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国文学史関係(3)

事務連絡:たこさん、さんまさん、レポートが届いていません。こちらの不備かもしれません。もし送っていたら、すみませんが再送お願いします。

本日の資料(まだあちこち追加補充します)

「連句の実作」関係

日本武尊と火焚の翁(略)

毛吹草より 付合

「ひ
日  暦(こゆみ) 舞扇(まひあふき) 天岩戸(あまのいはと)
日南北向(ひなんぼつかう)  猫(ねこ) 石龜(いしがめ) 非人
火  矢 石 天 墓(はか) 柘榴(ざくろ) 龍腦(りうなう) 生腦(しやうなう) 花
檜葉(ひば)  垣(かき) 折(おり) 岩(いは)
琵琶(びわ)  湖(みづうみ) 法會(ほふゑ) 馬上(ばしやう) 天人 賀茂(かも)
屏風(びやうぶ)  爐(ろ)の先(さき) 勝手口(かつてぐち) 病所(びやうしよ) 山 巖(いはほ) 雛遊(ひなあそび) 草
櫃(ひつ)  鎖細工(ぜうざいく) 節供(せつく) 飯(いひ) 物本(ものゝほん) 刀ノ鞘(さや)
樋(ひ)  機(はた) 刀 鑄物(いもの)
膝(ひざ) 綠子(みどりこ) 猫(ねこ) 談合
鬚(ひげ)  海老(ゑび) 鯲(どぢやう) 鯰(なまづ) 鯨(くじら) 鼠(ねずみ) 虫 莓(こけ) 野老(ところ) 人參(にんじん) 大根(こん) 夷(ゑびす) 天神 唐人(たうじん)
額(ひたい)  山 岸(きし) 甲(かぶと) 人を見る
肘(ひぢ)  輪懸金(わかけがね) 蒔網(まきあみ) 綿
晝寐(ひるね)  海馬(あじか) 狐(きつね) 梟(ふくろふ) 夜鷹(よたか) 蝙蝠(かうふり) 宰予(さいよ) 猫(ねこ) 盗(ぬす)人
引  網(あみ) 舟 鋸(のこぎり) 車(くるま) 石 草 注連(しめ) 屏風(びやうぶ) 枕(まくら) 首(くび) 陣(ぢん) 手 袖(そで) 津(つ) 心 目 風(かぜ) 一文字(いちもんじ) 茶(ちや) 塩(しほ)」

「せ
關(せき)  咳氣(がいき) 相撲(すまひ) 水 花
雪隱(せつゐん)  蕨箒(わらびはゝき) 路地(ろぢ) 沈丁花(ぢんちやうけ) 蠅(はい) 聲(こは)つくろひ 思案(しあん)
瀨(せ)  馬 牛 畠(はたけ)
錢  神佛參 瘡(かさ) 堤(つゝみ) 楊弓(やうきう) ひようそく 鼠戸 嘉祥(かじやう)
蟬(せみ)  耳(みゝ)の煩(わづらひ) 帆柱(ほばしら)
洗濯(せんたく)  川邊 灰汁(あく) しやぼん 日和(ひより) 病あかり
責(せむる)  馬 科人(とがにん) 念佛(ねんぶつ) 碁(ご) 皷(つゞみ) 城(しろ) 戀(こひ)」(ひとでなしの猫さんのサイトから引用)

 恋の詞(略)

蚊柱百句 しぶ団 しぶ団返答(略)

芭蕉七部集 

冬の日 春の日 あら野 ひさご 猿蓑 炭俵 続猿蓑

 

「冬の日」から「木枯らしの巻」

芭蕉、野水、荷兮、重五、杜国、(正平)

笠は長途の雨にほころび、紙衣はとまり/\のあらしにもめたり。侘つくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂哥の才士、此国にたどりし事を、不図おもひ出て申侍る。

