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「水の王子・丘なのに」(13)/218

「水の王子・丘なのに」(第十三回)

【霧の裏庭で】

もっとじっくり見てたしかめるべきだったかもしれない。
 だがタカヒコは、なかば無意識にあとずさりして、そのまま廊下に出てしまった。扉を閉め、かぎを戻し、ぼんやりと階段を下りる。
 今見たもののすべてを忘れてしまいたかった。目の迷いだと思いたかった。
 それでも一瞬の記憶はあざやかに刻まれて消えない。
 あれはたしかに鏡だった。しかも少々の量ではなかった。
 タカヒコはかつてアメノウズメが持っていた鏡を何度か見たことがある。鼻歌を歌いながら、ウズメが袖でみがいていた。ぴかぴか銀色に光って、あたりのものを映し出し、光を反射させていた。大変な力を持つ恐ろしい武器だということも、いやというほど聞かされていた。
 ヒルコとハヤオが抵抗して鏡は粉々に割れて虚空に飛び散り、それきりこの世界に鏡というものは、ただの女の化粧道具で、魔力を持った武器としては存在しなくなったはずだった。
 だがさっき、ちらと見た鏡は明らかにあの、ウズメの持っていたのと同じ力を感じさせた。
 この町の、塔のへやに、あんなに大量にそれが保存され、カナヤマヒメによって管理されていたとは。
 ぼうっと足を動かしていても階段は楽に下りられた。建物の中のもやは次第に薄くなってきている。おそらく戸外もそうなのだろう。
 人々はもうどれだけ、その変化に気がついているのだろう。
 自分はいったい、何をしたのだろうか。
     ※
 タカマガハラは、この町の鏡のことを、どれだけ知っていたのだろう? クラド王も、どれだけ知っていたのだろう?
 アメノワカヒコがこの町をしばしば訪れ、クラド王と親しくなり、カナヤマヒメが常にタカマガハラと連絡をとっていたのは、あの鏡がこの町にあるせいだったのだろうか?
 「それでも兄さま、何だか変よ。今回のこの仕事って」
 妹の声が耳によもがえった。
 「アワヒメさまのご様子だって、何となく、どこか変。だいたい兄さまとワカヒコさまは、いつも草原じゃごっちゃにされて来たんだし、そのクラドの町のことを今さらちょろっと調べるぐらい、大した仕事じゃないはずよ。何をタカマガハラをあげての大計画みたいになってるのよ。きっと他になにかあるんだわ。それが何かはわからないけど」
 その計画の肝心な部分を知らされないまま、自分は送りこまれたということか。
 タカヒコは手すりに手をかけ、身体を折った。こみあげる不安と疑いで、吐きそうだった。
 いやいやいや。彼は何とかタカマガハラを信じたかったから、急いで首を激しくふった。自分にすべての事情が知らされていなかったのは、知らせる必要がないと思われたからだろうし、あくまで自分はちょっと見たときの様子を報告するだけでよかったので、そのためにじゃまになることは、むしろ知らせない方が気が散らなくていいと思われたのなら、それも納得できるし、無理じゃない。
 知る必要もない。
 とにもかくにもひとつはわかった。地下に閉じこめられているカナヤマヒメは本物だ。ということは、クラド王にしろ誰にしろ、彼女の地位を奪ってとじこめて、それを人には知らせていないということだ。
 それがなぜかを、さぐらなくてはならない。
 こうして霧が晴れたらまた何か、新たな手がかりが見つかるのかもしれない。
     ※
 食事の準備はできていたが、クラド王はまだ起きてきていなかった。家来たちにすすめられてタカヒコが先に食事を始めていると、やがてクラド王があくびをしながら、くしゃくしゃの髪をもつらかせたまま現れて、「待たせてごめん」と謝った。「何かねえ、霧が少し晴れて来ているらしいんだよ」
 「それはよかった」タカヒコは必死で、ふつうの声を出した。
 「でも、今日はきっと見回りで忙しくなっちゃうな」クラドは乾した菓子をつまんでかじりながら、ぼやいた。「君と遊べないから、つまらない」
 「そんなこと、比べものにならないだろ」タカヒコは思わず笑い、飲み物をつぎながら家来たちも笑いをこらえていた。
 昨日までとまるで変わらない、なごやかな空気がそこにはただよっていた。
     ※
 食事のあと、クラドはぶつくさ言いながら、髪をまとめて仕事をしやすい服を来て、家来たちといっしょに畑の見回りに出かけて行った。
 イワスヒメやオオトシ、他の家来たちもついて行ったが、霧の晴れたのを喜んでいる一方で、何か落ちつかない不安そうな様子も見えた。
 「霧はいやでしたけど、いざ晴れちまいますとねえ」と皿のあとかたづけをしながら一人がつぶやいていた。「どういうか、いきなり服を脱がされてしまうような感じがしてしまって」
 皆、忙しそうだったので、「私にはかまわないでいいよ」と告げて、タカヒコは宮殿や庭の中をぶらぶら歩いてみた。
 霧が晴れてきた庭は、光を浴びた花が輝いて目が覚めるようにあざやかで、その一方、どこかむきだしであらわにされた痛々しさのようなものもうかがわれる。さっきの家来のことばではないが、目が慣れていないせいもあるのだろうか。
 だからなのか自然にタカヒコの足は、まだもやや霧が残っている、優しげな庭のすみのあちこちに向かって、気がつくと今まで来たことのない、奥まった小さい庭に入りこんでいた。
 小鳥の声もここではしない。つつましく、ひっそりと愛らしい、どこか淋しい庭だった。つたの下がった木々が枝をからめあい、短めの淡い色の花々が、もやの中にとけこむように広がっている。
 どことなく、人の手が加わっている気配もあった。石だたみの細い道の草はていねいにとられているし、花も草も、野放図に茂りすぎてはいない。
 小さい土手のように新しい土が盛り上がっている一角に進んで、花の間をのぞきこむと、粗末だが丸く固められて小さい山のようになっている部分があった。
 首をかしげて見つめていると、わずかな光に何かが強くきらめいた。青と金のまぶしい輝き。目を凝らすと長いみごとな首飾りだった。
 何かが頭のすみで動いた。思い出そうとタカヒコは目を閉じる。誰かが何かを言っていた。妹のタカヒメ? ちがう。
 タカヒコネだ。たしか前に町に行ったとき、お妃の首にかかった首飾りを奪いたかったと言っていた。青と金のみごとな細工の。
 タカヒコはよろめきかけた。
 これは妃カヤヌヒメの首飾りではないのか。
 それが、この土の山の上に、なかば埋まるようにしておかれているということは。
     ※
 「そうだよ」後ろで静かな疲れた声がした。「妃はもう生きていない」
 ふりむくと建物の入り口にクラドが立っていた。腕を組み、ものうげに柱によりかかっている。
 タカヒコが凍りついて動けずにいると、クラドはふらふら歩いて来て、土の山の前にひざをついた。
 「もう誰もいないんだ。妃も、二人の姫も」彼はつぶやくように言った。「いつまで待っても、誰も帰って来ないんだ」

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