日、ギリシャ軍が出撃して海岸の野営地がガラ空きの時、簡単にブリちゃんを救い出せたはずなのに、アキレスはそうしていません。
もしアガメムノンがここで、「そうかそうか、そんなにこの女にホレてるのか。わっはっは!」って感じで、アキレスにブリちゃんを返していたら、物語は変わっていでしょうねえ(嘆息)。
その夜、おそらくアキレスは一睡もできなかったのではないでしょうか。
ヘクトルとの、そしてブリちゃんとの邂逅により、アキレスは自分の生き方や戦いの意義についての課題を突き付けられ、心の奥底に沈めて見ないようにしていた事柄を直視せざるをえなったのだと思います。
またしても、つづく
[574] 「トロイ」のブリちゃん論・その3 投稿者:美月(さんのメールをじゅうばこが転載) 投稿日:2005/01/25(Tue) 12:50
じゅうばこ様、キャラママ様、こんにちは! 美月です。
しつこく長文、失礼いたしますm(_ _)m。
しかし、いつかはちゃんと終わるのか?σ(^◇^;)
独断と偏見(&妄想(笑))によるブリセイス論(3)
ブリちゃんと関連の薄い場面は省略させていただいて、大敗したギリシャ連合軍、3首脳が暗~い顔して討論中のシーンに、話を飛ばします…
アキレスを怒らせたアガメムノン、ここでさらに火に油を注いだことが明らかになります。
なんとブリちゃんを、荒くれ兵士に渡してしまった。
アガメムノンの発想と行動は、おそらく「アキレスはこの娘にホレてる→娘の安全のために自分に従うだろう→そう思ってたのにアキレスは出陣拒否→娘は人質として役に立たなかった→だったら娘はもういらない&アキレスに詫びを入れても無駄だろう→兵士にポイっ」だったのだと思います。
で、場面は兵士に襲われるブリちゃんになり、タイミングばっちりでアキレス登場。
もしかしたら、この時アキレスは、ブリちゃんを連れ戻しにアガメムノンの所に行く途中だったのかもしれません。
詫びても無駄と思い込んでいるアガメムノンに対し、アキレスは詫びれば出陣してやると言ってますから、実は交渉の余地はあったのですね。
ギリシャがボロ負けした今、アキレスの方が立場は強く、アガメムノンは二つ返事で彼女を渡したでしょう。
ブリちゃん希望どおり流血も避けられるし、取り敢えず皆の希望が適うわけですから、一応めでたしなはずだったのに、ホントにまったくアガメムノンときたら、アキレスの心情がわかってない(- -;)。
そしてわたしは、アガメムノンがブリちゃんを兵士に渡したことで、アキレスはこの戦から引くことを決めたんじゃないかと思います。
アガメムノンは繰り返しアキレスの逆鱗に触れるような事をして、彼のプライドを傷つけた。
そこまで不愉快な思いと怒りを耐え忍んでまで、この戦に参加する理由は、アキレスにはありません。
この夜ブリちゃんとめでたく恋人同士となるわけですが、それで故郷に帰って収穫…もとい、故郷に帰って結婚しようと思ったわけではなく、この時点で帰郷を決めたように思います。
さて、無事救出されたブリちゃんですが、さっさと降ろせ!とばかりに暴れてます^^;。
彼女の辞書に、運命の甘受だの、しくしくめそめそだのは、カケラもなさそうです。
そんなブリちゃんに、タオルを渡すアキレス。
タオルをきっちり絞って、ちゃんと畳んでいますよね。なかなか几帳面な一面があるのかも?
で、わたし、ブリちゃんの血を拭いてあげようとするアキレスが、怪我をした野生の子狼を手当てしようとしているように見えて仕方ないんです(笑)。逆襲されて噛み付かれるところとか(爆)。
一方、ブリちゃんは戦闘モード継続中。
祖国を侵略された怒り、神々が冒涜されたことへの憤慨、我が身に降り掛かった災難への抵抗。
それがそのままアキレスに向けられている感じでしょうか。
「勇敢な戦いぶりだった」というアキレス的には最上級の賛辞の言葉に、
「それって、わたしが抵抗したことを言ってるの?あれが普通でしょ」と返すあたり、ブリちゃんの面目躍如と申せましょう。
戦意剥き出しのブリちゃんに困り果てたアキレスが、「いい加減にしろよ、もう」とばかりにタオルを投げ付けると、倍ぐらいの力で投げ返す(爆)。
そして自分でタオルを拾って、絞って顔を拭きます。が、その絞り方ときたら…(笑)。
ブリちゃんはお姫さまだから、タオル絞ったりした事がないのかな?。
そんなブリちゃんに、食べ物の載った皿を差し出すアキレス。
わたしはここでもアキレスが、慣れてくれない子狼をどうにか懐かせようと苦心しているように見えるんです^^;
ここから二人は、直球勝負な会話を繰り広げます。
たったこれだけのやり取りで、二人の性格や人生観を浮き彫りにしてみせ、そしてその相互理解や影響を描いてみせる脚本と演出は、本当に凄いです!
会話は、ブリちゃんが食べ物に手を付けようとしないので、やれやれといった表情を見せるアキレスに向かって、彼女が「あなたのような人を知ってるわ。戦うことしか頭にない、哀れな兵士!」と言い放つところから始まります。
わたしが、ブリちゃんのキャラクターで一番感動するのは、アキレスが明らかにブリちゃんよりも強い立場にいて、ブリちゃんに好意的であるにも関わらず、彼女のアキレスへの評価は、そういった点の影響をまるで受けていない事にあります。
これって、非常に珍しいですよね。
「昨日も20~30人ばかり殺してきたみたいだけど、わたしにはやさしい人なの」なんて感じで(爆)、人間って自分に有形無形の利益をもたらしてくれる相手に対しては、他の点で少々(多々?)問題があっても、眼を瞑りがちじゃありませんか。
でもブリちゃんは、「自分にとってどうか」という観点で相手を見ない。
その一方で、彼女も狭い世界で育ったお姫さまであり、人が様々な側面をもつ複雑な存在であることを(頭では分っているのかもしれませんが、本当の意味では)理解してないところがあるように思えます。
「祖国や民を守るために戦ったトロイ兵は、哀れみ以上の評価をされるべきだろう」と言われ、反論できないブリちゃん。
ここで初めて、全ての兵士、戦士を一括りにはできないと気が付くようです。
そこでアキレスに「どうして戦士の人生を選んだの?」と、いきなり核心に迫ります(爆)。
アキレスは「選んでいない、そう生まれついた」と答えますが、これって、戦士じゃなくてお姫さまに似合いそうな答えですよね。
もっとも、当のお姫さまは、自分の意志で選んだ人生を爆進してますが^^;。
逆にアキレスも、ブリちゃんに「なぜ巫女になった、神を愛しても片思いだと分かる日がくるぞ」と言います。
信仰を否定的に語るアキレスに、からかわれているのかと思うブリちゃん。
そんなブリちゃんに、アキレスはさらに質問を重ねます。どうやら彼は真面目に言ってるのだと分っても、アキレスが信仰や神学には程遠いとの印象はますます強まったことでしょう。
「戦いの神は、敵兵の皮を剥いで毛布にしてる」と言われ、困り顔のブリちゃん。
神話は象徴や寓意に富んでいることを、神学オンチのアキレスにどう説明したものか。一瞬悩んで、「神は畏れ敬うもの」と答えています。
アキレスは、そんなブリちゃんに向かって、自らの人生観を語って聞かせます。おそらく、今まで誰にも話したことがない人生観を。きっとこの人であれば、理解してくれるであろうとの期待を込めて。
この二人は、パリス&ヘレンとは対称的に、直接的な愛の言葉をまったく口にしないカップルなんですが、でもわたしは、このアキレスの言葉は、何にも増して強く激しい愛の告白に思えてなりません。
神と人との関わりを、神学とはまったく違った方向からみているアキレス。聡明なブリちゃんは、彼の言葉が示す世界観を評価します。
それにしても、「あなたを、言葉をもたぬ野獣だと思っていた。(あなたのそういう一面を知った今なら)言葉をもたぬ野獣でも人と認めるのにやぶさかではない。」って、ずいぶんな言いようなのでは…(爆)
↑ もしかして、メチャクチャな訳かもしれません。英語の得意な方、訂正お願いいたしますm(_ _)m。
野獣呼ばわりは、話をする以前と変わってないわけだし、ブリちゃんの評価って厳しいなあ^^;。
さらに、つづく(だんだん「パイプのけむり」風になってきました(笑))
[576] 「トロイ」のブリちゃん論・その4 投稿者:美月(さんのメールをじゅうばこが転載) 投稿日:2005/01/28(Fri) 14:26
じゅうばこ様、キャラママ様、こんにちは! 美月です。
某所で、「お正月休みにトロイと下妻物語を借りた」と書き込みしましたら、わたしのブリちゃん考を読んで下さっているとのレスが\^O^/
しかし、あまりにもにご迷惑をかけてますよね~。できるだけサクサク終わりたいと思いますので、今しばらくご容赦くださいませ。
独断と偏見(&妄想(笑))によるブリセイス論(4)
いきなり(3)の修正ですm(_ _)m。
アキレスの「神を愛しても片思いだと分かる日がくるぞ」と言うセリフなのですが、信仰を否定しているというよりも、彼の宗教観を表しているのだと、ちょっと軌道修正させてください。
彼は神の存在そのものは否定していません。しかし、崇める気持ち(信仰心)は持っていない。そして、神が人に実際的な影響を及ぼせる(御利益にせよ、神罰にせよ)とも思っていない。
(神を信じ、敬い、でも神は何もしないとは思っていないヘクトル、神を信じ、敬い、神罰を信じるブリちゃん、そしてアキレスと、三者三様の神々に対する考えの違いが見えてきます。)
昨日ブリちゃんの「神罰が下る!」という発言を否定して、ブリちゃんをカンカンに怒らせたアキレスですが、ここでまた、同じように神々の無力さに言及しているんですね。
なのでブリちゃんは、「(昨日と同じように)わたしを怒らせて楽しいのか」と言ったのではないでしょうか。
でで、このシーン最後のブリちゃんのセリフですが、とんでもない誤訳でした^^;
や、訂正してもまだ間違ってるかもしれませんけど…。
「(今はそうは思っていないけれど、ついさっきまで)あなたを、言葉をもたぬ野獣同然の輩だと思っていた。(あなたのそういう一面を知っていたなら)野獣に対するような悪感情を、あなたに持たずにすんだだろうに。」
↑ う~ん、ホントにこれでいいのかなあ(- -;)。自信ゼロです。
