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「ダウントン・アビー」断想(7)

まったく登場しないのに、妙に印象に残る人がいる。このドラマは、そういう見せ方(というか、見せないままにし方)がうまい。

一番印象的なのは、次女イーディスが結婚したバーティ・ペラムの雇い主で友人だった、ピーター・ヘクサム卿だ。
ヘクサム卿は広大な領地と巨大な城を所有する大貴族の侯爵で、バーティはその領地管理人だった。ところがピーターが旅先の土地アフリカのタンジールで客死し、同年代だからまさか後継者になることはないと本人たちも含めて皆が思っていた親戚のバーティが、いきなり後継者になり侯爵になってしまう。公侯伯子男と言われるように、侯爵は伯爵より上だから、侯爵夫人のイーディスは家族のグランサム伯爵一族より、身分だか位だかが上になってしまうのだ。両親の伯爵夫妻は笑いつつも喜ぶが、姉のメアリーは自分が失恋したばかりなのもあって、この顛末は不愉快で、おかげで大騒動と大どんでん返しが起こることになる。その話は長くなるので、こちらでも見ておいて下さい。

ピーターとバーティは深い友情で結ばれていた。ピーターは気難しい芸術家肌で、人に理解されにくく、孤独な人だったらしい。ただバーティには心を許していて、いつも優しかった。
というのは全部バーティが語っていることだ。だってピーターは画面にはまったく一度も登場しないのだから。

後にバーティの母が、その人柄も生き方も感心できないと否定して、バーティを傷つけているように、周囲の目からはピーターは、変人の危険人物と見られていたのだろう。なのに、バーティの語りを聞いていると、バーティだけが理解していた、バーティだけに見せるのを許していた、その悲しみや孤独や魅力が、すんなり信用できてしまう。
そしてこの自由奔放で人に親しまず、タンジールの海岸で地元の人々が仕事をしているのを見ながら日が暮れて行くのを、こよなく愛していたという若い侯爵の姿や横顔までがひとりでに浮かび上がってくるようだ。

バーティ・ペラムはそんなに長身でもなく、髪も少し薄く、かっこよさや派手さはない。失恋し、というか自分で拒絶した相手のヘンリー・タルボットと彼がいっしょにいるのを見て、姉のメアリーは「ヘンリーが侯爵だったら、さぞ立派で地位に似つかわしいだろうに」とか、とんでもないことを口にしている。人柄も実直で平凡で面白みがないと、メアリーは断じている。

そんな姉に負けまいと必死で、農夫の小作人とも父親ぐらいの老人の貴族とも過去にはくっつこうとしたイーディスだから、バーティの地味さも退屈さも問題ではなかったかもしれない。だがバーティの、その実直さや平凡さが、気性の激しく繊細で神経質で不安定なピーター・ヘクサム卿にとって、どれだけ貴重で信頼できる唯一の存在であったかということが、もう理解できすぎて心が痛くなるほどだ。彼の死で爵位がころがりこんで来たとき、バーティは喜びはもちろん驚きさえも感じず、ただただ親友を失ったこと、家族も友人も理解者もなかった彼の死を心から悲しむひとが自分以外には誰もいないことに、ひたすら打ちひしがれている。

写真一枚、映像としては出ないピーターの姿を、これだけ浮かび上がらせることは、とりもなおさずバーティを演ずるハディー・ハデン・ペイトンの演技のみごとさ、脚本設定の正確な巧みさでしかない。見えないピーターを見せることで、バーティという人物の姿もまた、鮮やかに見えてくるのだ。メアリーには見えなかった、その清らかで暖かい魅力が、亡きピーターの存在を通してあふれるように流れ出すのだ。

これほどではないが、同じような「見えないのに存在感」の人物は他にもいる。次回は、それについて書こう。

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カツジ猫