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2020年前期集中講義(3)

連絡事項が長くなったので、切り離します。(27日10時)

連絡事項

○さだのぶさん、きょらいさん、さいかくさん、けいちゅうさん、あきなりさん、ひろたりさん、まぶちさん、やばさん、もくあみさん、ばきんさん、さんぷうさん、きょうでんさん、あやたりさん、たねひこさん、ぶそんさん、はるまちさん、ちかまつさん、しゅんすいさん、ていとくさん、ぼんちょうさん、いっくさん、ほくざんさん、のりながさん、27日の分のレポートもらってます。

皆さんのレポート(順不同)

★小説やドラマの中で「ぬれぎぬ」を着せられている場面に出会うと、とてもやりきれない気持ちになります。「ぬれぎぬ」をきせられたことによってその人の人生が大きく変わってしまうこともあると思います。しかし「ぬれぎぬ」は日常生活の些細なことでも起こり得るし、刑事的、民事的な冤罪事件も「ぬれぎぬ」のひとつだと言えると思います。「ぬれぎぬ」によって苦しんでいる人がいる傍ら、陰に隠れて嘲笑っている人がいるという状況を私は許すことができません。『赤毛のアン』は私はとても切なくなります。

★今回の授業で、はじめて「ぬれぎぬ」について深く考えました。私が疑問に思ったことは、ぬれぎぬという単語は世界共通なのかということです。インターネットでぬれぎぬを英語でどのように言うのか調べてみました。すると、ぬれぎぬは日本特有の言葉であり、少なくとも英語では、言い換えることで似た表現をすることは可能ですが、直接ぬれぎぬを指す単語はないようでした。こういうことを知ると、日本語はとても面白いと感じます。これからぬれぎぬについてより深く考えていきたいです。

★授業の最後に「本当の戦争を教えよう」と先生がおっしゃっていたのを覚えています。僕は広島出身で戦争教育を人1倍受けてきたつもりですので、教員になってからも生徒に教えることができると思います。原爆投下日時を知らない友達もいるのを知り、少し悲しいです。

★濡れ衣と聞いて、思い出した作品は『ショーシャンクの空に』と『ゴールデンスランバー』です。濡れ衣が晴れる展開が好きなので、物語上の濡れ衣は嫌いではないです。

★「私は、濡れ衣という言葉に、不幸や裏切りのようなイメージがありました。

個人的には濡れ衣という言葉は嫌いです。

濡れ衣を扱った題材は、考えましたが思いつきませんでした。

 

私が講義で印象に残ったのは過大評価されるより、過小評価されている方が楽だということです。

私も、同じように感じていたので、共感できるところが多かったです。過大評価されていると、出来なかったときの周りからの目が余計に気になったり、味方がいない、一人ぼっちのような感じがして、窮屈な思いをしないといけないと思います。評価がすべてではないということを頭にいれてまた、頑張ろうと思います。」

★「今回は「ぬれぎぬ」について学んだ。

私は、ぬれぎぬについて、マイナスのイメージとプラスのイメージの両方を持っていた。実生活においては、他人のミスを自分のせいにされるなどのぬれぎぬの例がある。実際の生活では自分にぬれぎぬが着せられるのも、他人に着せられているのを見るのも不快感がありマイナスのイメージが大きい。

しかし、物語においては、ぬれぎぬがあるほうが話が展開したり人間味が出てストーリーのおもしろさが際立つときがある。このとき、特にマイナスのイメージは抱かず、むしろぬれぎぬの展開があることで、登場人物の人物像が分かり、共感や応援をしたくなる。

そのため、私はぬれぎぬについて、実生活ではマイナスのイメージ、物語ではプラスのイメージを抱いている。」

★「まず、はじめに問われた「ぬれぎぬ」に抱くイメージですが、私は映画「ダンサーインザダーク」を思い出しました。視力が失われていく母親、遺伝ですぐ失明すると言われている息子の話です。たしか、母親が息子の手術費用のために貯めたお金を親しい男性に盗まれ、揉み合った際銃を撃ってしまい、殺人容疑にかけられて死刑判決を受ける内容だったように思います。(既に知ってらっしゃったらすみません。)

説得すればいいものを母親が真実を話さないために、非常にモヤモヤした記憶があります。

他の作品を見ていれば印象が違ったかもしれませんが、内容も残忍であったため、ぬれぎぬについての印象も同様にあまり良くありません。私自身も正直に素直に話し、ぬれぎぬを被ることはない人生を送りたいものです。