もしこの訳でいいとすると、これってブリちゃん、もしかしてアキレスにタオル投げ付けたのを謝ってるんでしょうか? だとすると、やっぱりブリちゃん、お姫さまだあ(爆)。
そして、ようやくアキレスの勧めを受け入れて、お皿の食べ物(果物みたいですね)を食べるのですね。アキレス、良かったねえ、どうにかブリちゃんの餌付けに成功しました^^;
そしてここから、場面はいきなりアキレスの寝顔に。
「おいっ!そこまで飛ぶか!?」と叫んだのは、きっとわたしだけではないはず(爆)。
だってねえ、餌付け成功から寝顔まで、数時間あったと思うんですよ。その間、二人はどんな会話をしたのでしょうか。そして、それで何を思ったのでしょうか。
元の脚本にはあったのを撮影や編集の段階でカットしたのか、元々なかったのか、あったとしたらどんなシーンだったのか…、気になりませんか?(というワケなので、じゅうばこ様、創作小説をよろしくお願いいたしますm(_ _)m)
わたしの貧困な想像力で考えますと、まずアキレスは、そこそこ幸せな気分だったのではないかと推察されます。
(わたし的には、アキレスは)戦線離脱と心は決まっている。ブリちゃんは無事に手許に戻ってきた。しかも彼女は、自分が語った世界観を理解してくれた。心をかき乱すものはあるけれど(戦士としての人生、戦いの意義、ヘクトルの存在…)それはまたゆっくりと考えよう。
そういえば、俺、昨日ろくに寝てなかったなあ。道理で眠たいはずだ。今夜はもう寝よう。 で、例によってパッパと潔く脱いで(笑)、寝ちゃった、と(爆)。
一方ブリちゃんは、平和には程遠い心境だったと思われます。
昨日からの出来事は、彼女にとってはまさに天変地異に等しい、激動の連続でした。
心身ともにボロボロに疲れ果てた彼女を打ちのめしたのは、目の前に突き付けられた厳しい現実だったのではないでしょうか。
ブリちゃんの望みは、次々と人命が失われていく戦を、最も少ない犠牲で、できるだけ早く終わらせることです。
それには、ギリシャ軍がトロイから早期撤退するのが一番良い。
しかしギリシャ軍に撤退を決めさせるためには、戦って勝たなくてはならない。平和を得るためには戦いが不可避であるという現実は、ブリちゃんを苦悩させたと思うのです。
そして、眼の前にいる1人の男を殺すことがギリシャの敗北に繋がり、たくさんの人命が失われずにすむ、という事実。
彼女が神々へ祈っている間も、敵味方に関わらず、容赦なく兵は殺されていく。
その現実に直面した時、ブリちゃんは、今自分が出来ることをしようと決心したのではないでしょうか。
この時、彼女は、神々だけを見つめる巫女の世界から、再び人の世界へと戻ってきたのだと思います。 信仰を失ったわけでもなく、敵を憎むようになったのでもなく、ただ戦を終わらせるために自分が出来ることをしようという決意、それが結果的には巫女としての生き方を捨てることになった。
かつては、我が身を顧みず、アキレスに「殺すな」といったブリちゃん。
その彼女が、人を殺すためにナイフを握りしめた。それがどれほどの決意であったか、そこまで追い詰められた彼女がどれほど苦悩したか。
そんな彼女の思いを理解できたからこそ、アキレスは抵抗することなく、ブリちゃんにナイフを突き付けられたのだと思うのです。
アキレスは、おそらくブリちゃんが自分の持ち物の中からナイフを見つけ出すあたりで、とっくに目が醒めていたことでしょう。ナイフを突き付けられても、その気になればいくらでもナイフを取り上げることが出来たと思うのです。でも、彼はそうしなかった。 つづきます…^^;
[577] 何てこと。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/01/31(Mon) 14:43
◇夕方から町に出ようと思っていたら、ちらほらはらはらどどっと雪が降りはじめた。これじゃ帰宅もそもそも危ない。どーしよーかなー。久々に電車で行くか。でもそれが止っちゃったら笑い話にもならないし。
◇美月さん。
メールでも申しましたが、どんなに長くなろうと来年までかかろうと、ちっともかまいませんので、じっくりみっちりお書き下さい。
私ととても同じに感じておられるところ、「あ、ちがう」とびっくりするところ、どちらもとても面白いです。
私の感想は当面「疾走」で代用させて(笑)。これ書いてると、自分にもある「アキレス症候群」「アマテラス症候群」を思います。消えることで自分の存在を知らせようとする方法。ただし、「イーリアス」のアキレスは明らかに確信犯でやってますが、映画「トロイ」のアキレスはそうではないかもしれないようで、このへんも脚本ほんとにうまいなあと思います。
この前「オーシャンズ12」を見てまいりました。監督がソダーバーグというので、ちょっと心配してたのですが、その通りで、私はこの人の「文体」みたいなもんがだめなんだと、再確認しました。すごくもたもたどたどたしてる上に、いかにも「才人はこうさ」と言いたげな画面や音楽がますます疲れる。いきなりですが、この監督、俳優が好きじゃないなあとも思いました。魅力を引き出す前に自分の才気をひらめかすのに忙しいって感じで。
映画の主義主張とかテーマとか、そういうのは自分の意見とちがってもいくらでも楽しめるのですが、こういう、肌が合わない感はもうだめです、どう努力しても。とはいえ、これだけうんざりするのは、結局、この監督の根底にある人間観だか世界観だかが、私嫌いなんだろうなあ。「なめるんじゃないよ」みたいなことを反射的に思います。映画の作り方そのものに。だいたい、たかが娯楽作に自分をアピールしすぎなのが、すごく目ざわり。
と、久しぶりに自分の好みの激しさを確認しました。最近たいがいの映画見ても、それなりに楽しめてそろそろ自分も老境かと思ってたのですが、そうでもなかったのね。ほっ。
週末は何かと批判の多い「アレキサンダー」を見に行きます。まあそれなりに楽しみですが、これがまた私はコリン・ファレルという俳優さんが基本的に好きじゃないのですね。別に金出してあんな人見に行かなくても、と思うのですが、まあ一応は映画館で見ておいた方がよさそうだし。
あの夜のアキレスなんですが、ブリセイスの質問に妙に神妙にかしこまって素直にカウンセリングでも受けてる感じで答えてるのが、私には妙に印象的で、やっぱりそういうところ、彼女には巫女のオーラがあるのかなあ?それをどれだけローズ・バーンが表現できてるかは別として(そこそこはできてると思いますが)。
[578] しかしあれですね。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/01/31(Mon) 20:27
◇「疾走」を少し更新しました。こんな書き方をしていると変な深読みの癖がついて、あのヘクトルがアイアスと戦って防ごうとした盾を突き破って矛が突っこんでくるのも、フロイト流だか何だかで考えると…ええ、もう考えすぎですとも(笑)。
さて、明日までに書かなくてはならない書類があと二つ。もう最近、「あんまり疲れていると寝る元気もなくなる」という状況を実感してます。メールや手紙をいただいてる皆さま、お返事も少しお待ち下さい。ひらにひらに。
[579] 同じような書き込みですが(笑)。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/02/01(Tue) 23:49
◇「疾走」また少し更新しました。深読みと言われそうですが、え、でも、映画「トロイ」って、こういう話ですよね?どう見たっても、こうしか考えられないやん(と妙に強気。笑)。
[580] 私はそれでは困ります(苦笑) 投稿者:かがり かなで 投稿日:2005/02/02(Wed) 16:41
ブリセイス論、実に楽しくて毎回更新するたびにこちらでも色々考えて討論してしまい寝不足です。じゅうばこ様じゃないですが「ここは見方が同じだ」「うーん、ここはどこを見てこの考え方なんだろう?」と思うところ沢山あり質問もしてみたいのですが、とりあえず最後まで拝見してからにしようと思っています。早く最終結論を教えて欲しいです。
さてブリセイス論が終結するまで書き込みは控えようと誓っていましたが、2月1日をもってサイトを移転いたしました。のでご報告にあがりました。
http://cinema.jpn.ch/
又変わることがあったときにご迷惑になるかと思ったので転送URLを取得しました。勿論、元のところからも飛べるようになっていますがお暇なときにでもリンクの張替をお願いしたいと思います。
移転ついでにデザイン変えようかと思っていましたがそんな暇が無かったのでそのまま何も変わっていません…。
http://cinema.jpn.ch/
[581] 週末までお待ちくださいませ 投稿者:美月(さんのメールをじゅうばこが転載) 投稿日:2005/02/03(Thu) 11:04
わたしのつたない文章を読んでいただけて、とっても嬉しいです^^。
ちょっと仕事が忙しくなって間が空いておりますが、週末には続きが書けると思いま す。
ブリちゃんカウンセラー説、確かに!って思いました。
わたしは、パリスとヘレンの恋って、カウンセラーとクライアントの関係の延長にあ るような気がしているんですよ。
トロイ王家の方々は、血統的にそっちの才能があるのかな(笑)。
[583] 疾走、読んでいます! 投稿者:ガブリエル 投稿日:2005/02/04(Fri) 17:38
じゅうばこ様、皆さん、お久しぶりです。
今、「疾走」を読ませて頂いています。
最初は、アキレスの一人称や、じゅうばこさんの切り口に、
戸惑っていましたが、慣れてきた所為か随分読みやすくなりました。
(4)のアキレスの気持ちの発露には、グーときました。
一番自分を分かっていてくれていると思っていた従兄弟が、
自分を十分には理解していなかった事への、怒り(失望)とも嘆きともいえない、苦しい思いが溢れていて・・。
この部分を読んでいて思ったのですが、何も言わなくても分かる仲ってあるけれど、言葉(会話)で気持ちを表すことは、やはり重要だなぁ・・と。
決闘後の、テント内でのブリセイスと対峙した部分も、興味部深かったです。
この話もかなり考えさせらながら、読んでいきそうです。(笑)
続きを、楽しみにしています。
