1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 「大学入試物語」より(5)

「大学入試物語」より(5)

第二章 「公平」という名の幻想

 1 何かが消えてゆく

 前章の最後に書いた、学生や受験生のことを思いやらずにはいられない、教師としてのDNAは、もちろん私にもある。どちらかというと私は学生に対して親切でサービスのいい教師と周囲から思われることも多くて、時には「どうして板坂先生はあんなに学生のことに親身になれるんだろうって、皆で話しているんですよ。きっとお子さんがいらっしゃらないからでしょうねって」などと、あきれてものが言えないほめことばをいただくこともある。
 そういうことを言われると、あらためて自覚するが、私は学生をちっとも好きではないし、そう言うと卒業して教師になったばかりの教え子が「先生の気持ちがわかりました~」とか、うれしそうに言うので、バカかあんたがそんなこと考えるのは百年早いと、また腹が立つし、それはまあ口にも顔色にも出さないが、卒論指導の際には、「言っとくけど、あなたがたの誰が卒論を書けなくて留年しても、私はまったく困らない」と明言し、「あなたがたがもし、何か犯罪その他を犯して、教授会で処分が議論されたら私は絶対弁護しないで厳罰にして下さいと言うし、その前に私は学内で嫌われていて敵が多いから、私の指導学生というだけで、まず誰も寛大な処分を願ってはくれないだろうから、そのつもりで気をつけなさい」と言っている。こういうのは今でいうツンデレだと思う人もいるだろうが、必ずしもそうではない。そもそも学生がどうこう以前に、私はあまり人間が好きじゃないだろうなと思うこともある。

 だから私が大学教員の中でどれだけ、教育者として愛情深い方なのかそうでないのかはわからない。だが、そんな私でさえも、一応はほとんど本能的に試験官として試験場に入れば、受験生のことは思いやる。現行の受験制度への好みや意見はさておいて、その制度で受験するしかない学生たちには、少しでも快適な環境で、充分な実力を発揮させてやりたいと心を砕かずにはいられない。
 先に言ったマニュアルには、何時何分にはこう言え、何時何分にはこうしろと細かいスケジュールが書いてあるが、それだけではなく、こういう事態が万一起こったらどうしてこうして、とか、足音を立てるな音の出る装身具はつけるな打ち合わせもなるべくするな要するに受験生の集中力が乱れるような動作や態度はいっさいするなという注意が、ことこまかに書いてある。もうこれ以上どうやっても思いつけないだろうと思われるほど細かい注意の、さらにそこに書いてある以外のことを個人的に私はいくつも心がけていた。着る服の色から説明を読む声のトーンまで、受験生にとってもっとも快いのはどれかとまで、毎回真剣に考えていた。

 しかしこの数年、そのような熱意や愛情が急激に薄らぎ消え始めた。マスメディアのあまりにも大学や大学教員の実態を知らない入試関係の報道ぶりや、もう何十年前に絶滅したかわからない「高い給料をもらって、優雅に研究室で自分の研究にばかりいそしんでいる、けっこうな身分の大学教授」というイメージで、すべてを図式化するずぼらさに、真剣にいらだちはじめ、毎年次第にぶあつくなるマニュアルの諸注意にも、こんなことが実際やれると思うのかと怒りが積りはじめた。
 そんなことは受験生の罪ではないし、彼らにその怒りを向けるのはまちがいなのはわかっている。こんなことで、めっきがはげる私の教育者としての精神はしょせん、それだけのものだったということでもあるのだろう。
しかし、これだけ自分の研究はおろか教育さえもなげうって、入試のために受験生のために尽くしているのに、大学入試センターも報道機関も社会全体も、非現実なまでに細かい批判をしつづけ、過度な要求を次々によこしつづけ、そのすべてに「受験生のために」という錦の御旗をくっつけるのなら、もういいわかった、そっちのいうことだけ守っていたらいいのなら、自分がしている現場での努力など、もうすべてやめてもかまいませんかねという気分になってくるのは、やむをえない。

Twitter Facebook
カツジ猫