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「大学入試物語」より(25)

だが、私のように、ぼやっと天下国家から森羅万象の雑談をしながら、深刻な話を深刻でなくくっちゃべるというスタイルは、会議や入試やその他の仕事が加速的に増加する中では結局不可能になって行った。いつからか私は研究室にきた学生に「あと一時間で会議なのよ」というようなことを言わざるを得なくなっていった。そうなると深刻な悩みを抱えた学生などは、きっと多分来ない。私に気をつかって来なくなるということも、むろんある。
もっと何とかするべきだったと今では反省している。何か工夫はできたはずだ。だが、対応したり策をねったりする時間もとれないまま、私は次第にオフィスアワー精神に毒された。「悩みがあるなら、要領よくまとめて相談にきてくれ」と思うようになったし、「何回会って話しても、結局同じ話のくりかえしじゃたまらない」と思うようになった。新商品のプレゼンじゃあるまいし、自分の心の奥の悩みなど、そんなにさっさとまとめて提示できるようなら世話はない。

今の学生が昔に比べて、ガードが堅いというのも、誰よりも自分が大事で相手は(たとえ大学の先生でも)自分のための便利なツールとしてしか見ていないというのも、たしかにそうだろうとは思う。しかしそれは昔もそうだったし、今でも時間さえあれば、昔とはちがったやり方で、彼らの悩みは聞けたと思う。
たとえば、研究や役職でばりばり活躍し脚光を浴びていなくても、ひっそり何もしていないかのような教員や職員が、そういう学生たちの悩みを聞く役割を果たしていた面もあった。しかし、これもまた、人員削減や予算削減の中で、そういう余分な人材、目に見えない仕事をしている存在は削除され、認められなくなった。個人としても組織としても、そういう余裕ののりしろがまったくない状況が日に日に作られ、それが学生サービス、社会への貢献というのだから片腹痛い。
オフィスアワーとは、今考えれば考えるほど、少なくとも日本の大学、私の周囲では、学生との相談時間を確保しているかのように見えて、実は学生とふれあう時間を大学からなくすための口実だったとしか思えない。全国試験のぶあついマニュアルと同様、「対応してます」という免罪符としての役割しかない、あえて言うなら犯罪的な存在だ。
それは、「教員をふやし、仕事をへらせば、すぐすべて解決する」と現場で言われている、いじめ問題をはじめとした社会全体の縮図でもある。悩みは要領よくまとめて話せるものではない。バカ話をしているうちに、フコイダンだか何だかの服用によるガン細胞のように、いつか消えてしまうこともあるし、じっくり、ぼんやり、ぐちゃぐちゃくだをまいている間に解決することもある。そういう場所や余裕が消え、「無駄がない」世の中を優先するから、酸素不足になった金魚のように誰もがあっぷあっぷすることになる。

それにしても、なぜこんなに大学が忙しくなっているのか、という話だが、それはまた次回に。って、どうせ大学関係者は皆わかっているのでしょうが。(2012.8.20.)

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カツジ猫