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「朽ちていった命」という本

小出氏の「原発のウソ」、友だちに買って送ってやろうと思って本屋で見たら、もう第五刷になっていた。すごすぎる。(笑)

その本の中に紹介してあった、東海村の事故で亡くなった方の医療記録のルポルタージュを買おうと思って、大手の書店の店内パソコンで検索したが、見つからなかった。口ほどにもない本屋よなとバカにしながら、棚を見てまわったら、ちゃんと置いてあった。「朽ちていった命」というタイトルを、私は「朽ちてゆく」で検索していたのだ。

小出氏が、この本をすすめている理由は、もちろん内容もだが、「原発のウソ」同様、非常に読みやすいからだろう。価格も500円たらずで手ごろだし、これもまた、一人でも多くの人に読んでほしい本である。

この事故が起こったのは、1999年9月で、二人の被害者が亡くなったのは12月頃だ。私の愛猫の故キャラメルが白血病を発症して、どんどんやせていっていたのが、ちょうどそのころで、彼は翌年の3月に死んだのだが、それまで私はニュースを気にするいとまもなかった。だからあまり覚えてはいないが、それでも、放射性物質をバケツで貯水槽に入れていた(入れさせられていた)という報道に、唖然、暗澹とした記憶はかすかにある。

亡くなった時の病名は多臓器不全とかで、それ以上あまり詳しい報道もされないままだった。第五福竜丸の事故のときなどと比べても、マスメディアの関心の薄さは驚くほどだった。私も気になりながら、それ以上のことは知らなかった。
だいたい「多臓器不全」とかいうと、そういう言い方もどうかとは思うがふつうにガンになった人が、悪化して衰弱して亡くなるような感じで、むろんいたましい悲劇ではあるが、よくあることと言えばそうである。
だが、この被爆者のお二人の亡くなり方は、多臓器不全にはちがいないが、そんな普通の死に方ではない。本当に普通の幸福な家庭のよき夫、よき父親であった青年が、まったく普通でない悲惨な死に方をしたという点で、戦慄するしやりばのない憤怒にもおそわれる。

放射能によって(ほんの一瞬浴びたことによって)このかたがたの肉体は決定的に細胞レベルで破壊された。しばらくは、さほどの外傷もなく症状もなく、家族や医師や看護師と笑って話せていた「明るい患者さん」だった、二人の内の一人大内さんは、やがて内臓も皮膚も再生する機能が失われ、かつての姿をうしなってゆく。生きながら「かわりはてた姿」になってゆく、その過程は家族や医師や看護師や、何より本人にとって、どんなにやりきれなかったろうか。彼の染色体は原型をとどめないほどに破壊しつくされており、もう一人の篠崎さんは移植した皮膚が硬化し、解剖の時に異様な音をたてたという。

何もかもが恐ろしくすさまじく、さらに何よりもやりきれないのは、これだけのことが起こっていながら、私たちの多くがそれを知らされないまま、原子力発電所は作りつづけられ、今回の事故が起こり、再びこのような被爆者を生みだしかねない状況が、日夜つづいていることだ。この人たちの、これほどの苦痛、これほどの絶望を私たちは何も役立てなかった。それはこの人たちに対する、最高最大の冒涜だろう。

昨日か一昨日、いやがる飼い猫にむりやりブラシをかけていて、したたか手首をひっかかれた。長い傷跡が真っ赤になって血が流れ、見られたものではなかったが、今日はもうあらかた皮膚が再生している。
ふだんなら何でもないこのことが、「朽ちていった命」を読んだ後では胸が苦しくなるほどリアルに、このような機能がすべて失われたとき、人間がどうなるかあらためて感じさせるのだ。

「朽ちていった命」は、ひどい話だ。救いようがなく悲しい。しかし、節度をもって穏やかに書かれており、どんな繊細な人にも決して読めない本ではない。だから、誰もがぜひ、読んでもらいたい。この人たちのことを知るために、忘れないために、私たちはこれを読まなくてはならない。今もこれに近い危険な作業をしている人たちのためにもだ。それが同じ時代に生きている私たちの責任だ。

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カツジ猫