いま少し時間が出来たら、美月さんのブリセイス論読みたいと思って居ます。
では・・・。
[584] やれやれ。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/02/07(Mon) 01:39
◇いっこうに仕事が終わらないんですよー。
◇かがり かなでさん。
お知らせありがとうございます。明日にでもリンク張りなおしますね。
「ネバーランド」見ましたよ!きっちりよくできていて、ジョニー・デップはあいかわらずうまいし、満足でした。
ただ、空想、というものの、力の大きさをもう少し描いてくれるとなあ、という欲はありますけど。
これは長くなるのでまた(って、いつだよ?笑)
アキレス論もブリセイス論も、よろしければ長電話でおしゃべりされていることの一端でもどうぞ聞かせて下さいませ(笑)。
◇ガブリエルさん。
アキレスが口下手なもので、わかりにくい小説になっていて恐縮です(と責任転嫁すると彼からぐれられそうですが)。
何か、こう書いていると、アキレスがものすごく繊細で、頭いいみたいに見えますが、彼に限らず誰だって、その時々の心の中はこんなもんだと思うんですよね。気づかず、流しているだけで。
アキレスがちゃんと話さないのは、自分でも自信がないのだと思うんですね。あ、自信はあるのですけど、信じない人たちにことばで説得して、「えー、無理だよー」みたいな集中砲火浴びてると、自分のやる気もそがれてきて、結局失敗してしまう。彼はそれを恐れるんだと思うんです。
「グラディエーター」小説の中の「美しい日々」で、老皇帝が自分に真実のローマの醜い姿を教えてくれず、夢のような話だけを聞かせていたことを嘆くマキシマスに、プロキシモが、そうやって信じてくれるおまえに夢を語っていたからこそ、老皇帝は現実に呑み込まれず、理想を失わずに努力しつづけられたのだ、と教える部分があります。
今はまだ存在しない、でも充分に可能性のあることを信じて、新しい未来や世界を築こうと努力するのって、すごく力がいるんですよ。「絵空事」「きれいごと」「現実見ろ」とか言われたらおしまいですもの。そういう言葉を聞かされつづけている内に、やる気はどんどん枯れるんです。
憲法問題とかかまびすしいですけど、私はもちろん九条護れ派ですけど、そういう集まりでよく「今の若い人は想像力がないから、戦争の悲惨さとか想像できない」とか言う人がいます。そうかどうかはわからないけど、想像力の欠如って、そういう人の痛みや悲しみを思い描けないというのはもちろんあって、それも痛いけど、同じぐらい困るのは、「今はまだない」「もっとよい」世の中を、具体的にイメージできないことじゃないでしょうか。戦争のない世界、もっとちがった社会のあり方、そういうものを思い描けない。それはまったく、つまらない、面白くない人生だと思う。自殺したくなるのも人を殺したくなるのも無理はない。
でも、「今はまだないもの」「ひょっとしたら、どこにも永遠にないかもしれないもの」を想像しつづけるのは、若者でも大人でも老人でもすごく難しい。
あ、かがりかなでさん。「ネバーランド」がもうちょっと描いてほしいなと思ったのは、こういうことなんですが(笑)。
私の「トロイ」小説の場合(そして私は映画の解釈としても、これは、そうまちがってないと思ってますが)、ヘクトルは「ネバーランド」なんですよね。存在自体が非現実的。いてほしいけど、いるはずがない。
ヘクトルには、そういう悲しさがあります。
でも、彼の存在だけではなく、この映画には「存在しない世界への希求」があると思う。
戦争と対立の図式が、「永遠に終わらない」と思うんじゃなく、「もっとちがったあり方があるんじゃないか」と考える人たちの話ととらえると、この映画はすごくわかりやすいし、いくらでも話が広がってもうとまらない♪
「指輪物語」も嫌いじゃないのですけど、あれは悪と善の図式がきちっとしていて、ゆらがない。そういう映画だから、それで鑑賞して楽しめばいい。でも、「トロイ」は、その図式をゆらゆらさせることをめざしてる映画で、だから「わからない」あまつさえ「失敗してる」なんて思ってしまう人もいる。
いけない、夜が更けすぎました。明日があるので、今日はここまでにします。
◇美月さん。
「疾走」の今日の部分を書いていて、トロイ王家のカウンセリング才能をまた再確認しました(笑)。
どんなにでもとれるのが、この映画のよさなので、私の小説に影響されずに、どんどん美月さんの解釈を進めて下さいね。楽しみです!
◇明日あたり何とか時間を作って「アレキサンダー」見に行こうかと思ってます。こう評判が悪いと、ほんとに気軽に見られるわー。しかし、「きゃー、コリン・ファレルを見直した」とか言ってはまってしまったらどうしよう(笑)。まあ、そういうことはあまりないとは思うけど。
[587] すごく長くなりそうな予感(笑)。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/02/08(Tue) 19:39
◇用事もあるので、一度中断しますね。
とにかく、書けるところまで。「アレキサンダー」の感想。
私、市民劇場って演劇鑑賞団体?に入ってるのですが、ここでしばしばうんざりするのは、作家とか画家とか何とか、偉大な人の描写するのに、「日常生活ではすごく無能力」「子どもみたいな人」って感じで、つまり卑小化するのね、わけもなく。「奥さんの目から見たらただの弱い男」みたいな。 それもうまくやってくれたら多分そんなに腹立たないんだろうけど、ほんとにしょーもないつまんない人間に描く。それを客席のおばさんたちがげらげら笑って、「男ってしょせんそんなもんよー」みたいな喜び方してるの見ると何かもう、どっと疲れる。すごいめちゃくちゃなこと言うと、ポルノやなんかで令夫人に潅腸して排泄させて、「上品ぶってても人間てしょせんこうさ」とそれ見て鬼の首とったみたいに喜んでる男たちとそっくりに見えてしまう。
な、何で「アレキサンダー」の話がいきなりここから始まるのだろ…。
つまり、私は偉大なことした人間が「実はすごく平凡で弱点のある人間だった」みたいに描いて安心するのって、嫌いなんですよ。まあ、くり返すけど、描き方にもよるんでしょうけどね。
ところがさ、「アレキサンダー」は、まさにそういう描き方してるのにいやじゃなかった。それどころか、妙に納得できました。
そもそも私、アレキサンダーのことほとんど知らない。興味もない。ジンギスカンもそうなんですけど、広大な領土を征服して支配することに一生かけた人間に、なーんの感情移入もできない。そんな人間に興味持つよりはもっとちがうもんに興味持った方がいいなあって思ってしまう。
どうしてそんなことが面白いのかなあ、夢中になれるのかなあ、って思ってしまうんですよ。
でも、今回、この映画見て、これも唐突なのですけど、私があまり旅行が好きでないことも関係するなと思いました。移住して、その土地に住むのは好きなのですが、旅に出るのって、妙にもう、めんどうくさくてうっとうしい。自分が今いる所とちがう世界なんか別に見たいと思わない。
何だかだって、自分の好きな所に気持ちよく住まわせてもらってたせいかもしれないですけど。生まれてこのかた、ずっと。
つまり、映画の中盤ぐらいで漠然と思ったんですよね。あー、この若者、きっと戦争(も嫌いじゃないんでしょうが)よりも旅が好きだったんじゃないのかなあ。遊牧民族か何かの血が流れてるんだろうなあ、とか。実際の血筋とは関係なく。
それと、まあ要するに興味ない素材なんで、世界征服を夢見る人の気持ちというのがまるでわからないんですが(だいたいもう、管理するだけで大変だろうがそんなもんと、反射的に思ってしまう。これも昔からいろんなものを持ちすぎていたせいかもしれないけど。物質も愛情も、その他いろいろ…って、すごいこと言ってないか私って)、しいて、どういう心境だったか考えろ、さあ何とか言えと言われたら、やっぱり私、何かよっぽど不満か不安があったんじゃないの、としか思いつけないんですね。
我ながらつくづく芸がなくて、いやなんだけど、やっぱりそうとしか考えられない。
で、言いかえれば、あの映画のアレキサンダー像って、すごく私には納得いくし、自然なんですよ。史実の彼を知らないけど、でも、知ってる限りの知識で判断しても、あそこで描かれた要素以外は思い浮かばない。
あ、時間になってしまった。また来ます。
で、行く前に一言言っておきますと、あの映画見た後では「トロイ」は紙芝居に見えます(笑)。それでもちっともかまわないけど。大好きだから。
[588] すいませーん(笑)。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/02/09(Wed) 00:24
◇「疾走」の更新してたら、ばてました。私も年よな。「アレキサンダー」の感想の続き、明日にでも書きます。コリン・ファレルもはまってましたが、恋人役の青年も見事でした。でも、あれをホモセクシュアル描写とか言うか?別にそれでもかまいはしませんが、あんなので騒いだり拒絶反応してた日には、義経と弁慶も、「ヴェニスの商人」のアントニオーとバッサニオーも落ち着いては見られまいに。「トロイ」のアキレスたちはもちろんのこと、「グラディエーター」のジュバとマキシマス、「ベン・ハー」のメッサラとベン・ハー、「アラビアのロレンス」のロレンスとアリ、「スパルタカス」の主人公と詩人の若者、「巨人の星」の飛雄馬と花形だって。まったく何をおたおた意識してあわててんだか、そっちの方がどうかと思うよ。「これはそういう描写です」「これはただの友情です」ってお墨付きだか何だかがありゃいいのかよ。そうしたら、そういう色のめがねをかけて安心して見るのかよ。そういう状況そのものに何だか私は、しんそこげんなりしてしまう。どうして、そういう反応のしかたそのものが、みっともないって思えないんだろ。
あ、いかん、寝不足だと気が荒くなる。そろそろ帰ります。皆さま、おやすみなさい。
[590] そうそう。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/02/09(Wed) 01:46
◇風子さん。
ごらんになってます?
