映画「グラディエーター」小説編山賊物語
山賊物語 -マキシマスと妻ー
スペインのある酒場で、一人の酔っぱらいが語り続ける、ある夫婦の話。名もない多くの人々が語りついだ、ローマと妻を愛した男と、夫と自由を愛した女の伝説とは?
マキシマスの妻は実は…という、相当にとんでもない話です。こんなこと書いて、映画のイメージこわれるかな、とどきどきしながら、これを書いた後でまた見に行って、そんなヤワな映画じゃないことを実感しました。安心して、お読み下さい。
第一章
第二章
第三章
じゃが、山賊とは、世間が呼ぶ名じゃ。女も、そして仲間たちも、自分たちをそんな者と思うてはおらなんだ。富んだ商人、肥えた地主からは奪っても、貧しい者には手を出したことなぞない。それでも「山賊」と呼ばれたのは、何者にも従わず、どこにも属することをせず、自分らの力だけを頼りに生きたからじゃ。わかるかの?そんな一人であった女に、定まったひとつところでの、来る日も来る日も変わらぬ暮らしが、いったい、どれほど、苦痛じゃったか?
しかし、女は逃げなんだ。鎖でつながれておったでな。男への愛という、何にもまさる強い鎖に。朝な夕なに、男を見、子どもを見る時、女の目は優しく甘くうるんでおった。じゃが、それでもな、そのまなざしは遠いかなたに、いつもさまよいがちじゃった。
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
第九章
第十章
「広場にて(山賊物語・附録)」
そうも、話された。
「私より太っている男は太り過ぎに見え、私よりやせている男はやせ過ぎに見えるらしいよ」
…私は結局、のろけられていたのだろうか?
この奥さまに愛されるということは、それができるということにも等しい。身体全体にこみあげてくる、ほとんど欲情といってもいいくらいの激しい思いにつき動かされながら、その時私はつくづくと、ご主人は幸せな方だ、と思い、身の程も何もすべて忘れた、焦がれるような嫉妬にかられた。
夢の都(山賊物語・参考資料)
この世に、正義がなされる場所があるなんて、私は信じない。
強い者が勝つ。賢い者が生き残る。それならわかるけれど。
人間は、欲望に支配され、嫉妬に狂う。生き残るためには、どんな醜いことでもする。
いやというほど、それを見てきた。
絶望はしない。でも、希望なんて持たない。
それは人間が、しいたげられているからだ。
貧しくて、生きるためには醜いことをするしかないからだ。
人間は、本当はもっと美しいものなんだよ。
一人一人の力は小さいし、長い歴史の中で、生きたという痕跡さえ忘れられて行くけれど。
でも、そんな名もない一人一人が力を合わせれば、世界も、歴史も、変えられる。
あの人は、そう言った。
大げさではなく、熱っぽくもなく、あたりまえのことを言うように。
私は笑った。…少しはね。 変えられるかもしれないけど。
あの人も笑った。…少しでも、いいのさ。
人間はね、偉大なことができるんだ。
美しい都を築き、豊かな生活を保障し、誰もが安心して暮らせる幸福な社会を作り出せる。
貧しさや、争い、疫病や飢餓…人間は、それを、いつかはきっと、地上から消せる。
現に、そういう都があるんだから。
私たちと同じ人間が、それを築いたんだから。
私は、また笑う。…行ったこともないくせに。
あの人は、ちょっぴり、だだっ子のような目をして、私のあごに、かたちのいい、きれいな鼻の先をこすりつけてくる。…行かなくたって、わかるもの。
川から水を運びつづける時の、肩にくいこむ桶の柄の重さ。
ひときれのパンを、姉と争いあって泣いた日々。
骨と皮だけになって死んだ祖母は山に捨てられ、雪の夜に眠る寝床がほしいだけで私は見知らぬ男たちに抱かれた。
子をなぐる母。夫を裏切る妻。親を殺す息子。
それは皆、現実だ。すべて私が、この目で見てきた。
この人の、美しい都の話だけでは、それらを消してしまうことなどできない。
でも、そんな都があるんだよ。あの人は眠そうに、なかば目を閉じながら、口の中で繰り返す。本当に、あるんだよ。
半分、もう眠っているので、都を夢見て唇に浮かべている微笑は、無警戒で無防備になって、この上もなく幸せそうだ。長いまつ毛がほおに影を落とし、それをかすかに動かして、あの人はまたつぶやく。ひとつ、そんな都ができるってことは、他にも作れるってことなんだ。それが世界に広がって…人間は皆、幸せになって…。
そのあたたかい声を聞き、うっとりと幸福そうな寝顔を見ていると、私の中につもっていた苦悩も、激怒も、怨念も、雪のように皆とけてゆく。人間は、そんなに美しいのだろうか。この人が信じているように。
あの人は、まつ毛をぱちぱち動かして、手首を目にあてる。…明かりを、消そうよ。まぶしくて、眠れない。
あの人に見えないことは承知の上で、私は黙って首をふる。見せていて。あなたの顔を見せていて。その幸せそうな寝顔を見つめつづけていなければ、私がこれまで見てきた、たくさんの、醜くゆがんだ死者たちの顔、暗く悲惨な情景の数々が、消えない。
でも、それは、この人だって…。
…戦場は見なかったの。私はささやく。人もたくさん殺したはずよね。あなたは私よりずっと、たくさんの血を見たし、命を奪った。それでも信じていられるの。人間は、美しいって。
あの人の喉仏が小さく動いて、まだ眠ってはいなかったとわかる。あの人は目を開ける。明かりにその目が、きらきらと光りをあふれさせる。どんなにつらくても、とささやくように、あの人は言う。どんなに血に汚れても、あの都だけは守り抜かなきゃいけないんだよ。だって、もし、それがほろびてしまったら…。
私は息をとめて待つ。あの人が何を言うかと。あの人は言う。もし、それがほろびてしまったら、人間の偉大さも、強さも、美しさも、いつかは、きっとそうなるだろう、と頭の中で空想するしかなくなるじゃないか。本当に、あの都があるから、だから…信じられることって、たくさんあるだろう?だって…
ああ、わかる。もう、それ以上言わないで。あの人を抱きしめて、その目に私は口づけする。わかっているわ。それはわかる。私だって、あなたを見ていなければ信じられないことが多い。だから、明かりを消さないの。
なのに、口に出しては、私は言う。あなたは、その都を見ていない。それじゃ、存在しないのと同じことじゃないの?
…ちがうよ、とあの人はまた少し、だだっ子のような口調になって笑う。見てなくっても、あるとわかっているのと、ないのとではちがうんだ。あるとわかっているから、戦える。どんなつらいことにも、耐えられる。
あの人のひとみは、ぬれて、輝いている。唇にひとりでに浮かぶ笑いは、幸せそうで、清らかで、恐れを知らない晴れ晴れとした明るさをたたえている。私がくいいるように見つめていると、その目と笑いが、ふっとゆれて、はにかむ。…ねえ、とまた、あの人は言う。明かりを消しちゃ、だめなのか?
私は黙って、首をふる。
(2004年1月6日に、「広場にて」の中の「私は自分がローマの町なかに生まれて育った都会人なので、特にそう思ったのかもしれないが、」の一節を削除しました。
「鎖の解ける朝 ー残照ー」の完成にともなう処置です。
一応、すべての作品を一つの話として読んでも矛盾がないように書いているので、そこはかとなく、つじつまは合わせておきたいと思います。
前のバージョンが好きだった方、ごめんなさい。でもここを削除しても、彼が町育ちという可能性が消えたわけではないですからねー。)