しかし、アリバイ・アリクについて「幸運も不幸も知られたくなかったのではないか」という話が出るとそれにも共感する部分があり、自身を丸裸にするほど素直に生きるなどとてもできない、というのもこれまた人生だなと感じました。」

★「今日の集中講義で、歌舞伎の映像を見たのが、とても嬉しかったです。私は古典芸能に少々興味がありまして、昨年、京都の南座で四谷怪談を観ました。初めて生で歌舞伎を観たので、とても興奮しました。今年はコロナの影響で旅行にも行けませんが、おさまったら、また、観にいきたいと思っています。」

★「今日の授業を受けて、わたしは「ぬれぎぬ」に対してやはりあまりいいイメージを持ちませんでしたが、文学や映画などにも「ぬれぎぬ」を着せたり着せられたりすることが多く見られるのは私たちの怖いもの見たさの感情をくすぐっていると聞き、それはそれで納得してしまいました。わたしが一番印象に残ったのは「覚悟のぬれぎぬ」です。先生のおっしゃっていたとおり、「覚悟のぬれぎぬ」のような内容はいい話のようにまとめられがちですが、誰かが犠牲になっている時点でそれを「美しい」というのはあまりふさわしくないと感じました。「覚悟のぬれぎぬ」を正当化することによって冤罪が増える可能性も多少あるのではないかと考えました。残りの授業で「ぬれぎぬ」に関する今日例に挙げられた物以外の作品ももっと知っていきたいと思います。」

★「「ぬれぎぬ」というただ一つの単語がここまで広がるとは思わなかった。

その中でも最も心に残ったのがテキスト序章、「アリバイ・アイク」の話である。これは、どんなことに対しても言い訳をするおかしなメジャーリーガーの話だったが、彼に少しばかり共感できる点が自分にあることに気が付き、そんな自分自身にとても驚いた。

テキストではアイクの習性について「何か事情があるわけではなく、他人から自分を評価・理解されることが嫌なのでは?」という考察がなされていた。

実は私も日常的に、本当に日常的にささいなウソをついてしまうことがある。これは別に悪意の表れではないし、逆に善意が生んだウソでもない。何かしら自分に利益があるわけではないのに、何故かついてしまう時がある。そして大抵その相手は初対面の人だったり、心を許していない人だったりする。

恐らくこれは「自信のなさ」や「不安」の表れなのだと思った。きっと私は、それがささいなことであっても、自分の内面を晒すことによって、「相手から損なわれたりしないだろうか?」逆に「身の丈に合わない評価を受けたりしないだろうか?」と、実は不安で仕方がないのではないだろうか。また、ウソをつくのは、伝えた事実が虚実であれば、たとえ相手から損なわれても「それは真の私ではない」と心の中で言い訳ができるからではないだろうか。

そういう潜在的な心の弱さが、彼にも私にもあるのでは、と気がつき、なんとなく心が沈んだ集中講義となった。笑。」

★「今日の授業で、「ぬれぎぬ」 というのが私のイメージするものだけではないということに驚いた。1.予期せぬぬれぎぬ2.覚悟のぬれぎぬ3.怒りのぬれぎぬ、の3種類に大きく分類できるということだったが、わたしは冤罪のようなイメージがあったため、身近なところにも意外と「ぬれぎぬ」というものがあるということを知ることが出来た。最終日に10分程度で「ぬれぎぬ」の説明をすることになるが、もっとよりぬれぎぬについて考えたり気づいたりすることができるようしていきたい。」

★「「ぬれぎぬ」というとやはり負のイメージがあるが、「ぬれぎぬ」にもいくつか種類があり、特に「覚悟のぬれぎぬ」については印象が大きかったように感じる。「ぬれぎぬ」においては我慢が「強い」、「美しい」とされるが、それはほんとうにそうなのか、という根底から概念を覆されるような先生の意見も興味深かった。