そう、ウォーリー君。知ってはいたんですけど、あんなにしっかり出てくれるとは。きれいだけど、それだけじゃない、ちゃんとそこにいるだけで、その人物になれる力を持ってるようなのがうれしかったです。淡白なのに印象を残すのですね。
えい、ついでに書いちまえ。
アレキサンダーの恋人役の彼、きれいだけどかなりあくの強い顔ですよね。それがすごくつつましく優しく見えるのは、あれは演技の力と思う。すごいです。「風と共に去りぬ」で、原作の華奢でかぼそいメラニーのイメージと似ても似つかないごっつい印象のオリビア・デ・ハビランドさんが、そのこと全然感じさせず、完璧にメラニーになりきって見せてくれたのに匹敵するような演技は、生きてる間はもう見ることがないと思っていたのにな(大げさな)。
私、オリバー・ストーン監督は「プラトーン」は大好きで何十回も観ましたけど(ただしほとんどビデオ)、それ以後の映画は、例のベトナム三部作だか何だかで「はあ?」と思い、以後はまったく見てないのです(笑)。彼がベトナム戦争の体験があるのが、「アレキサンダー」ではどう出るのかなと、ちょっと心配してました。こだわって描写過剰になるんじゃないかって。
また無駄話。「愛と悲しみのボレロ」って第二次大戦を背景に異なる国の四家族を描いたフランス映画があって、同じ趣向なら「トラフィック」なんかよりよっぽどこっちがいいと思うけど、ただ流れるようなそのリズムが急にどたどたもたもたするのが、アルジェリア戦争のくだりなんですよ。あー、フランスの知識人にとって、この記憶は整理しにくく重いんだなあと痛感しました。あのトラウマが、アメリカへの批判的な姿勢にもつながるのかなあなどと、ちょっと思います。
が、しかし、「アレキサンダー」では、たしかに監督のベトナム体験はちらちら感じるんですが、それはむしろいい味付けになっていて、作品を破綻させていない。ほっとしました。やっぱりこの忙しいのに三時間かけて「金返せー!」とか言いたくなりたくはないもん。
主人公が延々悩むのがうざったらしいと皆思うらしいけど、楽しくるんるん世界制覇する話は作りにくいのではありますまいか。あるいはラストにそれなりの達成感とか出されたら、何だか変な映画になるんじゃないのかなあ。「アラビアのロレンス」だって後半ぐちゃぐちゃ悩みっぱなしで私はそれが大好きでしたが。
主人公に魅力がないと言ったら、それはたしかにない。でも奇妙なのですけど、私はその魅力のなさが、この映画の最大の魅力でした。説得力あったし、アレキサンダーもコリン・ファレルも、妙に、妙に、好きです、この映画では。
実は、アンソニー・ホプキンズが嫌いなんですよ。で、彼がナレーターで延々語るのを、わー、これはかなわんと最初思ってました。しかし、だんだん、そのうさんくささが変に快感になって最後は大変気に入りました。
おまえは単にマゾなんだろと言われそうですが、この映画の場合、うっとうしくていやなところが、全部すなわち快感になるんですよ。
「グラディエーター」といい「トロイ」といい、私がはまった映画って、これは監督や俳優が計算したのか、偶然なのかわからないところで私つかまるんですが、「アレキサンダー」も明らかにそうですね。でもそれは、計算ではなくても、監督の本質がどこかに出ていて、それが私にはまるんだと思います。
こういう映画はこういうもんだよ、ってえらそうに言うのはいやなのですが、でも、「アレキサンダー」が攻撃批判されてる多くは、伝統的な歴史劇や伝記物の正統な手法なのではないのかなあ。あの退屈さも、あの重苦しさも。それを味わう楽しさってあると思うんだけどなあ。
それと、この映画が嫌われるのは、そこが伝統的な形式をきちんと守りながら、一方で出してる新しさだと思うけど、戦争とか英雄に対する酷薄なまでにさめきった視線。ここにも私は酔いました。 まあ、それだって伝統的といえばそうですけど。「イーリアス」だってそういう無常観はあるし。
たとえハリウッド映画と言えども、そういう感覚は昔から歴史物にはあったと思います。むしろ、あらゆる歴史文学に。
私はアレキサンダーが兵を励ます大演説をしかけては、それを途中でぶちこわすことで、兵士とそして多分観客の裏切られたという怒りをかう時に、アレキサンダーと監督の荒々しい挑戦を感じました。そういうことができることに、主人公と制作者のものすごい若さとパワーを感じました。そういう力を画面からずっともらった気がします。見ている間中。
(ちょっとネタばれですが…「この戦争は故郷で子孫に長く語り伝えられよう」っていうのは、シェイクスピアの何か有名な歴史劇の名場面の名演説ですよね。ケネス・ブラナーが演じたやつ。それをアレキサンダーはたたきこわして見せます。これはストーン監督の体験からくるものでしょうが、その彼の過去を知らなくても、その確信と、そういう名文句やそれが体現するものへの敵意は激しく伝わってきます。ヒステリックでもなく、奇をてらうのでもなく、安定した重厚な実感として。)
この映画はすべて感動を否定する。何もかもが醜くて、それが生きていることだと見せつける。でも、そこにしか生まれない感動がある。
唯一その中で美しいものとして描かれるのが男性の恋人の存在で、保守派の圧力でベッドシーンやキスシーンがカットされたかどうか知ったこっちゃないけど、できあがった作品としては、これを見事に絵空事のように美しく、しかもリアルに自然に過不足なく描き出している。
ネタバレになっちゃいそうなので詳しく言えないけど、この友人はアレキサンダー以上に賢さでも強さでもまさっている人ですよね、多分。それが見事に表面に出ない。どんな時でも絶対に日陰の存在でありつづける。その毅然とした迷いもゆれもないストイックさが、逆にこの人はものすごく強い人だとわからせる。それをせりふも演技もほとんどしないままで的確に伝えてくるのはほんとにすごい。 ホモセクシュアルに抵抗があるのなら、ただの友人と思ってもいいから、この人との関係をしっかりとらえて位置づけなければ、この映画の全体を味わいにくくなる。そこでいろいろこだわってたら、わけわかんなくなるから、もったいない。
あー、まだまだ書きたいことあるんですけど、ひとまず今日のところはこれで。
[591] とりあえず。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/02/13(Sun) 02:33
◇「疾走」、完成しております(笑)。
◇「アレキサンダー」あっちこっちで、あまりにも評判悪いので、腕が鳴るわあ(笑)。でも時間がないもんで、とりあえず二つだけ。
アンソニー・ホプキンズの元臣下の解説で話が進むのが不評のようですが、あのー、あの解説ははなっからもう、いかがわしいのがみえみえで、最後はすごく丁寧に「彼の言うこと信用できませんぜお客さん」って念押ししてくれてると思うのですが。つまり、あの人の話自体が、どこまでほんとかわからんという、「語り手が信用できない」っていう推理小説やらなんかによくあるお遊び、「歴史なんて語り手次第でどーでもなる」っていうのを意識した趣向で、あの人を誠実な語り手と思っちゃそれは面白くも何ともないよなあ。すごく腹たつに決まってるよなあ。でも、誠実な信用できる語り手と思って見る人いるんですか…っているんだろうなあ、これだけ真面目に怒ってる人多いんだから。
まあ私はもともとあの俳優が好かんので、「こいつの言うことなんかわかるもんか」と思って見てたってのはありますが、いやーやっぱり、そういう問題じゃないと思うぞ、あのいかがわしさに気づかないのは。だってもう、はじめっから見るからに怪しい語り手じゃないですか。言ってることも態度も何もかも。
そういう意味ではしゃくだけど、あいつの演技はうまいのかもしれない。少なくとも、はまってましたよ、この上なく。
そういう手法って、そんなに高級でも何でもなく、それこそ「HERO」でもしつこく使われてたし、珍しくも何ともないと思うけどなあ。そして、それはあの映画、とても上手に効果的に使ってましたよ、どう見ても。
え、ほんとに皆気づいてないのだろうか。すごくわかりきったバカなことを言ってる気がして、だんだん不安になってきたけど。
もう一つは、もっと反発かいそうだけど、あの映画、真剣に嫌いな人や合わない人はむろんいるだろうけど、案外正しく味わっていて、ちゃんと楽しんでいて、それで「何だこれは!」と怒ってる人もひょっとしているのではないだろうか。
「シェイクスピア・オン・スクリーン」って面白い本の中で、「リア王」について、「楽しく見られる『リア王』なんてものほど、つまらないものはない。重苦しくて退屈で暗くて滅入って疲れて胃が痛くなって死にそうになるんでなきゃ、『リア王』はつまらない」みたいなこと(だいぶちがうんですけど、まあ、そういったようなこと)が書かれてたと思うんですよ。
キャラママ(板坂)は、「面白い楽しい授業しろってんなら、いくらでもするけどさ、そういう、おかゆやフルーツパフェみたいにつるつる喉通るもんばっかり食ってたら、学生の歯もアゴも食道も胃も絶対退化するんだけどなあ。時には重っ苦しくてわけわかんなくて睡魔と挌闘して、みたいな授業も聞いとかないと身体なまるのにさ」とよくぼやきます。私自身、面白い楽しい本は大好きですけど、時々、何が書いてあるのかさっぱりわからない本を読まないとすごく不安になります。何かこう、体調が悪くなる。
いえもう、あの映画見て、退屈だつまらん金返せと怒ってる人をなだめるつもりはないんですけど、でもですねえ、そりゃスピルバーグは大好きですが、映画や小説味わう時には、「くううっ、何たる退屈さ、何たる難解さ、うわあもうわけわからん」という快感もあるのですよ、みえとか何とかじゃなく、もう、それ自体が。修行といおうか、苦行といおうか(笑)。
