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多様性ってあーた

先日、定期の眼の検査に行った。視野の何とかのテストとかで、暗い中で前の光点を見たまま、目の端にちらちら出てくるおぼろな小さな光を見たと思ったらすぐにスイッチを押すというゲームのようなことをした。幸い、特に問題はなく、アレルギーっぽいときにさす目薬をもらっているのが、なくなったらまた来るようにと言われた。別に毎日ささなくてもいいので、しばらく来なくてもいいということなのかもしれない。

最近国会中継もニュースもろくに見ないのだが、その視野検査みたいに、横目の流し目でちらちら読んだり聞いたりするだけでも、たいがいとんでもないことが起こっているのがわかる。
スガ首相は、学術会議の会員推薦の任命拒否の理由をあいかわらず言わない。なぜ言わないかも説明しない。私はアベ内閣にひきつづいて、この内閣も説明をしない、責任をとらない、二つのSのない内閣だととっくに決めつけてしまったが、ついもう一つ何かSを見つけてセットにできないかと思ってしまうのが、我ながら不毛だ。

で、理由を言わないかわりに学術会議に変な難癖をつけて、メンバーが旧帝大に偏っていて多様性に欠けるとか言ってるらしい。柿泥棒が、あんたのとこの柿の木の枝ぶりが悪いと開き直っているようなもんだ。それ以下かもな。

私の専門分野に関して言うなら、最高に尊敬され実績のある大先生は、昔から特に旧帝大だけにいるわけではない。私立にも短大にも地方大学にも超一流の先生がいるから、在籍している大学でランク付けなんかしたら、よっぽどバカにされるのが落ちだ。ついでに言うと旧帝大にいたからと言って、しょうもない研究者と思われている人だって、そこそこいないわけではない♪

ということをあくまでも前提にして言うのだが、この手の会議で多数や大半が旧帝大の在籍や出身であったとして、それはむしろ一般の方が一番「ああそうか、そうだろうね」と納得する自然な状況じゃないのかね。聞いたこともないようなちっぽけな無名の大学から半数近くがメンバーになってたとかいうよりも、あくびが出るほど退屈な、普通の常識的なことではあるまいか。それを何か修正や改革が必要な異常事態のように言い立てる感覚が、もういろいろと、お粗末すぎる。

旧帝大が多いのがいかんというなら、ついでに各省庁や霞が関のいろんな部署もチェックしてみてはどうだろうか。せっかくなら。旧帝大でがちがちに固める姿勢って、むしろ与党がこれまで作って来たものだと思うんだけど。そうか、もしや、そういうことを改革しようとしてあやしげな森友だの加計だのという学術組織を作ってみようとしてるんかい。まさかね。

私の恩師の中野三敏先生が、よく憤慨していたのが、「君、文科省には文学部出身の役人は一人もいないんだぜ」ということ(中野先生は大学改革をめぐる文科省とのいろいろな交渉の中で、そのことを初めて知られたらしい。むろん私たちも知らなかった)だった。「文系がいるというと、法学部や経済学部だ。文学部はまったくいない。それでどうして、大学改革ができるって言うんだ。文学や歴史や哲学の専門教育を受けてないのに、そういう学問の必要性や存在意義がどうしてわかるって言うんだ」ということだったと思う。

もう何十年も前のことだけどね。今も文科省に文学部出身の人っていらっしゃるのかしら。ひょっといるにしても絶対に多数じゃあるまい。多様性とかいうのなら、そっちを先にどうかした方がいいんじゃないの。
そもそもスガ首相が任命拒否した6人の中の3人は私立大学で、1人は女性なんだから、多様性がどうとかいう論点はもうそこで破綻してるんだけどさ。絶望したくなるのは、こういう一貫性のない論理の矛盾をまるで気にしないか気づかない、頭の雑さ、心の鈍さなんだよなあ。私の授業のはたちにもならない学生たちだって、こんなゆるくてガタガタの論理や構成、レポートで書いてきたのを見たことがないぞ。

そもそも多様性ってあーた、閣僚の中に女性が数えるほどもいない内閣のトップに指摘されてもなあ。「はい?」って顔を見直す以外、何ができるっちゅうのよマジで。

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カツジ猫