「ぬれぎぬ」について無知の私だが、最終的に自分の中の意見を明快に表現できるようにすべく、明日以降も引き続き精進していきたい。」

★「私は「アリバイ・アイク」のアイクの言動に共感するところがありました。自分のありのままを他人に話して理解されるのはとても怖いです。受け入れてもらえているのか、知らないところで笑われてはいないだろうかと心配になります。私も高校生のときはそういう考えが強かったです。常に本心を悟られるのが嫌で一般的な常識とは何か、皆んなが好きなものは何かを考えていました。そうすれば皆んなに嫌われないし、笑われないと思っていたからです。アイクも素の自分に自信がなく、評価されるのが怖かったのではないかと思います。ですが、良いとも悪いとも思われたくなくて、自分自身を誰にも掴まれたくないという心理は、理解者を拒否していることになるのでとても悲しい生き方だと思います。」

★「ぬれぎぬという言葉を聞くと、決して良いイメージは沸かない。むしろ正直者が馬鹿を見るパターンがほとんどで見ていて歯がゆくなることがある。しかし、振り返ってみるとぬれぎぬを着せられるところから物語が始まったり、ぬれぎぬを払しょくするために動き出すというパターンもよく見かける。本に書いてあった私たち一般市民が感情移入できる一般人を物語の中心に持ってくるためにはぬれぎぬは非常に使いやすい手法という考え方はすごく納得ができた。

また、私は、アリバイ・アイクの話に非常に共感できた。何となく自分の本来の姿がわからない。属している立場や状況により自分が自分じゃなくなってしまうような気がして自分を偽ったり仮面をかぶって過ごしているような気分になることがあるからだ。要領よく生きるためと思いつつも自分の本来の性格は何なのか、相手が望んでいる解答ではなく自分本来の意志だったらどうしていたのかとふと迷うことがある。

今回の授業で本当の自分、偽りの自分に考えさせられたり、文学の歴史を考えることでいろんなことが見えてくることが分かった明日の授業も様々なことを吸収できるようにしたい。」

★「授業の感想ですが、私は「アリバイ・アイク」の話に興味を持ちました。ただ、アイクの言動は私にはかなり理解しがたいものでした。私の友達にアイクのような人間がいれば、私はとてもむかつくであろうし、関わることをしないと思います。もしアイクの言動が理解できるという人がいれば、その理由を聞いてみたいです。」

★「ぬれぎぬと聞くとやはり濡れ衣を着せると言う言葉が出てきます。印象は悪いです。でも人間誰しも他人に濡れ衣着せがちだと思います。そして連想で最初に出てきた言葉は「それでもボクはやってない」という映画でした。冤罪をかけられた人の映画です。とにかく今は印象が悪いです。」

★「今回集中講義の1日目を通して、「ぬれぎぬ」について板坂先生が著した本を見てきたが、「ぬれぎぬ」というものについてこんなに深く考えたのは初めてであった。

「ぬれぎぬ」というのは、私的に良い印象はほとんど思い浮かばなかったが、童話「ないたあかおに」や「花さき山」のように周囲や愛する人のために、覚悟を決めて自分が罪を着る「覚悟のぬれぎぬ」があるということを聞き、確かにその通りだなと思った。

私は、ぬれぎぬと聞いて、真っ先に、学園ドラマなどの色恋沙汰による「嫉妬」が原因で起こるようなものを思い描いた。そのような学園ドラマの多くは、主人公に嫉妬した主要な人物が何か濡れ衣を着せ、主人公を陥れるが、救世主の出現や、主人公の努力などによって、無実を証明し、大逆転という流れが定番のような気がする。

しかし、現実で実際に濡れ衣を着せるような場合は、もっと綿密に計画的に罪を着せるものではないかと私は考える。罪を被せられた側が、いくら『やってない』と言い張っても誰も信じてもらえないような状況・人を選んで実に巧妙な手口で罪を着せるものではないだろうか。

このような、文学作品と現実のギャップというものにも着目しながら、これからの講義も受けていきたい。」

★「今回の講義は、様々な作品を元に濡れ衣について考えることが出来ました。私は濡れ衣のイメージはあってはならないものですが、文学の世界では脚色しやすかったり、読者が次の展開が気になる点から、当たり前のこと、面白みがあるものだと言うイメージも持っていました。また、濡れ衣表現があることで、かえってその人物像が現れたり、読者に印象を残す点からしても、文学の世界では頻繁に起こるものだと思っていました。

講義中に、ストッキングを理由にしてトイレにいく話は、自分はしませんが、どこか分かるような気がしました。菅原伝授手習鑑の話に興味を持ったので、自分で調べてみたいとおもいました。」

 