埴谷雄高(字がまちがってそう)の「死霊」とかさ(何も覚えてないけど)、ドストエフスキーの「カラマアゾフの兄弟」とかさ(途中で投げたけど)、はふーとか、くううーとか頭抱えながら読んで、「あー、やったぜ」みたいな気分になるのが読書だって、そういう風潮が昔はあって、まあそれもどうかとは思うけど、でもそういう楽しみって感じるんですよ、人間って、やっぱり。まあ、人によるけども。
2ちゃんねるとかのぞいてると、(アレキサンダーの名馬が、「登場してからあとは、死ぬ時に「いたのか」と思ったぐらい、ただの馬だったじゃないか」と嘆いてる書き込み見た時は、何だかもう妙におかしくて、パソコンの前で夜中に一人、声だして大笑いしてしまったけど)いろんな悪口の中に、後半ずっと「アレキサンダーが早く死ねと思ってた」と書いてる人が多いけど、そりゃもう、そういう映画でしょうあれは。「どうか死なないでくれ」なんて、あれ見て思っちゃおかしかろう。「あー、もうこんなやつ、早く死んでくれ、本人のためにも絶対その方が幸福なのに」とうんざりいらいらしながら見るのが普通でしょう。そういう映画ですよ。それが楽しいのに♪なんて書いたら、絶対ヒンシュクかうんだろうなあ。
そんな苦痛を映画館で味わって何になるんだと言われそうですが、それは人によりけりで、日常で疲れはててるから楽しい軽い、ほのぼのとした映画を見たいという人もそれはいるでしょうが、その自分の体験してるどろどろややりきれなさを、もっとすごいスケールで画面の中で再現されて、「そうだよなあ、こういうもんだよなあ」って変にすっきりしたり、元気が出るってこともあるんですってばさ(笑)。
決して皆がそうなれとか言うのではありません(もちろんですがな)。でも、そういう楽しみ方ってあるし、そういう効果っていうのもある。少なくとも私は、「アレキサンダー」の映画から多大のパワーを受けとりました。薄汚さ、救いのなさ、いかがわしさ、空しさ、それが人生だみたいな。この映画にはそれだけの力がある。しょうのない失敗作には、こんな力はありません。
この映画とうまがあわなくて、受け入れなくて怒ってる人はむろんいると思います。それはもちろん悪いことでも何でもない。私みたいに好きとしっかり自覚してる人もそれはそれでいる。私が超おせっかいながら気になっているのは、この映画が楽しめなかった、疲れた、空しかった、腹たったと言ってる人の中には、それって、もしかしたらすごく正しく鑑賞して、うけとめるものうけとめて、得るものきちんと得てるんじゃないの?という人たちがいそうな気がする。ねえ、それって、ほんとに、ひとつまちがえば快感じゃないの?とちょっと聞いてみたい。
人を不快な、やりきれない気持ちにし、疲れさせ落ち込ませるためにも文学(映画も)って絶対存在する。ただ、つまらなくってそうさせるものもあるけど、そうさせてなおかつ、いい作品っていうものも多い。「アレキサンダー」は後者です。そして、これがラジー賞候補になってるっていうのは、ええっと、これも反発覚悟で言っちゃうと、世の中何だか疲れてるって反映なのじゃないのかなあ。不快なものを楽しむ元気がなくなっちゃ、人間おしまいですよ。って、最後はやっぱりこうなるか私は(笑)。
[592] ご無沙汰しております。 投稿者:秋津 投稿日:2005/02/15(Tue) 15:42
じゅうばこ様
どうもご無沙汰しておりました、秋津です。
何だか自分、情熱に波があるようで(汗)、しばらくトロイから遠ざかっていたのですがまた戻って参りました。掲示板は日参させて頂いていたのですが。
アメリカ版DVDも買ったりしてしまいました。こちらではフルスクリーン版というのがありまして、PC画面にいっぱいヘクトルが見れたりして…ちょっと幸せです。
遅ればせながら、小説「おれにまかせろ」、「船はもう着いているのに」、「疾走」と一気に読ませて頂きました。最初の2作は、読んでとても切なくなってしまいました。「おれにまかせろ」は特に、なんでこんなふうにならなかったんだろ、といても立ってもいられないくらい切なくなってしまったり(笑)。ヘクトルと息子が剣の練習してるとことか、見たかったなぁ。
だったら自分で幸せなの書けって話なのですが、何だか書けないのですよね…。映画がまるで歴史のように厳然としてそこにあって。書いてるうちに切なくなってきそうで。けれど一方で夢も見たい。「船はもう着いているのに」のあとがきでおっしゃられたように、書き続ければいつかは本当になるかも、ですよね。
こう、心がほんわかするようなトロイ小説が書きたくなってしまいました。でも結局私が書くと死後の世界になってしまいそうです(汗)。
あ、「アレキサンダー」ですが、私も好きです、あの映画。
って、中途半端な英語力で観てますんで、どのくらい理解できたのかは微妙ですが、少なくともニコラス・ケイジの最新作(あえて名は伏せて)よりは理解できたし面白かった。というか、面白くなかったと言う人の意見を聞いてないので反論もできないのですが(笑)。もともとコリン・ファレルが嫌いでないと言うのもあるんでしょうか。あくが強くてヒゲ濃いけれど、なぜか惹かれるのです。
映画観てて、アレキサンダーの大事なものが彼の指の間からだばだば流れてって、だんだんどうしようもなくなって、なんというか、この映画はそういうとこも快感だったかななどと思ってしまいます。アレキサンダーが死んだ後のあの安堵感は何なんでしょうか。
できることならもう1度観たかった…でも多分、今度はDVDになってしまいそうです。
http://fenrir134.hp.infoseek.co.jp/
[595] 金色の猫? 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/02/16(Wed) 20:53
◇秋津さん。
小説読んでいただいてありがとうございます。「疾走」は、最初はやっぱりこの映画を語るならアキレスを描かなくてはと思って書きはじめたのですが、ほんとに完成しないかもしれないとずっと思っていました。
たいていの観客のように私もへクトルが好きですが、この映画はやはりブラッド・ピットのアキレスがなかったら、これだけの説得力は持たなかったと思っています。そういう意味で、彼がミスキャストとか演技が下手だとかブリセイスとの恋が理解できないとか言われるたびに、少なくとも私が感じたアキレス像を一度は説明しておきたいとずっと思っていました。
後半、映画がはしょりまくっているところを私、補充しまくってますが、これは決してそうひどい捏造や妄想とは思っていません。この流れで解釈するのが一番よくわかるし、自然だろうと思っています。
完成したら、へクトルもオデュセウスも、いかにこの映画がうまく描いていて、俳優がそれに応える的確な演技をしていたかをあらためて感じました。
それで、珍しく満足してしまって、しばらく次の作品を書かないでもすみそうです(笑)。まあ、その内にまた書くでしょうが、今この忙しい時に、変に書きたくなってはほんとにヤバいので、どうかもうしばらく創作熱がわきませんようにと、ひそかに祈っているところです(笑)。
「おれにまかせろ」は実際切ないのですが、こういうの書いていてよくわかるのは、オデュセウスのような人がどっちにつくかが大事なのですよね、こういうことって。「アラビアのロレンス」で言うならアリのような人が。
幸福な話は私もぜひ書きたいし、読みたいです。期待していますので。
実はへクトルの子どもやアキレスの子どもが活躍する話でもいいな、とか思ってたのですが、何だかやっぱり、本人たちでないといや、息子は代わりにならないわ、と思ってしまうんですよね。そんなことこれまで感じたことなかったのに。
アンドロマケがヘクトルの忘れ形見を殺されて(原典では)どんなにつらかったろうと思ってましたけど、案外「平家物語」の小宰相のように、「子どもは死んだ夫の代わりになんかならない」と思う面もあったのかな、と救われたというのも何ですが、少しだけ気が楽になったりしています。
とにかく「疾走」は書いている内にアキレスが妙に好きになった、これも私としては珍しい作品です(笑)。この金色の大猫のような感じ、前から嫌いではなかったのですが、それにしても。自分の描く人物にほれてしまうピグマリオン(マイ・フェア・レディ)効果って、私おかしいほどないのですが、はじめから大好きな人を大好きなように書くのですが、今回だけはちょっとちがう。新しい関係、ふしぎな関係かもしれません。
「アレキサンダー」は…ちょっと長くなるので中断しますね。
[596] 続けます。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/02/16(Wed) 21:30
◇とは言っても長くは書けないけど、時間が時間が。
私はこの映画、一回見ただけで、たくさん見落としがあると思います。二回、三回と見たら宝の山のようにざくざく面白い発見があるだろうという予感がします。しかし一回見ただけでも、それなりにしっかり面白かった。そのへんは、この監督は職人で、一回見て、それなりに面白いところと、くりかえし見るたびにわかってくるところを、ちゃんと段階的に階層的にしわけてくれてると思います。
だって私、王の側近の人たちの区別なんてまだほとんどついてないんですよ。それに、前に言ったようにアレキサンダーのことなんてほとんど知らないし興味もない。あえて言うなら、この映画見てもそんなに興味が増したというのでもない。
でも、一人の若者が何かを求めてどんどん突き進んで行って、収拾つかなくなってそれでも前進するしかなくて、滅びまいと思ったら進みつづけるしかなくて、というその泥沼状態は肌で伝わってきました。その合間に美しいものはあるし、偉大なことしてるような充実感もあるのだけれど、それは維持できないし、興味や欲望は次々広がるけど、矛盾もだんだん広がってほころびて行く、その途方もない空しさや恐怖も。