発句  狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉 冬

脇句  たそやとばしるかさの山茶花    野水 冬  

有明の主水に酒屋つくらせて    荷兮 秋四   

かしらの露をふるふあかむま    重五 秋五   

朝鮮の細りすゝきのにほひなき   杜国 秋六   

日のちり/\に野に米を苅     正平 秋七   

わがいほは鷺にやどかすあたりにて 野水 雑八   

髮はやすまをしのぶ身のほど    芭蕉 雑九   

いつはりのつらしと乳をしぼりすて 重五 雑十   

きえぬそとばにすご/\となく   荷兮 雑十一  

影法のあかつきさむく火を燒て   芭蕉 冬十二  

あるじはひんにたえし虚家     杜国 雑十三  

田中なるこまんが柳落るころ    荷兮 秋十四  

霧にふね引人はちんばか      野水 秋十五  

たそかれを横にながむる月ほそし  杜国 秋十六  

となりさかしき町に下り居る    重五 雑十七  

二の尼に近衛の花のさかりきく   野水 春十八  

蝶はむぐらにとばかり鼻かむ    芭蕉 春十九  

のり物に簾透顔おぼろなる     重五 春二十  

いまぞ恨の矢をはなつ声      荷兮 雑二十一 

ぬす人の記念の松の吹おれて    芭蕉 雑二十二 

しばし宗祇の名を付し水      杜国 雑二十三 

笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨   荷兮 冬二十四 

冬がれわけてひとり唐苣      野水 冬二十五 

しら/\と砕けしは人の骨か何   杜国 雑二十六 

烏賊はゑびすの国のうらかた    重五 雑二十七 

あはれさの謎にもとけし郭公    野水 夏二十八 

秋水一斗もりつくす夜ぞ      芭蕉 秋二十九 

日東の李白が坊に月を見て     重五 秋三十  

巾に木槿をはさむ琵琶打      荷兮 秋三十一 

うしの跡とぶらふ草の夕ぐれに   芭蕉 雑三十二 

箕に鮗の魚をいたゞき       杜国 雑三十三 

わがいのりあけがたの星孕むべく  荷兮 雑三十四 

けふはいもとのまゆかきにゆき   野水 雑三十五 

綾ひとへ居湯に志賀の花漉て    杜国 春三十六 

廊下は藤のかげつたふ也      重五 春

「猿蓑」から「市中の巻」(引用省略)

「炭俵」から「梅が香」の巻

むめがゝにのつと日の出る山路かな

 處々に雉子の啼たつ        野坡

家普請を春のてすきにとり付て    仝

 上のたよりにあがる米の直     芭蕉

宵の内ばらばらとせし月の雲     仝

 藪越はなすあきのさびしき     野坡

御頭へ菊もらはるゝめいわくさ    野坡

 娘を堅う人にあはせぬ       芭蕉

奈良がよひおなじつらなる細基手   野坡

 ことしは雨のふらぬ六月      芭蕉

預けたるみそとりにやる向河岸    野坡

 ひたといひ出すお袋の事      芭蕉

終宵尼の持病を押へける       野坡

 こんにやくばかりのこる名月    芭蕉

はつ雁に乘懸下地敷て見る      野坡

 露を相手に居合ひとぬき      芭蕉

町衆のつらりと酔て花の陰      野坡

 門で押るゝ壬生の念佛       芭蕉

東風風に糞のいきれを吹まはし    仝

 たヾ居るまゝに肱わづらふ     野坡

江戸の左右むかひの亭主登られて   芭蕉

 こちにもいれどから臼をかす    野坡

方々に十夜の内のかねの音      芭蕉

 桐の木高く月さゆる也       野坡

門しめてだまってねたる面白さ    芭蕉

 ひらふた金で表がへする      野坡

はつ年に女房のおやこ振舞て     芭蕉

 又このはるも済ぬ牢人       野坡

法印の湯治を送る花ざかり      芭蕉

 なは手を下りて靑麥の出來     野坡

どの家も東の方に窓をあけ      野坡

 魚に喰あくはまの雑水       芭蕉

千どり啼一夜一夜に寒うなり     野坡

 未進の高のはてぬ算用       芭蕉

隣へも知らせず嫁をつれて来て    野坡

 屏風の陰にみゆるくはし盆     芭蕉

 