★「今日の授業の最初に「ぬれぎぬ」という単語を聞いたとき、私が1番に思ったのは、

「嫌いだ」ということです。

事実でないのに罪を擦り付けられるような感じで、

個人的には嫌いだなと思います。

また、なんとなくぬれぎぬを着せられるようなときには

人間関係がグチャグチャになってしまうイメージがあり、あまり関わりたくなくなってしまいます。

しかし、自分の身の回りでも、よく

濡れ衣を着せられたり、

そのような状況になったりすることは多いので、(中学生時代は特によくありました)

他人事じゃなく考えることができました。

今日「アリバイ・アイク」の話を聞いて、自分にもそのようなところがあるなぁと感じました。

今までは、「ぬれぎぬ」という点に着目して文学を読んだことはあまりなかったので、

今後読む際の指標にもなりそうだと感じました。

今日習った3つのぬれぎぬに関して、今後色んな文学などから学び、

深く考えていけたらいいと思います。」

★「「ぬれぎぬ」という言葉を聞いて、自分が関わるのは嫌ですがお話としては嫌いではないと思いました。ネット小説に「濡れ衣を着せられて周りの人にも見放されて不幸になった主人公が強くなったり追放された先で助っ人を見つけたりして、濡れ衣を着せてきた人を見返して幸せになる」といういわゆる「ざまあ展開」のものをよく見かけます。他人事として読む分には甘い汁を吸っている悪者が最後には倒されるという痛快な物語として広く受け入れられているんだと感じます。」

★「「濡れ衣」の印象→罪を実際に起こしたわけではないのに、犯人にしたてあげられてしまうことだと思います。自分が被ると思うと嫌なので、嫌いです。私は推理小説を読むことが多いのですが、読むときはある程度推理をしながら読んでいます。しかしながら、ほとんど真犯人に気づくことはなく、文章に踊らされてしまっています。別の人物を犯人だと思い、得意顔で読み進め、衝撃を直に受けてしまっています。この場合、私はその人物に「濡れ衣」を着せて、その後を予測してしまっているのかなとも思います。しかし、この読み方も私は好きだなと感じています。

*授業について→「濡れ衣」をきせられた人間は、それが自分から望んだものであっても、不幸不運、美しくも儚いと感じるというのは感じたことはなかったが、考えると納得しました。源氏物語を読んでいるのですが、源氏の生き方は作品中の当時の人にしたら輝かしく思えるように感じましたが、今読む限りは可哀想な印象でした。常に悩み事の耐えず、満足できない姿が苦しそうであると感じました。「濡れ衣」もつらいものですが、反対であるはずの「逆濡れ衣」もきついものであるのだと思うと、難しいものだと思います。」

★「今回の講義では古典文学講義のオリエンテーションとして、「濡れ衣」について自分がどのような印象をもっているかを考えた。そのときパッと冤罪事件が思い浮かんだ。昔から痴漢冤罪等の濡れ衣は存在しており、また現代ではSNSでのデマ情報拡散により知らぬ間に炎上し、犯人であるという既成事実が作られることが多々ある。

最初は濡れ衣とはそのようなものであると考えていたが、講義を聞くうちに善心からうまれる濡れ衣というものもあるのではないかと考えついた。それは他人を助けるために自ら罪を被る、というような濡れ衣である。私は濡れ衣という言葉は好きではなかったが、様々な人間模様の末の濡れ衣のようなものも存在するのではないか、と考えると濡れ衣とは何なのか、今一度考え直す必要がある。それをこの講義を通して考えていければと思う。」

★「今日の集中講義では、「濡れ衣」について学ぶことができました。今までは、文学のジャンルごとに研究や考察をしたことはあったけれど、「濡れ衣」という視点から、文学に向き合うことはなかったので、明日からの講義が楽しみです。

私の「濡れ衣」の主なイメージは、「濡れ衣を着せられるよりは着せたい」「自分から進んで濡れ衣を着る人もいる」「推理小説や刑事ドラマでよくある」という3つです。また、「なぜ、濡れ衣というのか」というイメージもありましたが、講義のなかで「濡れ衣塚」のことを知ることができたので良かったです。

明日から「予期せぬ濡れ衣」「覚悟の濡れ衣」「怒りの濡れ衣」の、3つの「濡れ衣」について学んでいき、最後の「濡れ衣」についての口答発表に生かしていきたいです。」

27日の講義で話した「キャッチ22」の、映画と、小説はこちら。最近ドラマ化もされてるようですね。

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カツジ猫