彼と恋人の男性が、アキレスとパトロクロスに自分たちを擬するのも私は痛いほどよくわかる。そうすることで、自分たちの関係を崇高なものにしておきたいんですよ。汚れた怪しげな現実の中で自分たちの関係を保つには(それは友情だって夫婦愛だってまったく同じなわけで、それが同性愛だからって私は区別がつかないのですが)、そういう古典の世界の人たちを重ね合わせることが必要なんです。それは、古典や文学の持つ力でもある。そうやって、人間の生き方を支えるのが、そういうものの力です。
そして、この映画の描く悲しさのすごさは、そういう生きるよすがにしたお手本のアキレスでさえ、スケールにおいてアレキサンダーが大きく超えちゃったことにある。もうお手本がお手本にならない時間と空間に来ちゃっていて、理想や夢をあきらめるのではなく、突き抜けたかたちで、現実と幻滅の中に彼がいなきゃならない恐さにある。
年取って成功した人は実は誰でも、少しはこの幻滅はある。ひきかえに何かを失ったとか、手にしてみたら大したものじゃなかったとか。
私は実際のアレキサンダーを知らないので、世に知られた彼の晩年がどのくらい幸福にみえたか不幸にみえたかは知りません。しかし、映画では彼は不幸で、ほとんど何も満たされてない。史実で伝えられる彼もこうなのか、それとも「中身は実はこうだったのかもしれない」と監督が言ってるのか、それはこの際どっちでもいい。どっちにしても、偉大なことをした人には、どこかこういう部分は確実にある。それをどの程度大きいものと描くかは別にして。
友人だか愛人だかの男性が、語るのはそのことですよね。輝かしい夢。それを超えてしまった男。そして夢見ていた若い頃が今は逆に永遠に手のとどかない夢になる。この輝きと、この悲惨。 私が満足するのは、それが言葉やトリックでなく、まさに質量として実感として手渡されてくることです。疲労感も、虚脱感も、登場人物と一体化する。それがこの映画の醍醐味です。(あ、映画にとけこめなくて疲労や虚脱を味わっている人もきっといらっしゃるんでしょうから、そこは区別しなくてはですが。)
コリン・ファレルは、あのべちょべちょした薄汚い感じがどうもいやなのですが、この映画の場合、そういうところも含めて彼はそういう実感をこの王に与えるのに成功していたと思います。これは「トロイ」のへクトルやアキレス、「グラディエーター」のマキシマスとはまったく性質のちがった、これはこれで非常に難しい演技だったと思うし、彼はそれに立派にやってのけています。
まだまだあるのですが、まあ今日はこのへんで。どうも私、この映画のいろんな悪口を見るのが妙に楽しくて、それもこの映画の変な魅力の一つですね。その悪口に一つ一つ楽しく反論していたら、話題がつきずに当分退屈しなさそう。って、退屈してるような状況じゃないんだけどな全然もう、この忙しさは。
(かがり かなでさんのサイト掲示板への私の書き込みの一部分)
それと、パトロクロス論の後半を拝見して、ヘクトルが侵略戦争のたぐいはやってないだろうという指摘にすごく納得しました。
私は、このへん何となく確信が持てなくてあいまいにしつづけていたのですが、こうやってはっきり書いていただいたのをきっかけに、つきつめて考えると確かに絶対にそうだと思います。
今まで、どこかもう一つつかめなかったヘクトルという人を初めてしっかりつかめたようでうれしい興奮を味わっています。
[607] こんなものでもたまには書かなきゃやってられるもんか(笑)。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/02/24(Thu) 23:50
◇と思って書き出したのですが…もう前に書いてから1年近くになるので、何の話さ?と呆然とされている方もきっとおられるでしょうね。
いずれ、説明つけますが、リンクしているdaifukuさんの「ラッセル・クロウ」ファンサイトの「じゅうばこ」コーナーの小説のところに、このお話の前の分があります。その内ここにもリンクしておきます。しかしまあ、これだけ「トロイ」勢がわさわさ出てきて、daifukuさん、のっけてくれるのかなあ、あちらに。でも、これ、あくまでも「グラディエーター」のマキシマスの主役のパロディ話ではあるのですが。
で、私の職場も含めた大学の現状を思いっきり題材にしています。ちなみに言っておきますが、「図書館の本を焼く」というこの話は、たとえとかパロディとかではなく、まんま、そのまま、あったことです。
◇あ、「トロイのヘレン」おまけ・映画「トロイ」談の14と15をアップしてます。
[617] お久しぶりです。 投稿者:かがり かなで 投稿日:2005/03/08(Tue) 00:00
4月から新しい学期ということもあり、そちらも目の回るような忙しさだとは思います。
拝見はしているもののなかなかまとまった時間が取れず「こちらからカキコに行きます」といいながらこのていたらくです。
ほんの少し前まで紛糾していた「オペラ座の怪人」にもようやくひと段落つきました。上映前は、既にDVD買う位の勢いだったのに初日に座席予約してまで観にいって首をひねって帰ってきました…。
先だってはこちらの考察にご意見いただきましてありがとうございました。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」拘りますね(笑)。
会社の同僚も「あんな内容だと知っていたら絶対見なかった。ビョークのCDが聞けなくなった」と嘆いていました。主人公に自分を重ねて観る人にはあの作品は辛いと思うし、じゅうばこさまのようにお怒りになる方もいます。
ちなみにあれを観て「幸せな気持ちになる」という人も知っています。
最初は「あれで幸せな気持ちになる?」と驚いたのですが「世の中には自分よりも不幸な人は沢山いて、自分はまだ幸せだと感じるから」という理由に納得してしまいました。
皆色々な見方をするもんです。私は結構好きなんですけどね。DVDを買うタイプの好きではないのですが。
さて「トロイ」のお話ですが。
私はトロイ国は少なくともここ十数年は侵略戦争の類はやっていないと思うのです。少なくともヘクトルは望んでそのようなことはしないと思う。
以前どこだったかの感想で「最も反戦を唱える者が、最も優れた軍の指揮官であることは皮肉だ」とあって、とても印象に残ったことを覚えています。
勿論戦争が始まる前は戦争を起こさないように努力を払うのでしょう。でも、いざ実際に戦争になって攻められた時に自分の側が最小限(出来るならゼロ)の被害にしようと思ったら、迅速に相手の戦闘能力を奪う為に効率よく「人殺し」をしなくてはいけないんですね。
だから「こちらから攻めるのはよそう」という意見が通らなかった時は息子としても切なく思うのと同時に、軍の最高指揮官としても切ないです。
http://cinema.jpn.ch/
[618] ほんとに風邪かも。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/03/08(Tue) 18:33
◇それとも単に疲れてるだけか、妙に体調がよくないなあ。よくなくてもいいのですが、その分気が荒くなって、人に意地悪しそう。今日は仕事が終わったら早く帰って寝てしまお。
◇かがり かなでさん。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のことを思うと、「アレキサンダー」の悪口言ってる人の気持ちがみょーにわかってしまいます。どんだけ口をきわめてののしっても、あれを見たことで穢れた自分はまだ清められていないというか(笑)、海の水で洗ってもこの手の血は消えぬ、というマクベス夫人の心境というか。ほんとに、あの映画見たあと、すぐ次の別の映画見ないと身体が腐って行くような、いやな臭いがしてるような気がして。うーん、それだけのインパクトがあったってことは、それなりにいい映画だったんですかね。
その勢いで書いてしまうので、本心と思わず読み飛ばしてほしいけど、そもそもあれ見て「自分より不幸な人もいる、と思って幸せになれる」という、その感覚のいじましさとみじめったらしさは、そういう人には自分の半径5キロぐらいにはもう近づいてほしくもない(わー、熱があるとこれだから。言葉の綾と思っといて下さい)。
「オペラ座の怪人」は、劇団四季の舞台で見た時、シャンデリアが最高だったという印象しかなく、自分とはどうも性に合わない作品という予感があり、見に行くのをしぶってます。暇な時なら恐いもの見たさでのこのこ出かけるのですが、今は忙しすぎて、もしはずしたら立ち直れなさそう。ああ、こうやって私の感性は鈍磨して行くのだなあ。嫌いなもの見るのって、けっこう豊かになるのですよね、いろんな意味で。
ヘクトルのことですが、これ書くとまたながーーーーくなりそうで。ちょっといったん切りますね。
[619] 違和感。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/03/08(Tue) 19:01
◇かがり かなでさん(続き)。
これはその内、今書いている「アカデミアにて」でもゆっくり書きますが、私、「トロイ」の映画見ていて、ヘクトルという人に、好きだけれど、とても好きだけれど、ずっと奇妙な違和感を感じつづけるのです。まだアキレスの方が身近に理解できる。オデュセウスはもっとしっくりわかる。
ヘクトルは何か変なんです。パリスとも、あの父親とも共通する変さで、その三人の中でむしろ一番変かもしれません。
異国人、異星人、奇妙な動物、人造人間、もうなんか、あらゆる誤解を恐れず言うと、障害を持っておられる方と共通するような異質なものをずっと感じるのです、彼に。
テレビでこの前、ひさびさに「ギルバート・グレイプ」を見て、これもまたお話したいことがいろいろなのですが、私、お兄さんよりデカプリオの弟の方に、ヘクトルと似た印象を持ちました。どうコンタクトとっていいのかわからない無垢さ、唐突さ。