上野の花見

芭蕉の住まい 芭蕉庵 幻住庵 落柿舎

芭蕉の木

トニオ・クレーゲル ラストの手紙

「むろん覚えていらっしゃいますね、リザヴェータさん、あなたがいつか私を俗人、迷った俗人だとおっしゃったことを。そう、あれはその前に口をすべらした別の告白につられて、私が生命と名づけるところのものにたいする自分の愛情をあなたに告白した時のことでした。あの時あなたは、この言葉でどれほど深く真実を言いあてられたかを、また、私の俗人性と私の「人生」への愛情とが全く同一物であることを、ご承知だったかどうかと私は今自問してみるのです。今度の旅行は、この問題についてよく考えてみるきっかけを与えてくれたのです。
 ご存じのように私の父は北国の人らしい気質でした。考え深く、徹底的で、清教主義を奉じているところから自然几帳面で、どちらかといえば憂鬱な性でした。ところで母のほうは、どこかの外国の血がまじっていて、きれいで官能的で率直で、けれども同時になげやりで情熱的で、一時の情に駆られて、だらしのないことも仕出かすといった人でした。こういう両親を持った私という人間は疑いもなく一つの混合なのです。この混合はすばらしい可能性と――恐ろしい危険とを孕んでいるわけです。さあそこから生まれ出たものが芸術に迷い込んだこの俗人なのです。良い子供部屋への郷愁を持ったボヘミアン、良心にやましいところのある芸術家なのです。つまり私に一切の芸術家生活、一切の非凡なもの、一切の天才を、何かひどく怪し気なもの、ひどくいかがわしいもの、ひどく胡散臭いものに思わせて、単純、誠実、快適な正常さ、天才的ならざるもの、礼儀正しいものへの盲目的な愛情で私の心を満たしているもの、それこそこの私の俗人的良心なのです。
 私は二つの世界のあいだに立っています。そのどちらにも安住の地をえません。だから多少生活が面倒になるのです。あなた方芸術家は私を俗人呼ばわりにするし、それから俗人は俗人で私を逮捕しそうになる。・・・・・・もっともそのどちらが私をひどく悲しませるか、それはわかりません。俗人どもは愚かです。しかし私を粘液質で憧れがないときめつけるあなた方、美の崇拝者たちには次のようなことを考えていただきたいと思うのです。世の中には、平凡なもののもたらすもろもろの快楽への憧れに勝って、甘美で感じ甲斐のある、いかなる憧れもありえぬ、と思われるほどに、それほどに深刻な、それほどに根源的で宿命的な芸術気質があるということを。
 私は、偉大で魔力的な美の小道で数々の冒険を仕遂げて、「人間」を軽蔑する誇りかな冷たい人たちに目をみはります。――けれども羨みはしません。なぜならもし何かあるものに、文士を詩人に変える力があるならば、それはほかならぬ人間的なもの、生命あるもの、平凡なものへの、この私の俗人的愛情なのですから。すべての暖かさ、すべての善意、すべての諧謔はみなこの愛情から流れ出てくるのです。この愛情は「たとい、わがもろもろの国人の言葉および御使いの言葉を語るとも、もし愛なくば、鳴る鐘、響く鐃鉢の如し」と記されてある、あの愛情と同じものなのだと言いたいくらいです。
 私がこれまでにしてきたことは無にすぎません。たいしたものじゃない。まあ無といっていいのです。これからは、もう少しましなことをやるでしょう、リザヴェータさん。――これは一つの約束です.こうして書いているあいだにも、海の音がここまで聞こえてきます。そして私は目を閉じます。私の心の目の前には、秩序と形成を待ち焦れている未生の幻のような世界が浮び上がってきます。入り乱れた影と人間の姿が見えます。そうして、とらえられ解放されることを私に要求しています。悲劇的な、また、滑稽な、また、その両方を一緒にしたような陰のもろもろの姿が。――そして私はそういう姿に深い愛情をいだいているのです。けれども私の一番深い、もっともひそやかな愛情は、金髪で碧眼の、明朗に生きいきとした、幸福な、愛すべき平凡な人たちに捧げられているのです。
 リザヴェータさん、どうぞこの愛情を叱らないでください。それは善良な、みのり豊かな愛情なのです。そこには憧れと、憂鬱な羨望と、それから少しばかりの軽蔑とあふれるばかりの清らかな幸福とがあるのです。」(こちらのサイトから引用)

金髪碧眼のイメージ 「キリストの目の色」

           キリストの画像

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