「告白」感想(やっぱり、おまけ)。
キャラママさん。
なるほどねー。遅ればせながら、私も原作読んでみました。ついでに確認もしたくなり、朝の9時から近くの映画館で上映してたのをもう一度見てきました。
小説もよくできていて面白いです。特にあの独特の乾いたユーモアは映画にみごとに生かされてますね。
でも小説は、悪くないっていうか、私にはふつうの出来でしたね。見直してあらためて思ったけど、やっぱりあの映画は映像として演技として最高ですよ。
小説では、あのクラスはそれほど絶望的な学級崩壊状態ではないですね。むしろ、クールな女教師によって、かなりうまくまとまっていたのではないでしょうか。
そうだとすると、あの冒頭の教室の状態は描写としてはちょっとちがうような気もするんですが、しかしまあ、娘の死以来、先生もやや指導に力が入らなくなっていて、ああいう状態になっていたという解釈ができないわけではないですし、映像としてはあの方がインパクトあるし、あれで成功してるからなあ。
クラスのメンバーの描写も、小説ではきちんとしているんですね。そして、映画でもそれにのっとって、最小限ではあるけれど、個々人を描いてはいますね。二回見たらよくわかりました。ただ、これを一回見て気づけというのは無理な気もするけど、まあそれでもいいのかもしれない。
小説と映画で名前が同じだったかどうかわからないけど、女教師を支持し慕っている男子生徒もいるし、娘をかわいがっていた女子生徒二人もいる。
そして、女教師が去った後、加害者へのいじめがひどくなるのは、この女教師を支持してた、まじめな男子生徒と、前からいじめをやっていた(屋上に他の男子を呼び出したりして)もう一人のいたずら好きな生徒と、ふだんなら共同戦線張ることがまずないメンバーが、手を組んだというか、一致する方向で動いたからなんですね。そういうクラスの力学もきちんと描かれている。正義派っぽい女子生徒とかも。
その一方で、美月の初恋の相手とか、そういう話をばさっと削ってるんですが、どれもとても的確な削り方で、話をしぼって明確にするのに役立っている。
美月が青年教師と校長室に行く時とか、遠景の背景に、屋上の渡り廊下で誰かがいじめられてなぐるけるされてるらしい様子も見えて、ちょっともう「ソドムの市」風の狂気と暴力が日常化してる世界も描かれていて、こういう雰囲気もうまいなあ。
そして、小説では女教師の姿勢ははっきりもう復讐で、教育的観点はなく、クラスへの配慮はまったくありません。
キャラママさんも言ったとおり、小説だとうっかり見逃しそうなその点が、映画だとよくわかるようになってるのも、とても正しい原典の解釈だと思いました。
で、そうなるとまた言いたくなるんですが、やっぱりこんな風にクラスを見捨てる、どころか、自分の復讐に利用するのは、そしてどうも、そのことについては確信犯でさえなく気づいてもいないように見えるのは、ちょっとひどいよなあ。
これは映画や小説への文句ではなく、作品の中に入りこんでグチってるんですけどね。
キャラママとも話すんですが、教師というのはつくづく危ない仕事で、自分がもてる好かれてるとうぬぼれるのも命取りですが、自分が生徒に異性同性関係なく、どれだけ好かれ愛されあこがれられてるか、気づいてないのはこれまた危ない。前者は自分が恥かくだけですけど、生徒を危険にさらすって点では、後者の方が害が大きいかもしれない。
自分の魅力に気づかないっていうのは、教師の場合は美徳じゃなくて無責任です。
何を言いたいかというと、あれだけきれいで若くて賢くて魅力ある女教師は、自分が特に男子生徒にとっては、生きた爆弾なみの危険な存在だってことをよく知ってなきゃいけない。むしろ、知らないとは言わせない。
彼女にあこがれていた生徒は多いでしょうが、特に男子生徒の場合、はっきりそれと描かれてるひとり以外にも、そんな生徒はいたかもしれない。どう考えてもいるはずです、あれだけ素敵な先生なんだから。
まあ少なくともひとりは確実にいたわけです。それを知っていて(知らなかったら、それもあまりにひどい話)、あの「告白」をするというのは私には正気の沙汰とは思えない。娘を殺した加害者を危険にさらす前に、自分のファンの男子生徒をものすごく危険にさらすってことが、どうしてわからないんだよー。