「トロイ」が嫌いな人の一部は、このヘクトルが感じさせる奇妙な違和感をいやだと思うのじゃないのかなあ。
かがり かなでさんが、「この人は汚い戦争、侵略戦争をしていない」と指摘された時、奇妙にそこが理解できた気がしました。
この人、船の上でいっぱしパリスに説教しますやん(なぜか突然関西弁)。「おれは人を殺した、死ぬのも見た」って、もう百戦錬磨の戦士みたいに。
あ、百戦錬磨なんでしょうけど、それは戦士としてキャリアも長いんでしょうけど、でも、かがり かなでさんのご指摘が正しいとすれば、それはでも言って見れば、深窓のご令嬢が妹に向かって「殿方をおまえは知っているのですか。私は殿方と手をつないだこともあるし、おみ足も拝見したこともあるのよ」と言ってるようなものだったんじゃないのかあれは。キスもセックスも未体験の、そんなこと想像もできないような箱入りお嬢さまが。
でもって、たしかに妹はもっと箱入り娘だから、しーーんとうつむくしかないのだけど、でももっとあばずれの、つうか普通の娘から見たら「あんた男の裸見たことあんの?キスして寝たことあんの?」と言われたら、「えっ」と言って絶句するようなお姉さまではないのでしょうか、あれって。
話せば長くなりますが(すでに充分なっとるわい)、ヘクトルがそういう汚い醜い戦いを知らなかったわけがない、という理屈はいっぱいつけられます。何で妻子に都の滅亡後のことをあんなにきちんと指示できるんだとか、よっぽど遠くに遠征つまり侵略とかしてるんでなければ、弟が戦わなくて兄だけが戦ってたという図式はとてもじゃないが成立しにくいとか、その他いろいろもう山ほど(だから私は、そのへんはずっとごまかして小説書いてたのですが)。
でも、そういう理屈のすべてをかっとばして、「この人はそういう醜い戦争をしてない、知らない」と圧倒的に証明し納得させるのは、ヘクトルのあの表情、たたずまい、のすべてから伝わる、どうしようもない無垢な穢れのなさ、そこから来る奇妙な非人間的な違和感です。これをこんなに否応なしに伝える表現をしてのけた俳優(エリック・バナ)の演技はすごいと思う。多分、意図してじゃなく偶然なんでしょうけれど。彼は普段は子どもっぽい無邪気な感じの人のようで、それがこういう効果を生んでしまったのでしょうね。
まだまだ書きたいのですが時間がない!こういう点で、ヘクトルはアキレス以上に、はるかに宇宙人っぽいし、どこからどう見ても普通じゃない。
このことを考えていると、たとえば戦争体験と言っても、ボタン押して爆弾ばらまくだけしか知らない人はどうなんだろうとか、どこまでを、あるいは何をもってか醜い戦争というのだろうと、話はもう限りなく広がるのですが、それはまた、その内に。
[626] 我ながらもうまともと思えない。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/03/18(Fri) 10:53
◇…まあね、何を今さらですが。
今週で「アレキサンダー」の上映が終わるので、今日はもう行けそうにないし、(送別会もあり、「グラディエーター」のテレビ放映もあり♪)昨日の最終上映に行こうと思ったら、ちょっと時間に余裕ができて、その前の5時からの回に行けそうだったんで、あー、そうしたら8時には終わるから、ゆっくりごはんとか食べて、少し仕事して早めに寝たらいいかとか思ってたら、最初に見た時からうすうす、かなりわかってはいたんですが、あまりの映画のみごとさに陶然となり、思わず二回連続で夜中まで観てしまいました。当然、入れ替えの映画館で、係の人はさぞあきれたでしょう。しかも帰りにはもう閉まってる売店をこじあけて、記念グッズのしおりを二つも買ってくるしさあ。
主役のコリン・ファレルは今でも嫌いなんですよ。映画雑誌で写真見るたび、嫌いなことを確認します。言ってることもすることも、顔も姿も生理的にうけつけない。でもよかったかもしれない。これで好みの俳優だったら、仕事も健康もなげうって、通いづめたかしれないもの。 で、その好みにあわない彼が、この映画の場合最初から最後まで好みなんです(笑)。どの瞬間の表情も姿も美しく見える。高潔で繊細で優しくて孤独で、いとしくてたまらない。あー、私がコリン・ファレルなら、こんなほめ方されたら役者として幸福の絶頂だろうな。しゃくだけど、でもしかたがない。
オリバー・ストーン監督の映画は「プラトーン」以後というか以外というかほとんど見てないんですが、何というか、うまくなりましたねえ。この映画、重厚なのに退屈じゃない。サービス満点なのに妥協はしていない。どの場面も展開も、まったく無駄がなく、構成が寸分のすきもない。映像も弱いところがなく、どこを見ても美しくて、その美しさに皆、意味がある。何かを語っている。だからまったく退屈しない。
そりゃ寝ますよ、時々(笑)。こんなに長いし。でも、まったく寝ないで夢中で見ても、それだけでどうってことない映画ってのもあるわけで、それよりはこういう映画の方が私はずっとありがたい。時間を無駄にしなかったなあって気持ちになれる。
書きたいことがありすぎて…そんなことしている時じゃないのに。ちょっと一回、切りますね。
[628] 「アレキサンダー」評(ガウガメラ) 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/03/18(Fri) 12:06
◇アレキサンダー」の描写は、いろんな意味で、これまでの史劇や戦争映画と段違いです。緻密で、深い。それをとてもわかりやすく表現してくれている。
ガウガメラの戦いの戦場や戦法の説明と壮大なスケールは、現代物の戦争映画でも例がないほど、未曾有と言っていいほどです。見世物としても映像が美しく迫力があるけれど、戦況がきちんとわかるように実況中継される。これほどの要領がいい、迫力ある雄大な戦場の描写を私は知りません。
「アラビアのロレンス」でも「アカバを海から攻める」ということにとどまっていたし、「グラディエーター」でも「トロイ」でも、「ロード・オブ・ザ・リング」でも、これほど複雑な戦闘の全体像を見せてはいません。それはそうなので、せいぜいが「援軍が来るか」「城壁は持ちこたえるか」程度の単純なものにしておかなければ、観客がついて来れない。映画の中でそれ以上複雑にするのは基本的に無理です。かなり細かく構成している「七人の侍」でも、スケールは小さい村にとどまっているし(だからいけないと言うのじゃありませんよ)、「遠すぎた橋」などは、単純な構成なのにもかかわらず、その位置関係や重要度の度合いさえも説明するのに失敗している。
ガウガメラの戦闘を、これだけの複雑な要素と巨大な規模で、きちんと説明してしかも楽しめる映像にしたのは奇跡に近い、すごい力量です。これだけでもアカデミー賞ものだと正直、思う。
思えば、ストーン監督は「プラトーン」でもエリアスが殺される前後の戦場の状況をけっこうていねいに説明していて、私はよく「これがもっとはっきりわかったら、更に面白いのだけど」と言っていて、でもそれはまだ監督が説明が下手(他の人に比べたらすごくうまくても)だったのだと思う。その才能が磨きまくられて見事に満開に開花したのが、あの戦闘場面だと思います。
[630] 「アレキサンダー」評(偉大さ) 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/03/18(Fri) 14:16
◇この映画を批判するのに、「王の偉大さがまったく伝わらない」って人が多いし、その反論として「等身大の悩める人間の弱さ」を描いているからいいという人もまた多いのですが、私はこのアレキサンダーは、ヘクトルよりアキレスよりマキシマスよりアラゴルンより、よっぽど偉大に見えますよ。
コリン・ファレルが見た目あまりぱっとしないのは、わざとかもしれないとさえ思います。もさもさした平凡な若者のようでいて、内面が輝いている。重厚で複雑で豊かな理性と感情をあわせもった人格が、表情、しぐさ、ことばににじみ出て、見てくれではない偉大さがずっしり伝わってくる。これは、マキシマスが決してこぎれいにしない、むさい髭面でとても美しく見えた時にもずいぶん感じたのですが、コリン・ファレルのこれは、その比ではない。
マキシマスの場合には「徹底的に消極的、受身な主人公」という、これまでの常識を破るけど、それなりにわかりやすくてめりはりのきく性格づけがあったし、「トロイ」のヘクトルはもっと型にはまって単純です。ある意味うすっぺらで紙芝居です。これは決して悪口ではない。うすっぺらな紙芝居にしか与えられない感動があるし、それでしか表現できない美しさがある。私はマキシマスやヘクトルを愛することでは誰にも負けないでしょう。誰かに負けたら私以上に彼らをそんなに愛してくれている人がいるとわかって幸せになるほど愛しています(笑)。ですが、コリン・ファレルの演じたアレキサンダーは、彼らよりはるかに豊かな要素を持ち、リアルでスケールが大きく、その分一口に説明できない。めだった特徴が出しにくい。それをコリン・ファレルはまさに指先までのすみずみの演技で、血液までもなりきっているかのように演じています。
あ、わけのわからん話はやめて、もうちょっと具体的に。
私はアレキサンダーという人物をまったく知らないので、この映画での彼の話で言いますが、彼があれだけの大遠征をし、征服に成功した理由は、この映画を見る限り、大変納得できました。
語り手のプトレマイオスが、辺境で彼は「謎にみちた選択をした」と言いますやんか。
この語り手が実にしゃくにさわるほど、うまく使われてるわけですが、そりゃプトレマイオスにとっては「謎にみちた」行為でしょうが、これはアレキサンダーにとっても、そして私たちにとっても、全然謎にみちた行為なんかではない。これって、現地の女性を妻にしたことでしょう?
そこには世継ぎ残すとかいろんな要素はあったと思うけど、結局、一貫してアレキサンダーは、異国や異文化に対する憎悪や拒否感を持ってない。軽蔑もしてない。柔軟に受け入れて信頼する。そこが周囲の部下たちと決定的にちがう。
でも、その一方、溺れない。アジアの危険な魅力(「こわく」という字が出なかったー!(泣))につかまらない。これは、相手を軽蔑してないから逆にそうなるわけですね。自分の国の、自分の学んだ文化や倫理をきちんと守って、異文化の人にもそれを適用する。それでこそ、自分の文化圏のモラルや哲学が世界に通用するんだって誇りと自負がある。
これって、すごいことですよ。あー、私、うまく言えてるのかなあ。自信がないよ。
つまり、その国の女と寝て、子どもを生ませて、その国のうまいもの食って、財宝を満喫して、などということはアレキサンダーは異文化を受け入れたとは思ってないのです。そういうのを彼は憎悪します。
異国の文化の豪奢さに、自然の雄大さに、目をみはり感動し、それを認めるからこそ、自分の国の最高の礼儀作法でそれに接して、仲間としてうけいれて行く。そこにコスモポリタンとしてのアレキサンダーの素質があり器量があります。
もちろん、彼もゆれます。迷う。だってこれは現代まで続く永遠のテーマですからね。永遠じゃないかな。でも異星人や動物との意思疎通が云々される時代になっても続くだろうし、そもそも私たち個人間のコミュニケーションでも共通することだろうし。
そういうこと一つとっても、部下たちと彼の差は大きい。そして、アレキサンダーが苦しむのは自分でもうまくそのことが説明できないこと、そして、その部下たちを彼が深く愛してもいるからです。
私はほんとに、こんなにはっきりわかるのに、こんなにうまく説明できなくてもどかしいんですが、アレキサンダーは西欧の文化を愛すればこそ、それが世界に通用するものと信じればこそ、その最もよきもの、最高のものを東洋に与えようとした、つまり異国の一見異様な人々をきちんと扱うことで、真の支配者になろうとした。それは教育なのか侵略なのか、彼自身だってわからずに悩むことが多かったと思うけど、ブケファラスと心を通い合わせたような豊かな優しさと強さとが、いつも彼の最高の武器だったのだと思います。
東洋の妖しい魅力を理解しながらも溺れない、西欧の理性の美しさが彼のよりどころで信仰で、そして、その具体的な存在が、ともに学んだ学友でもあるへファイスティオンだったのですよ。西欧の精神の最も美しいものが人の心と肉体を持って、そばにいてくれたのが彼だった。
かつての盟友、腹心の部下を政争の中で葬り去る時、彼はヘファイスティオンを近づけず、東洋の美しい若者の身体に慰めを見出す。このように危険に不安定にゆれつづけながら、彼は結局最後まで、ヘファイスティオンに象徴されるギリシャの理性と悟性とを失うことはなかった。
この王の、こういった内面の葛藤の壮大さも深さもまた、これまでの映画が描いたことのなかったものです。「アラビアのロレンス」は砂漠への美しさに魅せられた若者という面を強調することで、ロレンスという人物の複雑さを巧みにわかりやすく単純化した。これはこれですごい。「セブン・イヤーズ・イン・チベット」も同様のテーマを扱いますが、これは俳優の力不足(役に合わなかったというべきか)もあって、あまりよく表現できているとは言えない。しかし、どのみち、こうした映画の主人公たちとは比べ物にならないぐらい、アレキサンダーという人間の抱えているものは大きくて複雑です。
それを、この映画はせりふではまったく説明していない。すべて映像と役者の表情で語ります。徹底した綿密なそして正しい計算がないと、こんなことには成功しません。
語り手についてはまた書きますが、この映画の語り手は説明役ではないのです。彼は何も説明してない。むしろ観客をミスリードするのが彼の役割なんですよ。「謎にみちた選択」って彼が言うから、監督もそう思ってると思ってはいけない。監督はまったくそうは思っていない。これは、そういう語り手です。
アレキサンダーの、その内面を象徴するような、壮大で勇壮で、そして何より透明な美しさをたたえた音楽も、この映画に実にふさわしい。特に混乱して醜い場面の上に慰めるように洗い流すようにかぶさってくる、この旋律は鳥肌がたつほどひきこまれます。汚れきった卑小な英雄のようにも見えて、ちょっと気をつけて見れば実は全然そうではない、いつも清潔で真面目な若者だった彼そのもののようです。
[631] 「グラディエーター」のテレビ放映。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/03/19(Sat) 17:29
◇昨夜見ました。カットの多さはものすごかったし、もとの映画の魅力の半分も出てはいないと思いますが、それなりに心のこもった編集だったと思います。何といったらいいのかなあ。りんご酒の味が薄まってはいるけれど、りんご酒のおいしさはわかるし、りんご酒だってこともわかるし、これを見て好きになった人は、原作?を見たらますます好きになってはまるだろうし、原作を大好きになるにちがいない人は、これを見て「原作なんか見ないでいい」とか誤解することは絶対ないだろうという縮小のしかたで、縮小、カットを必要悪とわりきるなら、これはその限界の中で最も良心的にした仕事の一つのタイプかな、と思いました。
もっとちがうやり方も、もちろんあり得るでしょうが、少なくともこれはこれでいい。原作をそれなりによくわかっている人の仕事と思うし、変に小ざかしく自分の解釈や好みで偉大な作品の自分版を作って悦に入っているような、しゃらくささがないところは、とても好感が持てました。
多分、これ見て「きらい、つまらない」と思う人は、この映画がほんとに嫌いな人だろうし、「何か気になるな、もっとちゃんと見てもいいかな」と思う人は、まちがいなくこの映画が好きになる人。そういう意味での選別をきちんとし、めやすにちゃんとなってくれる短縮版だったと思います。
よそのサイトで「長い予告編」と昨日の放映のことを書いたのは、そういう意味でいやみでも皮肉でもない私の評価です。予告編とか批評とか紹介とかは、やっぱり、そういう精神で作ってほしい。
で、私も「アレキサンダー」の批評をそういうように、きちんとしたいし、まだまだ書くことはあるし、「アカデミアにて」もずっと先までできてるのですが、うー、時間が時間が。また来ます。
[632] あ、そうそう。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2005/03/19(Sat) 17:41
◇それにしても、「グラディエーター」の中でコモドゥスが、かぶとをかぶったマキシマスが誰だかまだわからないままの時、ごきげんで「この子(ルシアス)はおまえがヘクトールの生まれ変わりだと言っているぞ」と、ほめことば言ってたのには笑いました。そう言えばそんなこと言ってたよなー。あんなに何回も観たのに、思い出さなかった私も私。
「アレキサンダー」でも、幼いアレキサンダーをかわいがる母親の部屋の壁画はアキレスで、ちらとしか映らないけれど、血に染まってひきずられて行くヘクトルの姿もちゃんと下の方に描かれていましたっけ。
[633]何とほぼ一年半ぶりの書き込み。 投稿者:じゅうばこ 投稿日:2006/08/05(Sat) 21:00
◇最近ようやく、ロッサナ・ボデスタがヘレンを演じた古いハリウッド映画(総天然色だぞ!)と、最近のテレビドラマなのかな?わりと新しい「トロイのヘレン」、どっちもDVDで見ました。いろんな意味で面白かった!
古い方はもういかにもな演出で、ピンクの短い衣のヘレンが難破して浜に打ち上げられたパリスを助けに渚を歩いてくる登場場面とか、(その後すぐパリスが、あまりに都合よく気絶するので、いっしょに見てた男子学生が「これはあまりの美しさに気絶したんですか」と聞いたよ)、パリスとアイアスが戦う場面ではなぜかどうしてか二人とも手にグラブみたいなのつけてボクシングの試合だし、オデュセウスはロビン・ウィリアムズみたようだし、全編大笑いに笑えました。
でも、そうかと言ってさらさらバカにもしてしまえないのが、やっぱそりゃ監督がロバート・ワイズだから宝塚調というかハリウッド調というか、ちゃんととても健全な骨格なんですよ。愛と平和を謳いあげ、そこがまったくゆらぎがないのがすごくどう言ったらいいのか、頼もしい。パリスは平和の使者としてスパルタに赴き、ずっと平和を希求して行動する。ヘレンもそれに協力する。多分、「トロイ」が設定した和平交渉という創作は、これが原点なのじゃないかな。
ヘレンもパリスも、ひかれあうけど駆け落ちする気はまったくなく、成り行きでそうなってしまう。最後にパリスはちゃんと?死に、ヘレンはその思い出を胸に毅然と生きて行くラストなどは、何でもハッピーエンドにする最近の映画に比べると、しっかり悲劇なのに明るく力強い。古きよき時代の精神があふれている。
撮影もけっこうなかなかのもんで、トロイの城門を駆け出す戦車の数台の内、左の方の馬が一頭、つるっと足をすべらせてるのも映っていて、わっ!とひやりとさせられた。
で、最近のやつの方は、これもヘレンは悪人じゃなく、奔放な野育ちの野生の美しさを持つ娘として描かれる。それが規格にあう貴婦人の姉に比べると落ちこぼれで、いわゆる婿えらびも父が「いらんから誰か持っていけ」と、ごみみたいに捨てられたみじめな状態だったとされ、夫のメネラオスも客の歓迎のため宴席で妻を全裸にするような男。
ただし、このメネラオスは、いっしょに見ていた女子学生が最後に「いい人そう」と言ったように、細身の悩める誠実そうなハンサムで、私がその女子学生のことばに「しかし何もせん人やね」と返したように、いつも消極的でとことん平凡な人。すべて回りに流されてしまう。彼は語り手でもあって、ある意味、神話の成り行きを説明するには、このイメージのメネラオスはいいかもしれない。私はかなり納得できる。神話通りに作るならね。
ヘレンは最初、実の父らしい隣国の王にさらわれて、そこで彼を愛して暮らすのだが、兄が奪い返しに来て両者が死んでしまったため、「自分は愛した人を不幸にする」というトラウマに苦しめられている。つまり、このヘレンは自由で、繊細で、聡明で、でも不幸で暗い。女優さんの外見もそれにあっていて魅力的だが、もういかにも近代人で、まあメネラオスもそうなんだけど、どうも神話のスケールの大きさがないよなあ。まあ、どの人物も皆、等身大で現実的なのが、この映画の魅力でもありつまらなさでもあるんだけど。
パリスもヘクトルも人間らしい弱点や限界を持った普通の兄弟だし、外見からしてそうだし、豪勇のアキレスはむしろ凶暴な狂気を感じさせる。なに、やっていることの程度は「トロイ」のアキレスとそう変わらんのだけど、それがすごく野蛮に荒涼として見えるのは、この映画がやはり戦争の狂気や悲惨を強調しているからで、殺伐、暗澹とした救いのなさが全編に流れている。
これはこれですごく面白いし、ギリシャ神話のある面をとらえているとは思うけど…でも私はやはり、あらためて映画「トロイ」の華麗な美しさ、人々の偉大さ、高潔さ、無邪気さを描いて、しかも壮大な悲劇と虚無をさしつけてきた、あの描き方が好きだなあ。監督のなみなみならぬ才能をあらためて思い知らされた。
そして、この二つの作品では、パリスとヘレンを悪役にしていない。そうならないよう徹底的に弁護する。その結果、アキレスは凶暴なだけになり、聡明で気高く美しいと神話ではべたほめされるヘクトルが普通の人っぽくなってしまう。その分彼らの魅力は半減どころか皆無に近くなり、つまり作品の魅力も失せる。
「トロイ」はこの点、「和平の希求」という点は更に拡大しながら、パリスとヘレンについては、古典の世界に近いものに戻している。無責任な、自分たちの恋しか考えられない若くて軽率な二人。その分、アキレスと特にヘクトルが神話の精神通りに美化されて、神話に非常に近い人間像としてめりはりがつき、面白くなっている。
ヘレンの描き方はむしろ無難で、新解釈が打ち出されているのではないが、これは神話がそもそもそうなのだから、変に色づけしないのが、つまりこれで、よかった。たしか当初は監督はヘレンをいっさい登場させないで作る予定だったと聞いたが、それなら、あらためてペーターゼン監督は実に神話をよく理解していたのだと感じる。そして、この「トロイ」のヘレンの描き方は、演じたダイアン・クルーガ―の悪口ではなく、最も「登場させない」に等しい描き方だったのではないかと思う。